ナラクの「かつてありし儂の残滓に過ぎぬニンジャ」というフジキド評が、いつもの徹底的な矮小化をしきれてなくてなんか切ない

裏を返せば、かつては自分自身だったこと、今でも自分の残滓ではあること、両方認めてる