ワイが文章をちょっと詳しく評価する!【194】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
オリジナルの文章を随時募集中!
点数の意味
10点〜39点 日本語に難がある!
40点〜59点 物語性のある読み物!
60点〜69点 書き慣れた頃に当たる壁!
70点〜79点 小説として読める!
80点〜89点 高い完成度を誇る!
90点〜99点 未知の領域!
満点は創作者が思い描く美しい夢!
評価依頼の文章はスレッドに直接、書き込んでもよい!
抜粋の文章は単体で意味のわかるものが望ましい!
長い文章の場合は読み易さの観点から三レスを上限とする!
それ以上の長文は別サイトのURLで受け付けている!
ここまでの最高得点77点!(`・ω・´)
前スレ
ワイが文章をちょっと詳しく評価する!【193】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bookall/1593336593/l50 昭和十九年、サイパン島東方二十マイルにあるサマン島を闘強高校大学予科第一学年生徒隊五百名を中核に守備していた。
闘強高校大学予科は闘大予科と呼ばれ、現在の闘強大学付属高校である。
当時は陸軍幼年学校と対比して闘強幼年学校と陸軍内部では言われていた。
戦前、闘大を卒業すれば下士官の地位を付与され、多くの卒業生が陸軍の門を叩いた事実がある。
鍛え上げられた精鋭は陸軍にとっても歓迎され、貴重な下士官供給学校であった。
こうした事を踏まえて闘大予科を闘強幼年学校と陸軍では呼ばれたに違いない。
絶対国防圏が策定されて以降、来寇した米軍を撃滅したのはサマン島守備隊だけであった。
他の島、タラワ、マキン、サイパン、ペリリュー、硫黄島、沖縄では力戦敢闘し多くの損害を与えたものの、玉砕してしまった。
それらに比べてサマン島守備隊は狂信的かつ猛烈な肉弾突撃に米軍は完全に怯え、同島の攻略を諦めた経緯があった。
ラバウルに堅固な要塞を築き米軍を迂回させたのに匹敵すると言って良いだろう。
同島守備隊は制海権を失った日本海軍からの補給を望めず、現有の弾薬、糧秣だけで戦わざるを得なかった。
島には多くの湧き水があり飲料水には事欠かなかった。
スコールも多く発生し、身体を洗い清潔も維持できた。
島は隆起珊瑚礁で形成されて、構築した陣地は戦艦の40センチ主砲弾の直撃にもビクともしなかった。
しかし、食に関しては絶望的で水ばかり飲んでしまい、お腹が膨れ栄養失調になる者も増え餓死する者も増え始めた。
生徒隊の生き残りは「太刀を交えず餓死するクラスメイトを思うと、悔しくて堪りませんでした。戦場で散華する事に恐れを抱いてませんでしたが、飢えは恐ろしかった」と当時を振り返る。
米軍は生徒隊の狂信的な攻撃に畏怖したと書いたが、もう一つ恐れていたものがあった。
カニバリズムである。
近年においても、Sが起こしたパリ人肉事件が記憶に新しい。
昭和十九年のレイテ決戦では補給の途絶えた最前線で、人肉を喰らったという描写が大岡昇平の「レイテ戦記」にも描かれた。
一方で小笠原事件では捕虜になった米軍パイロットを処刑して、骸を喰らった立花中将のような例もある。
極限状態で生きるために人肉を喰らったのと、自ら進んで喰らったのを同一視できない。
前者は無理からぬことであり、事情を酌むべきであろうが、後者は明らかな犯罪だ。
実際に小笠原事件では首謀者である立花中将は戦犯として処刑された。
昭和十九年十二月に来寇した米軍は戦艦十隻、重、軽巡洋艦三十二隻、駆逐艦百隻の艦砲射撃のあとに多数の上陸用舟艇で押し寄せた。 敵の上陸第一波を堅固な隆起珊瑚礁の陣地から重砲、対戦車砲、重、軽機関銃を引き出して、猛烈な火箭で多くの上陸用舟艇を撃破し、多くの米兵を斃した。
予想すらしなかった猛反撃に米軍は攻撃を断念した。
上陸第一波は全滅し、死傷者一万二千を越えた。
硫黄島の上陸第一日の死傷者が二千名であったことを考えてみれば、いかに凄まじかったか想像できよう。
一日で一万を超える死傷者を米軍は許容できず、同島の攻略を完全に諦めた。
既に飢餓状態にあった生徒守備隊は斃すだけでは飽き足らず、斃した骸に喰らい付き、銃剣やナイフで肉を削ぎ落して食べたという。
飢餓は人間を鬼にしてしまう。
戦国時代、秀吉に包囲された鳥取城では骸に城兵が群がり脳髄を争って喰らった記録が残っている。
サマン島はラバウル同様に素通りされたが、補給は完全に途絶し、生徒隊にとってはいかに生きていくかが今後の戦いになった。
撃破した上陸用舟艇を修理し、サイパンに夜襲を仕掛け武器、食料を分捕る特攻隊が編成された。
米兵の軍服に身を包み、夜間に上陸して米軍の倉庫を襲撃するのだ。
実際、作戦は成功し多くの食料、武器を分捕り凱旋した。
敵軍の軍服を着てこうした行為に及ぶことは戦時国際法に完全に違反していたが、戦後罪に問われることはなかったという。
米兵はこの生徒隊の暴れ振りに手を焼いた。
信じられないことだが、米軍は航空機でサマン島に食料をパラシュート投下してサイパン島への襲撃を抑えようと試みた。
この試みは見事に成功し襲撃は終戦までピタリと止んだ。
終戦後、人肉の事件に関しては戦犯に問われることなく、無事、生徒隊は復員している。
一説には戦犯に問えば、闘大予科だけでなく、闘大まで復讐してくるのでは、と米軍が恐れたためだと言われている。
この事実を踏まえると、米軍がいかに闘大、闘大予科を恐れていたかが、窺い知れる。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています