□■□評論家・三島由紀夫■□■
三島:ときどきつまらない映画で発見することがありますね。この間、なんだったかちょっと忘れたが、男が
入ってきて、女がとても驚いて水差しを落すところがある。水差しが床に落ちて割れる。それを見てなるほどなあと
思って、しばらくあと考えたのだけれども、ちょっと落すのがおそいのだよ。それで、あっ嘘だと思うのですよ。
現実には人間の心理は、驚いてから水差しを落すまでに間がある。だけど映画はその瞬間見ていると明かに嘘に
なるのです。そうすると、芝居なんかのアクチュアリティというのは、やはり現実のままじゃいけないと思う。
なんかこれならアクチュアリティがあるというタイミングがあると思う。そのタイミングを演出家はしょっちゅう
考えなければならない。そのタイミングは現実とはちょっと違って、お客の心理の中にある。お客の持っている
生活体験から生れた最大公約数の真理がある。芝居はそういうものを狙わなければならない。つまりそれが芝居の
リアリティと、考えちゃったのです。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 荻:(中略)現実通りにやると間がのびちゃう。あれは不思議なものだね。時間で計るわけにいかないことだからね。
三島:ただ見ているお客の目から見ると、女がびっくりして水差しを落す所を現実の生活でしょっちゅう
見ているわけじゃない。しかしわれわれの生活にはそういうときには、このタイミングで水差しを落さなければ
おかしいと考える法則ができている。そういう法則がなければ安心して生きていられない。その法則をみんな
持っている。ぼくもミーハーも同じだ。それが外れると嘘なんだと思う。
荻:ヒッチコックがリアクション・ショットをやるでしょう。ふっと驚くところを出して、次に、驚いた原因を
見せる。ただその原因を知っているだけじゃ、このおもしろさをだれでも出せるわけじゃないな。そのときの
タイミングというか、映画独特の時間を勘で持っているかどうか。格闘シーンなんか全然現実時間じゃないな。
三島:現実の格闘はもっと間の抜けたものだろう。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 荻:結局そういうところは歌舞伎……新国劇の殺陣なんかも、舞台の時間というものを創作した人は偉かったですね。
三島:歌舞伎の場合はもっとスロー・モーションで引き伸ばしてあって、別のおもしろみを出している。
現実生活ではお客は見ていないで、なんか考えるところはおもしろいと思う。観客心理としておもしろいと思う。
だから小説と体験の問題でも、小説家の体験、読者の体験ということがどっかでマッチするところがある。
たとえば人殺しをやった体験は、読者にもない、作者にもない、しかもどっかで折り合いのつくものがなんか
あるのです、法則がね。
荻:三島さんが書いていらっしゃいましたね。舞台では一目惚れとか偶然ということは、簡単に観客のほうに
許されるところがあると。映画では、同じくドラマでも問題になる。たとえば日本のすれ違い映画が観客を
笑わせるのは、やはりおかしいからなんだ。ところが芝居だと、「ロミオとジュリエット」の一目惚れは実に
簡単に受け入れられるのだな。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:その点では映画は小説に近い。映画はドラマより小説に近いと思う。やはり時間の経過は映画の場合は
厳密じゃない。たとえば、急に十年飛ぶ。芝居は非常に構成が必然的だから偶然が許容される、ということが
考えられる。たとえば荻さんの話をして、荻さんどうしたろうと言っているところへ荻さんが入ってきても、
芝居だとおかしくない。映画じゃおかしいよ。ぼくは古典劇の技巧が好きなんだ。たとえば「あそこにネロが
やって来た、こうしちゃいられない、向うへ行きましょう」、ああいう技巧は好きなんだ。(中略)
しかし、映画はどうして演劇的であるということをいやがるのだろう。大概芝居くさいのは受けが悪い。
荻:それは見るほうも作るほうも、内心で解放感を求めているからでしょう。
三島:そうですね。
お客が一つの枠の中で享受する芸術の楽しみ方はもう失われちゃったからね。したがって、映画は枠が小さい
という観念――最近は大きくなったけれども――枠が小さいから、それで解放感を求めるということがあると思う。
人物全体を見られないからね。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:ぼくは映画が生れたのは小説の罪だと思う。(中略)小説の謳歌した罪を映画はもっと拡大して謳歌している。
五十歩百歩だ。小説家が映画の悪口を言うのは、眼クソ鼻クソを笑うと同じものだ。
小説の欠点をみんな持っているもの。たとえば一人の人生が一時間で語れるという、そういう確信を持っている。
戯曲はそんな確信を持っていなかった。ある人間の三時間とか一日とかしか語れない。小説、映画はそういうことが
できることになった。
小説の双子だな、芝居の双子というよりは……。
荻:まま子だな。だから、小説の崩れもずいぶん流れ込んだんじゃないか。
三島:オペラを喜んでいたお客は、現実生活とは違うものというので、それを喜んでいた。だけど小説が始まって
砕いちゃった。書いてあることは本当のことだという迷信を抱かしちゃった。だから映画が出てくるのは当たり前だ。
荻:映画は実写的だからなおその確信が映画の支えになったのだし、それはまだ続いている。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:しかし小説と映画はあまりにも近すぎて、かえって関係がない。近いものではないけれど、ぼくは芝居の
興味で見る。やはり映画は野外劇の発展したものじゃないですか。ページェントですね。だからイタリアの廃墟を
うまく使って「ロミオとジュリエット」を作ったり、そういうものはたしかに生きてくるのだ。つまり野外劇では、
舞台装置の全部が人工のものでなしに、現実におかれた外部のものがすっと入ってくる。廃墟とか水とか芝生とか、
そういう芝居と関係のないものが入ってくる。それで芝居が展開していくおもしろさ、そういうものは昔から
発見されていた。それが映画に発展して行ったと思うのです。
荻:映画論でそのことを指摘しているのは、日本では寺田寅彦さんですね。ドキュメンタリーのおもしろさは
全くそれなんですね。
三島:ものが入ってきたのだ、芸術の世界に。
劇では生のものは絶対出さないわけですよ。(中略)人間だけ生であとは生でないというのが芝居のミソだ。
映画では人間プラスいろいろなものが入ってくる。
荻:それが機械でとらえられるから、なお複数になっちゃうのですよ。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 荻:三島さんは映画芸術を信じられる?
三島:ものによっては信じるな。
荻:条件づきですか。
三島:小説だって芸術だかどうだか怪しいものだ。いまや芸術というものはあまりはやらないからな。
荻:そうなんだ。
三島:小説も芸術じゃない、あいまいなものだと思います。非常に限定がない。限定がないものは芸術じゃない。
芝居とか詩とか、そういうのは限定があるから芸術だね。限定がないと、ぐずぐずになっちゃう。
荻:じゃ映画が条件づきで芸術というのはどういうところ?
