7歳の時、実の父と3人目の継母が襲われて、死んだ。僕も耳に錐を刺された。
詳しいことは覚えていない。車窓の向こうの闇。闇に吹雪く白。尻の下の振動。あわせて揺れる大きなシ座席。怒りやすかった父の舌打ち。3人目の母の髪の、むっとする臭い。
横にかかる力。父の怒鳴り声。座席から転がる僕の耳に届く、無機質な音。緑色の瞳と、言い聞かせの呪文。

それくらいだ。
10年以上後で知ったのだが、父は危ない集団相手に危ない橋を渡ろうとしていたらしい。
迷惑な話だ。おかげで僕は、言葉をしゃべれない子供になってしまった。引き取られた施設ではとても大変な経験をした。
でも、高校への進学を機に、何故か会話ができるようになった。
そのまま演劇部に誘われて入った。卒業して、施設も出て、バイトで食いつなぎながら、劇団員になった。
2歳下の夏果とは去年、居酒屋のバイトで知り合った。何となく付き合い始めた。
妊娠が分かったのが2カ月前だ。僕は入籍と退団を決めたが、今でも鷲田はもったいないと言って、僕たちのアパートに押しかけてくる。
俺たちはようやく芽が出そうなのに、とかなんとか言ってさ。

『誰にも言っちゃ駄目だよ。耳じゃなくて、目になっちゃうからね』

鼓膜に響く声。緑の目。痛みは真実の証明。

妊娠を告げられたのと、夏果の留守中に、カラーコンタクトを発見したのは、タイミング的にほとんど同じだった。茶色がかった黒のコンタクトレンズ。

僕はレンズの奥の夏果の瞳の色を知らない。
夏果は、僕が彼女のコンタクトレンズの使用を知っているということを、知らない。
方言の話をするとき、どうして決まって哀切に喜色が混ざった顔をするのかも、知らない。

大きな嘘をついた時、僕はどうやって安心するだろうかと、発見の時からずっと考えている。やっぱり小さな嘘をたくさんつくのだろうか。
木を森に隠すみたいに。砂金を浜辺に埋めるように。そうして、森や浜辺を眺めるみたいに、つかの間の安心を喜ぶのだろうか。
だから糸魚川弁や信州弁や遠州弁や伊勢弁や近江弁を日常会話にちりばめては、ごまかすのだろうか。
そして今日みたいに、本当に方言を使う時には、ささやかな真実を喜ぶのだろうか。
夏果の悲喜こもごも。嘘に真実を混ぜる時の複雑な喜び。

やたらと全国各地の方言にくわしくなってしまった僕。

全てができの悪い喜劇なのかどうかは……。つまり、僕の考え過ぎかどうかは、夫婦として腹を割れば分かる。でも、その後の夏果を僕はうまく想像できない。
だからこの手は耳たぶを押さえている。
錐は、見えない楔は、今でもちゃんと僕の耳に打たれている。
勇気という名前なのに臆病な僕は、夏果の前で演技を続ける。高校の時から、演劇をずっとやってきて本当に良かったと思う、この頃である