映画「糖質」
心優しい男は、なぜ「糖質」と呼ばれるようになったのか……?

――アカデミー賞は間違いない。

――如月真弘に共感した。誰もが如月になる可能性がある。カクヨムが「糖質」を生んだ。

如月「仕事はどう? ネガティブになってない? ……ネガティブに決まってるだろ」

「物語で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸に、twitterでシングルマザーの猶に思いを寄せながら執筆を続ける平凡なワナビ、如月
ある日、モリー・タクミが主催するカクヨム小説コンテストに出会う。
モリー「誰もが小説家になれる時代が来た!」
如月「子どもの頃、小説家になりたいと言うと笑われた。でも今は誰も笑わない」
モリー「HAHAHAHA!(嘲笑)」

平凡な若者だった如月真弘がカクヨムデビューを経て伝説のヴィラン「糖質」になっていく前日譚となるこの作品は、
カクヨムに蔓延する不正、格差と断絶、読者選考主義に警鐘を鳴らす喜劇であり悲劇である。

母親の夢を継いで作家になろうとし、小説を書き続ける如月。
しかしもがいてももがいても、出版界の闇は彼を何度でも突き落とし踏みにじる。
腐敗したカドカワ・カクヨム。先輩作家のパワハラ。不幸で不条理で不運な人生。
絶望の中で、彼は平凡なワナビからモンスターに変貌していく。

映画のクライマックス、如月が糖質の仮面を被ってカドカワ本社に突っ込み、モリーを射殺する場面。
たつき信者が叫ぶ「我々は皆糖質だ」
これは社会派作品だ。
「糖質はカクヨムが産み落とした」という万人への非難・批判の背後にあるのは、
カクヨムに蔓延る不正・格差・軋轢・分断・不満・対立・運営と出版社への不信感......
まさに今の出版界そのもの。

「狂ってるのは俺か?それともカクヨムか?」
劇中で如月が口にしたこの問いに、果たして答えを出すことができるのか。「お前が狂っている」と断言できるのか。


「一つお願いが。僕を『糖質』と紹介してくれますか?」