□■□評論家・三島由紀夫■□■
たとえば、テレビ、初め映りの悪いテレビ、それがまた、映りのいいテレビ、カラー・テレビになる。現代社会は、
その機械と同じことで、次々と、改良されたものは与えられますけれども、改良された果てに何があるか、
それはなにも与えないで、ぼくらを、先へ、先へ、進めるでしょ。
でもぼくらは、テレビより、もっと遠くみえるものがあるはずです、いちばん前に。ぼくはほんとに、それが
自分の夢でないと思ったのは、インドへ行ってからですよ。…インドへ行って、人間の、
ほんとの能力というのはあったんだ、という感じを強くもった。テレビより、もっと遠くがみえるはずです。
それから、人の心も、もっとよくみえるはずですし、つまり、みたいと思うものは、百万里先だろうが、
みなければならない。みえなくしてしまったのは、“文明”ですよね。ぼくはそう思います。
三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より (中略)
目ですね。
ぼくは、源泉にはそれがあったはずだと思うのです、ぼくにだって。失っただけですね。
剣道なんかやってますと、(そんなこというほどの資格はぼくにありませんが)“観世音の目”ということ、
いいますね。全体をみなければいけない。相手の目を見たら、負けてしまう。まして、相手の剣尖を見たら
負けてしまう。そうではなくて、“観世音の目”は相手を上から下まで、完全に見てしまう目です。そういう目を
鍛錬し、養成することが、剣道の極意だといわれているのですが、ぼくはそれ、源泉に帰ることだと思います。
それから、ネコ。ネコが寝たあと、クッションならクッションの跡みますと、ネコの寝た形が、ちゃんとできている。
あれが、寝るということ、休むということの本当の形なのですね。人間の寝た跡はそんな形になっていませんよ。
しゃっちょこばってますわね。寝てもまだ、からだがこわばっている。
三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より ネコは寝れば、完全に、ぐにゃあっと、液体のようになってしまう。あれが源泉なのですね。それから、
運動でもそうです。運動で、巧緻性とか、迅速性、いろいろ申しますけれども、運動能力というのは本来、
人間にはすべてあるはずなのが、なくなってしまった。そして、からだをこうやって曲げても、手の指先が足に
つかないようになってしまう。これはもう、源泉から遠ざかってしまっているわけですね。
…ぼくは、自由なものは美だと思うし、自由は源泉のなかにしかないと思うのです。プラトンと同じで、
動くものが、美しい。ぼくは静止したものはきらいですから、美術品なんて、あまり好きではないですね。
動くものが、美しい。“動くもの”というのは、自由ですし、自由は、それは未来にはなくて、源泉のなかに
あるのだ、という感じがする。
三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より 25 :本当にあった怖い名無し:2010/11/18(木) 14:25:34 ID:jP1T7beKP
三島由紀夫は美輪を「金閣寺のように美しい」と形容したに違いない
26 :本当にあった怖い名無し:2010/11/18(木) 14:27:38 ID:FwzfGi7YO
美輪さん、信念があるから美しい。
男が女に化ける日本演劇の伝統様式を丸山はみごとに受けついでゐる。その伝統が時代に密着して花開いたのが
“丸山ブーム”の原因と考へる。
女形は、わづかにかぶきのジャンルにみられるだけで、新派でも早晩衰徴していくだらう。そのなかで
現代女形――丸山明宏の誕生は心づよい。西洋では“フィーメン・イン・パーソナリティー”といふ完全な
道化役者はゐるが、日本のやうな女形は、シェークスピア時代からさびれた。だから女形は日本のほこりで、
女形がなくなったらかぶきは消えてしまふとさへ断言できる。中村歌右衛門でもさうだが、丸山には女形特有の
我の強さ、意思の強さを猛烈に持つてゐる。よくいへば根性があるといふのか……。それだから彼の可能性は、
まだまだ発掘されるにちがひない。
三島由紀夫「可能性はまだまだ――現代の女形―丸山明宏」より さてこの主人公の女賊黒蜥蜴は、十九世紀風フランス大女優の役どころで、どこから見ても、tres tres grande dame
でなければならない。現存の女優では、エドウィージュ・フィエールなんかがこれに当るだらう。初演のときには、
水谷八重子さんがみごとな成果をあげた。水谷さんのもつ堂々たる風格と、「無関心の色気」ともいふべきものと、
その古風なハイカラ味とは、余人の追随すべからざる成果を示した。
さて、これを他の女優に求めようとしても、この日本の中にちよつと求められない。新配役による再演が永いこと
実現しなかつたのはこのためもあるが、先ごろ「毛皮のマリー」を見て、丸山明宏君の演技に私は瞠目した。
君とは旧知の仲だが、歌は天才的であつても、長いセリフをこれほど堂々とこなせるとは、正直に言つて、
想像もしてゐなかつたのである。容姿から言つたら、「黒蜥蜴」にピタリのことはわかつてゐたが、セリフで
作者を唸らせてくれるかどうか未知数だつたのである。
三島由紀夫「『黒蜥蜴』」より 「毛皮のマリー」で、丸山君は、長いセリフをみごとに構成し、一句一句を情感でふるはせながら、しかも強い
ハガネの裏打ちを施し、セリフが最後の頂点にいたると、噴出する悲劇的感情で観客の心をわしづかみにするといふ、
一種壮麗な技法を示した。おどろいたのは私ばかりではなかつた。演出の松浦竹夫氏も驚嘆し、二人で相談して、
実現をはかることになつた。そこへ今度松竹の重役になつた永山雅啓氏が、折よく手をさしのべてくれたのである。
もう一人の問題は、相手役の明智小五郎だつた。このダンディ、この理智の人、この永遠の恋人を演ずるには、
風貌、年恰好、技術で、とてもチンピラ人気役者では追ひつかない。種々勘考の末、天知茂君を得たのは大きな
喜びである。映画「四谷怪談」の、近代味を漂はせたみごとな伊右衛門で、夙に私は君のファンになつて
ゐたのであつた。
三島由紀夫「『黒蜥蜴』」より 最近東京空港で、米国務長官を襲つて未遂に終つた一青年のことが報道された。日本のあらゆる新聞が
この青年について罵詈ざんばうを浴せ、袋叩きにし、足蹴にせんばかりの勢ひであつた。(中略)
私はテロリズムやこの青年の表白に無条件に賛成するのではない。ただあらゆる新聞が無名の一青年をこれほど
口をそろへて罵倒し、判で捺したやうな全く同じヒステリカルな反応を示したといふことに興味を持つたのである。
左派系の新聞も中立系の新聞も右派系の新聞も同時に全く同じヒステリー症状を呈した。
かういふヒステリー症状は、ふつう何かを大いそぎで隠すときの症候行為である。この怒り、この罵倒の下に、
かれらは何を隠さうとしたのであらうか。
日本は西欧的文明国と西欧から思はれたい一心でこの百年をすごしてきたが、この無理なポーズからは何度も
ボロが出た。最大のボロは第二次世界対戦で出し切つたと考へられたが、戦後の日本は工業的先進国の列に入つて、
もうボロを出す心配はなく、外国人には外務官僚を通じて茶道や華道の平和愛好文化こそ日本文化であると
宣伝してゐればよかつた。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より 昭和三十六年、私がパリにゐたとき、たまたま日本で浅沼稲次郎の暗殺事件が起つた。浅沼氏は右翼の十七歳の
少年山口二矢によつて短剣で刺殺され、少年は直後獄中で自殺した。このとき丁度パリのムーラン・ルージュでは
Revue Japonais といふ日本人のレビューが上演されてをり、その一景に、日本の短剣の乱闘場面があつた。
在仏日本大使館は誤解をおそれて、大あわてで、その景のカットをレビュー団に勧告したのである。
誤解をおそれる、とは、ある場合は、正解をおそれるといふことの隠蔽である。私がいつも思ひ出すのは、
今から九十年前、明治九年に起つた神風連の事件で、これは今にいたるもファナティックな非合理な事件として
インテリの間に評判がわるく、外国人に知られなくない一種の恥と考へられてゐる。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より 約百名の元サムラヒの頑固な保守派のショービニストが起した叛乱であるが、彼らはあらゆる西洋的なものを憎み、
明治の新政府を西欧化の見本として敵視した。(中略)あらゆる西欧化に反抗した末、新政府が廃刀令を施行して、
武士の魂である刀をとりあげるに及び、すでにその地方に配置された西欧化された近代的日本軍隊の兵営を、
百名が日本刀と槍のみで襲ひ、結果は西洋製の小銃で撃ち倒され、敗残の同志は悉く切腹して果てたのである。
トインビーの「西欧とアジア」に、十九世紀のアジアにとつては、西欧化に屈服してこれを受け入れることによつて
西欧に対抗するか、これに反抗して亡びるか、二つの道しかなかつたと記されてゐる。正にその通りで、
一つの例外もない。日本は西欧化近代化を自ら受け入れることによつて、近代的統一国家を作つたが、その際
起つたもつとも目ざましい純粋な反抗はこの神風連の乱のみであつた。他の叛乱は、もつと政治的色彩が
濃厚であり、このやうに純思想的文化的叛乱ではない。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より 日本の近代化が大いに讃えられ、狡猾なほどに日本の自己革新の能力が、他の怠惰なアジア民族に比して
賞讃されるかげに、いかなる犠牲が払はれたかについて、西欧人はおそらく知ることが少ない。それについて
探究することよりも、西欧人はアジア人の魂の奥底に、何か暗い不吉なものを直感して、黄禍論を固執するはうを
選ぶだらう。しかし一民族の文化のもつとも精妙なものは、おそらくもつともおぞましいものと固く結びついて
ゐるのである。エリザベス朝時代の幾多の悲劇がさうであるやうに。……日本はその足早な、無理な近代化の
歩みと共に、いつも月のやうに、その片面だけを西欧に対して示さうと努力して来たのであつた。
そして日本の近代ほど、光りと影を等分に包含した文化の全体性をいつも犠牲に供してきた時代はなかつた。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より 私の四十年の歴史の中でも、前半の二十年は、軍国主義の下で、不自然なピューリタニズムが文化を統制し、
戦後の二十年は、平和主義の下で、あらゆる武士的なもの、激し易い日本のスペイン風な魂が抑圧されて来たのである。
そこではいつも支配者側の偽善が大衆一般にしみ込み、抑圧されたものは何ら突破口を見出さなかつた。
そして、失はれた文化の全体性が、均衛をとりもどさうとするときには、必ず非合理な、ほとんど狂的な事件が
起るのであつた。
これを人々は、火山のマグマが、割れ目から噴火するやうに、日本のナショナリズムの底流が、関歇的に
奔出するのだと見てゐる。ところが、東京空港の一青年のやうに見易い過激行動は、この言葉で片附けられるとしても、
あらゆる国際主義的仮面の下に、ナショナリズムが左右両翼から利用され、引張り凧になつてゐることは、
気づかれない。反ヴィエトナム戦争の運動は、左翼側がこのナショナリズムに最大限に訴へ、そして成功した
事例であつた。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より それはアナロジーとしてのナショナリズムだが、戦争がはじまるまで、日本国民のほとんどは、ヴィエトナムが
どこにあるかさへ知らなかつたのである。
ナショナリズムがかくも盛大に政治的に利用されてゐる結果、人々は、それが根本的には文化の問題であることに
気づかない。九十年前、近代的武器を装備した近代的兵営へ、日本刀だけで斬り込んだ百人のサムラヒたちは、
そのやうな無謀な行動と、当然の敗北とが、或る固有の精神の存在証明として必要だ、といふことを知つてゐた
のである。これはきはめて難解な思想であるが、文化の全体性が犯されるといふ日本の近代化の中にひそむ危険の、
最初の過激な予言になつた。われわれが現在感じてゐる日本文化の危機的状況は、当時の日本人の漠とした
予感の中にあつたものの、みごとな開花であり結実なのであつた。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より 僕らは嘗て在つたもの凡てを肯定する。そこに僕らの革命がはじまるのだ。僕らの肯定は諦観ではない。
