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【何もかもが】司馬遼太郎アンチスレ【嫌い】

0001無名草子さん
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2011/10/15(土) 23:22:01.94
司馬遼太郎の一方的な決め付けが嫌い。
そのクセ裸眼の思索者とか馬鹿?
0236無名草子さん
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2019/04/18(木) 21:55:19.47
大嫌いというほどじゃないが、余計なエロシーンがうざいときがあった
0237無名草子さん
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2019/05/22(水) 01:00:05.94
吉本隆明bot‏ @T_Yoshimoto · 5月20日

司馬の作品から歴史を学ぶというのは、学者としては甘い態度です。
そんないい加減な態度では「本当の歴史」はわかりません。 『私の「戦争論」』 
0238無名草子さん
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2019/05/22(水) 18:54:33.63
それに関しては吉本が言うな思うけどな
0239無名草子さん
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2019/09/07(土) 22:40:27.28
>>2
寝待ちの藤兵衛とかオリキャラが竜馬を慕う理由が無理有りすぎて、出来の良いラノベって感じ、あまりに主役に都合がよすぎ
0240無名草子さん
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2020/06/07(日) 14:46:13.40
司馬遼太郎
唯一の推理小説にして本人が大嫌いな作品と公言している「豚と薔薇」のあとがきには、
以下のように記されている。

“他人の秘事を、なぜあれほどの執拗さであばきたてねばならないのか、
その情熱の根源がわからない。それらの探偵たちの変質的な詮索癖こそ、
小説のテーマであり、もしくは、精神病学の研究対象ではないか”

昭和33年に松本清張の「点と線」が出版され、推理小説ブームの濫觴が見え始めた時期
の文章である
こんなことを書けば、松本清張が司馬遼太郎を嫌うのも無理はない
0241無名草子さん
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2020/08/25(火) 22:52:15.37
余談であるが、
ひとむかしまえの経営者の愛読書はほぼ司馬遼太郎だという真実を我々はわすれてはならない
0244無名草子さん
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2021/05/15(土) 01:25:48.06
・副島「ウソは、司馬遼太郎もヒドい。彼は、対モンゴル戦争用の情報将校ですからね。司馬の小説は作り話のウソばっかりだ。」(123頁)

→司馬の配属は一貫して戦車部隊である。終戦時の階級は少尉。
情報将校というような役回りではなく、戦時中にモンゴルとの関わりもなかった
0245無名草子さん
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2021/05/27(木) 00:44:00.90
1.井上ひさし氏との対談
@司馬:関西人から見ると東京は東北人が作ったと考えるところがある。A井上:東北人から見ると東京は長州人(と薩摩人)が作ったと考えるところがある。B司馬:合理主義というのは哲学者が生んだものではなく、貨幣経済が密度高く行われることにより生まれた。京都で室町時代から貨幣経済が稠密に行われ、
その余波を受けたのは大坂ぐらい。それ以外は明治以後。C井上:奥羽山脈とつながりの少ない福島県と宮城県は東北ではなく準東北で、東北は山形、秋田、岩手、青森という感じ。

2.大野晋学習院大学名誉教授との対談
@司馬:日本語にはラリルレロから始まる言葉がない。ろうそく、ラッパ、らっきょうとかは漢語。江戸時代にロシアをオロシャとしか言えなかった。AB司馬/大野:母音をたっぷり発音するのは関西式発音で必ず聞き手にわかる。関東では荒っぽく母音を落とすことがあり聞いて非常にわかりにくい。大阪の漫才は日本語の正統な流れ。
C大野:漢字が日本に入ってから1500年。その間に漢字を日本語の造語要素として採り入れながら使いこなしてきた。あまり漢字制限するのは文化的に不得策。

3.徳川宗賢学習院大学教授との対談
@徳川:関西風の言葉の調子(母音を融合させない)も西の方へ行くとあるところで止まってしまう。中国地方は上方と違っても、海を隔てた四国が上方に近い。A司馬:広島、岡山が関西からみれば標準語に近く聞こえる。阿波、伊予へ行くと私らが失った上方弁をまだしゃべっている感じ。
B徳川:北のほうでは越前、加賀、能登、越中…、その辺までは上方風の感じ、そのはずれが佐渡。C司馬:若狭は上方ですけど、越前に行くと違うような感じで東国のにおいがやっぱりする。
0246無名草子さん
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2021/05/27(木) 00:44:27.42
4.多田道太郎京都大学名誉教授との対談
@A司馬/多田:美人は動きの中で見出される。静止したり写真に撮ったりすると美人じゃない人が多い。われわれが女性にひかれる場合の
一番のポイントというのは女性のしぐさである。B多田:ではどのような身振りをしたら一番魅力的に見えるか、
昔は人の目を見なかったとか、笑う時に口に手を当てるとかだったが今は必ずしもそうはいかない。
C多田/司馬:名は体をあらわすというのは、名前が人生に対するしぐさというか親の希望を表すわけで、名前はむしろ、親を判断する手がかりになる。

5.赤尾兜子氏(俳人)との対談
@ABC赤尾/司馬:(俳句というものは日本化された漢語イメージから成立する文芸かとの司馬の問いから始まって)俳句の原型になる基礎的な
構築の言葉の根は、漢語、漢文的系列によってこのわずか17音の詩を構築したということ。芭蕉自身が若いころ漢語まじりの作品をいっぱい書いている。
芭蕉はそれで自分の骨格をつかみ、その上で和語だけの(例えば)「さみだれを集めてはやし最上川」とか「何の木の花とは知らずにほひかな」となる。

6.松原正毅民俗学博物館センター長との対談
@松原:万葉仮名ができる6世紀後半くらいまで500年以上にわたり中国に営々と行っては漢籍を持ち帰り、漢文を習った連中が上層部に相当蓄積された。後に空海のような天才が出てくるが、
それを生むだけの厚い土壌が形成されたということだろう。A司馬:関東には百済から入植者が大量に入り、子音をうまくしゃべれる連中が沢山いた。東京の人が比較的うまく子音を言えるのは、
その残映と思う。私ら関西人はそれに劣等感も持ち、しまいには開き直り、我々の方が縄文の正統と思うところがある
0247無名草子さん
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2021/05/27(木) 00:46:12.05
日本人は明治維新で儒教をすてた。一時は廃仏毀釈で仏教まで捨てた。洋学に大転換した。これを文化大革命であるとすれば、
毛沢東中国がやった文化大革命などよりも底の底からひっくりかえしたという点でははるかに大がかりで徹底している。

司馬遼太郎『花神』より
0249無名草子さん
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2021/05/27(木) 16:52:39.74
司馬遼太郎は、長い間日本から遥かに遠い僻陬(へきすう)の海に位置するアイルランドに強い関心を持ち続けてきた。
その国はかつてシーザーも征服欲を
刺激されないといわれるほど厳しい風土の国であった。しかし司馬遼太郎はアイルランド人が
古代ケルト民族から受け継いできた比類ない「想像力」と、孤高の精神を見つめようとする