三島:そうですね、出来と仕上げです。それから統一性ということだな。最初のすべり出しからラストまで
統一的理念が支配しているということ、そういう映画は芸術だと思うのだ。腰砕けになったものは芸術じゃないと思う。
それは三流西部劇だって統一的だよ、だけど……。
荻:そのほかに何かある?
三島:ほかにも何かあるでしょう。あいまいなものだ。小説だってこれは芸術か芸術でないかというのは見当つかない。
谷崎さんの「鍵」だってわからない。映画は小説と同じに芸術の概念があいまいなときに生れたのじゃないか。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 荻:ぼくは実をいうと芸術でなくともよいと思うのだが。
三島:そう思う。どうでもいい。
荻:つまらないものでも部分的に芸術的なところがある。
三島:それはあります。(中略)ぼくもなんか映画というものを根本的に信用していないことはたしかなんだ。
荻:どういう点ですか。
三島:多勢で作るから信用できない。
荻:それはいつも問題になる。批評家が戸惑うのもそこなんだ。(中略)ほかの芸術みたいに一個人を探し
求めようとすると、それは不可能です。(中略)
三島:芝居も多勢で作るものだが、台本は神聖だし……。
たとえば録音技師が音を入れる場合に、重役が口を出して、ここは人間が歩いているから足音がないとおかしい、
はい、入れますと、それを入れる。人間が歩くと足音がする。汽車が走るとシュシュポッポ。そこで崩れちゃう。
足音を入れちゃいかんという監督が何人いるかね。
荻:単に個人の権力として言える言えないでなく、入れちゃいかんという自信がなくなっちゃうわけです。皆で作る、
ということが根本なんだから。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:チャップリンでは「殺人狂時代」が好きだ。「ライムライト」は大嫌い。
荻:三島さんはやはり濡れたのが嫌いなんだ。
三島:大嫌い。
荻:「しのび泣き」(ジャン・ドラノワ)なんてのは濡れたところと乾いたところの境目みたいなものだけれども。
三島:ああいうものは許容できる。ガイガー検査器をあてると、許容量のリミットだね。
荻:映画というものがすぐセンチメンタルに湿ってくるということ、これも考えなければならない問題でね。
三島:「二十四の瞳」は困った映画ですね。木下恵介さんのああいう傾向は買えないな。
荻:あの人は一歩退いて自分をいじめることができる作家だ。乾かすこともできる。湿らすことも……。
三島:だけど日本人の平均的感受性に訴えて、その上で高いテーマを盛ろうというのは、芸術ではなくて政治だよ。
荻:しかし映画はそのポリシーが……。
三島:あるのだね。(中略)国民の平均的感受性に訴えるという、そういうものは信じない。進歩派が
「二十四の瞳」を買うのはただ政治ですよ。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:ぼくはほうぼうで引用するが、アーサー・シモンズの言葉、「芸術でいちばんやさしいことは、涙を
流させることと、わいせつ感を起させることだ」というのがあるが、これは千古の名言だと思う。
荻:逆に言えば、映画は末梢を刺激するようにできている。
三島:セックスの点がそうね。あんなセンジュアルなものはない。映画の根本的なものかもしれない。オッパイが
出てくれば、三メートルぐらいに拡がっちゃう。そういうことと涙と関係があるからね。
荻:映画ってものは観客をどうしても同化作用に引き込ませる。映画ですぐ作品のテーマということが問題に
なるのもそこね。たとえば頽廃的なもの、悪影響を及ぼすもの……。
三島:映画でいちばん信用できないのはそれなんです。人間的な限界をのり越すということなんだよ。彫刻は、
大きな彫刻はあるにしても、人間の限界にとどまっているからね。無害なんだ、芸術として。小説も人間の限界に
とどまっている。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:映画は人間の限界を飛び越すからね。オッパイは三メートル、十メートルになっちゃう。それは人間の
仕事でなく、拡大する機械の仕事なんだ。そういうものによって訴えるということは、人間的な限界を踏み越した
ものだと思うね。
荻:それはおもしろいな。みんなこの問題はマス・コミュニケーションの問題としてしか考えていない。
たくさんの人々に見られるから危険だというふうにしか考えない。
三島:ぼくは非人間的なものが危険だという考えだ。
荻:その点をまた映画は大変な武器にして来たわけでね。
三島:オッパイが十メートルになるということは、現実の世界にはない。シネマスコープは十メートルになる。
そんな昂奮はないかもしれない。そういう点でラクロの「危険か関係」のように、「観念がいちばんわいせつだ」
という信念で作られたエロ小説から考えると、十メートルのオッパイは観念なんだ。観念が拡大されて人間以上の
ものになっている。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:ラクロがどんなに努力しても、人間の想像力のエロチシズムから出ない。映画は想像力を越して、ただちに
官能に命令する。そこが危険なんだ。そういうものを狙ったものが。ぼくも木石でないから感ずる。それは
芸術でないと感ずる。そういう武器はすごいよ、映画は。観念が拡大されて人間を追い越すという点では
恐るべき武器だ。どこまでも行っちゃう。古代ローマのコロシアムのショーね、あれなんか登場人物がほんとうに
死ななければ満足できなかったのだ。今やプロ・レスリングがそうだし、ボクシングがそうだ。
荻:抽象的なルールのないスポーツみたいなものなのね。
三島:ギリシャ劇がいつかローマの円形劇場のショーへ堕落して行ったのと小説が映画になったということは、
符節を合している。そこまで言うと身も蓋もなくなる。映画にもいい所があるけれども……。
(中略)
荻:一部の映画作家がむしろアンバランスなものを作ろうというところに、いわゆる映画芸術の悲劇があるのかも
しれない。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 大体どんな芸術でも発展期は非常に発達して一応完成してしまうと発達しませんよ。映画は立体映画とか聴覚、
色彩がある。さらに匂い、それこそわきがの匂いが映画でかげるようになったって、一方に映画の本質的な
運命があるので、その運命的性格は抜け切れない。小説も小説の運命的な性格は抜け切れない。
三島由紀夫
吉村公三郎・渋谷実・瓜生忠夫との座談会「映画の限界 文学の限界」より 渋谷:イタリア映画はどうですか。
三島:嫌いなんですよ。なぜかというと見え透いていてね。あんなに見え透いたもの芸術じゃないと思うね。
そうしてね、ひとつひとつ言えば、あの「自転車泥棒」なんか、父子の義理人情からすぐさま共産主義へ持ってゆく、
理論的な飛躍の癪に障ること。それから「無法者の掟」の結末の浪花節的なこと。実につまらぬものだと思う。
「パイサ」を見たときは非常に面白かった。
(中略)
フランスの映画は、露骨な理論的飛躍がない。そこで止めておくから、見る人が理論的に追求して自分のほうへ
持ってゆくでしょう。「自転車泥棒」には理論的な押しつけがましさがセンチメンタルの後ろにあるので、
一面から質的相違に見えるけれど、センチメントはセンチメント。シモンズが文学論で言ってるけれど、芸術が
われわれに訴える涙ぐましさは猥褻さの効果とあまり変らない。そういう意味での涙脆さにすぎぬ。社会問題なんかは、
もっと理論的にイデオロギッシュに考えるべきだ。
三島由紀夫
吉村公三郎・渋谷実・瓜生忠夫との座談会「映画の限界 文学の限界」より 小森:若いシネ・クラブの会員のかたなどに対しては、どうお考えになりますか。
三島:なにか間違ってるんじゃないですか。映画を研究している若い人の話なんか聞くと、なんでこんなに
シチ面倒くさいことを、と思いますね。まず楽しむことですよ。映画で哲学を考えるんなら、哲学の本でも
読めばいいのに、本を読みもしないで映画で考えるなんていうのはナマケモノじゃないですか。
映画は芸術的雰囲気に酔ってくれたらいいんです。文学でも同じことで、あまりいろいろなものを求めすぎて……
文学も芸術ですから、やはり酔ってくれなければ困るんですね。それで酔わないものだから、みんなLSDなんか
のんで酔わなくちゃならない。(笑)
三島由紀夫
小森和子との対談「十二才のとき映画に開眼したんです」より 淀川:おいくつです?
