>>271
私塾ではない公的な学校は教会書記養成のため6世紀ごろから各地の司教座で設置され始めた
教える科目はラテン語(教会公用語)、数学と天文学(祝祭日のための暦法計算)、音楽(讃美歌)が
6世紀から9世紀にかけての主要科目
さらに聖職者養成を目指すようになるといわゆる自由七科と呼ばれる文法、修辞、論理、
算術、幾何、天文、音楽に教科が細分化される

10世紀から13世紀の間に都市部の大商人たちが中等教育の場として司教座学校へ
子弟をねじ込むようになり、教育のすそ野が広がる これは12世紀ルネサンスへ繋がる一助となった
こうして聖職者養成を目指す学校と市民の基礎教養取得を目指す学校への二分化が始まるが、
特に後者は十字軍に伴うアラビア文化の流入という一大潮流により大きな発展を見せるようになる

13世紀も半ばになると司教座学校に通う裕福な商人の子供はどんどん増えていくが、
高等教育機関たる大学の歴史はまた別のお話