ヴィエルの<青春の痕跡>を追う。やはりスペイン・バスク出身のロヨラはパリでザヴィエルと出会い、
二人はやがてイエズス会を結成する。司馬さんは二人のバスク人キリスト者のなかに対照的な精神性を感じとった
0250無名草子さん
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2021/05/27(木) 16:53:21.77
司馬遼太郎氏が「新疆ウイグル自治区を訪ねて」(1975年)と題してエッセイを寄稿しています。このエッセイを読んで、とても印象に残った記述を以下に引用・掲載します。
『私は少年のころから、中国の内部または周辺にすむ少数民族のファンであったが、かつて新疆省とよばれたその地域は、上代、西域(狭義)とよばれた地で、東西文明の交渉史上、かぎりないロマンティシズムを秘めており、
今なおその古代的交渉の渦の中にあった諸民族の末裔がすんでいるのである。そのことはウイグル人たちの顔に象徴される。
モンゴロイドの諸民族が、白系人との混血によって、特異な容貌の民族をつくりあげ、西方の歌舞や音楽をタクラマカン沙漠の周辺でそだてあげ、いわゆるシルクロードの文化を保持してきた地域で、
アメリカ合衆国の少数民族も米国人であるように、このシルクロードの諸民族もまた、多民族国家であるところの中華人民共和国の人民なのである。』
この著書で、司馬遼太郎氏は35年前であっても、中華人民共和国の国の成り立ちを「多民族国家」と見做しています。漢民族が大多数であっても中原以外の周辺地域にはさまざまな民族が生活しています。そして、新疆に住む漢民族ではないウイグル人でも、
同じ中華人民共和国の人民とはっきりと断言しています。これは、司馬さんの中国に関する卓見した国家観です。
また、何がなんでも単一民族だけで一つの国家を作ろうとする短絡的な民族運動に、司馬さんは警鐘を鳴らしているのです。その不毛な民族対立が、住民の流血にまで発展してしまうからです
0251無名草子さん
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2021/05/28(金) 08:22:36.82
こんなスレあったんだね
でもみんなちゃんと読んでて偉い
自分は坂の上の雲を途中で挫折して司馬遼太郎作品合わないと思った
かなり頑張って読んでも文章が頭に入ってこず、確か4、5巻目あたりだったと思うけど2、3ページおきくらいに乃木ディスりが入ってくるのがウザすぎてブックオフ持ってった
作者は乃木希典が死ぬほど嫌いなんだなってことしかわからなかった
203高地以前のシーンがカケラも印象に残ってないことにも驚くけど、本当に根本的に合わなかったなと思う
0252無名草子さん
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2021/05/31(月) 01:12:50.16
「ペルシャの幻術師」
モンゴルびいきのモンゴル小説が読めるのかと思いきや、ナンの目から見たモンゴル人の描写が容赦なくてこう、いたたまれなくなってくる。ちびで粗野で、かっこいいはずの騎馬での戦闘もナンから見れば野蛮なだけで、
殺すことしか楽しみを持たない幼稚な馬鹿。その上、色恋下手。そばにいることを強制して逃げるのを許さないくせに「でも許しがない限り決して手は出さない」とか果てしなく嫌悪が募るだけですよ…
でも容赦がないだけで悪意は含まれてない気がするんだよなあ。別段美化も醜化もせず、正直に書いただけという感じ。ナンや幻術師アッサムはとてもきれいな「物語の登場人物」なのに、モンゴルの描写は生々しい。と、思う。

「兜率天の巡礼」
宗教が日本に根付かない理由について。
異端として追われ、コンスタンティノープルから長い長い流亡の果てに日本へたどり着いた普洞王の一行は、祖国とは異なる、その穏やかな気候に驚く。ここでは、自然は人間に牙を向かない。
「このようなくにに住む者達は、一体、悪というものを知っているであろうか。悪を知らなければ、おそらく善をも知るまい。善悪を知らずして生涯をすごせる天地こそ、天国というべきであろう。」
この地の人びとにとって、神とは生きていく指針を与える厳格な主人ではなく、生活の隣で一緒に暮らす友人だった
0253無名草子さん
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2021/06/04(金) 14:15:08.56
司馬遼太郎のものは、僕らは短編だったら面白いと思って読みますけれど、長いものはとても読めないですよ。もうがまんできない、
いやもういいよとなっちゃうんです。ボクシングと同じで、たとえば強いパンチをばっかり打っていると、
相手はそれに慣れちゃって倒れないんです。だけど、弱いのを入れながらときどき強いのを出すと、これが効いて倒れるんです。ようするに
、司馬遼太郎にはパンチに強弱がなくて、いつでもある一定の強さのパンチばかり打っているんです。それは一見、弱いパンチよりいいだろうと思うかもしれませんが、
そうじゃないんですね。ボクシングを見ている人ならすぐわかると思いま
す。
(「家族・老人・男女・同性愛をめぐって」2002.10.7談話収録 「吉本隆明が語る戦後55年第10巻」2003.3.10三交社に収録された)
0254無名草子さん
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2021/06/16(水) 06:30:22.28
司馬遼太郎は嘘と誇張ばっか。
事実を捻じ曲げて都合の良いように解釈して、最悪な人間
0255無名草子さん
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2021/07/02(金) 11:20:26.15
司馬遼太郎

「韓国への想いのたけというのが深すぎて、ひとことでは言いにくかったのである。私は、日本人の祖先の国にゆくのだと、ということを言おうと思った。」

「飛鳥文化は百済文化をぬきにして語れない。王朝文化は百済と同じ。ほとんど百済ぐるみが日本にひっこしたのではないかという想像が『日本書紀』の記述によって可能だ。白鳳期といわれる芸術時代が花をひらくのも、亡命百済人たちが日本の宮廷に収容されたことをはずしては考えられない。」

「日本の奈良朝以前の文化は、 百済人と新羅人の力によるどころが大きい。さらに土地開拓という点でも、大和の飛鳥や、近江は百済人の力で開かれたといってよく、関東の開拓は新羅人の存在を無視しては語れない。盆踊りは朝鮮の野踊りからきたものではないか。平安時代には野踊りが盛んであった。」

「百済は北朝にたよらず、もっぱら揚子江以南の南朝にたより、その文化的影響を濃厚にうけた。その百済の影響を飛鳥期の日本がうけるため -- つまりは江南の六朝の文化がはるか極東の島へ飛び渡って -- 飛鳥文化の華をひらくというふしぎな作用をもたらすのである。百済が、南朝 (六朝) の文化を模條したことが、この国の性格と運命を決定したといえるであろう。」
0256無名草子さん
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2021/07/02(金) 11:21:08.36
司馬遼太郎

「壱岐には、唐人 -- 漂流朝鮮人であろう -- を祀った古趾が多い。海のむこうから来た客人を神に近いものとして崇敬する民俗が西日本の島々や海浜にあった。対馬・壱岐が、朝鮮からやってきた鹿卜の受け皿になっていたことは、まぎれもない。この時期の対馬・壱岐というのは、本土に対してもっとも華やかな位置を占めた時代であった。」

「卜占という古代における一種の科学を含んだ日本神道は、壱岐・対馬からはじまっているのである。対馬の道を往きつつ右のように考えてくると、日本の神道が決して日本列島固有のものではなかったということがわかる。神道というものの原型が、 朝鮮からきたか、 表現を変えれば共通の時期があったと想像することは、 想像という言葉が大げさなほどに自然なことである。」