三島:トニー・カーティス、ファーリー・グレンジャーと同い年……と言ったら、みんな笑う。一九二五年生れです。
どうして可笑しいのか……。
淀川:なんとなく可笑しい。なんとなく面白い。最近はまた大変ですね。歌舞伎の新作一本、新劇一つ、(中略)
それから読売の連載……。
三島:(中略)それに明日に控えた文春の“文士劇”があるんですよ。
淀川:それは大変、何をおやりになるの。
三島:「屋上の狂人」の弟役、僕の役……十八歳なんですよ、ハハッ十八歳なんですよ!
淀川:貴方なら充分、とってもお若い……その文士劇は他にどんなのがあります。
三島:「め組の喧嘩」と「車引」……こういうのに引っ張り出されると、本当に役者が自分の舞台で観客に
印象づけようと厚かましくもなる……そんな気持ち、(中略)当人になると無理もないと、つくづく解ってくる。
淀川:「車引」の桜丸なんか演って貰いたかった!
三島:いや、僕は時平公が演りたかった!
淀川:これは、まあ派手に厚かましい!
三島由紀夫
淀川長治のインタビュー「三島由紀夫氏訪問」より 戦艦大和竣工の日に生まれてきた軍事評論家
http://2nd.geocities.jp/jmpx759/02/4/46_2.html
自衛隊に対して影響力を誇示していた軍事評論家「田岡俊次」のことだ。 戦後、文化の問題の偏頗な扱ひは、久しく私の疑惑を培つて来た。戦争について書かれた作品で、文学作品として
後世に伝へられる資格を得たものは、悉く文学者の作品である。餅は餅屋であるから、もちろん文章は巧い。
文学的な深みもあり、普遍的な説得力もある。しかし、いかんせん、その個人的な戦争体験は限られてをり、
戦闘に参加する前から文筆の人であつた者の目に映じた戦争は、どんなに公平を期しても、そこに自ら視点の
限定がある。いかなる大戦争といへども、個々人にとつては個人的体験であることは当然だが、同時に、そこには、
純戦闘員による戦争の真髄が逸せられてゐたことは否めない。
誤解のないやうに願ひたいが、私は、文学者の書いた戦記が、体験のひろがりと切実さを欠いてゐる、と非難して
ゐるのではない。ただ、あの戦争に関する記録乃至創作を、純文学的評価だけで品隲することは、実は、もつと
大きな見地からは、非文学的、ひいては非文化的行為ではないか、といふ疑問を呈したのである。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より その好例がこの「戦塵録」である。これがいはゆる文学作品を狙つた記録でもなければ、文学的素養ゆたかな人の
作物でもないことは、一読すでに明らかである。しかしここに描かれてゐるのは、大きな一つの文化及び文化様式の
終末の悲劇なのである。
わけても貴重なのは、筆者が戦闘機乗りとしての純戦闘員であり、戦争の最先端の感情と行為を体験し、又、
一人の若者であつて、純情な恋愛とその愛別離苦を身にしみて味はひ、且つ、戦争の終末とその終末に殉じた人たちの
最期に立会つたといふことである。行為者にして記録者であること、青春の人にして終末の立会人であつたこと、
……このやうな相矛盾する使命をこの人に課したのは、おそらく歴史のもつとも生粋のものを後世に伝へようと
はかられた神意であるにちがひない。
今にして思へば、私は、戦後文化の復興者であらうと自負した人たちの近くにゐすぎた。そこにゐたのは、必ずしも
私の責任ではないが、そこにゐて感じた反撥の数々は、却つて私をして文化と歴史の本質について目をひらかせて
くれたとも考へられる。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より すなはち、昭和二十年八月、身を以て、日本文化の伝統的様式を発揚し、日本の純にして純なる文化の終末を体現し、
そこに後世に伝へるべき真の創造を行つたのは、いはゆる文化人ではなくて、「戦塵録」に登場する、若い
戦士だつたのであり、自刃して行つた矜り高い武人たちだつたのである。戦後の文化人は、そこにもつとも重要な
文化の問題がひそむことを理解せずに、浅墓な新生へ向つて雀躍したのである。残念ながら、私もその一人で
あつたと云はねばならない。「戦塵録」の著者ならびにその戦友たちは、若き日を、戦ひ、死に直面し、
絶対的なものについて思惟し、しかも活々と談笑し、冗談を飛ばし、喧嘩をし、異国の美女に心を惹かれ、
明日をも知れぬ恋を体験し、……そのやうに十分に生きた上で、ひとりひとり、いさぎよく散つてゆく。冒頭の
人名の上に引かれた赤線は、かれらの名を抹消するのではなく、かれらの名を不朽のものにするのである。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より そして、選局逼迫の只中にも句会を催ほし、死に臨んでは辞世を作る。日々日本刀の手入は怠りなく、そこには、
日本人に対する日本文化の「型」が与へた最後の完璧な強制とその達成があつた。もちろんかれらは、強制されて
