『世界中のloveSongは嘘っぱちだと思っていた俺は子供だったよ。君の存在が教えてくれたんだ。あらゆる恋の歌は俺たちの真実だって』
最後の数字を記入。あせり過ぎてペン先が乱れたけど、読めなくもない。吉橋なら多めに見てくれるはずだ。「はい。そこまで」
吉橋の声が太く響いて、あたしは顔をあげる。吉橋は腕時計を見ていた。
「先生」低いテンションの声がして、ちらりと横を見る。ゆっこが手を挙げていた。顔は答案用紙に伏せたままだ。
「何だ。田中」「習ってない問題がでました」「応用問題だ。理解度を試したかったんだ。高校数学は8割が整頓……」
吉橋の説明は続く。ゆっこも机の上の答案用紙にうなだれ続ける。あたしは正直白けてしまって、急に教室を広く感じてしまう。
溜息をこらえる間も、吉橋は熱弁を続け、ゆっこは反抗と拒絶を沈黙に込める。この時間が退屈なのは、あたしは中立だからか。
中立は波風立てないから楽だ。けどゆっこは友達。やっぱり加勢することにする。「吉橋先生」「何だ? 鈴浦」「寂しいです」窓の向こう、誰もいない校庭を見ながら言う。
光が黄色く満ちる校庭は、昔の写真みたい。あの場所で、あたしは2ヶ月前まで砲丸を投げていた。

吉橋から、うっ、と声がもれた。あたしは勝ったと思った。そう。勝つのは簡単。
だって、あたしは吉橋の裏アカウントを知っている。教えてくれたのはゆっこだった。

『今夜こそ俺は君に告白する。バーは貸し切りにしたし、百万円分のバラを運び込む許可も取った。本当は100万本のバラがいいんだけど……』
思いつめた顔で、ゆっこがスマホの画面を見せてきた時、あたしは一言、「すごいね」とあきれた。
「だよね。100万円分の薔薇って。本当に仰天動地だわ」
凄いのはそこじゃない、あんたが学年主任の裏アカウント突き止めるその根性だよ、それに驚天動地だよ、と言いたかったが、こらえた。
ゆっこがぽろぽろと、涙を流していたからだ。鼻水も。
あの時必要だったのはハンカチで、だから渡したのだけど、それは間違ってなかったと思う。というよりも、学園の運動部はどこも、何かしらの間違いを犯していた。
吉橋が告白を決意した日、学年副主任の花坂先生が心中未遂事件を起こした。相手はサッカー部の主将。
南総の崖で抱き合いながら荒波に飛び降りて、漁船に救助された。
主将は腰椎骨折。花坂先生の意識は不明。今も戻らない。
事件は全国紙を飾り、何故か連鎖的に不祥事が次々に発覚して、世間の圧力におびえた理事会が、最悪な決定をした。全運動部を休部とする。期間は5年間。
あたしもゆっこもスポーツ特待生だった。あたしが砲丸投げで、ゆっこがレスリング。
特待生は他にも沢山いたが、結局皆、推薦状を片手に学園から離れてしまった。

『薔薇は、君への想いは海に捨てた。今はひたすら君の回復を願っている。目を覚ました君が悲しまないように、運動部の奴らの勉強は俺が見るから』
休部が決まった日に、ゆっこから見せられた画像。薔薇に覆われた波の起伏を見た時、あたしは流石に吹き出した。面白過ぎる。
本当に百万円分を海に捨てるとか。不法投棄だろう。お腹を抱えて笑い転げるあたしの肩に、指が強く食い込んだ。
痛いと思って顔を上げると、ゆっこが鬼の形相をしていた。「笑うな」「ごめん」

『運動部員は2人しか残ってないけど、根性あるんだ。呑み込みは悪いけど、前進してる』

「でもさ。吉橋も悪いよね。応用問題出すなら出すって言えばいいのにさ。で、自分は言いたいことだけ言って、こっちの気もしらないでさ。しかも、あんな事言う? 普通」
「『お前らどうせ帰りに買い食いするんだろ、買うなら鯖缶買えよ、知性は良質なDHAからできるんだからな』でしょ。色々考えてくれる、いい奴だと思うよ。
ゆっこは思わないの?」
「あたしは……熱心な奴だと思う。ちゃんと色々考えてくれるし。でも、うっとうしいのが脛に傷だよね」「それを言うなら玉にキズ」

帰り道、あたしたちは買い食いのためにコンビニに寄った。吉橋の予言通りだ。あたしはチョコを買い、レジの列に並ぼうとして、ゆっこの気配がないので振り返る。
と、鯖缶の前で仁王立ちしていた。
「買わないの?」「なんか、ムカつくから」「ゆっこ」「何?」「あんた、本当に……」
あたしは言葉に迷った末、「吉橋のこと、嫌いだよね」
と続けた。実は、好きだよね、と言いたかった。が、ゆっこは戦友である。戦友には気遣いが必須なので、それは避けた。