「稲作の伝来に関して想像すると、たしかに中国南部からもきたであろう。しかし主として朝鮮半島を経由してきたという説はうごかしがたい。三世紀の対馬の卑狗も、四世紀後半から五世紀の人と思われる鶏知の前方後円墳のぬしも、朝鮮半島や博多湾沿岸のひとびととおなじ型の米を食っていたであろう。」
0257無名草子さん
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2021/07/03(土) 11:13:33.53
司馬遼太郎のものは、僕らは短編だったら面白いと思って読みますけれど、長いものはとても読めないですよ。もうがまんできない、
いやもういいよとなっちゃうんです。ボクシングと同じで、たとえば強いパンチをばっかり打っていると、相手はそれに慣れちゃって倒れないんです。
だけど、弱いのを入れながらときどき強いのを出すと、これが効いて倒れるんです。ようするに、司馬遼太郎にはパンチに強弱がなくて、いつでもある一定の強さのパンチばかり打っているんです。
それは一見、弱いパンチよりいいだろうと思うかもしれませんが、そうじゃないんですね。ボクシングを見ている人ならすぐわかると思いま
す。
(「家族・老人・男女・同性愛をめぐって」2002.10.7談話収録 「吉本隆明が語る戦後55年第10
0258無名草子さん
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2021/07/03(土) 11:14:38.71
本気で小説家としてやっていくとしたら、内容プラス文体なんですよ。本気で読むほうだって内容プラス文体で読むわけですよ。文芸書というものは。
まずはその人の文体の癖が大事なのに、それを無くすとどうなるかというと、ボクシングでいえばパンチに強弱がなくなるんです。
文体の癖を無くしてわかりやすくすると、リズムがつかないんです。それがいいと思っているわけだからしょうがないですけれどね。
(「家族・老人・男女・同性愛をめぐって」2002.10.7談話収録 「吉本隆明が語る戦後55年第10巻」
0259無名草子さん
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2021/08/12(木) 00:19:10.10
司馬がノモンハンの小説を書けなくなったいきさつとして、司馬の内面的な問題だけではないとする指摘もある。司馬はノモンハン事件の調査を進めていく中で、ノモンハン事件で責任を取らされて予備役行きとなり、戦後に長野県上山田温泉で温泉宿を経営していた
歩兵第26連隊長の須見新一郎元大佐と知り合った。連隊長解任の経緯から軍中央の参謀に不快感を抱いていた須見は、参謀を「悪魔」と罵倒するほどであり、昭和軍部に批判的であった司馬と意気投合している[535]。
須見は謹厳実直な陸軍軍人ながら、明確に日本陸軍の作戦用兵に対しては批判的であり、
司馬の小説の構想にうってつけの人物であったため、司馬は須見を主人公のモデルとして小説を書こうと決めて、
熱心に上山田温泉通いをしていた[536]。そんな中で、1974年の『文藝春秋』正月号で司馬は参謀本部元参謀で伊藤忠商事の副社長だった瀬島龍三と対談し、それが記事となった。
須見は、中央のエリート参謀であった瀬島に対して「あのインチキめ」と腹立たしく思っており、その瀬島と対談した司馬に対して
「あんな不埒な奴にニコニコと対談し、反論せずにすませる作家は信用できん」と激高し、今までの取材内容を使用するのはまかりならんと絶縁状を司馬に送り付けている[537]。
絶縁状を送り付けられた司馬は、須見を主人公のモデルとする構想が挫折したため、ノモンハン事件の小説が書くのが困難となってしまった[538][539][540]。
後に司馬はこの時を振り返り「もしぼくがノモンハンを書くとしたら血管が破裂すると思う」と述べるほど追い詰められている[531]。
ノモンハン事件ではないが、司馬は自分の戦車兵時代の話を、同じく司馬原作のテレビドラマ『梟の城』の後番組としてテレビドラマ化を目指していたが、これも撮影困難として挫折した経緯があ
0260無名草子さん
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2021/08/22(日) 00:10:25.55
北斗の人の周作は自分の人生のなぞらえでもあるんだろうな。妻子が栄達のたがになるような記載も何回か出てきたし。
0261無名草子さん
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2021/12/25(土) 22:26:23.31
岡潔対談集 (朝日文庫) 文庫 2021/5/7
司馬遼太郎が学徒出陣で終戦まで満州に居て捕虜にならずに帰国した、と聞いて「、、前世ではろくなことはしていないだろうけど
、現世ではやがてよいことをするだろうということになっているのですよ、きっと」(だから、よい仕事をせよ)と語りますが、
このとき司馬遼太郎46才、坂の上の雲を産経新聞に連載して文名大いに上がりかけた頃です。 
司馬が「ソクラテスやお釈迦さんは未開の時代だったからこそあんな深い思索が出来たのだと思います」と語るのに対して岡先生:さりとて未開へ行けと奨励するわけにもいかん。
だから文士というものの使命がある。もしそうでなければ、文士とは溜まり水に湧いたボウフラとしか考えようがない。

井上靖との對談「美へのいざない」は美學を通して日本人の宗教や外来文化への態度、教育の問題等を話題にして居ます
0262無名草子さん
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2021/12/26(日) 23:09:39.03
宮崎正弘の国際ニュース・早読み<<今週の書棚>>より
福井雄三『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』(主婦の友社)

過日、或るシンポジウムで著者の福井教授とご一緒した。
話題はノモンハン事件から近代現代史の誤謬をめぐる企画で、話題が集中したのは
従来ソ連が勝った! 勝った! と宣伝されてきた日本軍とソ連軍との軍事衝突の真実である。
評者(宮崎)はノモンハン現場の現状から説明を始めた。

冷戦が終わってロシアがいくぶん民主化されたおりに、夥しい機密文書が世に出た。
毛沢東の機密に関してはユン・チャン(『ワイルドスワン』の著者)が、それらの
機密文書を詳細に追跡し、十年がかりで『毛沢東、知られざる真実』を書いた(本邦未訳)。

ノモンハンは日本がかろうじて勝っていた事実が判明し、これまでの五味川純平、
司馬遼太郎、半藤一利、田原聡一郎などが主張してきた巧妙な左翼の嘘がばれた。
とりわけ司馬遼太郎は、デタラメな軍事史観をもとに全てを一方的に判定する癖
がある。その売国的歴史観を「乱世史観」と称したことは有名だが、『坂の上の雲』は、軍事データや作戦の齟齬に関する誤謬に満ちている。

乃木大将が愚かであった、と分析すること自体、歴史の嘘を踏襲し、みずからの
歴史しらずを晒しているようなものだが、これまで不思議なことに司馬氏への批
判がすくなかった理由は、司馬遼太郎の小説がいまも飛ぶように売れるため、出版社、新聞社が司馬遼太郎批判を忌避してきたからである。
そのタブーも破られる日がきた。
福井氏は、何が真実であるかを読者に誠実に木訥に提示し、しかし大胆に歴史を問
い直す作業に挑まれてきた。本書は司馬遼太郎批判を、『中央公論』に書いたこと
が端緒となって編集者が強く単行本化を従容し、その後の考察が加わった力作となった。
0263無名草子さん
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2021/12/26(日) 23:15:28.25
坂の上の雲』は間違いばかり、「乃木愚将論」は真っ赤な嘘!
実は乃木大将が「戦上手」だったからこそ、日本は救われた――。

司馬遼太郎が『坂の上の雲』や『殉死』で描き出した乃木希典像は、「愚将」「戦下手」などというものであった。だが、実際の乃木は、まったく違っていた。
0264無名草子さん
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2022/01/14(金) 13:58:50.00
司馬遼太郎は紀行文集『街道をゆく2 韓のくに紀行』で、沙也可が日本名「サエモン」の音訳、あるいは「サイカ(雑賀)」のことではないかと推理した
0265無名草子さん
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2022/02/08(火) 06:25:39.66
>>215
それは小説読もうが読みまいが勉強のできないお頭の弱い子の言い分だな
0266無名草子さん
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2022/02/12(土) 10:33:15.66
司馬遼太郎
 「山口県というのは日本では朝鮮の血液的影響をもっとも多く受けたものの一つですから、
  それももう古代じゃなくて、ごく近代にいたるまで受けつづけてきたところですから。
  そういうことがあって、長州的思考法というのは、ぼくなんかは朝鮮人的なタイプだと思うんです。」
0267無名草子さん
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2022/02/12(土) 10:47:46.84
司馬遼太郎
「平安時代までの日本文化は外国のもの。日本が日本らしくなったのは鎌倉時代以降であろう。」