句を作り辞世を詠んだわけではない。しかし文化の本質とは、その文化内の成員に対して、水や空気のやうに、
生存の必須の条件として作用して、それが絶たれたときは死ぬときであるから、無意識のうちに、不断に強制力を
及ぼす処のものである。それこそは文化であり、このやうな文化を理解しなくなつたところに、戦後の似而非文化は
出発したのである。戦士たちの死の作法そのものが文化であるやうな文化の、最高度の発揚とその終末を、
「戦塵録」ほど、みごとに活々と語つてゐる本はなく、その点でいはゆる文学作品をはるかに凌駕してゐる。
では果して、日本文化は滅びたのか? 私は、ここには、反時代的なその「型」の復活の衝撃によつてのみ、
蘇生の可能性をのこしてゐる、とだけ言つて置かう。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より 「戦塵録」は、もとより意図して、文化の発揚と終末を語つたものではない。それは伝来の規律正しい簡潔な
「軍隊の文体」で語られた記録であり、すべてが「型」の文体であるから、そこには人間心理の発見などといふ
ものではない。戦闘状況は巨細に述べられるが、強ひて迫力を加へようとした抒述はない。(中略)
平凡な抒述であるだけに却つて深い真実に迫つてゐる。戦闘の場面と、これら恋愛の場面と、最後の自決の場面が、
「戦塵録」の三つのクライマックスであることは明らかである。
私はその上に、ただ一行、いつまでも心に残る個所をあげておきたい。それは私がそのやうな青空を同じ時期に
日本でも見てゐるからであり、又、今を去る数年前、同じ青空を、現地カンボジアで見てゐるからでもある。
昭和二十年六月二十五日、死を決した著者は、スコールのあくる日の大空、「手を伸せば指の先が藍色に染って
しまひそうな」ほど鮮やかに澄んだ熱帯の空を眺めて、次のやうな一行の感想を心に抱くのである。
「此の大空、果てしない碧空にこそ凡ての真理を包蔵して居るのではなからうか」
三島由紀夫「『戦塵録』について」より 石原氏の出現はひとつの事件であり、いろんな点で象徴的事件であつた。それはヨハネの黙示録の「赤き馬」のやうに、
第二の封印を解かれて現はれ、これに乗る者の地より平和を奪ひ取ることと、人をして互に殺さしむることとを
許されたやうに見えた。……しかし事件がをはつたとき、作家としての氏には人生が残されてゐる。これを
生きることの辛さは想像に余りあり、人を刺すための「大いなる剣」は今度は我身を刺す。読者はこの作品集に、
その辛酸の音楽と、一つの代表的青春の凄壮な呻きとを聴くであらう。
三島由紀夫「一つの代表的青春(『石原慎太郎文庫』推薦文)」より 赤ッ面の敵役があまり石原氏をボロクソに言ふから、江戸ッ子の判官びいきで、ついつい氏の肩を持つやうに
なるのだが、あれほどボロクソに言はれなかつたら、却つて私が赤ッ面の役に回つてゐたかもしれない。その点
私の言ひ草は相対的であり、また、現象論的であることを御承知ねがひたい。
従つて、ひいきとしては、氏の一勝負一勝負が一々気になるが、今まででは「処刑の部屋」が一等いい作品で、
中にはずいぶん香ばしくないものもある。
香ばしくないどころか、呆れ返るものもある。しかし、ひいきのたのしみはいつも不安を与へられることであり、
はじめから安定した、まちがひのない作家といふものに私は興味がない。
(中略)
今のところ、氏は本当に走つてゐるといふよりは、半ばすべつてゐるのである。すべることは走るより楽だし、
疲労も軽い。しかし自分がどこへ飛んで行つてしまふかわからぬ危険もある。やつぱり着実に走つて、自分の脚が
着実に感ずる疲労だけが、信頼するに足るものだといふことを、スポーツマンの氏はいづれ気づくにちがひない。
三島由紀夫「石原慎太郎氏」より 生きてたら80台後半か
日本は惜しい人材を失ったな 6 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
三島由紀夫が生きていたら、『禁色』の絶世の美青年・南悠一を
俺をモデルにして書き直すコトは絶対に間違え無いだろうゼッ!
そして俺の前に跪いて泪ながらに求愛するは必定なのサッ!!
勿論、言下に断ってやるゼッ!!
どんなに哀願しても無駄なのサッ!!
アイツは腋臭が超ヒデエからナッ!!!!
分かったナッ!!!!!!!
2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
三島由紀夫が生きていたら、『禁色』の絶世の美青年・南悠一を
俺をモデルにして書き直すコトは絶対に間違え無いだろうゼッ!
そして俺の前に跪いて泪ながらに求愛するは必定なのサッ!!
勿論、言下に断ってやるゼッ!!
どんなに哀願しても無駄なのサッ!!
アイツは腋臭が超ヒデエからナッ!!!!
分かったナッ!!!!!!!
『春の雪』の映画化だって断然オレを主役に決定してただろうしサッ!!!