僕らの肯定には残酷さがある。――僕らの数へ切れない喪失が正当を主張するなら、嘗ての凡ゆる獲得も亦
正当である筈だ。なぜなら歴史に於ける蓋然性の正義の主張は歴史の必然性の範疇をのがれることができないから。
僕らはもう過渡期といふ言葉を信じない。一体その過渡期をよぎつてどこの彼岸へ僕らは達するといふのか。
僕らは止められてゐる。僕らの刻々の態度決定はもはや単なる模索ではない。時空の凡ゆる制約が、僕らの目には
可能性の仮装としかみえない。僕らの形成の全条件、僕らをがんじがらめにしてゐる凡ての歴史的条件、――
そこに僕らはたえず僕らを無窮の星空へ放逐しようとする矛盾せる熱情を読むのである。決定されてゐるが故に
僕らの可能性は無限であり、止められてゐるが故に僕らの飛翔は永遠である。
平岡公威(三島由紀夫)21歳「わが世代の革命」より (中略)
新らしさが「発見」であるとするならば、発見ほど既存を強く意識させるものはない筈だ。発見は「既存」の
革命であるが、それは既存そのものの本質的な変化ではなく、既存の現象的相対的変化に他ならない。既存の
革命といふよりも、既存の意味の革命といふべきだ。(中略)
読者は僕らがなぜ革命を云はうとするのか訝(いぶ)かるかもしれない。しかし手始めに僕らは、革命といふ
概念の古さを修正しようとかかつてゐるのだ。十八世紀以来使ひ古されたこの陳腐な概念そのものに、革命を
与へることからはじまるのだ。(中略)
僕らは永遠への思慕を忘れかねて革命を欲求する。衝動のはげしさは革命の概念によつて盲目にされはしない。
熱情の血との併有。信仰と懐疑との美はしい共在。僕らは革命のスツルム・ウント・ドランクを通じて、無風帯を
留保しておくだらう。(中略)
熱情に対して、より低い次元の侵入を警戒せねばならない。あらゆる批判と警戒の冷水も、真の陶冶されたる熱情を
昂(たか)めこそすれ、決してもみ消してしまふものではない。むしろあらゆる冷血にも耐へうる熱情の強さに
僕らは誇りを感じるべきだ。(中略)
平岡公威(三島由紀夫)21歳「わが世代の革命」より たえず高きを憧れる存在が同じくその存在にとつて本質的な他のものによつて掣肘される時醸し出される緊張は、
その存在から矛盾と衝突が取除かれ融和と協同のみが得られる所謂「完成」と之を比べる時、何れ劣らぬものを
もつてゐるのではあるまいか。形成とは本質的なるものの分裂とその対立緊張による刻々の決闘である。
結果たる勝敗を本質的なものとして固定的に考へるならそれは変様と過渡とにすぎぬが、併し真の普遍性と
永遠性は後者のなかに見出だされるかもしれないのだ。独創性は真の普遍性の海のなかでしか発見されぬ真珠である。
不変なるものは変様のうちにひそんでゐるかもしれない。僕らの若さはなるほど本質的なるものが分裂し互に
制約する点にもともと悲劇的なものであるといへるし、若さそれ自身が不吉であるとさへ感ぜられる。しかし
傍目には退屈なこの形成の過程は、それから生れ出る結果を俟(ま)つまでもなく、それがそのまま抽象されて
評価に耐へうる筈だ。未完的完結の形に於てその刹那刹那に終止する否定しがたい意味が見られる筈だ。
平岡公威(三島由紀夫)21歳「わが世代の革命」より その外見上の未熟と不完全とにも不拘(かかはらず)、(壮年老年の文学が表現によつて定型化されるなら)、
若年の文学は表現を掣肘せんとする凡ゆる時間的空間的因子によつて定型化されるであらう。いはゞそれは
ネガティヴな、これまた貴重な表現型式であるといはねばならない。若年の文学的作品はその言語的表現以前の
評価の基準となりうべき、或るかけがへのない不吉な「確かさ」に満ちてゐるものだ。
かくて僕らは若年の権利を提言する。「たゞ若年に可能性をのみ発掘しようとする努力に終るな。なぜなら我々の
最も陥りやすい信仰の誤謬は、存在そのものを信仰してゐるつもりでその存在の可能性のみを信仰してゐることに
存するのだから」かくの如く僕らは主張し警告することを憚るまい。(中略)
新らしい時代を築かうとする若年には夭折の運命がある。神の国を後にした古事記の王子(みこ)たちは、
凡て若くして刃に血ぬられた。彼等と共に矜り高くその道を歩むことを、恐らく僕らの運命も辞すまい。
平岡公威(三島由紀夫)21歳「わが世代の革命」より 私が法廷で述べたことは、この映画の醜悪さは議論の余地がないこと、この映画の主題は(たとへば私の
映画「憂国」が、一定の政治状況下において、性が異常に美しく昂揚するのを描いたのとちやうど反対に)
一定の政治状況下において、性が極度に歪められ圧殺されるのを描いてゐること、性行為はそのやうな醜悪な
形でのみ描かれ、唯一の純情な恋人同士の間には性交が存在しないこと、能の居グセその他の様式を大胆に用ひ、
また長回しの技巧によつて、一時的な性的印象を政治的寓喩へ移行させる様式をはつきり意図してゐることであつた。
今も私のこのやうな考へに変はりはない。
すばらしく穢(きたな)らしい映画であるが、問題の米軍基地のそばを裸女が駆ける場面だけは、ふしぎに
美しい印象になつて残つてゐる。あそこには、何か壮烈なものがあつた。何もしひて、裸女を日本の象徴と
見立てなくても。
三島由紀夫「『黒い雪』裁判」より (中略)私は事文化に関しては、あらゆる清掃、衛生といふ考へがきらひである。蠅のゐないところで、
おいしい料理が生まれるわけがない。アメリカ文化を貧しくさせたものは、清教徒主義と婦人団体であつて、
日本精神はもつともつと性に関して寛容なのである。日本文化の伝統は、性的な事柄に関する日本的寛容の下に
発展してきたものである。教育ママ的清潔主義(ミュゾフォビー)は、外来文化の皮相な影響であるから、
武智氏のいはゆる「民族主義」作品が、教育ママに死刑を宣告されることは、いかにもありさうな事態であつた。
そして、政治的にも、保守と革新が、仲よく手を握る分野は、かかる教育ママ的清潔衛生思想の分野であつて、
現下日本で、イデオロギーを越えたもつとも甘い超党派理念は「偽善」である。「黒い雪」に目クジラを立てた
婦人層の何割かは「清潔」な美濃部都知事には安心して投票したにちがひない。(中略)
三島由紀夫「『黒い雪』裁判」より いくら「黒い雪」が穢らしくても、偽善よりはよほどマシである。映画も芸術の一種として、芸術のよいところは、
そこに呈示されてゐるものがすべてだといふことだ。芸術は、よかれあしかれ、露骨な顔をさらけ出してゐる。
それをつかまへて「お前は露骨だ」といふのはいけない。要するに、国家権力が人間の顔のよしあしを判断することは
遠慮すべきであるやうに、やはり芸術を判断するには遠慮がちであるべきである、といふのが私の考へである。
それが良識といふものであり、今度の判決はその良識を守つた。
この一線が守られないと、芸術に清潔なウットリするやうな美しさしか認めることのできない女性的暴力によつて、
いつかわが国の芸術は蹂躙されるにいたるであらう。われわれは、二度と西鶴や南北を生むことができなくなるであらう。
三島由紀夫「『黒い雪』裁判」より 伝播の速い世の中では、今日の独断も、明日の通念になる。あなたがロマンチストと言つて下さつた以上、明日から
私はロマンチストでとほりさうです。いづれにせよ、人がかぶれといふ帽子を、私は喜んでかぶるつもりです。
たとへそれが、あのルイ王がかぶらされたといふ三角帽子であつても。
ただ私の何とも度しがたい欠陥は、自分に関する最高の通念も、最低の通念も、同じやうに面白がることなのです。
これはほとんど私の病気です。おしまひにはいつもかう言ひたくなる。「何を言つてやがる。俺は実は俺ぢや
ないんだぞ」これが私の自負の根元であり、創作活動の根源です。そしてこれが、あらゆる通念を喜んで
受け入れる私の態度の原因なのです。
三島由紀夫「オレは実はオレぢやない(村松剛氏の直言に答へる)」より 私は不断の遁走曲であり、しかも、いつも逃げ遅れてゐる者です。子供のころ、学校で集団でイタヅラをすると、
いつも逃げ遅れるのが、私ともう一人Kといふ生徒でした。そこで私とKはつかまつて、先生から、鉢合せの罰を
うけるのでした。こんな痛い刑罰はない。しかしKのオデコにはコブができないのに、私のオデコにだけは
コブができた。これが爾後、私の宿命となつたやうに思はれます。
三島由紀夫「オレは実はオレぢやない(村松剛氏の直言に答へる)」より 聞くところによると、例の「風流夢譚」掲載のいきさつについて、中央公論の嶋中社長がその掲載を反対したにも
かかはらず、あたかもぼくが圧力かけて掲載させたやうに伝はつてゐるらしいんです。
これはとんでもない誤解で、推薦した事実さへない。第一、新人の原稿ならいざ知らず、深沢さんといへば
一本立ちの作家ですからね、だれそれの推薦なんてあり得ないぢやないですか。世間ではよく、ある出版社の
背後にはこれこれといふ作家がゐて、その作家の言ふことならきく、といふやうな考へを持つ人がゐるらしいが、
それは“編集権”の存在を知らない者の言ふことで、編集権を侵害しないといふモラルは、ぼく自身いつも
守つてきたはずだ。ただ例外があるとすれば、“文学賞”の審査員になつたときくらゐのものだらう。そのときだつて、
技術顧問的な役割で、作品の芸術的な判断以外の社会的な影響にまでは、タッチしないものだ。
三島由紀夫「『風流夢譚』の推薦者ではない――三島由紀夫氏の声明」より かういふ事情を知つてゐれば、ぼくが「風流夢譚」を掲載するやうに圧力をかけたなんていふことがナンセンスだと
いふことがよくわかるはず。しかし、それにもかかはらずぼくの名が使はれたとすれば、それは一部の者が
苦しまぎれの逃げ口上に使つたのではないか。さう思へば使つた者にも同情の余地があるのだが、迷惑うけるのは
こちらだからね。ともかくふりかかつた火の粉ははらひ落としたいといふのが本音だ。この際、次第に
大きくなる風説――新聞雑誌でもそんな書き方をされてゐるんで――の誤解をときたい……。
(談)
三島由紀夫「『風流夢譚』の推薦者ではない――三島由紀夫氏の声明」より 福田 浅田彰が言うように、あまり日本、日本と言わなくてもみんなそうなんだか
らというのもあるじゃない。倫理不在のだらしのない日本人のあり方、みたいな。
「あなたがたがおっしゃるように国が大事だと言うのはわかるけれど、日本人は
みんな弱虫ばかりなんだから、みんな最後に国家、国が助けろと言うに決まって
いる。そんな連中相手に国と言ってもしようがないですよ」と言うような、ね。
宮崎 それはあまりに正確無比過ぎて、かえってつまらない観測(笑)。
福田 正しい。でも、そんな弱虫じゃ嫌じゃん。まあ大体そうだけど。ちょっと批判
すると、すぐピーピー騒ぐし。
宮崎 何でこいつ生きてるんだろうとかって思いたくなるよね(笑)。
福田 でも浅田氏の言うとおりなんだよ。弱者のナショナリズム、こうしたルサンチ
マンによる無意識な弱者の糾合。これが僕は一番嫌なんだ。国家的なナショナリ
ズムの問題だってね、自虐史観と言われている史観にしても、そのカウンターパー
トである自由主義史観トカナントカにしても、結局どっちも被害者史観でしょう。国家
にイジメられたか、あるいは国際社会にイジメられたか、これまでの定説では日本
はおとしめられていたとか、位相の違いがあるにしろ、イジメられっ子の話でしょう。
イジメられっ子はキライでね、私は。
(『愛と幻想の日本主義』pp.17-18) 少しでも自動車をころがしてみた人なら、白バイの存在を意識しなかつたといふ人はあるまい。それは、
ゐませんやうにと神に祈るほどの存在であり、しかも、どこかにゐてくれなくては物足らない存在である。だから
ますますそれは、小イキな服装と小イキな白いオートバイと共に、神秘化される。悪人の目から見たところの
鞍馬天狗のやうな存在、善良な市民にちよつぴり悪人の気持を味はせてくれる存在である。その威厳、その美しさ、
その神速、その権力、一つとして羨望の的ならざるはない。白バイを怖がつたことのある人なら、必ず一度は、
白バイになつてみたいと思ふだらう。
三島由紀夫「私はこれになりたかつた――それは白バイの警官です」より 「葉隠」の恋愛は忍恋(しのぶこひ)の一語に尽き、打ちあけた恋はすでに恋のたけが低く、
もしほんたうの恋であるならば、一生打ちあけない恋が、もつともたけの高い恋であると
断言してゐる。
アメリカふうな恋愛技術では、恋は打ちあけ、要求し、獲得するものである。恋愛の
