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永禄11年(1568年)、正親町天皇が寵愛する目々典侍(飛鳥井雅綱の娘)との密通疑惑が取りただされると、
再び勅勘を受けて解官された。父の晴通は織田信長や三条西実澄、万里小路惟房を介して赦免を得ようとしたが、
天皇の怒りが収まらず許されなかった。
多分これのことかと