>>865

使用お題→『蜂蜜』『メール』『銭湯』『広告』『中の人』

【銭湯のクマさん】

 番台に女一人。ロビーにクマ一頭。
「なあ」
「何かな、クマさん」
 黒々とした毛皮が、湿り気を帯びてつやつやと光る。
「客、来ねえな」
 このクマはほとんど毎日顔を出す。初めて来た時は、男湯のみならず建物全体が獣臭くなり、皆大いに困ったものだが、今ではすっかり清潔なクマである。
「来ないね。もう少ししたら来ると思うけど」
 まだ早い時間なので、客が来ないこと自体に不都合はない。だが問題はそこではない。
「なあ」
「何よ」
「バランスシートは大丈夫か」
「……はっ?」
「BSCは作ってるか。KPIは設定してるか?」
「……このクマ何言ってんの」
 どこで聞きかじったか、このクマは、難しいことを話すのが好きなのだ。
「とりあえず……広告でも出したらどうだ」
 つまりはこの銭湯の経営を心配しているのだった。
「そうだね。広告でも出したらいいかもね」
 客の入りが悪いのは事実だ。常連客はそこそこ入っているが、ともすると赤字になりかねない状況だ。
「なあ」
「何?」
「『蜂蜜の湯』ってのはどうだ」
「何それ」
「蜂蜜だ。クマの好きな蜂蜜だ」
 そう言いながら、両手で持ったカップを器用に傾ける。風呂上がりに蜂蜜の入った飲み物。このクマの習性だ。
「よく分からないけど……それってクマ得なだけよね。却下よ、却下」
 言われてクマは気落ちしたか、少しの間だけ黙っていたが、やがて再び口を開く。
「なあ」
「……今度は何よ」
「インターネットだ」
「はあ」
「メールマガジンなんてどうだ」
「……いいんじゃない」
 するとクマは満足そうにうなずいて、カップの中身を飲み干す。
「俺がクマだ」
「……そうだね」
「これを見ろ」
 どこからともなくタブレットを取り出すクマ。あるサイトを開く。
「オダイチューブ?」
 動画サイトだ。
「これだ。この……ナントカ太郎ってやつだ」
「はあ」
「こいつには中の人がいるようだが……いないかも知れんが……俺には中の人などいない」
「ああそう」
 クマはまた一つうなずく。
「もふもふだ」
「もふもふ?」
 クマはうなずく。
「もふキャラだ」
「…………どゆこと?」
 クマは大仰にうなずく。
「俺がクマ――」
「あっ、お客さんだ。いらっしゃーい」
 こうしてクマの話は尻切れとんぼに終わったが、筆者は、お題をすっかり消化した上、話が丁度一レス六十行に収まったので、そこそこ満足した。おしまい。