1997年(平成9年)2月10日午後4時ごろ、神戸市須磨区の路上で小学生の女児2人がゴムのショックレス・ハンマーで殴られ、1人が重傷を負った[2][3]。

犯人がブレザー着用、学生鞄を所持していたと聞いた女児の父親は、近隣の中学校に対し犯人がわかるかもしれないので生徒の写真をみせてほしいと要望する。しかし、学校側は警察を通して欲しいとして拒否したため、父親は兵庫県警察に被害届を出して生徒写真の閲覧を再度要求したものの、結局、開示されることはなかった。

この事実により、犯人逮捕後、学校側に対し、「この時点で何らかの対応をしていれば第二・第三の事件は防げたのではないか」、「結果的に犯人をかばっていたことになる」との批判が起こった。

なお、この事件に関しては被害者の家族の要望もあり、非公開とされていた[4]。

第二の事件
3月16日午後0時25分、神戸市須磨区竜が台の公園で、付近にいた小学4年生の女児Aに手を洗える場所はないかとたずね、学校に案内させた後、「お礼を言いたいのでこっちを向いて下さい」(少年の日記より)といい、振り返った女児を八角玄翁(金槌の一種)で殴りつけ逃走した[5]。女児は病院に運ばれたが、3月23日に脳挫傷で死亡した[5]。

さらに、午後0時35分ごろ、別の小学生3年生の女児Bの腹部を刃渡り13センチの小刀で刺して2週間の怪我を負わせた[6]。ナイフの刃先は胃を貫通して、背中の静脈の一歩手前で止まっていた[7]。仮に静脈まで達していたら、救命は不可能だったという[7]。また、手術の時に、1.8リットルの輸血を要した[7]。

5月24日
少年Aは人を殺したいという欲望から、殺すのに適当な人間を探すために昼過ぎに自転車に乗って家を出た[8]。町内を約10分くらい自転車を走らせた後、多井畑小学校の北側の道路の歩道を東から西に自転車を走らせていたところ、Aとは反対に西から東に1人で歩いてくる男児を偶然見つけた[9]。

男児は同地区に住む放射線科医師の小学5年生の11歳の次男であった。男児は祖父の家に行くといって午後1時40分頃自宅を出ていた。Aが男児を知った時期ははっきりとは覚えてはいないものの、Aが5年生の頃小学校のなかに身体障害者のための「なかよし学級」があり、そのなかに男児がいることを知った。その後男児がAの家に遊びに来るようになった。これはAが直接知り合ったわけではなく、Aの一番下の弟が同級であったためである。その際にAの家で飼っていたカメに男児が興味を示したことからカメが好きなことを知る[10]。

咄嗟に「○○君なら、僕より小さいので殺せる」と思い男児の方へ近づいた。Aは男児に対し「向こうの山にカメがいたよ。一緒に見に行こう」と「タンク山」と呼ばれている高台に誘い出し、山頂手前にあるケーブルテレビアンテナ施設の入り口付近まで連れて行きその場で絞殺して遺体を隠した[10]。