初めて君のことを理解した気がした。
なるほど。君は文学作品というものを信仰しているんだ。
昨今、文学作品と大衆文学(エンタメ作品と言いかえても良い)の境界は曖昧になっているし
違いを訊かれて一文の長さだという職業小説家もいるようだし、
そもそもこの板はライトノベルが主流なのだけど、それでも君には文学作品という信仰があって、
創り手に対するべき論的な観念があるんだ。
俺は小説は楽しむもの(面白いもの、最高なもの、非現実的な体験を与えてくれるもの、
単純な言葉で言い表せない感覚や感情を
物語という形を通して翻訳してくれるもの)だと思っているし、そもそも興味を惹かれる、
心にの残るには、何らかの効用が必須だから、
そういうものが時代を超えて文学作品として語り継がれてきたのだと思うけれど、君の場合は
違うらしい。
端的に言うと、君は君の中の文学作品の定義に沿って(面白くなくて良いと思って)文章を書いて
来たんだね。
ここまで考えて思い浮かんだのは、茶道とかイギリスのアフタヌーンティーだ。
作法と難解な美意識が重きをなす文化だ。
そして俺が目指したいのは、単純に美味しいコーヒーの淹れ方みたいなもので、スターバックス
みたいなカジュアルなものだから、確かに理解できなくて当然だと思う。
武者小路実篤の友情は……分かりやすいし、1920年代の青年たちの心情というものを
分からせてくれるから、エクスペリエンスとしては申し分ない。
文学作品の定義の1つに、訴えかけたい思想を含むというものがあるけれど、友情はこれも
満たしている。作中で、武者小路実篤は
日本は世界に追い付かないといけない、と述べている。気焔が伝わってくる。
あと、昭和20年代の評論家は、その頃の恋愛小説を情痴小説と堕として、友情を恋愛小説の
模範的作品と述べた。俺もこれに異論はない。
文学作品、エンタメ作品というよりも、これは恋愛小説だと思うよ。スクラップアンドビルドは
……君が読んだら好きかもしれない。俺は何も感じなかった。