エネルギーはけつして内にたわめられることがなく、外へ外へと向かつて発散する。
しかし、恋愛のボルテージは、発散したとたんに滅殺されるといふ逆説的な構造をもつてゐる。
現代の若い人たちは、恋愛の機会も、性愛の機会も、かつての時代とは比べものにならぬほど
豊富に恵まれてゐる。しかし、同時に現代の若い人たちの心の中にひそむのは恋愛といふものの
死である。もし、心の中に生まれた恋愛が一直線に進み、獲得され、その瞬間に死ぬといふ
経過を何度もくり返してゐると、現代独特の恋愛不感症と情熱の死が起こることは
目にみえてゐる。若い人たちがいちばん恋愛の問題について矛盾に苦しんでゐるのは、
この点であるといつていい。
三島由紀夫「葉隠入門」より かつて、戦前の青年たちは器用に恋愛と肉欲を分けて暮らしてゐた。大学にはいると先輩が
女郎屋へ連れて行つて肉欲の満足を教へ、一方では自分の愛する女性には、手さへ
ふれることをはばかつた。
そのやうな形で近代日本の恋愛は、一方では売淫行為の犠牲のうへに成り立ちながら、
一方では古いピューリタニカルな恋愛伝統を保持してゐたのである。しかし、いつたん
恋愛の見地に立つと、男性にとつては別の場所に肉欲の満足の犠牲の対象がなければならない。
それなしには真の恋愛はつくり出せないといふのが、男の悲劇的な生理構造である。
「葉隠」が考へてゐる恋愛は、そのやうななかば近代化された、使ひ分けのきく、要領のいい、
融通のきく恋愛の保全策ではなかつた。そこにはいつも死が裏づけとなつてゐた。
恋のためには死ななければならず、死が恋の緊張と純粋度を高めるといふ考へが「葉隠」の
説いてゐる理想的な恋愛である。
三島由紀夫「葉隠入門」より おそるべき人生知にあふれたこの著者(山本常朝)は、人間が生だけによつて生きるものではないことを知つてゐた。
彼は、人間にとつて自由といふものが、いかに逆説的なものであるかも知つてゐた。そして人間が自由を
与へられるとたんに自由に飽き、生を与へられるとたんに生に耐へがたくなることも知つてゐた。
現代は、生き延びることにすべての前提がかかつてゐる時代である。平均寿命は史上かつてないほどに延び、
われわれの前には単調な人生のプランが描かれてゐる。青年がいはゆるマイホーム主義によつて、自分の小さな巣を
見つけることに努力してゐるうちはまだしも、いつたん巣が見つかると、その先には何もない。あるのはそろばんで
はじかれた退職金の金額と、労働ができなくなつたときの、静かな退職後の、老後の生活だけである。(中略)
戦後一定の理想的水準に達したイギリスでは、労働意欲が失はれ、それがさらには産業の荒廃にまで結びついてゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より しかし、現代社会の方向には、社会主義国家の理想か、福祉国家の理想か、二つに一つしかないのである。
自由のはてには福祉国家の倦怠があり、社会主義国家のはてには自由の抑圧があることはいふまでもない。
人間は大きな社会的なヴィジョンを一方の心で持ちながら、そして、その理想へ向かつて歩一歩を進めながら、
同時に理想が達せられさうになると、とたんに退屈してしまふ。他方では、一人一人が潜在意識の中に、深い
盲目的な衝動をかくしてゐる。それは未来にかかはる社会的理想とは本質的にかかはりのない、現在の一瞬一瞬の
生の矛盾にみちたダイナミックな発現である。青年においては、とくにこれが端的な、先鋭な形であらはれる。
また、その盲目的な衝動が劇的に対立し、相争ふ形であらはれる。青年期は反抗の衝動と服従の衝動とを同じやうに
持つてゐる。これは自由への衝動と死への衝動といひかへてもよい。その衝動のあらはれが、いかに政治的な形を
とつても、その実それは、人間存在の基本的な矛盾の電位差によつて起こる電流のごときものと考へてよい。
三島由紀夫「葉隠入門」より 戦時中には、死への衝動は100パーセント解放されるが、反抗の衝動と自由の衝動と生の衝動は、完全に
抑圧されてゐる。それとちやうど反対の現象が起きてゐるのが戦後で、反抗の衝動と自由の衝動と生の衝動は、
100パーセント満足されながら、服従の衝動と死の衝動は、何ら満たされることがない。十年ほど前に、
わたしはある保守系の政治家と話したときに、日本の戦後政治は経済的繁栄によつて、すくなくとも青年の
生の衝動を満足させたかもしれないが、死の衝動についてはつひにふれることなく終はつた。しかし、青年の中に
抑圧された死の衝動は、何かの形で暴発する危険にいつもさらされてゐると語つたことがある。
(中略)
トインビーが言つてゐることであるが、キリスト教がローマで急に勢ひを得たについては、ある目標のために
死ぬといふ衝動が、渇望されてゐたからであつた。パックス・ロマーナの時代に、全ヨーロッパ、アジアにまで
及んだローマの版図は、永遠の太平を享楽してゐた。
三島由紀夫「葉隠入門」より 現代社会では、死はどういふ意味を持つてゐるかは、いつも忘れられてゐる。いや、忘れられてゐるのではなく、
直面することを避けられてゐる。ライナ・マリア・リルケは、人間の死が小さくなつたといふことを言つた。
人間の死は、たかだか病室の堅いベッドの上の個々の、すぐ処分されるべき小さな死にすぎなくなつてしまつた。
そしてわれわれの周辺には、日清戦争の死者をうはまはるといはれる交通戦争がたえず起こつてをり、人間の
生命のはかないことは、いまも昔も少しも変はりはない。ただ、われわれは死を考へることがいやなのである。
死から何か有効な成分を引き出して、それを自分に役立てようとすることがいやなのである。われわれは、
明るい目標、前向きの目標、生の目標に対して、いつも目を向けてゐようとする。そして、死がわれわれの生活を
じよじよにむしばんでいく力に対しては、なるたけふれないでゐたいと思つてゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より このことは、合理主義的人文主義的思想が、ひたすら明るい自由と進歩へ人間の目を向けさせるといふ機能を
営みながら、かへつて人間の死の問題を意識の表面から拭ひ去り、ますます深く潜在意識の闇へ押し込めて、
それによる抑圧から、死の衝動をいよいよ危険な、いよいよ爆発力を内攻させたものに化してゆく過程を示してゐる。
死を意識の表へ連れ出すといふことこそ、精神衛生の大切な要素だといふことが閑却されてゐるのである。
しかし、死だけは、「葉隠」の時代も現代も少しも変はりなく存在し、われわれを規制してゐるのである。
その観点に立つてみれば、「葉隠」の言つてゐる死は、何も特別なものではない。毎日死を心に当てることは、
毎日生を心に当てることと、いはば同じことだといふことを「葉隠」は主張してゐる。われわれはけふ死ぬと
思つて仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。
三島由紀夫「葉隠入門」より 西欧ではギリシャ時代にすでにエロース(愛)とアガペー(神の愛)が分けられ、エロースは肉欲的観念から発して、
じよじよに肉欲を脱してイデアの世界に参入するところの、プラトンの哲学に完成を見いだした。一方アガペーは、
まつたく肉欲と断絶したところの精神的な愛であつて、これは後にキリスト教の愛として採用されたものである。
(中略)
日本人本来の精神構造の中においては、エロースとアガペーは一直線につながつてゐる。もし女あるひは若衆に
対する愛が、純一無垢なものになるときは、それは主君に対する忠と何ら変はりない。このやうなエロースと
アガペーを峻別しないところの恋愛観念は、幕末には「恋闕の情」といふ名で呼ばれて、天皇崇拝の感情的基盤を
なした。いまや、戦前的天皇制は崩壊したが、日本人の精神構造の中にある恋愛観念は、かならずしも崩壊して
ゐるとはいへない。それは、もつとも官能的な誠実さから発したものが、自分の命を捨ててもつくすべき理想に
一直線につながるといふ確信である。
三島由紀夫「葉隠入門」より 一方では、死ぬか生きるかのときに、すぐ死ぬはうを選ぶべきだといふ決断をすすめながら、一方ではいつも
十五年先を考へなくてはならない。十五年過ぎてやつとご用に立つのであつて、十五年などは夢の間だといふことが書かれてゐる。
これも一見矛盾するやうであるが、常朝の頭の中には、時といふものへの蔑視があつたのであらう。時は人間を変へ、
人間を変節させ、堕落させ、あるひは向上させる。しかし、この人生がいつも死に直面し、一瞬一瞬にしか
真実がないとすれば、時の経過といふものは、重んずるに足りないのである。重んずるに足りないからこそ、
その夢のやうな十五年間を毎日毎日これが最後と思つて生きていくうちには、何ものかが蓄積されて、一瞬一瞬、
一日一日の過去の蓄積が、もののご用に立つときがくるのである。これが「葉隠」の説いてゐる生の哲学の
根本理念である。
三島由紀夫「葉隠入門」より 「葉隠」は、一面謙譲の美徳をほめそやしながら、一面人間のエネルギーが、エネルギー自体の原理に従つて、
大きな行動を成就するところに着目した。(中略)
もし、謙譲の美徳のみをもつて日常をしばれば、その日々の修行のうちから、その修行をのり越えるやうな
激しい行動の理念は出てこない。それが大高慢にてなければならぬといひ、わが身一身で家を背負はねばならぬと
いふことの裏づけである。彼はギリシャ人のやうにヒュブリス(傲慢)といふものの、魅惑と光輝とその
おそろしさをよく知つてゐた。
男の世界は思ひやりの世界である。男の社会的な能力とは思ひやりの能力である。武士道の世界は、一見
荒々しい世界のやうに見えながら、現代よりももつと緻密な人間同士の思ひやりのうへに、精密に運営されてゐた。
忠告は無料である。われわれは人に百円の金を貸すのも惜しむかはりに、無料の忠告なら湯水のごとくそそいで
惜しまない。しかも忠告が社会生活の潤滑油となることはめつたになく、人の面目をつぶし、人の気力を阻喪させ、
恨みをかふことに終はるのが十中八、九である。
三島由紀夫「葉隠入門」より 思想は覚悟である。覚悟は長年にわたつて日々確かめられなければならない。
長い準備があればこそ決断は早い。そして決断の行為そのものは自分で選べるが、時期はかならずしも選ぶことが
できない。それは向かうからふりかかり、おそつてくるのである。そして生きるといふことは向かうから、あるひは
運命から、自分が選ばれてある瞬間のために準備することではあるまいか。
戦士は敵の目から恥づかしく思はれないか、敵の目から卑しく思はれないかといふところに、自分の対面と
モラルのすべてをかけるほかはない。自己の良心は敵の中にこそあるのである。
いつたん行動原理としてエネルギーの正当性を認めれば、エネルギーの原理に従ふほかはない。獅子は荒野の
かたなにまで突つ走つていくほかはない。それのみが獅子が獅子であることを証明するのである。
三島由紀夫「葉隠入門」より 合理的に考へれば死は損であり、生は得であるから、だれも喜んで死へおもむくものはゐない。合理主義的な
観念の上に打ち立てられたヒューマニズムは、それが一つの思想の鎧となることによつて、あたかも普遍性を
獲得したやうな錯覚におちいり、その内面の主体の弱みと主観の脆弱さを隠してしまふ。常朝がたえず非難して
ゐるのは、主体と思想との間の乖離である。
「強み」とは何か。知恵に流されぬことである。分別に溺れないことである。
いまの恋愛はピグミーの恋になつてしまつた。恋はみな背が低くなり、忍ぶことが少なければ少ないほど恋愛は
イメージの広がりを失ひ、障害を乗り越える勇気を失ひ、社会の道徳を変革する革命的情熱を失ひ、その内包する
象徴的意味を失ひ、また同時に獲得の喜びを失ひ、獲得できぬことの悲しみを失ひ、人間の感情の広い振幅を失ひ、
対象の美化を失ひ、対象をも無限に低めてしまつた。恋は相対的なものであるから、相手の背丈が低まれば、
こちらの背丈も低まる。かくて東京の町の隅々には、ピグミーたちの恋愛が氾濫してゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より エゴティズムはエゴイズムとは違ふ。自尊の心が内にあつて、もしみづから持すること高ければ、人の言行などは
もはや問題ではない。人の悪口をいふにも及ばず、またとりたてて人をほめて歩くこともない。そんな始末に
おへぬ人間の姿は、同時に「葉隠」の理想とする姿であつた。
いまの時代は“男はあいけう、女はどきよう”といふ時代である。われわれの周辺にはあいけうのいい男に
