◆◆◆ネット小説におけるいろんな「説」の真実編◆◆◆(抜粋)
・なろうはクソばっかり説
なろうに代表されるネット小説は、その
【一次選考落ちから、大賞作品の全てがある】ようなもの。
数作しか選ばない大賞ですら、ハズレ(自分の好みの外)が多いのに、
平均とったら残念になるのは当たり前である。

・ランキングはクソばかり説
一般大衆と完全にセンスが一致してる自信がある人が言う台詞。
そもそも、プロの商業ランクでもそんなにランキング一致しないはず。
ニコ動のランキングが自分の好みと完全一致する奴はいるのか?
自分の好みランキングを作って、プロでもアマでもランキングが完全一致するならそいつは神になれる。今すぐブログを作って「パーフェクト一般人」という予言者として名乗れるだろう。

・ネット小説読者はストレス耐性がない説
実は、ネット小説を読みに来る人の大半は「暇つぶし」に来ている。感動しにきているわけではない。退屈を消耗しにきている。
暇つぶしにきてるのだから、ストレスを回避するのは当たり前。同じ理由で、短編より長編がウケるし、テンプレでもさほど気にしない。むしろ安定を求めてるふしすらある。
「ネット小説の人の精神耐性は、一般人と同等です」復唱!

・ネット小説読者は難しい話を嫌う説
理解力がないのではなく、理解するために疲れたくないだけである!暇つぶしにきてるからね!

・なろう好きな奴は現実逃避でよんでる説
そもそもあらゆる娯楽が現実逃避である。
【現実を忘れられない娯楽は娯楽ではない】逃避させてくれ!

・なろうは負け組が読んでいる説
一般人はなろうなんてそもそも認知してないか、興味がない。なのでこれを言ってくるのは、アニメ好きとか同じオタク界隈の人たちが多い。
つまり、アニオタやラノベオタが、なろうオタを、負け組と馬鹿にしてるのである。共食いかな?
こんな発言みかけたら「同じ穴のムジナだろ」と思っときゃいいのだ!

・なろう作品は作者の妄想の塊説
そもそも、ありとあらゆる作品が作者の妄想の塊である。妄想の塊が許せない人は、きっと映画も漫画も小説もアニメもゲームも全部嫌いなのだろう。
人に妄想を聞かせた上に、時間と金まで取るのが小説家たちである。
なんて贅沢なんだ。こんなに良い職業があるだろうか?(笑

・なろう作品の主人公は作者が投影されててキモイ説
一般作品でもオブラートに包まれてるだけで、似たようなもんである。