詩人の高橋睦郎も『西洋古典学事典』を愛読してやまないと聞いた。
納得した。
素晴らしい内容だから。
もしも三島由紀夫が生きていたなら絶賛するだろう。
私は、人間の生活の一番重要なものは、戦争、もう一つは宴会だと、かういふふうに考へてをります。
いかに平和主義者がなんと言はうとも、人類は戦争ばつかりして来たのでありまして、歴史は戦争の
歴史で――まあこれからはないはうがいいでせうが、片つぱうは宴会の歴史であります。ギリシアの
叙事詩は、戦争の叙述と、それから宴会の叙述で埋まつてをります。私が戦争といひますのは、
もちろん精神的な戦争も含めていふのでありまして、キリスト教の勝利、そしてまた哲学者たちの
それぞれの哲学体系の、愚昧な当時の民衆の俗権に対する勝利、かういふことも人間の闘争的世界の
産物であります。
三島由紀夫「美食と文学」より 氏の内の決して朽ちない少年のこころ、あらゆる新奇なもの神秘なもの宇宙的なものへの関心は、
そのナイーヴな、けがれのない熱情は、世俗にまみれた私の心を洗つた。氏は謙虚なやさしい人柄で、
トゲトゲした一般小説家の生活感情なんぞ超越してゐた。
世俗的に言へば、氏はあんまり早く超越してしまつたと思はれるふしがある。(中略)一番面白いのは、
氏が小型映画用のシナリオとして書いた掌編で、その「望遠鏡」といふ一編では、シリウスの伴星を
見ようと志して、超強度望遠鏡を発明した男が、半裸の汗だくで、望遠写真をやつと写したところが、
一点の黒点のある平面のみが写つてをり、あとで細君から、それはあなたの背中の黒子の写真ぢや
ないかと言はれ、男の嘆息の字幕でおしまひになる。
「ああ、今度はあまり遠くが見えすぎたのだ?」
遠い恒星よりももつと遠い自分の背中が見えてしまふ目を持つた男、その男の不幸を、そのころから
北村氏は知つてゐた。
三島由紀夫「空飛ぶ円盤と人間通――北村小松氏追悼」より 飛行機も映画も、自動車も円盤も、すべて氏の玩具にすぎず、氏の本質は人間通だつたのかも
しれない。
それを証明するのは、「婦人公論」の五月号に出た、氏の「わが契約結婚の妻」といふ文章で、
私はこれこそ真の人間通の文章だと感嘆し、早速その旨を氏へ書き送つたが、今にしてみると、
それは氏のやさしい遺書のやうな一文であつた。
それは逆説的な表現で、奥さんへの愛情と奥さんの温かい人柄を語つた文章であるが、人間が
自分で自分をかうだと規定したり、世間のレッテルで人を判断したり、自意識に苦しめられたり、……
さういふ愚かな営みを全部見透かして、直に人間の純粋な心情をつかみとるまれな能力を、氏が
持つてゐることを物語つてゐた。
三島由紀夫「空飛ぶ円盤と人間通――北村小松氏追悼」より
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大江健三郎の文章はそのままサルトルの飜訳だといつても、誰が不思議に思ふでありませう。サルトルと
大江氏の文章は発想においても資質においてもちがつてゐることはもちろんであります。彼は意識的に
その用語を、サルトルの使つたやうな用語の概念に近づけようとして使つてをります。それは戦前ならば
飜訳調の文章と思はれたでせうが、いまは、われわれはそれをさほど飜訳調の文章と感じないので
あります。むしろ飜訳調の文章と大いに言はれたのは、新感覚派の時代の初期の横光利一氏の文章で
あります。
(中略)
現在では飜訳調の文章は、横光氏の時代がもつてゐたやうな、人の感覚に抵抗を与へる効果といふ
ものは、すべて失つてしまつたのであります。われわれは飜訳文の氾濫によつて、もはやどんな不思議な
日本語もさほど不思議と思はなくなるに至りました。そのもつとも極端な例は、石原慎太郎氏の「亀裂」の
文体のやうなもので、ここでは、日本語はいつたん完全に解体されて、語序も文法もばらばらにされて、
不思議なグロテスクな組合せによつて、異常な効果を出してゐます。しかし石原氏にとつて損なことは、
その文章が横光利一氏のやうに、故意の飜訳体の形において人の感覚に刺戟を与へ、それからめざめ
させるといふ効用を、現在はほとんどもつてゐないことであります。
三島由紀夫「文章読本 第二章 文章のさまざま―文章美学の史的変遷」より . kanikawa_sama
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●ウェブ全体 〇日本語のページ 世界が首筋にぶつかってきたのだ
こうして死んでしまったわけだが gotogen@gotogen
王位戦2日目の深夜、もういい塩梅の行方尚史さん数人で部屋に送り届けたとき、
枕元に三島由紀夫の本が置いてあって、ああそうか、たしかにそうだなと思いました。
2013年7月13日 - 1:24
2006年、第24期朝日オープン将棋選手権第四局の揮毫色紙
http://www.asahi.com/shougi/photogallery/image/TKY200605150308.jpg
http://www.asahi.com/shougi/photogallery/image/TKY200605150304.jpg
三島由紀夫の四部作『豊饒の海』の第二部タイトル(奔馬)
王位戦中継サイト
http://live.shogi.or.jp/oui/ >>518
なかなか良い批評だけど、そんな三島自身が
滑ってしまったね >大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
>島本町って町は、暴力といじめと口裏合せと口封じの町なんだな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない傷になるなあ ともに面白いことには違いがないが、「切腹」は芸術的に優れていると言い(昭和37年9月)、
「天国と地獄」は芸術的にはどうかと言うほどのものでもない(昭和38年3月)と評している。黒澤については昭和43年1月、
三島由紀夫・大島渚・小川徹(司会)の対談で≪ テクニシャンですよ。すばらしいテクニシャンですよ。思想はない。
思想はまあ中学生くらいですね。昔の中学生といまの中学生とくらべるとえらいよ、ずいぶん
小川徹「黒澤明はどうですか」 三島由紀夫「テクニシャンですよ。すばらしいテクニシャン ですよ。思想はない。
思想はまあ中学生くらいですね」 (映画芸術 昭和四十三年一月号 大島渚との対談「ファシストか革命家か テレビによつて、いくらでも雑多な知識がひろく浅く供給されるから、暇のある人は
テレビにしがみついてゐれば、いくらでも知識が得られる代りに、「中国核実験」と
「こんにちは赤ちゃん」をつなぐことは誰にもできず、知識の綜合力は誰の手からも
失はれてゐる。無用の知識はいくらでもふえるが、有用な知識をよりわけることはますます
むづかしくなり、しかも忘却が次から次へとその知識を消し去つてゆく。
三島由紀夫「秋冬随筆」より 松本:三島さんとは映画についてどんな話をなさいましたか。例えば過去の良い映画として、三島さんは
どんなものを挙げてました?