こと欠かない。そして時代は、ものやはらかな、だれにでも愛される、けつして角だたない、協調精神の旺盛な、
そして心の底は冷たい利己主義に満たされた、さういふ人間のステレオタイプを輩出してゐる。「葉隠」は
これを女風といふのである。「葉隠」のいふ美は愛されるための美ではない。体面のための、恥づかしめられぬ
ための強い美である。愛される美を求めるときに、そこに女風が始まる。それは精神の化粧である。「葉隠」は、
このやうな精神の化粧をはなはだにくんだ。現代は苦い薬も甘い糖衣に包み、すべてのものが口当たりよく、
歯ごたへのないものがもつとも人に受け入れられるものになつてゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より 常朝は、この人生を夢の間の人生と観じながら、同時に人間がいやおうなしに成熟していくことも知つてゐた。
時間は自然に人々に浸み入つて、そこに何ものかを培つていく。もし人がけふ死ぬ時に際会しなければ、そして
けふ死の結果を得なければ、容赦なくあしたへ生き延びていくのである。
(中略)一面から見れば、二十歳で死ぬも、六十歳で死ぬも同じかげろふの世であるが、また一面から見れば
二十歳で死んだ人間の知らない冷徹な人生知を、人々に与へずにはおかぬ時間の恵みであつた。それを彼は
「御用」と呼んでゐる。(中略)
彼にとつて身養生とは、いつでも死ねる覚悟を心に秘めながら、いつでも最上の状態で戦へるやうに健康を大切にし、
生きる力をみなぎり、100パーセントのエネルギーを保有することであつた。
ここにいたつて彼の死の哲学は、生の哲学に転化しながら、同時になほ深いニヒリズムを露呈していくのである。
三島由紀夫「葉隠入門」より 「葉隠」の死は、何か雲間の青空のやうなふしぎな、すみやかな明るさを持つてゐる。それは現代化された形では、
戦争中のもつとも悲惨な攻撃方法と呼ばれた、あの神風特攻隊のイメージと、ふしぎにも結合するものである。
神風特攻隊は、もつとも非人間的な攻撃方法といはれ、戦後、それによつて死んだ青年たちは、長らく犬死の汚名を
かうむつてゐた。しかし、国のために確実な死へ向かつて身を投げかけたその青年たちの精神は、それぞれの
心の中に分け入れば、いろいろな悩みや苦しみがあつたに相違ないが、日本の一つながりの伝統の中に置くときに、
「葉隠」の明快な行動と死の理想に、もつとも完全に近づいてゐる。人はあへていふだらう。特攻隊は、いかなる
美名におほはれてゐるとはいへ、強ひられた死であつた。(中略)志願とはいひながら、ほとんど強制と同様な
方法で、確実な死のきまつてゐる攻撃へかりたてられて行つたのだと……。それはたしかにさうである。
では、「葉隠」が暗示してゐるやうな死は、それとはまつたく違つた、選ばれた死であらうか。わたしには
さうは思はれない。
三島由紀夫「葉隠入門」より 「葉隠」は一応、選びうる行為としての死へ向かつて、われわれの決断を促してゐるのであるが、同時に、
その裏には、殉死を禁じられて生きのびた一人の男の、死から見放された深いニヒリズムの水たまりが横たはつてゐる。
人間は死を完全に選ぶこともできなければ、また死を完全に強ひられることもできない。たとへ、強ひられた死として
極端な死刑の場合でも、精神をもつてそれに抵抗しようとするときには、それは単なる強ひられた死ではなくなる
のである。また、原子爆弾の死でさへも、あのやうな圧倒的な強ひられた死も、一個人一個人にとつては
運命としての死であつた。われわれは、運命と自分の選択との間に、ぎりぎりに追ひつめられた形でしか、
死に直面することができないのである。そして死の形態には、その人間的選択と超人間的運命との暗々裏の相剋が、
永久にまつはりついてゐる。ある場合には完全に自分の選んだ死とも見えるであらう。自殺がさうである。
ある場合には完全に強ひられた死とも見えるであらう。たとへば空襲の爆死がさうである。
三島由紀夫「葉隠入門」より しかし、自由意思の極致のあらはれと見られる自殺にも、その死へいたる不可避性には、つひに自分で選んで
選び得なかつた宿命の因子が働いてゐる。また、たんなる自然死のやうに見える病死ですら、そこの病死に
運んでいく経過には、自殺に似た、みづから選んだ死であるかのやうに思はれる場合が、けつして少なくない。
「葉隠」の暗示する死の決断は、いつもわれわれに明快な形で与へられてゐるわけではない。(中略)
「葉隠」にしろ、特攻隊にしろ、一方が選んだ死であり、一方が強ひられた死だと、厳密にいふ権利はだれにも
ないわけなのである。問題は一個人が死に直面するといふときの冷厳な事実であり、死にいかに対処するかといふ
人間の精神の最高の緊張の姿は、どうあるべきかといふ問題である。
そこで、われわれは死についての、もつともむづかしい問題にぶつからざるをえない。われわれにとつて、
もつとも正しい死、われわれにとつてみづから選びうる、正しい目的にそうた死といふものは、はたしてあるので
あらうか。
三島由紀夫「葉隠入門」より 人間が国家の中で生を営む以上、そのやうな正しい目的だけに向かつて自分を限定することができるであらうか。
またよし国家を前提にしなくても、まつたく国家を超越した個人として生きるときに、自分一人の力で人類の
完全に正しい目的のための死といふものが、選び取れる機会があるであらうか。そこでは死といふ絶対の観念と、
正義といふ地上の現実の観念との齟齬が、いつも生ぜざるをえない。そして死を規定するその目的の正しさは、
また歴史によつて十年後、数十年後、あるひは百年後、二百年後には、逆転し訂正されるかもしれないのである。
「葉隠」は、このやうな煩瑣な、そしてさかしらな人間の判断を、死とは別々に置いていくといふことを考へてゐる。
なぜなら、われわれは死を最終的に選ぶことはできないからである。だからこそ「葉隠」は、生きるか死ぬかと
いふときに、死ぬことをすすめてゐるのである。それはけつして死を選ぶことだとは言つてゐない。なぜならば、
われわれにはその死を選ぶ基準がないからである。
三島由紀夫「葉隠入門」より われわれが生きてゐるといふことは、すでに何ものかに選ばれてゐたことかもしれないし、生がみづから
選んだものでない以上、死もみづから最終的に選ぶことができないのかもしれない。
では、生きてゐるものが死と直面するとは何であらうか。「葉隠」はこの場合に、ただ行動の純粋性を提示して、
情熱の高さとその力を肯定して、それによつて生じた死はすべて肯定している。それを「犬死などといふ事は、
上方風の打ち上りたる武道」だと呼んでゐる。死について「葉隠」のもつとも重要な一節である。「武士道といふは、
死ぬ事と見付けたり」といふ文句は、このやうな生と死のふしぎな敵対関係、永久に解けない矛盾の結び目を、
一刀をもつて切断したものである。「図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。
二つ二つの場にて、図に当ることのわかることは、及ばざることなり」
図に当たるとは、現代のことばでいへば、正しい目的のために正しく死ぬといふことである。その正しい
目的といふことは、死ぬ場合にはけつしてわからないといふことを「葉隠」は言つてゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より 「我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし」、生きてゐる人間にいつも理屈がつくのである。
そして生きてゐる人間は、自分が生きてゐるといふことのために、何らかの理論を発明しなければならないのである。
したがつて「葉隠」は、図にはづれて生きて腰ぬけになるよりも、図にはづれて死んだはうがまだいいといふ、
相対的な考へ方をしか示してゐない。「葉隠」は、けつして死ぬことがかならず図にはづれないとは言つてゐない
のである。ここに「葉隠」のニヒリズムがあり、また、そのニヒリズムから生まれたぎりぎりの理想主義がある。
われわれは、一つの思想や理論のために死ねるといふ錯覚に、いつも陥りたがる。しかし「葉隠」が示してゐるのは、
もつと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死さへも、人間の死としての尊厳を持つてゐるといふことを
主張してゐるのである。もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじない
わけにいくだらうか。いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである。
三島由紀夫「葉隠入門」より 桜田門外の変は、徳川幕府の権威失墜の一大転機であつた。十八列士のうち、ただ一人の薩摩藩士としてこれに
加はり、自ら井伊大老の首級をあげ、重傷を負うて自刃した有村次左衛門は、そのとき二十三歳だつた。(中略)
維新の若者といへば、もちろん中にはクヅもゐたらうが、純潔無比、おのれの信ずる行動には命を賭け、
国家変革の情熱に燃えた日本人らしい日本人といふイメージがうかぶ。かれらはまづ日本人であつた。
そこへ行くと、国家変革の情熱には燃えてゐるかもしれないが、全学連の諸君は、まつたく日本人らしく思はれない。
かれらの言葉づかひは、全然大和言葉ではない。又、あのタオルの覆面姿には、青年のいさぎよさは何も感じられず、
コソ泥か、よく言つても、大掃除の手つだひにゆくやうである。あんなものをカッコイイと思つてゐる青年は、
すでに日本人らしい美意識を失つてゐる。いはゆる「解放区」の中は、紙屑だらけで、不潔をきはめ、
神州清潔の民はとてもあんな解放区に住めたものではないから、きつと外国人を住まはせるための地域を
解放区といふのであらう。
三島由紀夫「維新の若者」より 鉄の性質はまことにふしぎで、少しづつその重量を増すごとに、あたかも秤のやうに、その一方の秤皿の上に
置かれた私の筋肉の量を少しづつ増してくれるのだつた。まるで鉄には、私の筋肉との間に、厳密な平衡を保つ
義務があるかのやうだつた。そして少しづつ私の筋肉の諸性質は、鉄との類似を強めて行つた。この徐々たる経過は、
次第に難しくなる知的生産物を脳髄に与へることによつて、脳を知的に改造してゆくあの「教養」の過程に
すこぶる似てゐた。そして外的な、範例的な、肉体の古典的理想形がいつも夢みられてをり、教養の終局の目的が
そこに存する点で、それは古典主義的な教養形成によく似てゐたのである。
しかし、本当は、どちらがどちらに似てゐたのであらうか? 私はすでに言葉を以て、肉体の古典的形姿を模さうと
試みてゐたではないか。私にとつては、美はいつも後退りをする。かつて在つた、あるひはかつて在るべきで
あつた姿しか、私にとつては重要でない。鉄塊は、その微妙な変化に富んだ操作によつて、肉体のうちに失はれ
かかつてゐた古典的均衡を蘇らせ、肉体をあるべきであつた姿に押し戻す働らきをした。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 私は鉄を介して、筋肉に関するさまざまなことを学んだ。それはもつとも新鮮な知識であり、書物も世故も決して
与へてくれることのない知識であつた。筋肉は、一つの形態であると共に力であり、筋肉組織のおのおのは、
その力の方向性を微妙に分担し、あたかも肉で造り成された光りのやうだつた。
力を内包した形態といふ観念ほど、かねて私が心に描いてゐた芸術作品の定義として、ふさはしいものはなかつた。
そしてそれが光り輝やいた「有機的な」作品でなければならぬ、といふこと。
さうして作られた筋肉は、存在であることと作品であることを兼ね、逆説的にも、一種の抽象性をすら帯びてゐた。
言語芸術の栄光ほど異様なものはない。それは一見普遍化を目ざしながら、実は、言葉の持つもつとも本源的な機能を、
すなはちその普遍妥当性を、いかに精妙に裏切るか、といふところにかかつてゐる。文学における文体の勝利とは、
そのやうなものを意味してゐるのである。古代の叙事詩の如き綜合的な作品は別として、かりにも作者の名の
冠せられた文学作品は、一つの美しい「言語の変質」なのであつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より みんなの見る青空、神輿の担ぎ手たちが一様に見るあの神秘な青空については、そもそも言語表現が可能なので
あらうか?