「飛鳥文化は百済文化をぬきにして語れない。平安時代までの日本文化は外国のもの。盆踊りは朝鮮の野踊りからきたものではないか。平安時代には野踊りが盛んであった。

」「壱岐には、唐人 -- 漂流朝鮮人であろう -- を祀った古趾が多い。海のむこうから来た客人を神に近いものとして崇敬する民俗が西日本の島々や海浜にあった。」

「ほとんど百済ぐるみが日本にひっこしたのではないかという想像が『日本書紀』の記述によって可能だ。」

「卜占という古代における一種の科学を含んだ日本神道は、壱岐・対馬からはじまっているのである。」

「稲作の伝来に関して想像すると、たしかに中国南部からもきたであろう。しかし主として朝鮮半島を経由してきたという説はうごかしがたい。三世紀の対馬の卑狗も、四世紀後半から五世紀の人と思われる鶏知の前方後円墳のぬしも、朝鮮半島や博多湾沿岸のひとびととおなじ型の米を食っていたであろう。」
0268無名草子さん
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2022/02/12(土) 10:48:10.88
「対馬・壱岐が、朝鮮からやってきた鹿卜の受け皿になっていたことは、まぎれもない。対馬の道を往きつつ右のように考えてくると、日本の神道が決して日本列島固有のものではなかったということがわかる。この時期の対馬・壱岐というのは、本土に対してもっとも華やかな位置を占めた時代であった。」

「朝鮮は水がなすくない上に、しばしば大きなひでりがあり、そういう年の冬には、「対岸へいこう」という連中が多かったであろう。 日本列島は幸いにも初夏に梅雨があり、初秋に台風があって、耕作のための水に不自由 しない。われわれ日本人の血に朝鮮半島通過の血液がまじるのは、日本の水がそれを呼び、この海域を吹く風がそれを運んできたものにちがいない。」

「韓国への想いのたけというのが深すぎて、ひとことでは言いにくかったのである。私は、日本人の祖先の国にゆくのだと、ということを言おうと思った。」

「日本の奈良朝以前の文化は、 百済人と新羅人の力によるどころが大きい。さらに土地開拓という点でも、大和の飛鳥や、近江は百済人の力で開かれたといってよく、関東の開拓は新羅人の存在を無視しては語れない。」

「百済は北朝にたよらず、もっぱら揚子江以南の南朝にたより、その文化的影響を濃厚にうけた。その百済の影響を飛鳥期の日本がうけるため -- つまりは江南の六朝の文化がはるか
極東の島へ飛び渡って -- 飛鳥文化の華をひらくというふしぎな作用をもたらすのである。百済が、南朝 (六朝) の文化を模條したことが、この国の性格と運命を決定したといえるであろう。」
0269無名草子さん
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2022/02/12(土) 10:52:38.84
司馬遼太郎
「律令体制が完成したのちの渡来人に対しては、大和では必要ないので、近江の開拓をさせたりする。その次にやってきたのは、関東平野に移住させる。

それがやがては旺盛な開墾能力を身につけ、のちの坂東武士団を形成する。
坂東武者は当時、源平藤橘を名乗っていますが、ぼくは子供のときから不思議に思っていたんです。

そんなはずがない。それは天皇、つまり京都秩序に自分の家はより近いというしるしだけなんですね。
単なる、平安末期の流行にすぎない。平安初期では、近畿の住民の三割までは新渡来人でしょう。

大半は奈良朝のある時期に移住した渡来人の子孫ですね。そうでなければ坂東武者のあのたけだけしい騎馬能力は説明つかない。

朝鮮半島の住民で騎馬能力があるのは常識的に考えて北の方の高句麗ですけれども、この高句麗と日本とは非常に密接な関係がありますね」
0270無名草子さん
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2022/02/12(土) 10:55:52.13
[司馬:日本の白兵というのは、一対一で日露戦争のときロシア軍とやるというのは、
向うの体格は大きいし、銃も長いし、結局これだろう。三人か四人一組で一人を
倒すというのは、新撰組もやっているんですね。赤穂浪士もやっているんですね。
だから、 自分を弱いものだとするリアリズムの最初だと思うんですよね。ここは
リアリズムが あるんです。ここから山県が、この成功を軸として日本陸軍を
つくった。]
0271無名草子さん
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2022/02/12(土) 11:00:01.14
司馬遼太郎
「自分を日本人と規定するより倭人と規定するほうが、ずっと自分がひろがってゆく感じがする」
0272無名草子さん
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2022/02/17(木) 12:40:37.69
歴史的結果としての日本は、世界のなかできわだった異国というべき国だった。
  国際社会や一国が置かれた環境など、いっさい顧慮しない伝統をもち、さらには、
  外国を顧慮しないということが正義であるというまでにいびつになっている。外
  国を顧慮することは、腰抜けであり、ときには国を売った者としてしか見られな
  い。その点、ロシアのほうが、まだしも物の常識とただの人情が政治の世界に通
  用する社会であった。   (司馬遼太郎氏著『菜の花の沖<六>』
0273無名草子さん
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2022/02/17(木) 12:41:06.81
私の連隊である戦車第一連隊は戦争の末期、満州から連隊ごと帰ってきて、北
  関東にいた。東京湾や相模湾に敵が上陸すれば出撃する任務をもたされていたが
  、もし敵が上陸したとして、「われわれが急ぎ南下する、そこへ東京都民が大八
  車に家財を積んで北へ逃げてくる。途中交通が混雑する。この場合はどうすれば
  よろしいのでありますか」と質問すると、大本営からきた少佐参謀が、「軍の作
  戦が先行する。国家のためである。ひっ殺してゆけ」といった。
               (司馬遼太郎氏著『歴史の中の日本』
0274無名草子さん
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2022/03/15(火) 19:50:08.84
『人間の集団について−ベトナムから考える』
「寿会のひとびと」「青木茂氏の風貌」「異郷を流浪する話」「桃太郎伝説」に登場するベトナム残留日本兵は、
青木茂氏ではなく落合茂氏である。ご本人が実名の公表を控えてもらいたいという希望をもたれていたと思われる。
現に同氏は本品が書かれた4年後である1977年、公安関係者から「日本の買弁資本の手先」と追及され
妻子を残し日本に帰国し東京銀行大阪支店に勤務されている。
つまり「寿会のひとびと」に登場する東京銀行サイゴン支店支店長が落合茂氏であり、青木茂氏のモデルである。
作品中はトーメンのサイゴン支店勤務となっているが、それは前職であろう。
0275無名草子さん
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2022/03/20(日) 14:01:34.34
平和な日本にいても
浅間山荘の赤軍グループとか誤爆とかで内部粛清やっちゃうのいるしな。
信念とか理念にのめり込んで、やたら過激に攻撃的になることで
熱狂するタイプとかいるんだろうな。
日本はおそらく、比較的少ないとか司馬遼太郎が書いてたけど。
0276無名草子さん
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2022/04/09(土) 19:56:41.65
司馬遼太郎が執筆した小説『坂の上の雲』において、以下のような粗筋がベースになって描かれている。
明治37年(1904年)、明石はジュネーヴにあったレーニン自宅で会談し、レーニンが率いる社会主義運動に日本政府が資金援助することを申し出た。
レーニンは、当初これは祖国を裏切る行為であると言って拒否したが、明石は「タタール人の君がタタールを
支配しているロシア人の大首長であるロマノフを倒すのに日本の力を借りたからといって何が裏切りなのだ」といって説き伏せ、レーニンをロシアに送り込むことに成功した。
その他にも内務大臣プレーヴェの暗殺、血の日曜日事件、戦艦ポチョムキンの叛乱等に関与した。これらの明石の工作が、
後のロシア革命の成功へと繋がっていく。後にレーニンは次のように語っている。「日本の明石大佐には本当に感謝している。感謝状を出したいほどである。」と。