藤井:あの人はね、限りなくひどい映画ばっかり話題にするんですよ。『大アマゾンの半魚人』だとかね。
山中:新東宝とかそういうのが好きでしたからね。
松本:晩年は東映のヤクザ映画。
井上:まあ、映画は趣味娯楽として面白いものに徹していたところがありますね。
藤井:でも、本当は『大アマゾンの半魚人』で満足しているような人じゃないです。
佐藤:映画の心理描写が嫌だっていうようなことを言いますよね。カメラワークや技術で人間の心理を見せようと
するのは嫌だとか、そんなことを言ってましたね。心理ではなくて、物として見せられるかどうかが勝負だって。
三島の『潮騒』のロケ随行記がありますでしょ。あれを見ると、こういうところから三島は始まっているんだ、
(中略)一本筋が通っているのは、映画は物としての人間を見せなければ駄目だというところですね。これは
変わらないなと思いましたね 598 :無名草子さん:2012/03/30(金) 21:11:47.03
詩人の高橋睦郎も『西洋古典学事典』を愛読してやまないと聞いた。
納得した。
素晴らしい内容だから。
もしも三島由紀夫が生きていたなら絶賛するだろう。 153 :無名草子さん:
詩人の高橋睦郎も『西洋古典学事典』を愛読してやまないと聞いた。
納得した。
素晴らしい内容だから。
もしも三島由紀夫が生きていたなら絶賛するだろう。
総合★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 社会ってのは常に有為転変するものだ。若い連中はそれに合わせて、ちゃんとやっていけるけど、年寄りはそうはいかない。だもんだから「今の若いものは……」なんて批判する。
口で言うだけならまだいいが、伸びる芽まで摘んでしまっちゃ駄目だよね。そうなったら、「老害」以外の何物でもないからね。
そう考えたから、俺は第一線から身を引いたんだ。人間、はじめるよりも終りのほうが大事なんだよ。
本田宗一郎 すべての詩人、劇作家、小説家、エッセイスト、文芸評論家、そして文学関係の学者のみなさんについて、好き嫌いで判断しないようにしているし、事実、判断は不可能である。判断の基準は、あくまでも個々の作品だ。
退屈の皮をうまくかぶって日々を事なかれでやりすごしている自分が心底から揺り動かされる作品、それがわたしには「いい作品」ということになる。
三島由紀夫の仕事でいえば、彼の小説群や評論群で心を衝き動かされたことはない。しかし、三島戯曲の中にはすごい作品がある。とくに『サド侯爵夫人』は、
その完璧なまでに空虚な構造、噴飯物寸前のみごとな台詞修辞法によって、二十世紀の世界劇文学を代表するに足る一作である。
三島自決の報は、市川市の自宅で聞いた。ちょうど『十一ぴきのネコ』という戯曲を書いている最中で、わたしはとっさに、「この作家は、結局のところ書くという仕事がつまらなくなったのだな」と思った。やがて事情がわかってくるにつれて、
「この偉大な劇詩人は森田必勝という青年によって黄泉の国に強引に連れ去られてしまったのではないか」と考えるようになった。最近、中村彰彦さんの著書を読んで、
この考えは確信に近くなっている。三島さんの真剣めかした遊びは、生真面目な狂気に破れてしまったのである。
三島以後の日本は、ますますアメリカ合衆国のお稚児さんになってきたようだ。そのうちにアメリカの准州になるかもしれないが、それを防ぐためには、三島さんの嫌っていた日本国憲法を攻撃的に駆使するしかない。そのためにも、わたしには筆がある 「わたしは三島由紀夫のイデオロギーがどんなものであったか知らないし、興味がない。三島由紀夫について考えるとき、興味があるのは、三島自身及びメディアが、個人の問いを共同体の問いにすり替えてしまったのではないかということに尽きる。」
村上龍
「三島由紀夫没後三十年に思うこと」『新潮11月臨時増刊』 文化】ゲイの世界遺産...ハッテン場発祥の地「竹の家旅館」探訪記
当時は同種の施設がなかったこともあり、経営は大当たり。大阪や東京のみならず
日本全国からゲイが集まり、個室も大部屋も常に満員御礼の状態だったという。
噂は外国まで飛び、「グリーンハウス」として、その道の人々の日本必訪スポットとなった。
有名人の常連では、三島由紀夫はもちろんのこと、ラジオでも活躍した大物俳優、
一世を風靡したファッションデザイナー、レジェンド級のプロ野球選手なども足しげく通っていたそうだ ■憲法9条について
三島「僕、憲法9条が全部いけないって言ってるんじゃないんです。つまり、人類がですね、戦争しないってことは立派なことです。
第2項がいけないでしょ。第2項がとにかく念押しの規定をしているんです。アメリカ占領軍がね。念押しの指摘しているのを日本の変な学者がね、
逆解釈してね、自衛隊を認めているわけでしょ。そういうことをやって、日本人はごまかし、ごまかし生きてきた。二十何年間。で、僕は大嫌いなんですよ、そういうことは。僕は、人間はごまかしてね、そうやって生きていくことは耐えられない。本当、嫌いですね」 ■自らの行動について
三島「僕の小説よりも僕の行動の方が分かりにくいんだ、という自信がある。
僕が死んでね、50年か100年たつとね、『ああわかった』という人がいるかもしれない。それでも構わん」
■死生観について
三島「生きているうちは人間みんな、何らかの意味でピエロです。人間は死んだときに初めて人間になる。人間の形をとる。
死んだときに。なぜかって、運命がヘルプしますから。運命がなければ、人間は人間の形をとれないんです。でも、生きているうちはその人間の運命が何か分からないんですよ」 ■自身の小説について
三島「僕の文学の欠点は、小説の構成が劇的すぎることだと思うんです。ドラマチックでありすぎる。どうしても自分でやむをえない衝動があるんですね。大きな川の流れのような小説は僕には書けない」
■川端康成について
三島「川端さんの文章は、ある場合は睡眠薬が助けてくれるというのもありますけどね(笑)。
でも、ジャンプするのがすごいんですよ。怖いようなジャンプをするんですよ。僕、ああいう文章、書けないな。怖くて」
■死について
三島「死がね、自分の中に完全にフィックスしたのはね、自分の肉体ができてからだと思うんです。死の位置が肉体の外から中に入ってきた気がするんです」 ◯自身の作品について
「僕は油絵的に文章をみんな塗っちゃうんです。僕にはそういう欠点があるんですね。
日本的な余白がある絵ってあるでしょう。それが僕は嫌いなんです」
◯憲法について
「平和憲法は、偽善です。憲法は、日本人に死ねと言っているんですよ」
◯美について
「美とは、何か。自分の一回しかない時間を奪い、塗りつぶし陶酔する濃密なかたまり」
◯このインタビューについて
「これは、ひとつのコンフェッション(告白)なんです」
◯思想の主張について
「僕は今の日本じゃ、言葉を正すこと以外に道はないんだろうなって思い詰めている。
文体でしか思想が主張できない」
◯子供時代の気持ち
「僕は、ショーウインドーで見た空気銃が欲しいね、欲しいねって友達と話していた。