私のもつとも深い疑問がそこにあつたことは前にも述べたとほりであり、鉄を介して、私が筋肉の上に見出したものは、
このやうな一般性の栄光、「私は皆と同じだ」といふ栄光の萌芽である。鉄の苛酷な圧力によつて、筋肉は徐々に、
その特殊性や個性(それはいづれも衰退から生じたものだ)を失つてゆき、発達すればするほど、一般性と普遍性の
相貌を帯びはじめ、つひには同一の雛型に到達し、お互ひに見分けのつかない相似形に達する筈なのである。
その普遍性はひそかに蝕まれてもゐず、裏切られてもゐない。これこそ私にとつてもつとも喜ばしい特性と言へる
ものだつた。
そこに、これほど目にも見え、手にも触れられる筋肉といふものの、独自の抽象性がはじまるのである。(中略)
筋肉はわれわれが通例好加減に信じてゐる存在の感覚を噛み砕き、それを一つの透明な力の感覚に変へてしまつてゐた。
これこそ私が、その抽象性と呼ぶところのものである。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 私の筋肉が徐々に鉄との相似を増すやうに、われわれは世界によつて造られてゆくのであるが、鉄も世界も
それ自身存在感覚を持つてゐる筈もないのに、愚かな類推から、しらずしらず鉄や世界も存在感覚を持つてゐるやうに
われわれは錯覚してしまふ。(中略)かくてわれわれの存在感覚は対象を追ひ求め、いつはりの相対的世界にしか
住むことができないのである。
筋肉は鉄を離れたとき絶対の孤独に陥り、その隆々たる形態は、ただ鉄の歯車と噛み合ふやうに作られた歯車の形に
すぎぬと感じられた。涼風の一過、汗の蒸発、……それと共に消える筋肉の存在。……しかし、筋肉はこのとき
もつとも本質的な働らきをし、人々の信じてゐるあいまいな相対的な存在感覚の世界を、その見えない逞しい歯列で
噛み砕き、何ら対象の要らない、一つの透明無比な力の純粋感覚に変へるのである。もはやそこには筋肉すら
存在せず、私は透明な光りのやうな、力の感覚の只中にゐた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 想像力といふ言葉によつて、いかに多くの怠け者の真実が容認されてきたことであらうか。肉体をそのままにして、
魂が無限に真実に近づかうと逸脱する不健全な傾向を、想像力といふ言葉が、いかに美化してきたことであらうか。
他人の肉体の痛みをわが痛みの如く感ずるといふ、想像力の感傷的側面のおかげで、人はいかに自分の肉体の痛みを
避けてきたことであらうか。又、精神的な苦悩などといふ、価値の高低のはなはだ測りにくいものを、想像力が
いかに等しなみに崇高化してきたことであらうか。そして、このやうな想像力の越権が、芸術家の表現行為と
共犯関係を結ぶときに、そこに作品といふ一つの「物」の擬制が存在せしめられ、かうした多数の「物」の介在が、
今度は逆に現実を歪め修正してきたのである。その結果は、人々はただ影にしか接触しないやうになり、自分の
肉体の痛みと敢て親しまないやうになるであらう。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 拳の一閃、竹刀の一打の彼方にひそんでゐるものが、言語表現と対極にあることは、それこそは何かきはめて
具体的なもののエッセンス、実在の精髄と感じられることからもわかつた。それはいかなる意味でも影ではなかつた。
拳の彼方、竹刀の剣尖の彼方には、絶対に抽象化を拒否するところの、(ましてや抽象化による具象表現を全的に
拒否するところの)、あらたかな実在がぬつと頭をもたげてゐた。
そこにこそ行動の精髄、力の精髄がひそんでゐると思はれたが、それといふのも、その実在はごく簡単に「敵」と
呼ばれてゐたからである。
拳の一閃、竹刀の一打のさきの、何もない空間にひそんで、じつとこちらを見返すところの、敵こそは「物」の
本質なのであつた。イデアは決して見返すことがなく、物は見返す。言語表現の彼方には、獲得された擬制の
物(作品)を透かしてイデアが揺曳し、行動の彼方には、獲得された擬制の空間(敵)を透かして物が揺曳する筈だ。
そしてその物とは、行動家にとつて、想像力の媒介なしに接近を迫られるところの死の姿であり、いはば闘牛士に
とつての黒い牡牛なのだ。
三島由紀夫「太陽と鉄」より あらゆる英雄主義を滑稽なものとみなすシニシズムには、必ず肉体的劣等感の影がある。英雄に対する嘲笑は、
肉体的に自分が英雄たるにふさはしくないと考へる男の口から出るに決まつてゐる。(中略)私はかつて、彼自身も
英雄と呼ばれてをかしくない肉体的資格を持つた男の口から、英雄主義に対する嘲笑がひびくのをきいたことがない。
シニシズムは必ず、薄弱な筋肉か過剰な脂肪に関係があり、英雄主義と強大なニヒリズムは、鍛へられた筋肉と
関係があるのだ。なぜなら英雄主義とは、畢竟するに、肉体の原理であり、又、肉体の強壮と死の破壊との
コントラストに帰するからであつた。
肉体を用ひて究極感覚を追求しようとするときに勝利の瞬間はつねに感覚的に浅薄なものでしかなかつた。
敵とは、「見返す実在」とは、究極的には死に他ならない。誰も死に打ち克つことができないとすれば、勝利の
栄光とは、純現世的な栄光の極致にすぎない。そのやうな純現世的な栄光ならば、われわれは言語芸術の力を
以てしても、多少類似のものを獲得できないわけではない。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 私は言葉とどのやうにして附合つてきたであらうか。
すでに私は私の文体を私の筋肉にふさはしいものにしてゐたが、それによつて文体は撓(しな)やかに自在になり、
脂肪に類する装飾は剥ぎ取られ、筋肉的な装飾、すなはち現代文明の裡では無用であつても、威信と美観のためには
依然として必要な、さういふ装飾は丹念に維持されてゐた。私は単に機能的な文体といふものを、単に感覚的な
文体と同様に愛さなかつた。(中略)
もちろんそれは日に日に時代の好尚から背いて行つた。私の文体は対句に富み、古風な堂々たる重味を備へ、
気品にも欠けてゐなかつたが、どこまで行つても式典風な壮重な歩行を保ち、他人の寝室をもその同じ歩調で
通り抜けた。私の文体はつねに軍人のやうに胸を張つてゐた。そして、背をかがめたり、身を斜めにしたり、
膝を曲げたり、甚だしいのは腰を振つたりしてゐる他人の文体を軽蔑した。
姿勢を崩さなければ見えない真実がこの世にはあることを、私とて知らぬではない。しかしそれは他人に委せて
おけばすむことだつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 軽々しく予言はしてはならない。予言した本人が窮地に立たされる 私は何より敗北を嫌つた。自分が侵蝕され、感受性の胃液によつて内側から焼けただれ、つひには輪郭を失ひ、融け、
液化してしまふこと、又自分をめぐる時代と社会とがさうなつてしまふこと、それに文体を合せてゆくほどの敗北が
あるだらうか。
芸術作品といふものは、皮肉なことに、そのやうな敗北と、精神の死の只中から、傑作を成就することがあるのは
よく知られてゐる。一歩しりぞいて、この種の傑作を芸術の勝利とみとめるにしても、それは戦ひなき勝利であり、
芸術独特の不戦勝なのであつた。私が求めるのは、勝つにせよ、負けるにせよ、戦ひそのものであり、戦はずして
敗れることも、ましてや、戦はずして勝つことも、私の意中にはなかつた。一方では、私は、あらゆる戦ひと
いふものの、芸術における虚偽の性質を知悉してゐた。もしどうしても私が戦ひを欲するなら、芸術においては
砦を防衛し、芸術外において攻撃に出なければならぬ。芸術においてはよき守備兵であり、芸術外においては
よき戦士でなければならぬ。私の生活の目標は、戦士としてのくさぐさの資格を取得することに向けられた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 死に対する燃えるやうな希求が、決して厭世や無気力と結びつかずに、却つて充溢した力や生の絶頂の花々しさや
戦ひの意志と結びつくところに「武」の原理があるとすれば、これほど文学の原理に反するものは又とあるまい。
「文」の原理とは、死は抑圧されつつ私(ひそ)かに動力として利用され、力はひたすら虚妄の構築に捧げられ、
生はつねに保留され、ストックされ、死と適度にまぜ合はされ、防腐剤を施され、不気味な永生を保つ芸術作品の
制作に費やされることであつた。むしろかう言つたらよからう。「武」とは花と散ることであり、「文」とは
不朽の花を育てることだ、と。そして不朽の花とはすなはち造花である。
かくて「文武両道」とは、散る花と散らぬ花とを兼ねることであり、人間性の最も相反する二つの欲求、および
その欲求の実現の二つの夢を、一身に兼ねることであつた。そこで何が起るか? 一方が実体であれば他方は
虚妄であらざるをえぬこの二つのもの、その双方の本質に通暁し、その源泉を知悉し、その秘密に与るとは、
一方の他方に対する究極的な夢をひそかに破壊することなのだ。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 生きてゐるあひだは、しかしわれわれは、どのやうな認識とも戯れることができる。それはスポーツにおける
刻々の死と、それからのよみがへりの爽やかさが証明してゐる。たえず破滅に瀕しつつ得られる均衡こそが、
認識上の勝利なのだ。
私の認識はいつも欠伸をしてゐたから、よほど困難な、ほとんど不可能な命題に対してしか、興味を示さぬやうに
なつてゐた。といふよりもむしろ、認識が認識自体を危ふくするやうな危険なゲームにしか惹かれなくなつたのである。
そしてそのあとの爽快なシャワーにしか。
かつて私は、胸囲一メートル以上の男は、彼を取り巻く外界について、どういふ感じ方をするものかといふことに、
一つの認識の標的を宛ててゐた。それは認識にとつて明らかに手にあまる課題であつた。(中略)
――しかし、突然、あらゆる幻想は消えた。退屈してゐる認識は不可解なもののみを追ひ求め、のちに、突然、
その不可解は瓦解し、……胸囲一メートル以上の男は私だつたのである。
かつて向う岸にゐたと思はれた人々は、もはや私と同じ岸にゐるやうになつた。すでに謎はなく、謎は死だけにあつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 永遠に想像力に属する唯一のものこそ、すなはち死であつた。
しかし、どうちがふのか? 夜襲を仕掛けてくる病的な想像力、あの官能的な、放恣な感覚的惑溺をもたらす想像力の
淵源が、すべて死にあるとすれば、栄光ある死とその死とはどうちがふのか? 浪漫的な死と、頽廃的な死とは
どうちがふのか? 文武両道の苛酷な無救済は、それらが畢竟同じものだと教へるであらう。そして、文学上の倫理も、
行動の倫理も、死と忘却に抗ふためのはかない努力にすぎぬと教へるであらう。
男とは、ふだんは自己の客体化を絶対に容認しないものであつて、最高の行動を通してのみ客体化され得るが、
それはおそらく死の瞬間であり、実際に見られなくても「見られる」擬制が許され、客体としての美が許されるのは、
この瞬間だけなのである。特攻隊の美とはかくの如きものであり、それは精神的にのみならず、男性一般から、
超エロティックに美と認められる。しかもこの場合の媒体をなすものは、常人の企て及ばぬ壮烈な英雄的行動なので
あり、従つてそこには無媒介の客体化は成り立たない。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 私にとつて、時が回収可能だといふことは、直ちに、かつて遂げられなかつた美しい死が可能になつたといふことを
意味してゐた。あまつさへ私はこの十年間に、力を学び、受苦を学び、戦ひを学び、克己を学び、それらすべてを
喜びを以て受け入れる勇気を学んでゐた。
私は戦士としての能力を夢みはじめてゐたのである。
……私が幸福と呼ぶところのものは、もしかしたら、人が危機と呼ぶところのものと同じ地点にあるのかもしれない。
言葉を介さずに私が融合し、そのことによつて私が幸福を感じる世界とは、とりもなほさず、悲劇的世界であつた
からである。もちろんその瞬間にはまだ悲劇は成就されず、あらゆる悲劇的因子を孕み、破滅を内包し、確実に
「未来」を欠いた世界。そこに住む資格を完全に取得したといふ喜びが、明らかに私の幸福の根拠だつた。
そのパスポートを言葉によつてではなく、ただひたすら肉体的教養によつて得たと感じることが、私の矜りの
根拠だつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より そこでだけ私がのびやかに呼吸をすることのできる世界、完全に日常性を欠き、完全に未来を欠いた世界、
それこそあの戦争がをはつた時以来、たえず私が灼きつくやうな焦燥を以て追ひ求めてゐたものであつたが、
言葉は決して私にこれを与へなかつたのみか、むしろそこから遠ざかるやうに遠ざかるやうにと私を鞭打つた。
なぜなら、どんな破滅的な言語表現も、芸術家の「日々の仕事(ターゲヴェルク)」に属してゐたからである。
何といふ皮肉であらう。そもそもそのやうな、明日といふもののない、大破局の熱い牛乳の皮がなみなみと
湛へられた茶碗の縁を覆うてゐたあの時代には、私はその牛乳を呑み干す資格を与へられてゐず、その後の永い
練磨によつて、私が完全に資格を取得して還つて来たときには、すでに牛乳は誰かに呑み干されたあとであり、
冷えた茶碗は底をあらはし、私はすでに四十歳を超えてゐたのだつた。そして困つたことに、私の渇を癒やすことの
できるものは、誰かがすでに呑んでしまつたその熱い牛乳だけなのだ。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 「来(きた)るべき戦争」といふ厖大な仮構へすべてが捧げられ、訓練計画は周到に編まれ、兵士たちは精励し、
そして何事も起らぬ空無は日々進行し、きのふ最上の状態にあつた肉体は、今日かすかに衰退し、老いはつぎつぎと
整理され、若さは小止みなく補給されてゐた。
私は今さらながら、言葉の真の効用を会得した。言葉が相手にするものこそ、この現在進行形の虚無なのである。
いつ訪れるとも知れぬ「絶対」を待つ間の、いつ終るともしれぬ進行形の虚無こそ、言葉の真の画布なのである。(中略)
言葉は言はれたときが終りであり、書かれたときが終りである。その終りの集積によつて、生の連続性の一刻一刻の
断絶によつて、言葉は何ほどかの力を獲得する。(中略)
終らせる、といふ力が、よしそれも亦仮構にもせよ、言葉には明らかに備はつてゐた。死刑囚の書く長たらしい手記は、
およそ人間の耐へることの限界を越えた永い待機の期間を、刻々、言葉の力で終らせようとする咒術なのだ。
三島由紀夫「太陽と鉄」より われわれは「絶対」を待つ間の、つねに現在進行の虚無に直面するときに、何を試みるかの選択の自由だけが
残されてゐる。いづれにせよ、われわれは準備せねばならぬ。この準備が向上と呼ばれるのは、多かれ少なかれ、
