横浜の平沼橋にある角平は昼時になれば、大勢が押し寄せる老舗の蕎麦屋だ。
 私は週に一度はここに蕎麦を食べにくる。
 そんなある日、天ざるを啜っていると、一人の老人が英語で話しかけてきた。
「ジョージ ハヤシ(林譲治)じゃないか? オレだよ、覚えてないか!? ヴィリー シュルツだ!」
 私は一瞬、戸惑ったが思い出した。
 ヴィリーはアメリカの中学時代のクラスメイトだった。
 見上げると、すっかり白髪になったヴィリーが立っている。
「よく、私がジョージだとわかったな」
「忘れるかよ。クラスヘッドの秀才をさ。てっきり、ヤマトと一緒に海の藻屑となってしまったかと思った。でも生きててよかった」
 ヴィリーの目に涙が浮かんでいた。

 T帝国大学を卒業し海軍予備学生四期生として海軍少尉を仰せつかった。
 速成教育を施され、配属になったのは軍艦大和だった。
 昭和二十年四月七日、私は機銃指揮官として戦闘配置に付いていた。
 低く垂れ込む雲、視界は非常に悪い。
 輪形陣を組み軽巡洋艦、駆逐艦合わせて九隻が大和の護衛に当たっていた。
 対空戦闘用意の喇叭が鳴り響いた。
 これが訓練ならば最後に鐘がカーンと鳴るが、鳴らない。
 実戦だ。
 初陣の緊張感で心臓の鼓動が早まる。
 三連装機銃の装弾手、射撃手も緊張した面持ちで空を睨み射撃体勢に入っている。
 ホイッスルが鳴ると同時に雲の合間から次々に敵爆撃機、雷撃機が降下し大和を目掛けて突撃してくる。
 耳を劈く射撃音、白煙が立ち込めた。
 槍衾を思わせる弾幕を突破して機銃掃射をしながら急降下爆撃が爆弾を落とす。
 急降下する爆撃機の顔が見えるほどだ、見覚えのある顔、嘗てのクラスメイト、ヴィリーではないか。
 向こうも私に気づいたのか驚いた表情を見せ、機銃掃射を躊躇った。
 躱すが両舷側に爆弾が落下して滝が巻き起こし、最上甲板に豪雨をもたらした。
 最上甲板に居る者はずぶ濡れだ。
 敵の機銃掃射、命中した爆弾や破片で多くの乗組員が死傷し甲板は血の海と化し、血糊の上を歩くと靴跡が残る。
 奮戦虚しく大和は大きく傾斜し総員退去の命が下った。
 私は重油が漂う海に飛び込むと間もなく、大和は大爆発を起こした。
 私は意識を失い、気が付けば救い出され駆逐艦冬月の艦上に横たわっていた。
 それから73年後ヴィリーに会うとはこの時、夢にも思わなかった。