それが何十年かたって、どうしても鉄砲が欲しくなったのと同じでしょうか。
あっはははははは。かかかかか」 深川図書館特殊部落
同和加配
人ボコボコぶんなぐってもOK お咎めなし
ガキどもが走り回る 見て見ぬふり
公務員による恣意行為
etc
なんのための施設か? →特殊な関係用 深川図書館特殊部落
同和加配
奇声あげて人をボコボコにぶんなぐってもOK お咎めなし
ガキどもが走り回る 見て見ぬふり
公務員による恣意行為
etc
なんのための施設か? →特殊な関係用 ともに面白いことには違いがないが、「切腹」は芸術的に優れていると言い(昭和37年9月)、
「天国と地獄」は芸術的にはどうかと言うほどのものでもない(昭和38年3月)と評している。黒澤については昭和43年1月、
三島由紀夫・大島渚・小川徹(司会)の対談で≪ テクニシャンですよ。すばらしいテクニシャンですよ。思想はない。
思想はまあ中学生くらいですね 坂口安吾は、何もかも洞察してゐた。底の底まで見透かしてゐたから、明るくて、決してメソメソせず、生活は生活で、立派に狂的だつた。坂口安吾の文学を読むと、私はいつもトンネルを感じる。なぜだらう。
余計なものがなく、ガランとしてゐて、空つ風が吹きとほつて、しかもそれが一方から一方への単純な通路であることは明白で、向う側には、
夢のやうに明るい丸い遠景の光りが浮かんでゐる。この人は、未来を怖れもせず、愛しもしなかつた。未来まで、この人はトンネルのやうな体ごと、
スポンと抜けてゐたからだ。太宰が甘口の酒とすれば、坂口はジンだ。ウォッカだ。純粋なアルコホル分はこちらのはうにあるのである。
—  三島由紀夫 村上龍BOT‏ @RyuMurakamiBT · 11月1日
絶望した時に発狂から救ってくれるのは、友人でもカウンセラーでもなく、プライドである。
三島由紀夫‏ @Mishima__Bot · 12 時間12 時間前
「絶望する者」のみが現代を全的に生きてゐる。 そこで先輩選手に交じって練習すると、スイングスピードが違っていたり、制球が抜群に良かったりするものだから、そこで自分の実力と比較する。『オレの来るような世界じゃなかった』と絶望感に打ちひしがれるのも、ある意味、仕方のないことかもしれない。
だが、本当の勝負はそこからだ。プロのレベルの高さを身に沁みて痛感したときに自分はどういう選手になるべきか。自分では長距離打者だと思っていたのに、プロに入ったらそうなれそうもないと悟ったら、
どういうプレーヤーを目指すべきか。あるいは制球に苦しんでいたら、現状をどう打破していけばいいのか。そこから己との格闘が始まる。
人間には技術的限界があるが、挑戦することには限界がない。どんな人間にも技術的な限界はいつかやってくる。たとえ1年目に好成績を残しても、2年目には相手から研究し尽くされ、1年目と同じような成績を残せない。
俗にいう『2年目のジンクス』は、相手の執拗なまでの研究と、己の慢心が招いた結果だと分析しているが、持って生まれたセンスだけで通用するほどプロの世界は甘くない。
そのことを理解していれば、たとえ技術的な限界にぶつかっても、『このままじゃいけない』という危機意識と飽くなき探求心が芽生えてくるものだ。
昔も今も、プロ野球の第一線で活躍している選手は、皆技術的な壁にぶつかってそれを乗り越えてきた。そのために必要なのは、頭を使って創意工夫を積み重ねていく重要性に気づくことだ」 一般書籍よりもおすすめてきにネットで得する情報とか
グーグル検索⇒『稲本のメツイオウレフフレゼ
TDSGJ 女は「きれいね」と、云はれること以外は、みんな悪口だと解釈する特権を持つてゐる。なぜなら男が、 「あいつは頭がいい」と云はれるのは、それだけのことだが、
女が「あの人は頭がいい」と云はれるのは、概して その前に美人ではないけれどといふ言葉が略されてゐると思つてまちがひないからです。
相手の気持ちをかまはぬ、しつこい愛情は、大てい劣等感の産物と見抜かれて、ますます相手から嫌はれる羽目になる ドラえもん
「病院をでたとき、かすかに東の空が白んではいたが、頭の上はまだ一面の星空だった
こんな広い宇宙の片すみに、ぼくの血をうけついだ生命がいま、うまれたんだ
そう思うとむやみに感動しちゃって涙がとまらなかったよ」
「それからの毎日、楽しかった日、みちたりた日々の思い出こそ、 きみからの最高の贈り物だったんだよ
少しぐらいさびしくても、思い出があたためてくれるさそんなこと気にかけなくていいんだよ」
しずかちゃんは心の底にあった言葉をパパに正直に告げます
「あたし……不安なの。うまくやっていけるかしら」
次のパパの言葉はこうです
「やれるとものび太くんを信じなさいのび太くんを選んだきみの判断は正しかったと思うよ
あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ
それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね
彼なら、まちがいなくきみをしあわせにしてくれるとぼくは信じているよ 山下清澄の版画には、古いローマ風の建物や模様化された木々や草花、妖精のような裸婦などが装飾的に配置され、独特の詩的で幻想的な世界が広がっています。
かつて三島由紀夫は山下清澄の絵について、「何かが起ろうとして起らず、慰籍が諦念と結びついている ※元山口組二次団体最高幹部“極道作家”沖田臥竜が描くリアルアウトロー書籍!
『絶賛好評発売中!』
【沖田臥竜(おきた・がりょう)とはいったい何者なのか?】
※元山口組二次団体最高幹部/作家。兵庫県尼崎市出身。76年生まれ。元山口組二次団体最高幹部。
所属組織の組長引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。
以来、ネット媒体、新聞、書籍などで作家として執筆活動を始める。
ヤクザに関する多数の記事をウェブサイトや週刊誌、夕刊紙などに寄稿しており、書籍も発売している!
★http://biz-journal.jp/2018/03/post_22732_3.html
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【沖田臥竜 / 著書】
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ディープすぎる街、兵庫県・尼崎を舞台に、常識破りのアウトローたちが織りなす群像劇!⇒ https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4866250968?qid=1516180083&ref=aw_d_ol_books&sr=1-1
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★『惡問』のすゝめ 「猫組」有名講師陣による禁断のドリル ~ヤクザ・暴走族の知られざる実態~
※ヤクザの起源から暴力団への変容を歴史的背景から解説!