人間の中には、やがて来るべき未見の「絶対」の絵姿に、少しでも自分が似つかはしくなりたいといふ哀切な望みが
ひそんでゐるからであらう。もつとも自然で公明な欲望は、自分の肉体も精神も、ひさしくその絶対の似姿に
近づきたいとのぞむことであらう。
しかし、この企図は、必ず、全的に失敗するのだ。なぜなら、どんな劇烈な訓練を重ねても、肉体は必ず徐々に
衰退へ向ひ、どんなに言葉による営為を積み重ねても、精神は「終り」を認識しないからである。言葉がなしくづしに
終わらせるので、すでに言葉によつて生の連続感を失つてゐる精神には、真の終りの見分けがつかないのである。
この企図の挫折と失敗を司るものこそ「時」であるが、ごく稀に「時」は恩寵を垂れて、この企図を、挫折と失敗から
救出することがある。それが夭折といふものの神秘的な意味であり、ギリシア人はそれを神々に愛された者と呼んで
羨んだのであつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より あのころの、十七歳の私を無知と呼ばうか? いや、決してそんなことはない。私はすべてを知つてゐたのだ。
十七歳の私が知つてゐたことに、その後四半世紀の人生経験は何一つ加へはしなかつた。ただ一つのちがひは、
十七歳の私がリアリズムを所有しなかつたといふことだけだ。
もしもう一度あの夏の水浴のやうに私を快く涵してゐた全知へ還ることができたらどんなによからう。
七生報国や必敵撃滅や死生一如や悠久の大義のやうに、言葉すくなに誌された簡潔な遺書は、明らかに幾多の
既成概念のうちからもつとも壮大もつとも高貴なものを選び取り、心理に類するものはすべて抹殺して、ひたすら
自分をその壮麗な言葉に同一化させようとする矜りと決心をあらはしてゐた。
もちろんかうして書かれた四字の成句は、あらゆる意味で「言葉」であつた。しかし既成の言葉とはいへ、それは
並大抵の行為では達しえない高みに、日頃から飾られてゐる格別の言葉だつた。今は失つたけれども、かつて
われわれはそのやうな言葉を持つてゐたのである。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 肉体が未来の衰退へ向つて歩むとき、そのはうへついて行かずに、肉体に比べればはるかに盲目で頑固な精神に
黙つてついて行き、果てはそれにたぶらかされる人々と同じ道を、私は歩きたいとは思はなかつた。
何とか私の精神に再び「終り」を認識させねばならぬ。そこからすべてがはじまるのだ。そこにしか私の真の
自由の根拠がありえぬことは明らかだつた。言葉の誤用によつてことさら全知を避けてゐた少年時代の、あの夏の
さはやかな水浴を思ひ出させる全知の水にふたたび涵つて、今度は水ごと表現してみせなくてはならぬ。
復帰が不可能だといふことは、人に言はれるまでもなく、わかりきつてゐる。しかしその不可能は私の認識の退屈を
刺戟し、もはや不可能にしかよびさまされぬ認識の活力は、自由に向つて夢みてゐたのである。
文学による自由、言葉による自由といふものの究極の形態を、すでに私は肉体の演ずる逆説の中に見てゐたのだつた。
とまれ、私の逸したのは死ではなかつた。私のかつて逸したのは悲劇だつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より さて、私の幼時の直感、集団といふものは肉体の原理にちがひないといふ直感は正しかつた。今にいたるまで、
この直感を革める必要を私は感じたことがない。後年、私が「肉体のあけぼの」と呼んでゐるところの、肉体の
激しい行使と死なんばかりの疲労の果てに訪れるあの淡紅色の眩暈を知るにいたつてから、はじめて私は集団の意味を
覚るやうになつたからである。(中略)
力の行使、その疲労、その汗、その涙、その血が、神輿担ぎの等しく仰ぐ、動揺常なき神聖な青空を私の目に見せ、
「私は皆と同じだ」といふ栄光の源をなすことに気づいたとき、すでに私は、言葉があのやうに私を押し込めて
ゐた個性の閾を踏み越えて、集団の意味に目ざめる日の来ることを、はるかに予見してゐたのかもしれない。
(中略)紙に書かれようと、叫ばれようと、集団の言葉は終局的に肉体的表現にその帰結を見出す。それは密室の
孤独から、遠い別の密室の孤独への、秘められた伝播のための言葉ではなかつた。集団こそは、言葉といふ媒体を
終局的に拒否するところの、いふにいはれぬ「同苦」の概念にちがひなかつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 肉体は集団により、その同苦によつて、はじめて個人によつては達しえない或る肉の高い水位に達する筈であつた。
そこで神聖が垣間見られる水位にまで溢れるためには、個性の液化が必要だつた。のみならず、たえず安逸と放埒と
怠惰へ沈みがちな集団を引き上げて、ますます募る同苦と、苦痛の極限の死へみちびくところの、集団の悲劇性が
必要だつた。集団は死へ向つて拓かれてゐなければならなかつた。私がここで戦士共同体を意味してゐることは
云ふまでもあるまい。
早春の朝まだき、集団の一人になつて、額には日の丸を染めなした鉢巻を締め、身も凍る半裸の姿で、駈けつづけて
ゐた私は、その同苦、その同じ懸声、その同じ歩調、その合唱を貫ぬいて、自分の肌に次第ににじんで来る汗のやうに、
同一性の確認に他ならぬあの「悲劇的なもの」が君臨してくるのをひしひしと感じた。それは凛烈な朝風の底から
かすかに芽生えてくる肉の炎であり、さう云つてよければ、崇高さのかすかな萌芽だつた。「身を挺してゐる」と
いふ感覚は、筋肉を躍らせてゐた。われわれは等しく栄光と死を望んでゐた。望んでゐるのは私一人ではなかつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 私には地球を取り巻く巨きな巨きな蛇の環が見えはじめた。すべての対極性を、われとわが尾を嚥(の)みつづける
ことによつて鎮める蛇。すべての相反性に対する嘲笑をひびかせてゐる最終の巨大な蛇。私にはその姿が見えはじめた。
相反するものはその極致において似通ひ、お互ひにもつとも遠く隔たつたものは、ますます遠ざかることによつて
相近づく。蛇の環はこの秘義を説いてゐた。肉体と精神、感覚的なものと知的なもの、外側と内側とは、どこかで、
この地球からやや離れ、白い雲の蛇の環が地球をめぐつてつながる、それよりもさらに高方においてつながるだらう。
私は肉体の縁(へり)と精神の縁、肉体の辺境と精神の辺境だけに、いつも興味を寄せてきた人間だ。深淵には
興味がなかつた。深淵は他人に委せよう。なぜなら深淵は浅薄だからだ。深淵は凡庸だからだ。
縁の縁、そこには何があるのか。虚無へ向つて垂れた縁飾りがあるだけなのか。
三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より 人は地上で重い重力に押しひしがれ、重い筋肉に身を鎧つて、汗を流し、走り、撃ち、辛うじて跳ぶ。それでも
時として、目もくらむ疲労の暗黒のなかから、果然、私が「肉体のあけぼの」と呼んでゐるものが色めいて
くるのを見た。
人は地上で、あたかも無限に飛翔するかのやうな知的冒険に憂身をやつし、じつと机に向つて、精神の縁へ、
もつと縁へ、もつと縁へと、虚無への落下の危険を冒しながら、にじり寄らうとする。その時、(ごく稀にだが)、
精神も亦、それ自身の黎明を垣間見るのだ。
しかしこの二つが、決して相和することはない。お互ひに似通つてしまふことはなかつた。
(中略)
どこかでそれらはつながる筈だ。どこで?
運動の極みが静止であり、静止の極みが運動であるやうな領域が、どこかに必ずなくてはならぬ。
もし私が大ぶりに腕を動かす。そのとたんに私は知的な血液の幾分かを失ふのだ。もし私が打撃の寸前に少しでも
考へる。そのとたんに私の一打は失敗に終るのだ。
どこかでより高い原理があつて、この統括と調整を企ててゐなければならぬ筈だつた。
私はその原理を死だと考へた。
三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より しかし私は死を神秘的に考へすぎてゐた。死の簡明な物理的な側面を忘れてゐた。
地球は死に包まれてゐる。空気のない上空には、はるか地上に、物理的条件に縛められて歩き回る人間を眺め
下ろしながら、他ならぬその物理的条件によつてここまでは気楽に昇れず、したがつて物理的に人を死なすこと
きはめて稀な、純潔な死がひしめいてゐる。人が素面で宇宙に接すればそれは死だ。宇宙に接してなほ生きるためには、
仮面をかぶらねばならない。酸素マスクといふあの仮面を。
精神や知性がすでに通ひ馴れてゐるあの息苦しい高空へ、肉体を率いて行けば、そこで会ふのは死かもしれない。
精神や知性だけが昇つて行つても、死ははつきりした顔をあらはさない。そこで精神はいつも満ち足りぬ思ひで、
しぶしぶと、地上の肉体の棲家へ舞ひ戻つて来る。彼だけが昇つて行つたのでは、つひに統一原理は顔をあらはさない。
二人揃つて来なくては受け容れられぬ。
私はまだあの巨大な蛇に会つてゐなかつた。
三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より 或る日、私は自分の肉体を引き連れて、気密室(プレシャー・チェンバー)の中へ入つた。(中略)
酸素マスクは呼吸につれて、鼻翼に貼りついたり離れたりしてゐた。精神は言ひきかせた。
「肉体よ。お前は今日は私と一緒に、少しも動かずに、精神のもつとも高い縁まで行くのだよ」
肉体は、しかし、傲岸にかう答へた。
「いいえ、私も一緒に行く以上、どんなに高からうが、それも亦、肉体の縁に他なりません。書斎のあなたは一度も
肉体を伴つてゐなかつたから、さういふことを言ふのです」
(中略)
四万一千フィート。四万二千フィート。四万三千フィート。私は自分の口にぴたりと貼りついた死を感じた。
柔らかな、温かい、蛸のやうな死。それは私の精神が夢みたいかなる死ともちがふ、暗い軟体動物のやうな死の
影だつたが、私の頭脳は、訓練が決して私が殺しはしないことを忘れてゐなかつた。しかしこの無機的な戯れは、
地球の外側にひしめいてゐる死が、どんな姿をしてゐるかをちらと見せてくれたのだ。
三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より F104の離陸は徹底的な離陸だつた。零戦が十五分をかけて昇つた一万メートルの上空へ、それはたつた二分で
昇るのだ。+Gが私の肉体にかかり、私の内蔵はやがて鉄の手で押し下げられ、血は砂金のやうに重くなる筈だ。
私の肉体の錬金術がはじまる筈だ。
F104、この銀いろの鋭利な男根は、勃起の角度で大空をつきやぶる。その中に一疋の精虫のやうに私は
仕込まれてゐる。私は射精の瞬間に精虫がどう感じるかを知るだらう。
われわれの生きてゐる時代の一等縁の、一等端の、一等外れの感覚が、宇宙旅行に必須なGにつながつてゐることは、
多分疑ひがない。われわれの時代の日常感覚の末端が、Gに融け込んでゐることは、多分まちがひがない。
われわれがかつて心理と呼んでゐたものの究極が、Gに帰着するやうな時代にわれわれは生きてゐる。Gを彼方に
予想してゐないやうな愛憎は無効なのだ。
Gは神的なものの物理的な強制力であり、しかも陶酔の正反対に位する陶酔、知的極限の反対側に位置する
知的極限なのにちがひない。
三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より つい数分前までは私もその一人であつた地上の人間にとつて、私は一瞬にして「遠ざかりゆく者」になり、かれらの
刹那の記憶に他ならない一点に、今正に存在してゐた。
風防ガラスをつらぬいて容赦なくそそぐ太陽光線、この思ふさま裸かになつた光りの中に、栄光の観念がひそんで
ゐると考へるのは、いかにも自然である。栄光とはこのやうな無機的な光り、超人間的な光り、危険な宇宙線に
充ちたこの裸かの光線に、与へられた呼名にちがひない。
(中略)
音速を超え、マッハ1.15、マッハ1.2、マッハ1.3に至つて、四万五千フィートの高度へ昇つた。沈みゆく
太陽は下にあつた。
何も起らない。
あらはな光りの中に、ただ銀いろの機体が浮び、機はみごとな平衡を保つてゐる。それは再び、閉ざされた
不動の部屋になつた。機は全く動いてゐないかのやうだ。それはただ、高空に浮んでゐる静止した奇妙な金属製の
小部屋になつた。
あの地上の気密室は、かくて宇宙船の正確なモデルになる筈だ。動かないものが、もつとも迅速に動くものの、
精密な原型になるのだ。
三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より 窒息感(チョーク)も来ない。私の心はのびやかで、いきいきと思考してゐた。閉ざされた部屋と、ひらかれた
部屋との、かくも対極的な室内が、同じ人間の、同じ精神の棲み家になるのだ。行動の果てにあるもの、運動の
果てにあるものがこのやうな静止だとすると、まはりの大空も、はるか下方の雲も、その雲間にかがやく海も、
沈む太陽でさへ、私の内的な出来事であり、私の内的な事物であつてふしぎはない。私の知的冒険と肉体的冒険とは、
ここまで地球を遠ざかれば、やすやすと手を握ることができるのだ。この地点こそ私の求めてやまぬものであつた。
天空に浮んでゐる銀いろのこの筒は、いはば私の脳髄であり、その不動は私の精神の態様だつた。脳髄は頑なな骨で
守られてはゐず、水に浮んだ海綿のやうに、浸透可能なものになつてゐた。内的世界と外的世界とは相互に浸透し合ひ、
完全に交換可能になつた。雲と海と落日だけの簡素な世界は、私の内的世界の、いまだかつて見たこともない壮大な
展望だつた。と同時に、私の内部に起るあらゆる出来事は、もはや心理や感情の羈絆を脱して、天空に自由に
描かれる大まかな文字になつた。
三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より そのとき私は蛇を見たのだ。
地球を取り巻いてゐる白い雲の、つながりつながつて自らの尾を嚥んでゐる、巨大といふもおろかな蛇の姿を。
ほんのつかのまでも、われわれの脳裡に浮んだことは存在する。現に存在しなくても、かつてどこかに存在したか、
あるひはいつか存在するであらう。それこそ気密室と宇宙船との相似なのだ。私の深夜の書斎と、四万五千フィート
上空のF104の機体内との相似なのだ。肉体は精神の予見に充たされて光り、精神は肉体の予見に溢れて
輝やく筈だ。そしてその一部始終を見張る者こそ、意識なのだ。今、私の意識はジュラルミンのやうに澄明だつた。
あらゆる対極性を一つのものにしてしまふ巨大な蛇の環は、もしそれが私の脳裡に泛んだとすれば、すでに
存在してゐてふしぎはなかつた。蛇は永遠に自分の尾を嚥んでゐた。それは死よりも大きな環、かつて気密室で
私がほのかに匂ひをかいだ死よりももつと芳香に充ちた蛇、それこそはかがやく天空の彼方にあつて、われわれを
瞰下(みお)ろしてゐる統一原理の蛇だつた。
三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より 私はそもそも天に属するのか?