この件は歴史家から疑念が示されている

ロシア国内の情況を把握するため、明石に対し「ペテルブルク、モスクワ、オデッサに非ロシア人の外国人を情報提供者として2名ずつ配置」するよう指令電報を発した。
さらに明石は日露開戦と同時に参謀本部直属のヨーロッパ駐在参謀という臨時職に就き、ストックホルムに移った際にも児玉から、「お前を信じているぞ」という
趣旨の激励の電報が届いた。明石はロシア支配下にある国や地域の反ロシア運動を支援し、またロシア国内の反政府勢力と連絡を取ってロシアを内側から揺さぶる為、様々な人物と接触した

満洲義軍(まんしゅうぎぐん)は、日露戦争中の1904年、ロシア軍の後方攪乱・兵站破壊を任務として満洲の馬賊を集めて創設された特別任務隊である。
トップに立ったのは、「花大人(ホアターレン)」として知られた花田仲之助少佐である
これらの部隊の総指揮を行ったのは、日本陸軍の情報将校の先駆けで現地満洲軍の高級参謀だった福島安正である。実際のところ、
満洲義軍については、研究がほとんど存在しない。何故ならば、この組織は国際法に抵触する秘匿されたものであり、当時の公式の戦史に記述が存在しないからである。
0277無名草子さん
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2022/04/10(日) 15:34:10.75
街道をゆく 28 耽羅紀行 (朝日文庫) 文庫 2009/2/6
司馬 遼太郎 (著)
ひょっとすると、父母未生以前に、自分はこの耽羅国にいたのではないか──シャーマン、海女、モンゴル馬など、
若いころから思い続けていた古代が息づく島、韓国・済州島を2度のわたって訪れ、韓国と日本の文化の原像を探る。

韓国南端の済州島を、そこを故郷に持つ在日の畏友二人を先達に歩く。日本に押し寄せた蒙古軍が馬を肥やした漢拏山麓の草原をめぐり、
巫人や海女など古層で日本文化とつながる民俗を訪ねる。繰り返し表れるのは、朝鮮史五百年の停滞をもたらした科挙および朱子学への強い批判と、巻き込まれざるを得なかった民衆への哀憐の情。著者による朝鮮(民族)論の集大成の観がある一冊。

街道をゆく 2 韓のくに紀行
「私が韓国にゆきたいと思ったのは、十代のおわりごろからである」―宿願をはたすため、いまだ“日帝支配三十六年”の傷口の乾かぬなかをゆく。
素朴な農村をたどって加羅・新羅・百済の故地を訪ね、「韓」と「倭」の原型に触れようとする旅は、海峡をはさんだ両国の民が、はるかいにしえから分かちがたく交わってきたことを確認する旅でもあった
「朝鮮人は現実よりも観念に興奮する」

炎は流れる(3) 明治と昭和の谷間 大宅 壮一 (著)
「琉球人の基本的性格が“離島性”にあるとすれば、韓国人の場合は、大陸とはなれられない“半島性”にある。
これらと日本を結びつけて、その三角関係を見るということが、第三巻の主たるテーマとなった。
いわば“歴史のルポルタージュ”の見本みたいなつもりで、筆をすすめた次第である」(あとがきより) 沖縄・韓国と日本との関係の歴史的考察に現地旅行の実体験を加え、
事態の変化に対して希望的観測と悲観的観測がともに強く出すぎる日本民族の精神構造上の欠点をさぐる。
0278無名草子さん
垢版 |
2022/04/12(火) 00:16:43.35
ドナルド・キーン曰く、「江戸時代の日本は儒教社会でしたね」
司馬遼太郎答えて曰く、「然にあらず、目上の者の前で煙草を吸うなど、儒礼に反するものであり、日本は、儒学を取り入れたが、儒教は社会には根付かなかった」。
0279無名草子さん
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2022/04/17(日) 10:16:14.06
20年ぶりくらいで司馬の小説読んでいるが(歳月)、全然面白くない。
0280無名草子さん
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2022/04/24(日) 00:13:54.05
第24回(1990年) 吉川英治文学賞受賞
大衆文学の歴史 単行本 1989/3/1尾崎 秀樹 (著)
100年余に及ぶ大衆文学の通史。円朝の講談・人情噺の速記本化、立川文庫の活況、「大菩薩峠」の執筆開始などの前史をふまえ
、大衆文学の成立から今日の隆盛までを、あまたの作家の人と作品にふれながら描きあげた著者100冊目の記念碑的労作。戦前篇、戦後篇に分冊。

大衆文学論 (講談社文芸文庫) 尾崎秀樹 (著)
白井喬二、菊池寛らを論じ、先行する大衆文学論を詳細に考察した第一部「大衆文学の理論」。吉川英治、山本周五郎、松本清張らの、作家と作品を論じた第二部「作家の年輪」。
時代小説の挿画、落語、浪曲など、大衆文化・芸能を掘り下げた第三部「大衆文学の周辺」。独自の視点で大衆文学を検証し、芸術性偏重の従来の文学観に新たな文学論を提示した画期的評論集。芸術選奨受賞作。

近代文学の傷痕―旧植民地文学論 (同時代ライブラリー) 1991/6/14尾崎 秀樹 (著)
日本軍隊の直接的暴力は非難されても、アジアの人々の思想と精神に残した爪痕については語られることが少ない。本書は、「満洲」文学、台湾文学
をめぐる戦時下の文学者たちの言動を、確実な資料にもとづいて洗い直し、日本の旧植民地に対する功罪を問い、日本の近代化の帰結としての15年戦争像を構築しようとした画期的な論稿である。

立川文庫の英雄たち (中公文庫) 文庫 1987/6/1
足立 巻一 (著)
猿飛佐助、真田幸村、塚原卜伝等の人物を生みあるいは育て、忍者や豪傑が縦横に活躍する痛快無比の世界を築いて大衆文芸の母胎となった「立川文庫」。その成立から終焉に至る事情を詳述し、その魅力の謎に迫る。
0281無名草子さん
垢版 |
2022/04/24(日) 00:31:35.30
菊池昌典『歴史小説とは何か』筑摩書房以下引用。司馬遼太郎について。

「つまり、司馬の歴史観は、横軸に『時間』、縦軸に『高さ』をとった鳥瞰的歴史観であり、『時間』つまり歴史空間の現在からの距離に比例して
『高さ』もきまり、俯瞰の視界範囲が拡大するということである。
司馬は、みずから、この史観をビルの屋上から下をみおろす姿に擬して
語っている。そしてまた、この『時間』と『高さ』を凝縮して表現する事件が、
革命、維新、そして戦争であることも論をまたない。
司馬の『歴史小説』はこのんで、このもっとも能率的な歴史の凝縮点に着目し、
さらに、できるだけ高い位置から下界の歴史舞台を俯瞰し、
ゴマメのように動き回る人間を観察するところから、はじまるのである」。

「これが司馬が『歴史小説』を書いて、現代小説に手をそめない理由がうなずけよう。現代では、そもそも『時間』と『高さ』の関係は成立しない
からである。……何よりもこの手法による限り、下界にうごめくゴマメのような
人間関係に視座を設定しようとすれば、もっとも視界に入りやすい、
めだつ人物が対象とされがちである。さらに俯瞰は、歴史の立体的構成を見失なわせ平板化し、歴史をささえる下層は、
彼の視界には入りがたくなる」。

「いかなる戦争も、いかなる革命も、司馬の網膜にとびこんでくるのは、
所詮エリートなのである。このことは、司馬の『竜馬がゆく』『坂の上の雲』
などの代表作のみならず、その全作品のモティーフとなっている。そうであるがゆえに、歴史の展望台に争ってのぼり、
歴史のドラマをエリートの目を通して俯瞰しようとひしめく民衆の心をゆさぶるのである」。

「本質的な対立のない社会という日本論は、どうしても、本質的な歴史の対立を示す歴史的事実について過小評価をうまざるをえない。
あるいは、日本人の残虐さ、とりわけ、国境をこえたアジア人に対する
眼をおおうような残虐さに対する無関心へとつながっていく」
0282無名草子さん
垢版 |
2022/04/25(月) 00:00:27.74
時代小説盛衰史〈上〉 (ちくま文庫) 文庫 2012/7/1
大村 彦次郎 (著)

中里介山「大菩薩峠」から司馬遼太郎の登場まで、半世紀に及ぶ時代小説の栄枯盛衰を豊富なエピソードと味わい深い語り口で描ききった力作。
名作が誕生する背景や秘話、大きな役割を果たした挿絵画家や作家と苦楽を共にした編集者など、作品とともに生きた人間像を掘り起こした好著。

大衆文学研究賞・長谷川伸賞受賞
0283無名草子さん
垢版 |
2022/04/25(月) 00:57:14.19
最近、のぼうの城とか天地明察とか
時代小説とも言えないラノベが時代小説と言われるのはいかがなものか
天地明察とかまったくの誤りばかり
少しぐらいの虚構は多めに見るが、科学的、内容的な誤りは目に余る

41 :無名草子さん:2012/10/15(月) 00:02:19.15
早晩、消えて逝くだろうから、生温かく見守ってあげれば? (笑
作者が勉強して、資料を読んで、化けるかもしれないけどね(無いだろうな
生活とか、時間の制約とか、資料を集められない担当編集員とか
理由はあるのかもしれないけど、資料を読んでないよね?
って作者がゴロゴロ  そんな昨今です。
(と昔の人も言っていたと思うけどね)

司馬の死後16年経つけど、いまだに司馬を超える作家が出てこないしなー
毎年、生きている作家よりも亡くなった作家の本のほうが売れているのは寂しいわー

45 :無名草子さん:2012/10/19(金) 13:35:25.60
もうそんなになるか
池波正太郎や藤沢周平タイプは出て来てるが
司馬遼太郎系は全くいないなあ

戦争体験必須
出来れば明治生まれで
時代設定を過去にした単なるラノベは読みたくないんで
0284無名草子さん
垢版 |
2022/04/25(月) 01:55:20.08
「忍術」ブームは大正年間の立川文庫によるもので、これは活劇型・お子様向けだったが、大人も熱中した。ここからマンガの忍者も出てくる。第882夜に紹介した杉浦茂もそういう系類になる。
 それに対して「忍びの者」ブームは初めて現実社会のリアリズムやニヒリズムに向けられていて、男と女の扱いも描き方も真剣になっていく。これは第352夜にも書いたように、五味康祐の『柳生武芸帖』が皮切りだった
。昭和31年の連載開始である。ここに村山知義の『忍びの者』が加わり、そこへ白土三平の劇画『忍者武芸帳』や『サスケ』が追い打ちをかけた。
 司馬遼太郎(第914夜)が直木賞をとったのも昭和34年の『梟の城』だった(ごく最近、篠田正浩が映画化した)。ぼくにはそのころの柴田錬三郎の『赤い影法師』や福田善之の戯曲『真田風雲録』も忘れがたいものになっている。
 もうひとつの「忍法」ブームはこのあと山田風太郎が風変わりな狼煙をあげ、「くの一」の流行にさえ及んだのだけれど、ここから先はすべての忍者ものがメディアを交えてごちゃごち
0285無名草子さん
垢版 |
2022/04/25(月) 01:56:52.08
このシリーズには大きな欠陥もあることも言っておく。文章文体に魅力を欠くことだ。新藤兼人が書いていたことであるが、村山は舞台や映画の脚本を担当すると
、抜群の要約と削ぎ落としをやってみせるそうである。けれども肉付けのほうは、『忍びの者』を読むかぎりは、あまりうまくない。話題や場面や解説が次々に変わるほうに、手法が走っている。
 これは、村山があまりに多くの領域の“前衛”を走ってきたことと関係があるにちがいなく、ということは、この物語は文学として読むよりも、映画や劇画のように読めばいいということなのだ
0286無名草子さん
垢版 |
2022/04/26(火) 01:05:52.66
忍者と忍術 (中公文庫) 文庫 2001/5/1
戸部 新十郎 (著)
0287無名草子さん
垢版 |
2022/04/26(火) 09:47:25.37
光文社時代小説文庫文庫オリジナル
●北斎おんな秘図
●歌麿おんな秘図
●広重おんな秘図
●写楽おんな秘図
●西鶴おんな秘図
●近松おんな秘図
●鶴屋南北おんな秘図
●平賀源内おんな秘図
著者:大下英治
0288無名草子さん
垢版 |
2022/04/26(火) 09:51:37.50
「世の人の心惑わす事、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな」――寛文10年(1670)、ある夏のさかりの夕方、
杉森信盛(すぎもりのぶもり)は、南禅寺裏で心中前の男女の狂おしい抱き合いを覗き見した。
美しい裸身を目に焼きつけた信盛は以後、自らも女修業を重ね、“近松門左衛門”と名乗って『曾根崎心中』など数々の名作を生む

前衛的な詩風から、“阿蘭陀西鶴”と称された井原西鶴。1682年、処女小説『好色一代男』を刊行。「色」と「金」という欲を中心に町人の心情を綴り、
新しい文学世界を切り開いた。その後もベストセラー作品を量産するが、一方で「遊里での色修業こそ、俳諧修業、人間修業」を信条に、さまざまな女性遍歴を繰り広げていた……

江戸時代に浮世絵師の最高峰と称された東洲斎写楽。しかし、この人物は寛政6年に彗星のごとく現われ、10カ月のうちに2日に1点、計40点という凄まじい作品を量産し忽然と姿を消す。
一方、女の美しさ、色気と格闘した美人絵師・歌麿には謎の空白期間が存在し、その期間は写楽の活躍時とピタリ一致する……。なぜ正体を隠しつづけたのか?

鉄蔵、のちの葛飾派の祖・北斎は15歳で吉原の門をくぐった。洒落本の木版を頼まれても、女に無知では話にならない。女体は生きた芸術品だった。
ふと知った女掏摸・かえでと結婚、その紹介で浮世絵師・勝川春章の門下となり世に出る。のちに女体修行に明け暮れ、秘画も多いが「富嶽三十六景」は光る。
0289無名草子さん
垢版 |
2022/04/26(火) 09:59:47.36
爛熟した江戸文化を背景に浮世絵師が続々誕生した。なかでも歌麿の絵の評価は高い。彼は醜男だった。遊女を知ったのも22才。
女が言った。「美人画をお描きよ。必ずモテるから」と。彼は遊郭の名妓から茶屋の女まで、
それぞれの美を探求した。春画も多く、どの男性も巨根なのは彼自身の描写とか。勇助から豊章、さらに歌麿と改名して世に出るまでの秘話を満載!

