キンモンス: 欧米人が日本について語るときには必ず日本の文化≠持ち出します。
しかし、アメリカかイギリスで同じ問題が起こると、自分たちの文化に関連づけるようなことは絶対にない
2009年から2010年にかけて起こったリコール問題で、トヨタ自動車がアメリカで批判の矢面に立たされたことがありましたね。
アメリカの新聞は、「これはトヨタの文化としての欠陥であると同時に、都合の悪いことはごまかそうという日本人の無責任文化の表れである」と、こぞって報じました
一方、2014年2月に発覚した、GM車のイグニッション・スイッチの欠陥が問題になりましたが、GMはそれを直そうともせず、何年間も放置し続けてきた。
しかし、「これはGMの文化としての欠陥であると同時に、都合の悪い事は隠そうというアメリカ人の無責任文化の表れである」と言う欧米人は誰一人としていません

古森:なぜ、トヨタだけが日本の文化と結びつけられるのでしょうか。

キンモンス:それはanthropology、つまり文化人類学というものを欧米先進国はすでに乗り越えているが、有色人種の国である日本はまだそうではないと考えているからです。

古森: 「文化」と言っても、この場合は音楽とか芸術とかではなく、いわゆる秘境の原住民が持っているような奇習ともみえる「文化」ですね。
英語のculture には「土着の人たちの独特の習慣や考え方」というような意味もあるわけです。だから米欧の一部の評者たちは、
日本の社会は民族特有のそういう文化的特質によって説明できる、と主張します。
しかし、自分たちはそんなものはすでに超越した存在だから、欧米で同じような現象が起きても、そういう「文化」という言葉を使って説明するのは無意味だというわけですね。