さうでなければ何故天は
かくも絶えざる青の注視を私へ投げ
私をいざなひ心もそらに
もつと高くもつと高く
人間的なものよりもはるか高みへ
たえず私をおびき寄せる?
均衡は厳密に考究され
飛翔は合理的に計算され
何一つ狂ほしいものはない筈なのに
何故かくも昇天の欲望は
それ自体が狂気に似てゐるのか?
私を満ち足らはせるものは何一つなく
地上のいかなる新も忽ち倦(あ)かれ
より高くより高くより不安定に
より太陽の光輝に近くおびき寄せられ
何故その理性の光源は私を灼き
何故その理性の光源は私を滅ぼす?
眼下はるか村落や川の迂回は
近くにあるよりもずつと耐へやすく
かくも遠くからならば
人間的なものを愛することもできようと
何故それは弁疏し是認し誘惑したのか?
その愛が目的であつた筈もないのに?
もしさうならば私が
そもそも天に属する筈もない道理なのに?
三島由紀夫「太陽と鉄――イカロス」より 鳥の自由はかつてねがはず
自然の安逸はかつて思はず
ただ上昇と接近への
不可解な胸苦しさにのみ駆られて来て
空の青のなかに身をひたすのが
有機的な喜びにかくも反し
優越のたのしみからもかくも遠いのに
もつと高くもつと高く
翼の蝋の眩暈と灼熱におもねつたのか?
されば
そもそも私は地に属するのか?
さうでなければ何故地は
かくも急速に私の下降を促し
思考も感情もその暇を与へられず
何故かくもあの柔らかなものうい地は
鉄板の一打で私に応へたのか?
私の柔らかさを思ひ知らせるためにのみ
柔らかな大地は鉄と化したのか?
堕落は飛翔よりもはるかに自然で
あの不可解な情熱よりもはるかに自然だと
自然が私に思ひ知らせるために?
三島由紀夫「太陽と鉄――イカロス」より 空の青は一つの仮想であり
すべてははじめから翼の蝋の
つかのまの灼熱の陶酔のために
私の属する地が仕組み
かつは天がひそかにその企図を助け
私に懲罰を下したのか?
私が私といふものを信ぜず
あるひは私が私といふものを信じすぎ
自分が何に属するかを性急に知りたがり
あるひはすべてを知つたと傲り
未知へ
あるひは既知へ
いづれも一点の青い表象へ
私が飛び翔たうとした罪の懲罰に?
三島由紀夫「太陽と鉄――イカロス」より Q――五社英雄監督の印象は?
三島:ぼくは、非常にこの人物が好きになつた。会つたのは初めてですけど、いい人です。映画監督特有の、
もつて回つたやうな芸術家気取りがない。そして好きなものは好き、きらひなものはきらひとして、なんら
映画界の権威を認めてゐない。自分の好きにとつちやふんだ。映画界からみれば、こんなに腹の立つ男はゐないと思ふ。
Q――映画に出演するといふこと、三島さんがおつしやつてる「行動」とか、「肉体」とかを結びつけると……
三島:世間では、みんな結びつけたがるから、何もかも結びつけちやふんだけど、ぼくは人間を、さういふふうに
一元的に統一しようといふのは、現代の悪い傾向だと思ふ。なるべく、ワクからはづれることが、人間にとつて
大事だといふ考へをもつてゐる。
三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より たとへば、いちばん崇高でもあり、つぎの瞬間にいちばん下劣でもあるのが人間なんですよ。ぼくは、さういふ人間を
考へる。崇高なだけであつてもウソに決まつてゐる。また下劣なのが人間の本当の姿だ、といふ考へ方も大きらひ
なんですよ。それは自然主義的な考へ方で、十九世紀に、ごく一部にできた迷信ですよ。人間は崇高であると同時に
下劣。だから、ぼくのことを下劣だと思ふ人があれば、それでもかまはない。ぼくの中にだつて、「一寸の虫にも
五分の魂」で、崇高なものもある。それを、ぼくは自分でぼくだと思ふ。
むりやりに結びつけて、論理的に統一しようつたつて、できるものではない。ただ思想的には節操は大切だと
思ひますけど、それと人間の行動の一つ一つ。つまり節操の正しい人は、どんなクソの仕方をするのか。いつも
まつすぐなクソがでてくるかといふと、そんなものぢやない。節操の正しい人でも、トグロを巻いちやふ。
節操の曲がつた人でも、まつすぐなクソが出るかもしれない。そんなこと関係ないですよ。
三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より Q――かなり全共闘に共鳴するところがあつたんぢやないですか。
三島:それは共鳴するところもあるし、反発するところもある。自民党の人間と会つたつて、それは同じことだ。
Q――全共闘の立ち場を幕末でいふと……。
三島:幕末にはないよ。幕末は一人でやれなければいけない。みんなからだを張つてゐますね。一人でやれると
いふことは、サムラヒの根本条件ですよ。一人でやれるやつは、全共闘に一人もゐないぢやないですか。みんな
集団の力を組まなければ、何もできない。一人で連れてきて胸ぐらをつかんだら、みんなペコペコするだけですよ。
そんなのサムラヒぢやない。したがつて、明治維新に類型を求めることはできませんね。
Q――サムラヒといふことについて、もう少し詳しく説明をしてください。
三島:要するにサムラヒといふのは、一人でやれるといふことですよ。その精神だね。それしかないと思ふ。
外人の中で、よく全共闘を幕末の志士にたとへるやつがゐるんだけれども、とてもぼくは怒るんですよ。
とんでもない。精神が違ひますよ。
三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より Q――文学者としての三島さんが、時務の文章を書くのは……。
三島:つまり文学といふものは、死んだものぢやない。生きて動いてゐるものだ。お茶器みたいに、きれいなものを
作つて、戸だなにしまつておくものぢやない。動いてゐるものだ。一方で、美しい文学を書くためには、喜んで
ドロ沼の中へ手を突つ込まなければダメだと思ふ。手を汚さないことばかり考へたんぢや、文学はダメになつちやふ。
たまたま病気でサナトリウムにはひつてゐる、といふなら、それはいいよ。運命だからね。
Q――その人にとつては、それがドロ沼の中に手をつつ込んだことになるわけですね。
三島:その人にとつてはさうだ。病気といふものはさうだらう。宿命だから……。だけど、からだが丈夫で、
生きて動いてゐる人間が、ドロ沼のそばを着物が汚れるからと、よけて通るのは作家ぢやない。ぼくはさう思ふ。
ドロ沼にはひつて、おぼれるかもしれないけれど、おぼれる危険を冒して、生きてゐなきや小説は書けない。
ドロ沼にはひつたとき、どういふふうに表現するか。人間だから考へますね。
三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より それは、濾過されて文学になる部分もあり、いくら濾過しても文学にならん部分もある。ドロ水を飲料水にするための
濾過装置があるでせう。濾過装置の中で、残つたドロと飲料水になる水とあるけど、残つたドロがいらないもので、
捨てちやつていいものかといふと、ぼくはさうぢやない。それが現実なんだ。現実を避けることはできないね。
現実を避けて自分が象牙の塔に閉ぢこもるときには、象牙の塔の純粋性が保たれなければ死んでしまふ。
ぼくは、文学を象牙の塔だと考へてゐる。水晶のお城だと考へてゐる。それを大事にしておくためには、作家が
ドロ沼へはひらなければ、といふパラドックスがある。ぼくはさうだと思ふ。
三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より (シニスム)が大抵のものを凡庸と滑稽に墜してしまふのは、十九世紀の科学的実証主義に
もとづく自然主義以来の習慣である。私は自意識の病ひを自然主義の亡霊だと考へてゐる。
すべてを見てしまつたと思ひ込んだ人間の迷蒙だと考へてゐる。あらゆる悲哀の裏に
滑稽の要素を剔出するのはこの迷蒙の作用である。いきほひ感情は無力なものになり、
情熱は衰へ、何かしらあいまいな不透明なものになり終つた。
悲劇は強引な形式への意慾を、悲哀そのものが近代性から継子扱ひをされるにつれてますます
強められ、おのづから近代性への反抗精神を内包するにいたる。それは近代性の奥底から
生み出された古典主義である。喜劇は近代をのりこえる力がない。
偉大な感情を、情熱を、復活せねばならぬ。それなしには諷刺は冷却の作用をしかもたないだらう。
三島由紀夫「悲劇の在処」より http://www.nicovideo.jp/watch/sm13608635 ニコニコ動画
「三島由紀夫みたいに腹を切って死にたいんだ」
歴史とは過ぎ去るものでも繰り返されるものでもない。
歴史とは一粒の涙に他ならない。
涙は外部と内部を区別する不可視な枠を溶かすある種の独創言語と表現
してもよい。
涙の速度はただただ恐ろしく、我々の認識という名のキリスト教的人類愛では
捕まえられず、形而上学、と、陳腐にそう名付けられた。
ゆえに、。
イチイあると >>10の後
……それにしても、仙洞御所を一時間あまり拝観して、辞去するとき、私ははなはだ畏れ多いことながら、その庭が
自分の所有に属さないことを喜んだ。いづれ又、紅葉の季節や、花の季節に、私は拝観を願ひ出て、仙洞御所を
再訪することもあるだらう。しかし、この御庭を愛すれば愛するだけ、私はそれが決して自分の所有に属さず、
訪れない間は、京都へ行けば必ずそれがそこにあるといふ、存在の確実さだけを心に保つことができるのを喜ぶ。
それといふのも、所有といふことの不幸と味気なさを、私は我身で味はつたのは貧しい例でしかないが、人の
身の上にしみじみと見て来たからである。或るフランスの大富豪の貴族のシャトオに数日滞在してゐたときのこと、
私は次々とあらはれては去る来客を、主人夫妻が、ほぼ同じ順序でもてなすのを見た。(中略)
自分のシャトオにゐる間、主人夫妻は、いはば、案内役と司会者の役割を毎日つとめて、倦きもせずに、ただ
次々と新らしい客の讃嘆の声だけを餌にして生きてゐた。これを見てゐて、私はつくづく、所有する者の不幸と
味気なさを感じたのである。
三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より 庭も亦所有を前提としてゐる。他人に思ふまま蹂躙された庭は、公園であつてもはや庭ではない。しかし厳密に
言ふと、所有者にとつても、それは徐々に「庭」であることをやめるのである。なぜなら、見倦きた庭は、
庭であることから、何かただ、習慣のやうなものになつて、われわれの存在の垢とまじり合つてしまふからである。
四季の変化からなるたけ影響を受けぬやうに作られた幾何学的な庭はもちろん日本の庭の中でも竜安寺の石庭の
やうな抽象的な庭は、所有者にとつては、忘れられた厖大な蔵書の一部のやうになつてゆくにちがひない。
ある庭を完全に所有すまいとすれば、その庭のもつ時間の永遠性が、いつも喚起的であるやうに努めねばならない。
理想的な庭とは、終らない庭、果てしのない庭であると共に、何か不断に遁走してゆく庭であることが必要であらう。
われわれの所有をいつもすりぬけようとして、たえず彼方へと遁れ去つてゆく庭、蝶のやうに一瞬の影を宿して
飛び去つてゆくやうな庭、しかもそこに必ず存在することがどこかで保証されてゐるやうな庭、……さういふ
庭とは何であらうか。
