おや、やっと目が覚めたかい。あんた、道端で倒れていたんだよ。こんな山奥で一体何をしてたんだ? ほう、山越えか。休んでいたら後ろから頭を殴られた? そうかいそうかい。この辺りは山賊も多い。それは災難だった。
 ここは、地図にもない小さな村だ。もてなしも何も出来んが、腹くらい満たしていきなさい。どうせ夜明けまではまだ時間がある。客人が来たもんで、婆さんが張り切って保存庫から肉を出してきたんだ。あんた若いんだから、せっかくなら食っていくといいさ。
 しょっぱすぎやしないかい? 美味いか、よかったなぁ。そうだ、あんたの姿を見て一つ思い出した昔話があるんだ。せっかくなら、酒のつまみにでも聞いていくかい?

 春を迎えたある日のことだ。子供達が人を見つけたと騒いでいた。行ってみると、崖の下に見たこともないくらいの大男が、倒れ込んで気を失っていた。七尺はあったんじゃないかね。
 目を覚ますなりなんなり、その男は腹が減ったと言ったんだ。開口一番のその言葉に、腹を抱えて笑ってしまったよ。今度は村の女達が総出で飯を作った。そりゃもう、よく食べる。
 はあ、人はこんなにも飯が食えるものかと、口をあんぐり開けて驚いた。

 その男はなあ、自分が何処から来たのかも名前も覚えちゃいなかった。ただ、脛にでっかい傷があってな。その傷のことだけは覚えていた。熊と戦って鳩尾を蹴った時に、熊が爪で引っ掻いた傷なんだとよ。膝下から、ぐうっと脹脛まで弧を描いていて。そんでまた、すうっと足の甲まで戻ってくる。そんな傷だった。
 あまりに綺麗な弧だったもんで、村の子供達がその男の事を「三日月さん」と呼び出した。男はその名前が大層気に入ったようでなあ。結局、三日月って名前に決まったんだ。

 三日月はそのまま村に住んだ。よく働く男だった。彼は、大の男の十人分は易々と働いた。一人で大きな木を切って、一人で運んじまう。それに、大層強かった。襲ってきた狼も、山賊も。全部素手で倒しちまうんだ。彼は神様からの賜り物なんじゃないか、なんて話が出回ったもんだ。
 だがなあ、なかなか上手いようにはいかなかった。なにせ三日月は大飯食らいだ。村の蓄えは目に見えて減っていた。これじゃあ冬が越せない。誰か一人が、三日月を追い出すべきだと言い出した。神様から賜った者を追い出せない、と辛抱を選ぶ者もいた。
 そうこうしているうちに、遂には飢えて死んじまう奴が出てきた。もう時間がなかった。村長が皆を説得して、山の神様に三日三晩謝って。そんで、三日月をお返ししますってことになったんだ。

 夜、三日月に村中にあった酒を全部飲ませた。村一番の太くて長い縄を持ってきてな。ぐっすり寝ていた首に、がっと縄をかけたんだ。
 男も女も子供も、みんな集まって力いっぱい縄を引いたよ。三日月が起きて、暴れだした。何人かは、その振り回した太い腕に殴られて死んじまった。それでも、泣きながら縄を必死に引っ張った。
 朝方だったかなあ。三日月は、かっと目を見開いて死んじまった。充血した目が、まるで物の怪みたいに真っ赤に染まっていたよ。大層疲れ切った中で、三日月の肉を切り分けた。いただきますって。手を合わせて、皆で少しずつ食べたんだ。残りは非常食にはなるだろうって、大量の塩で漬け込んで保存した。今思えば、なんであんなことしたんだか。とにかく腹が減っていたんだよ。

 それから一月もしないうちだった。村人の何人かに、脛に大きな三日月型の痣が出来始めた。三日後に、一人が血の涙を流して死んじまった。三日月の呪いだ。天罰が当たったんだって。山の頂にある寺に駆け込んで、坊さんに全部のわけを話した。坊さんの言う通りに、痣が出た者を一人、熊のねぐらに放り込んだ。すると、ぴたりと死人も痣が出る者も止んだんだ。
 坊さんの言う事にゃ、肉が無くなるまで毎年一人ずつ、三日月の魂を山に返さなならんと。そうでないと、末代まで地獄にしか行けんのだと。
 痣持ちの蓄えが尽きたら、今度は生まれた赤子に肉を少し食わせた。もし痣が出たら、次の年にはお返しする。だが小さい村では、そんなしのぎも年々苦しくてなあ。

 おや、あんた。眠くなってきたのかい。あれだけ酒を飲んだらそうだろう。老人の長話に付き合わせてすまなかったなあ。腹も膨れただろう。さっきの肉は、しょっぱすぎやしなかったかい? ああ、これはさっきも聞いたな。歳をとると、どうにもなあ。
 ところでちょっと、脛を見せてはくれないかい?