『東海道四谷怪談』を書き、歌舞伎狂言作者として最も著名な鶴屋南北。人一倍好奇心の強い南北は十四歳にして、男と女の妖しいからみ姿を赤裸々に
描写することができた。以後、「あそびを養分にしてこそ、芸や作風に艶が出る」を信条に、色どりの魔術師たちに翻弄されながら、
数々の傑作を生み出していく。あやかしの世界で客を魅了した男の奇抜な人生を描いた野心作

。「東海道五十三次」を描いた絵師・安藤広重が、晩年に艶本を描いたことはあまり知られていない。広重の描く人物は滑稽で、人間くさい。
特に女人には目がなく、艶本の基礎は、実は東海道五十三次の旅での女修業によって培われたものであった……。

江戸時代中期の本草(ほんぞう)学者・発明家にして、戯作(げさく)者・平賀源内。その旺盛な探求心は、女体の“からくり”にも向けられていた。
“興味”を抱いた女性と、あれこれ知恵を絞り、奇抜な手だてを講じては逢瀬を重ねる。海女(あま)の姉妹、物産展で見初めた薬種商の女将(おかみ)、オランダ商館長の青い瞳の娘……。
0290無名草子さん
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2022/04/29(金) 12:12:44.33
戦国の忍び 司馬遼太郎・傑作短篇選 (PHP文芸文庫) 文庫 – 2007/4/3
本書は、司馬遼太郎が世に送り出した忍者小説五篇を収録したオリジナル編集の
短篇集である。
みじめな生活から逃れるべく伊賀を抜けた若き下忍・猪ノ与次郎の予想外の運命
を描いた「下請忍者」。
武田信玄が織田信長のもとに送り込んだ謎の忍者・知道軒道人に、伊賀忍者・蚊
羅刹喜平次が立ち向かう「忍者四貫目の死」。
真言立川流や僧兵大名・筒井家に関わる闇の中で、上忍殺しの犯人探索に乗り出
した梅ノ源蔵が兄弟子たちと闘う「伊賀者」。
優れた伊賀者として伝わる湯舟ノ耳無と岩尾ノ愛染明王が死力を尽くして対決す
る「伊賀の四鬼」。
徳川家に仕えた伊賀同心が二代目・服部半蔵に叛旗を翻した事件を、新たな解釈
で綴った「最後の伊賀者」。
0291無名草子さん
垢版 |
2022/04/29(金) 12:16:48.32
最後の伊賀者 (講談社文庫)
◆「下請忍者」
◆「伊賀者」
◆「最後の伊賀者」
◆「外法仏」
◆「天明の絵師」
◆「藘雪を殺す」
◆「けろりの道頓」
「外法仏」と「天明の絵師」と「藘雪を殺す」と「けろりの道頓」は、いわゆる「忍者モノ」ではありませんが、ある意味で「忍者モノ」というべきか
0292無名草子さん
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2022/04/29(金) 12:19:57.16
戦国の女たち 司馬遼太郎・傑作短篇選 (PHP文
豊臣秀吉の正室として位人臣を極め、夫の死後は二人で築いた豊臣家の行く末を決定づけた北ノ政所。兄・秀吉の思惑によって結婚のみならず離婚さえも強いられ、一生を翻弄され続けたが、
その生涯を沈黙で染め抜いた秀吉の妹・旭姫。夫・細川忠興の異常な嫉妬によってがんじがらめの束縛を受けながら、毅然として己を貫き、関ケ原の折に最期を迎えたたま(ガラシャ)。
このほか、変わり者の侍大将・渡辺勘兵衛に思いを寄せる藤堂家小姓頭の妻・由紀の慕情や、一夜の出会いを大切に抱き続けて生きようとする小若の純情、さらには夫を猛烈に働かせて
財を築いた遊び好きの妻・小梅と、戦乱のなかに咲いた女性たちの人生を浮かび上がらせた珠玉の短篇集である。
●女は遊べ物語
●北ノ政所
●侍大将の胸毛
●胡桃に酒
●一夜官女
●駿河御前
0293無名草子さん
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2022/04/29(金) 17:31:20.12
日本の城の謎〈攻防編〉 (祥伝社黄金文庫)
なぜ加藤清正は鉄壁の石垣を築いたか。なぜ藤堂高虎は築城の天才といわれるのか。なぜ毛利家は海岸線に城を移したのか。
なぜ江戸城は世界最大の城といわれるのか。なぜ秀吉は三木城攻めに2年もかかったのか。

日本の城の謎〈築城編〉 (祥伝社黄金文庫)
天守閣に登っておしまい……ではもったいない! ●なぜ豊臣秀吉は城攻めの天才と呼ばれるのか ●本当に武田信玄は城を造らなかったのか 
●なぜ織田信長は安土城を築いたのか ●城の絵図が正確無比な理由 ●なぜ難攻不落の小田原城が落ちたのか ●名城に今も残る人柱伝説……

日本の城の謎〈伝説編〉 (祥伝社黄金文庫)
名城と謳われる城々には奇怪な伝説がよく似合う。姫路城、江戸城、金沢城……語り継がれた秘話から見えてくる、歴史の隠された断片。
〈佐賀城〉もうひとつの化け猫伝説〈姫路城〉「甲子夜話」に記された十二単衣の妖魔
〈熊本城〉銀杏の木に宿った加藤清正の怨霊〈江戸城〉湯殿で暗殺された太田道灌の無念〈金沢城〉舵に取り憑かれた加賀騒動の張本人…
0294無名草子さん
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2022/04/30(土) 01:37:31.97
日本の古代
第1巻:倭人の登場    第2巻:列島の地域文化
第3巻:海をこえての交流 第4巻:縄文・弥生の生活
第5巻:前方後円墳の世紀 第6巻:王権をめぐる戦い
第7巻:まつりごとの展開 第8巻:海人の伝統
第9巻:都城の生態    第10巻:山人の生業
第11巻:ウヂとイエ    第12巻:女性の力
第13巻:心のなかの宇宙  第14巻:ことばと文学
第15巻:古代国家と日本   別巻:日本人とは何か
編者=岸 俊男、森 浩一、大林太良
中央公論=1995年10月18日(第1巻) 他
0295無名草子さん
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2022/05/01(日) 14:38:30.26
なぜ武士は禅宗を好んだのでしょうか。その理由は、普段から肉体を鍛えている武士たちにとって、禅の修行は精神を鍛える手段として有効だったからです。強い精神性を教え説く禅宗の宗教観が、死を覚悟して合戦に臨まなくてはならない武士の気質に合致していたからでしょう。

 修行を通じて自己自身を深く見つめ、理屈をこねるのではなく、直感的に真理に至ろうとする禅の思想は、頼れるのは自分の肉体だけという武士の生き様に重なったのです。

 また、新興勢力である武士は、きらびやかで高尚な貴族文化にどこか引け目と反発を持っており、それらと強く結びついた天台宗や真言宗よりも、新しく興った念仏宗や禅宗に親近感を持ちやすかったことも要因のひとつでしょう。