三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より 私はここで又、仙洞御所の庭に思ひ当る。なぜならその御庭は、私の所有でないと同時に、今はどなたの住家でも
ないからである。しかもそれは確実に所有されてをり、決して万人の公園ではない。もしわれわれが理想的な庭を
持たうとするならば、それを終らない庭、果てしのない庭、しかも不断に遁走する庭、蝶のやうに飛び去る庭に
しようとするならば、われわれにできる最上の事、もつとも賢明な方法は、所有者がある日姿を消してしまふ
ことではないだらうか。庭に飛び去る蝶の特徴を与へようとするならば、所有者がむしろ、飛び去る蝶に化身すれば
よいのではないか。生はつかのまであり、庭は永遠になる。そして又、庭はつかのまであり、生は永遠になる。……
そのとき仙洞御所の焼亡は、この御庭にとつて、何かきはめて象徴的な事件のやうに思はれるのである。
三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より 生きてゐる芸術家とは、どういふ姿になることが、もつとも好ましく望ましいか。
私は或る作家の作品を決して読まない。それは、その作家がきらひだからではない。その作家の作品を軽んずる
からではない。それとは反対に、私は彼の作家としての良心を敬重してをり、作品を書く態度のきびしさを
尊敬し、作品の示す芸のこまやかさと芸格の高さにいつも感服してゐる。それなのに、私は彼の作品を読まうと
しないのである。
何故かといふのに、私が読まなくても、彼は円熟した立派な作品を書きつづけてゐることがわかりきつてゐる
からである。さういふ作品が彼を囲んで、ますます彼の芸境を高めてゐることを知つてゐるからである。
さうなつた作家は、すでに名園である。いはば仙洞御所の御庭である。行かなくても、そこへ行けば、その美に
搏たれることがわかつてをり、見なくても、そこにその疑ひやうのない美が存在してゐることがわかつてゐるからだ。
だが、私は、自分の作品の、未完成、雑駁を百も承知でゐながら、生きてゐるあひだは、決してさういふ千古の
名園のやうな作家になりたいとは望まないのである。
三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より 柳田国男氏の「遠野物語」は、明治四十三年に世に出た、日本民俗学の発祥の記念塔ともいふべき名高い名著で
あるが、私は永年これを文学として読んできた。殊に何回よみ返したかわからないのは、その序文である。
名文であるのみではなく、氏の若き日の抒情と哀傷がにじんでゐる。魂の故郷へ人々の心を拉し去る詩的な力に
あふれてゐる。
(中略)
この一章の、
「茲にのみは軽く塵たち紅き物聊(いささ)かひらめきて……」
といふ、旅人の旅情の目に映じた天神山の祭りの遠景は、ある不測の静けさで読者の心を充たす。不測とは、
そのとき、われわれの目に、思ひもかけぬ過去世の一断面が垣間見られ、遠い祭りを見る目と、われわれ自身の
深層の集合的無意識をのぞく目とが、――一定の空間と無限の時間とが――、交叉し結ばれる像が現出するからである。
(中略)
柳田氏の学問的良心は疑ひやうがないから、ここに収められた無数の挿話は、ファクトとしての客観性に於て、
間然するところがない。これがこの本のふしぎなところである。
三島由紀夫「柳田国男『遠野物語』――名著再発見」より 著者は採訪された話について何らの解釈を加へない。従つて、これはいはば、民俗学の原料集積所であり、
材木置き場である。しかしその材木の切り方、揃へ方、重ね方は、絶妙な熟練した木こりの手に成つたものである。
データそのものであるが、同時に文学だといふふしぎな事情が生ずる。すなはち、どの話も、真実性、信憑性の
保証はないのに、そのやうに語られたことはたしかであるから、語り口、語られ方、その恐怖の態様、その感受性、
それらすべてがファクトになるのである。ファクトである限りでは学問の対象である。しかし、これらの原材料は、
一面から見れば、言葉以外の何ものでもない。言葉以外に何らたよるべきものはない。遠野といふ山村が
実在するのと同じ程度に、日本語といふものが実在し、伝承の手段として用ひられるのが言葉のみであれば、
すでに「文学」がそこに、軽く塵を立て、紅い物をいささかひらめかせて、それを一村の緑に映してゐるのである。
三島由紀夫「柳田国男『遠野物語』――名著再発見」より さて私は、最近、吉本隆明氏の「共同幻想論」(河出書房新社)を読んで、「遠野物語」の新しい読み方を
教へられた。氏はこの著書の拠るべき原典を、「遠野物語」と「古事記」の二冊に限つてゐるのである。近代の
民間伝承と、古代のいはば壮麗化された民間伝承とを両端に据ゑ、人間の「自己幻想」と「対幻想」と「共同幻想」の
三つの柱を立てて、社会構成論の新体系を樹ててゐるのである。(中略)
さういへば、「遠野物語」には、無数の死がそつけなく語られてゐる。民俗学はその発祥からして屍臭の漂ふ
学問であつた。死と共同体をぬきにして、伝承を語ることはできない。このことは、近代現代文学の本質的孤立に
深い衝撃を与へるのである。
しかし、私はやはり「遠野物語」を、いつまでも学問的素人として、一つの文学として玩味することのはうを
選ぶであらう。ここには幾多の怖ろしい話が語られてゐる。これ以上はないほど簡潔に、真実の刃物が無造作に
抜き身で置かれてゐる。
三島由紀夫「柳田国男『遠野物語』――名著再発見」より 上田秋成は日本のヴィリエ・ド・リラダンと言つてもよい。苛烈な諷刺精神、ほとんど狂熱的な反抗精神、
暗黒の理想主義、傲岸な美的秩序。加ふるに絶望的な人間蔑視が、一方では「未来のイヴ」となり、一方では
稀代の妖怪譚となつて結実した。
ロボットと妖怪。これは共に人間を愛さうとして愛しえない地獄に陥ちた孤独な作家の、復讐的な創造なのである。
リラダンは作中で、この比類ない創造、失はれた精神の代位とも称すべき無機質の美の具現を、海中の深淵に
投ぜざるを得なかつたし、秋成もまた、幾多の貴重な草稿を、狂気のやうになつて古井戸の中へ投げ入れざるを
得なかつたのである。二人ともに、己れの生涯を賭けた創造の虚しさを知つてゐた。
私はのちにむしろ雨月以後の「春雨物語」を愛するやうになつたが、そこには秋成の、堪へぬいたあとの凝視の
やうな空洞が、不気味に、しかし森厳に定着されてゐるのである。こんな絶望の産物を、私は世界の文学にも
ざらには見ない。
三島由紀夫「雨月物語について」より 詩情とサスペンスに充ちた見事な導入部、再々の脱出のスリル、そして砂のやうに簡潔で無味乾燥な突然のオチ、
……すべてが劇作家の才能と小説家の才能との、安部氏における幸福な結合を示してゐる。
日本の現実に対して風土的恐怖を与へたのは、全く作者のフィクションであり寓意であるが、その虚構は、
綿々として尽きない異様な感覚の持続によつて保証される。これは地上のどこかの異国の物語ではない。やはり
われわれが生きてゐる他ならない日本の物語なのである。その用意は、一旦脱出して死の砂に陥つた主人公を
救ひに来る村人の、「白々しい、罪のないような話しっぷり」一つをとつても窺はれる。一旦読み出したら
止められないこと請合の小説。
三島由紀夫「無題(安部公房著「砂の女」推薦文)」より 最近、村松剛氏が浅野晃氏の「天と海」を論ずる文章を書くに当つて、私にかう問うたことがある。大東亜戦争末期に
つひに神風が吹かなかつたといふこと、情念が天を動かしえなかつたといふことは、詩にとつて大きな問題だが、
さういふ考への根源はどこにあるのだらうか、と。
私は直ちに答へて言つた。それは古今集の紀貫之の序の「力をも入れずして天地(あめつち)を動かし」だ、と。
私は直ちに答へた。どうして直ちに答へることができたのか。ここに私と古今集との二十年以上の結縁がある
のだと思ふ。
二十年の歳月は、私に直ちにさう答へさせたほどに、行動の理念と詩の理念を縫合させてゐたのだつた。もし
当時を綿密にふり返つてみれば、私は決してさう答へなかつただらう。なぜなら古今集序のその一句は、少年の
私の中では、行動の世界に対する明白な対抗原理として捕へられてゐた筈であり、特攻隊の攻撃によつて神風が
吹くであらうといふ翹望と、「力をも入れずして天地を動かし」といふ宣言とは、正に反対のものを意味して
ゐた筈だからである。
三島由紀夫「古今集と新古今集 一 私的序説」より (中略)
ではなぜ、このやうな縫合が行はれ、正反対のものが一つの理念に融合し、ああして私の口から自明の即答が
出て来たのであらう。
いふまでもなく、それは、つひに神風が吹かなかつたからである。人間の至純の魂が、およそ人間として考へ
られるかぎりの至上の行動の精華を示したのにもかかはらず、神風は吹かなかつたからである。
それなら、行動と言葉とは、つひに同じことだつたのではないか。力をつくして天地が動かせなかつたなら、
天地を動かすといふ比喩的表現の究極的形式としては、「力をも入れずして天地を動かし」といふ詩の宣言のはうが、
むしろその源泉をなしてゐるのではないか。
このときから私の心の中で、特攻隊は一篇の詩と化した。それはもつとも清冽な詩ではあるが、行動ではなくて
言葉になつたのだ。
三島由紀夫「古今集と新古今集 一 私的序説」より ――私が今ふたたび、古今集を繙(ひもと)かうとする必要があるとすれば、それはいかなる必要だらうか。
私はこの二十年間、文学からいろんなものを一つ一つそぎ落して、今は、言葉だけしか信じられない境界へ
来たやうな心地がしてゐる。言葉だけしか信じられなくなつた私が、世間の目からは逆に、いよいよ政治的に
過激化したやうに見られてゐるのは面白い皮肉である。
それはそれとして、戦後の一時期は、言葉の有効性が信じられ、その文学理論に基づいた文学が栄えたが、これこそ
最も反古今集的風潮であつたといへる。「力をも入れずして天地を動かし」の、戦時中における反対概念は、
言葉なき行動の昂揚であつたが、戦後における反対概念は、言葉そのものの有効性の信仰であつた。
何故なら、古今集序の一句は、言葉の有効性には何ら関はらない別次元の志を述べてゐるからである。もし
詩の言葉が、天地を動かす代りに、人心を動かして社会変革に寄与するやうに働くならば、古今集が抱擁してゐる
詩的宇宙の秩序は崩壊するの他はない。
三島由紀夫「古今集と新古今集 一 私的序説」より 「鬼神をもあはれと思はせ」る詩的感動は、古今集においては、言語による秩序形成のヴァイタルな力として
働くであらうが、それは同時に、詩的秩序をあらゆる有効性から切り離す作用である。古今集の古典主義と、
公理を定立しようとする主知的性格はすべてそこにかかつてゐる。
詩的感動と有効性とが相反するものとして提示された古今集に親しんだのち、私はすでに古今集のとりこになつて
ゐたのであらう。戦後の一時期に、私は一度も古今集を繙かなかつたが、それはすでに私の心の中で、「詩学」の
位置を占めてゐたからである。
今、私は、自分の帰つてゆくところは古今集しかないやうな気がしてゐる。その「みやび」の裡に、文学固有の
もつとも無力なものを要素とした力があり、私が言葉を信じるとは、ふたたび古今集を信じることであり、
「力をも入れずして天地を動かし」、以て詩的な神風の到来を信じることなのであらう。
三島由紀夫「古今集と新古今集 一 私的序説」より