水質管理は徹底しており、幕府は上水に船を浮かべることも、ゴミを捨てることも禁止しており、上水沿いのあちこちに水番屋をを設置、水番人という役人がゴミを取り除いて水質管理していました。
ただ、幕末には玉川上水に船を浮かべて砂利を運ぶ計画が幕府によって立てられていたといいます。