なぜ完璧な文章は存在しないのだろうか。
「完璧な絶望が存在しないのと同じように」だから、文章と絶望には共通点があるということになる。
そこで、まず絶望について考えてみる。絶望は「可能性が実現されないという認識」だと考えると、絶望の裏側には必ず可能性の認識がある。
「完璧な絶望」とは「可能性を認識していながら、それが全く実現されないであろうという認識」である。いくら絶望しようと可能性の認識だけはあるわけだ。

逆に「可能性が実現される」場合でも、最終的な実現に至るまでの過渡的な状態では、可能性は可能性のまま保たれている。
「実現」ということを「可能性の現実化の過程全体」ととらえれば、「可能性の認識」というのは「実現」の一部だということになる。
「完璧な絶望」においても、「可能性の認識」だけはあるのだから「実現」の一部が存在する。
つまり、完璧な絶望というものは存在しえないということになる。完璧な(最終的な)実現にこだわることが絶望を生むわけだが、完璧に絶望することはできないのだ。