>>824
>主人公が遠いとは自己投影出来ないからということですか?


主人公が喜ぶシーンは読者も喜び、主人公が悲しむシーンなら読者も悲しむ
これが主人公と読者が近いという状態だ
主人公の事を我が事として感じてくれるという、書き手と読み手双方にとってハッピーな状態
書き手は、まず最初この状態を確保しなければならない

一度この状態を確立してしまえば何をやっても効果が高いしブクマもどんどん増える
余程の悪手をやらかさない限り、win-winな創作を続けられるだろう

ノウハウとしては幾つかあるが、
メイン読者層に近い主人公像を設定するのが基本だ
特に日常から始まるパニック物は、読者が共感しやすい主人公でないと勝負にならない傾向が強い
そして始まる非日常に対しスタンス、行動基準を丁寧に描写していく事によって
読者が主人公に重なって世界を歩いている状態に持っていくのが肝要だ

現行では、主人公の芽衣の事を読者は何も分かっていない  赤の他人だ。
そもそもどういう人間なのか、どういう考え方をし、どういう行動を取るのか、ついでに少年となぜ一緒に行動しているのかも一切分からない
視点を仮託されてはいるが、読み手は芽衣を我が事とは全然思えない
だから読者は芽衣がピンチになったって他人事だ  目的なんかもどうでもいいと感じているので物語の行く末にもあまり興味を抱かない
何かあればすぐブラバしてしまう、そんな遠くて薄い繋がりしか確立できていない


>一話より前に苦労シーンを入れた方が


とって付けたような苦労シーンの追加は、単なる鬱展開として更にブラバを招きかねん。
改造するなら、ゾンビ禍の最初から描くべきだろう
根本的なダメ出しになるが、そもそもゾンビ禍の後だけ描こうという製作コンセプトが無謀だったのだ

最初の思い付きから間違っていた
ゾンビパートを他人のフンドシで済ませようという手抜きが諸悪の根源であろう
はーい第1話に至るまでの過程は他のゾンビ作品を参考にして色々なドラマを想像してね、という手抜きと丸投げのツケが、作品の死産となったのだ

そしてその為に、登場した時点で主人公は読者の知らない色んな経験を積んできたという設定になってしまっている
読者にとって、自分が知らない自分がいるという気持ちの悪い状態  これを許容してくれる読み手は殆どいない。
読者にとって他人の芽衣  そしてそれに輪を掛けて他人の少年   読者との距離は天文学的に遠い

1話の前に、日常から非日常に移りゆく過程やゾンビとの戦い、少年との出会いなどを丁寧に描けば復活ワンチャン無くもないが、
おそらく現行の倍では済まぬ作業量になり、汝はそれに耐えられぬだろう
これはこれで完結させ、別な作品を次は最初からちゃんと書く事を薦めておく