D-OECD 初めて衰退国入りを食らった日本
lantan2015
小説1,438文字
OECD加盟国は増えすぎたために1人当たりGDPが低い国は「衰退国」認定することになりました。

「ば、ばかな!!」
外務大臣は唖然としていた。
それはOECD(経済協力開発機構)による重大な発表。OECDは2つに分割することが決まったのだ。
D−OECD(衰退国-経済協力開発機構)に入った国は一切の国際援助が禁止され先進国入りの再開を目指すグループに認定されたのだ。D−OECDに入る条件は「1人当たり名目GDPで世界25位以下」であること。
そして「10年間の経済成長率が2%を切っている」ことだ。この2つの条件が重なると自動的にOECD加盟国はD−OECD加盟国に移行する。逆にこの条件から脱却した場合は自動的にOECD加盟国に戻るのである。つまり事実上の発展途上国がOECDに加盟しても成長が著しい新興国ならD−OECDに落ちることは無いように出来ている。
D−OECDに落ちた国はポルトガル、スペイン、イタリア、ギリシャ、スロベニア、日本であった。
日本はこの時先進国の資格を失った。それだけではなかった。イタリアと日本はG7から自動的に追放されたのだ。イタリアの替わりにオーストラリアが、日本の替わりにオランダが加盟した。
G7というのは総GDPが高ければいいというものではない。西側諸国でかつ先進国であることが条件だ。現に西側の国で総GDP世界4位のインドはG7に加盟出来ていない。こうしてイタリアも日本はG7という名誉まで剥奪されたのだ。
D−OECDに加盟するとOECD加盟国から援助を受ける。後発発展途上国でも発展途上国でも中進国でも先進国でもない「衰退国」であると国際的に公認された国々は再建を促進するべくOECDからの援助を受けるのである。
D−OECDに落ちた国は他国への援助禁止、オリンピック開催禁止、万博開催禁止も課せられる。要はもう先進国面するなと言う事である。そう、日本は大阪万博開催権を剥奪されたのだ。
OECDから課せられた条件は厳しかった。1つはあまりにも絶望的に低い日本の生産性の向上、そして労働時間の絶対的規制、そして高齢化と少子化の解消である。
IMFの傘下に入って再建するよりもD−OECDに入るのは屈辱である。このうち高齢化の解消は低年金の高齢者を南洋諸国に『輸出』することで解決した。年金は海外でも受け取れる。日本円の価値が10倍になる国は南洋諸国なら腐るほどある。老人を受け入れるだけで事実上の外貨獲得となる南洋諸国は日本の老人受け入れを大歓迎した。南洋諸国は病院や福祉施設建設ラッシュとなった。こうして日本からごっそり老人が居なくなった。
日本の生産性の低さは無人コンビニ、無人スーパーなど徹底的に機械化で対処した。そしてもう一つは1日の労働時間制限を8時間とすることとサービス残業の厳禁である。日本はいかに無償労働力に甘えてきたのかが暴露されることとなった。
ポルトガル、スペイン、イタリア、ギリシャ、スロベニア、日本に共通するのは観光業への依存が高い事である。つまりいかに製造業や「高収益」農業国になるのかが課題である。観光立国が悪いというのではない。観光だけに頼るのはもはや先進国ではないのである。
観光収入と言うのはしょせん副業である。イタリアには自動車産業の再建が、日本には電機産業の再建が、ギリシャには造船業の再建がOECD諸国からテコ入れされた。スペインとポルトガルにはITと融合した農業による再建が行われた。