清原真良助は数十人という寡兵で逆巻く波の如く押し寄せる敵を峠の隘路で迎え撃っていた。
 益荒男の印を模った変わり兜に朱色の肋骨胴という出で立ちである。
 変わり兜の天辺には白いヤクの毛が花開いていた。
「我こそは清原真良助じゃ! 東国の殿原よ! 某を討ち取り手柄と致せ!」
 清原は大音声上で叫び、七尺五寸の鉄棒を奮い次々に敵兵を打ち斃した。
 
 清原は半月前、女子と同禽している際に国境にある居城、真良城を夜襲され、命からがら逃れた。
 これを恥辱とした清原は死に場所を求めていた。
 主君、岡田阿波守一雄が怨敵桜田門一族と雌雄を決した湊川の一戦で破れた。
 山菱の旗印を見えなくなるまで望見したという。
 半時も経たないうちに敵三千が襲い掛かって来たのだ。
 黒地に金泥の旭日章の旗指物が無数に見える。
 喚声と共に隘路を真一文字に進んで来た。
「来い! 儂が相手じゃ!」
 清原は叫び、殿の兵は我先に敵に躍り掛かった。
 死兵と化した岡田軍は二町ほど敵を押し返す。
 討ち死に手負いの者も数知れず。
 桜田門軍は鉄炮、弓を撃ち掛け、次々に岡田軍を薙ぎ倒す。
 黒い硝煙が辺りを包み込み一寸先が見えない程であった。
 それから間もなく清原以下の殿は全滅した。
 この戦いは後世にまで語り継がれ、失敗を命を以て贖う事を清原の摩羅立ちと言う切っ掛けになった。
 この戦いのあった場所には摩羅神社が建てられ、陰萎が治る御利益があると参詣者が後を絶たないという。