暴走族と関東連合など半グレと呼ばれる、新しい不良集団の実態についても詳しく解説!⇒ https://www.amazon.co.jp/dp/4198643288
★沖田臥竜 Twitter
https://twitter.com/garyookita
https://twitter.com/pinlkiai
http://twitter.com/4649okita
★沖田臥竜 blog
http://ameblo.jp/ts217ts217/ 黒白の画面の美しさはすばらしく、全体に重厚沈痛の趣きがあり、しかもふしぎなシュール・レアリスティックな美しさを持つてゐる。放火前に主人公が、すでに人手に渡つた故郷の寺を見に来て、
みしらぬ住職が梵妻に送られて出てくる山門が、居ながらにして回想の場面に移り、同じ山門から、
突然粛々と葬列があらはれるところは、怖しい白日夢を見るやうである。俳優も、雷蔵の主人公といひ、鴈治郎の住職といひ、これ以上は望めないほどだ。試写会のあとの座談会で、市川崑監督と雷蔵君を前に、私は手ばなしで褒めた。
かういふ映画は是非外国へ持つて行くべきである。センチメンタリズムの少しもないところが、外国人にうけるだらう。
— 三島由紀夫「日記――裸体と衣裳」(
三島由紀夫氏の小説「金閣寺」に於ける金閣は、主人公にとって、一つの主観的な美意識であり、映画が追究するには厄介な対象であった。ところが市川監督は、映画化に際し、この『金閣』を、主人公の父親への愛情と、
社会的な正義感の結晶に転換し、彼の金閣に対する愛情を見事に客観的に描き出したのである。『炎上』はその意味で、小説の鮮やかな映画的再構成と言えるであらう。
— 増村保造「原作映画とその映画化」[ 【AFP=時事】オウム真理教(Aum Shinrikyo)の元幹部ら13人の死刑が今月執行されたことを受け、作家の村上春樹(Haruki Murakami)
氏が29日付の毎日新聞(Mainichi Shimbun)に寄稿し、自身は死刑制度に反対の立場だとしながらも、今回の執行には反対だと公言できないとの考えを示した。
村上氏は自身について一般的には「死刑制度そのものに反対する立場」だとした上で、地下鉄サリン事件の被害者への
インタビューをまとめた「アンダーグラウンド(Underground)」(1995年)を執筆する過程において事件の被害者や遺族の苦しみに触れた体験から、
「『私は死刑制度に反対です』とは、少なくともこの件に関しては、簡単に公言できないでいる」としている。
その一方、村上氏は死刑執行によりオウム関連の事件が終わるわけではないと指摘し、今回の執行に「事件の幕引きにしよう」という意図や
「死刑という制度をより恒常的なものにしよう」という思惑があったとすれば、「そのような戦略の存在は決して許されるべきではない」と断じている。
2018年7月29日 21時27分 ※元山口組二次団体最高幹部“極道作家”沖田臥竜(おきた・がりょう)が描く“最新刊”新ノワール小説!
山口組分裂騒動以降、さまざまな内部情報を各媒体で発表してきた気鋭の書き手、沖田臥竜氏による“最新刊”小説――
※沖田臥竜氏が塀の中の独居房で、果てしなく続く孤独と対峙しながら書き始めた小説『死に体』――
★『 死 に 体 』 ((単行本)) 発売日:2018/7/26 価格:\1,296
〓〓 全 国 書 店 に て 絶 賛 好 評 発 売 中 ! 本 屋 さ ん 店 頭 お 取 り 寄 せ も ♪ 〓〓
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【死に体・著者/沖田臥竜(おきた・がりょう)とはいったい何者なのか?】
※元山口組二次団体最高幹部/兵庫県尼崎市出身。76年生まれ。
20代でヤクザ渡世に身を投じ、通算12年間を刑務所で過ごす。服役中から執筆活動を開始!
出所後は六代目山口組二次団体で若頭代行を務めていたが、2014年の親分の引退を機に渡世から足を洗う。
以来、ヤクザに関する多数の記事をネット媒体、新聞、週刊誌などに寄稿しており、書籍も発売している!
〓死に体・内容紹介〓
死刑宣告を受けた元ヤクザ・伊丹杏樹。彼のすさんだ人生は、処刑台に上がるまでのたった3年あまりで大きく変化することになる。
社会から隔絶された空間で「死に体」なった死刑囚に何が起こったのか?――。
12年もの獄中生活を経験した著者(沖田臥竜氏)だからこそ書ける
リアルな獄中風景と心理描写、アングラ社会の実態、そして、愛や絆の尊さ……
最期に放たれる「母からの言葉」と「遺書に込められた想い」に涙すること必須の感動作!
命を以って、罪を償う。決断した男に去来した想いとは―――。
※元山口組系組長で評論家の猫組長氏いわく「究極の死と愛の物語である!」と大絶賛し太鼓判を押した本作をぜひご覧ください!
★沖田臥竜 Twitter
https://twitter.com/pinlkiai
https://twitter.com/garyookita
★沖田臥竜 blog
http://ameblo.jp/ts217ts217/
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 三島由紀夫の死、
「狂ったとしか思えない」
「基地外はどこにでもいる」
以上。 他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 9
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1524579725/23
23 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2018/04/24(火) 23:45:01.09 ID:WlJCnZ6W
425 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2011/07/31(日) 19:31:54.46 0
「自国ではなく宗主国と関係を持ちたがるのは、全ての植民地に固有のことである。
白人の革命的戦略を分析せず、躊躇もせずに受け入れるのも同じである。
植民地化された者にとっては、解放がキリスト教の聖なる光のように、やはり海外から
自分を文明化するヨーロッパのもう一つの産物として、小包みのようにして届くのを
見るのは当たり前のことに映る」
ラミロ・レイナガ 三島由紀夫は『文化防衛論』の中で、ペタン政府がパリを無血開城したことについて、次のように評価している。「(中略)中世以来の建築的精華に充ちたパリの破壊を免れるために、これを敵の手に渡したペタンの行為によくあらわれている
。パリは一フランスの文化であるのみではなく、人類全体の文化的遺産であるから、これを破壊から護ることについては敵味方は一致するが、政治的局面においては、一方が他方に降伏したのである。
そして国民精神を代償として、パリの保存を購ったのである。このことは明らかに国民精神に荒廃をもたらしたが、それは目に見えぬ破壊であり、目に見える破壊に比べたらはるかに恕しうるものだった!」 三島の説得に川端と石原は同じタクシーで乗り付けたが
廊下の血の匂いで石原は動けず 川端は腰が抜けてヘタリ込んだ
そこに中曽根が現れツカツカと入室
転がった三島の首に
「アンタ何て事してくれたんだああああああ!」と怒鳴っていた
現場自衛官証言 三島由紀夫が決起8か月前、川端康成に「私には心霊的能力が欠けてゐる」…書簡発見
作家の三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入し、割腹自殺する8か月前の1970年3月、
師と仰いだ川端康成宛てに送った書簡が見つかった。「決起」に向けた計画を立て始めていたとされる
時期で、専門家は「書簡からは、三島が当時の政治的状況に失望し、自身の最期を具体的に考え始める
転機となった時期であることがわかる」と話す。書簡は全集にも収録されておらず、川端没後50年に
向け、資料を整理中に発見された。便箋2枚で、自ら主宰する軍隊的集団「楯の会」の会員らを率いて
3月1日から1か月弱、体験入隊していた静岡県御殿場市の自衛隊の施設から出されていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/33523da0cb2236272c72fab72e650132ca92570a 自殺じゃないんだって
演説後取り押さえられて殺されたのが真実 ここに詳しく書いてあるから読んでくれ
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