 しかし、武士が禅宗を重用したのは、それだけではなかったようです。中世の人達は、禅僧には死霊や妖怪などの怪異を鎮める力があると信じていました。

 それは、建長寺が埋葬地であり、処刑場でもあった地獄谷に建立されていることや、円覚寺が蒙古襲来(文永・弘安の役)で亡くなった兵士達の霊を慰めるための寺院だったこと、さらには天龍寺が後醍醐天皇の怨霊を鎮めるための建立されたことからも想像できます
武士にとって禅宗とは、精神を鍛える有効手段なだけでなく、合戦で殺めてしまった死霊や悪霊を鎮める力を持った宗教でもあったので
0296無名草子さん
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2022/05/01(日) 17:19:38.63
旧版 世界の歴史 中公文庫 全16巻
1巻 古代文明の発見 貝塚茂樹 2巻 ギリシアとローマ 村川堅太郎 3巻 中世ヨーロッパ  堀米庸三 4巻 唐とインド  塚本善隆 5巻 西域とイスラム  岩村忍 6巻 宋と元  宮崎市定
7巻 近代への序曲  松田智雄  8巻 絶対君主と人民  大野真弓  9巻 最後の東洋的社会  田村実造 10巻 フランス革命とナポレオン  桑原武夫  11巻 新大陸と太平洋  中屋健一
12巻 ブルジョワの世紀  井上幸治 13巻 帝国主義の時代  中山治一 14巻 第一次大戦後の世界  江口朴郎 15巻 ファシズムと第二次大戦  村瀬興雄 16巻 現代―人類の岐路  松本重治
0297無名草子さん
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2022/05/01(日) 17:35:55.37
新版 世界の歴史 中公文庫
1人類の起源と古代オリエント 大貫良夫/屋形禎亮/前川和也/渡辺和子 2中華文明の誕生 平勢隆郎/尾形勇
3古代インドの文明と社会 山崎元一 4オリエント世界の発展 小川英雄/山本由美子 5ギリシャとローマ 桜井万里子/本村凌二
6隋唐帝国と古代朝鮮 礪波護/武田幸男 7宋代社会と周辺の民族 伊原弘/梅村坦 8イスラーム世界の興隆 砂糖次高
9大モンゴルの時代 杉山正明/北川誠一 10西ヨーロッパ世界の形成 佐藤彰一/池上俊一
11ビザンツとスラヴ 井上浩一/栗生澤猛夫 12明清と李朝の時代 岸本美緒/宮嶋博史 13東南アジア史のあけぼの 石澤良明/生田滋
14ムガル帝国から英領インドへ 佐藤正哲/中里成章/水島司 15オスマン帝国とイラン 永田雄三/羽田正 16ルネサンスと地中海 樺山紘一
17ヨーロッパ近世の開花 長谷川輝夫/大久保桂子/土肥恒之 18ラテンアメリカ文明の興亡 高橋均/網野徹哉 19中華帝国の危機 並木頼寿/井上裕正
20近代イスラームの挑戦 山内昌之 21アメリカとフランスの革命 五十嵐武士/福井憲彦
22近代西欧の市民社会 谷川稔/村岡健次 23アメリカ合衆国の膨張 紀平英作/亀井俊介 24アフリカの民族と社会 福井勝義/大塚和夫/赤坂賢
25アジアと欧米世界 加藤祐三/川北稔 26ファシズムと社会主義 柴宜弘/木村靖二/長沼英世 27自立へ向かうアジア 狭間直樹/長崎暢子
28第二次世界大戦から米ソ対立へ 油井大三郎/古田元夫29冷戦と経済繁栄 高橋進/猪木武徳30新世紀の世界と日本 下斗米伸夫/北岡伸一
0298無名草子さん
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2022/05/01(日) 17:36:23.04
日本の歴史
1神話から歴史へ 井上光 2古代国家の成立 直木孝次郎 3奈良の都 青木和夫 4平安京 北山茂夫
5王朝の貴族 土田直鎮 6武士の登場 竹内理三 7鎌倉幕府 石井進 8蒙古襲来 黒田俊雄
9南北朝の動乱 佐藤進一 10下剋上の時代 永原慶二 11戦国大名 杉山博 12天下一統 林屋辰三郎
13江戸開府 辻達也 14鎖国 岩生成一 15大名と百姓 佐々木潤之介 16元禄時代 児玉幸多
17町人の実力 奈良本辰也 18幕藩制の苦悶 北島正元 19開国と攘夷 小西四郎 20明治維新 井上清
21近代国家の出発 色川大吉 22大日本帝国の試煉 隅谷三喜男 23大正デモクラシー 今井清一
24ファシズムへの道 大内力 25太平洋戦争 林茂 26よみがえる日本 蝋山政道
別巻1図録 原始から平安 井上光貞、竹内理三
別巻2図録 鎌倉から戦国 竹内理三、永原慶二
別巻3図録 織豊から幕末 児玉幸多
別巻4図録 維新から現代 小西四郎、林茂
別巻2 年表・地図・読史備要 児玉幸多
0299無名草子さん
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2022/05/01(日) 17:49:57.71
講談社学術文庫 日本の歴史
0「日本」とは何か 網野善彦 1縄文の生活誌 岡村道雄、改訂版有 2王権誕生 寺沢薫
3大王から天皇へ 熊谷公男 4平城京と木簡の世紀 渡辺晃宏 5律令国家の転換と「日本」 坂上康俊
6道長と宮廷社会 大津透 7武士の成長と院政 下向井龍彦 8古代天皇制を考える 大津透、大隅清陽、関和彦、熊田亮介、丸山裕美子、上島享、米谷匡史
9頼朝の天下草創 山本幸司 10蒙古襲来と徳政令 筧雅博 11太平記の時代 新田一郎
12室町人の精神 桜井英治 13一揆と戦国大名 久留島典子 14周縁から見た中世日本 大石直正、高良倉吉、高橋公明
15織豊政権と江戸幕府 池上裕子 16天下泰平 横田冬彦 17成熟する江戸 吉田伸之
18開国と幕末変革 井上勝生 19文明としての江戸システム 鬼頭宏 20維新の構想と展開 鈴木淳
21明治人の力量 佐々木隆 22政党政治と天皇 伊藤之雄 23帝国の昭和 有馬学
24戦後と高度成長の終焉 河野康子 25日本はどこへ行くのか H・ハルトゥーニアン、T・フジタニ、姜尚中、岩崎菜緒子、比屋根照夫、T・モーリス=スズキ、C・グラック
0300無名草子さん
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2022/05/03(火) 19:32:32.41
江戸の想像力―18世紀のメディアと表徴 (ちくま学芸文庫) 文庫 – 1992/6/1田中 優子 (著)
近世的なるものとは何だったのか―。平賀源内と上田秋成という同時代の異質な個性を軸にしながら、博物学・浮世絵・世界図・読本といったさまざまなジャンルの地殻変動を織り込んで、
江戸18世紀の外国文化受容の屈折したありようとダイナミックな近世の〈運動〉を描いた傑作評論。1986年度芸術選奨文部大臣新人賞受賞作

。第23回(2001年) サントリー学芸賞・芸術・文学部門受賞。芸術選奨文科大臣賞
江戸百夢 近世図像学の楽しみ (ちくま文庫) 文庫 – 2010/5/10田中 優子 (著)
何があってもおかしくない「江戸」時代。何が起こっても不思議でない都市「江戸」。それは、アムステルダムも蘇州もソウルも含みこむ場所であり、彫刻、絵画から手拭いまで、百のお多福、蝶、
馬が駆け巡り、ベルニーニのエクスタシーもフェルメールの新興市民も全てをるつぼのように内在させていた。それら図像を縦横無尽に読み解く快著。
カムイ伝講義 (ちくま文庫) 文庫 – 2014/5/8田中 優子 (著)
カムイ伝』を通して、江戸の社会構造を新視点で読み解く。そこから今の時代が照射される。江戸の階級制度から現代の格差・貧困社会が、
一揆の伝統から現代のデモが、そして江戸時代の肥料から未来の循環型社会が見えてくる。漁師、マタギ、綿花や蚕を育てる人々、女、子ども。自らの手で生産する、武士とは別の生き方

白土三平論 (ちくま文庫) 文庫 – 2013/9/10四方田 犬彦 (著)
自然を前にした人間の卑小さを語り、階級闘争を鼓舞、古代神話を説いて博物史に到る。慢画家白土三平の本質とは何か。幼少時から白土作品に深く魅了されてきた著者による
体系的研究の書。出自、貸本漫画時代、蜂起の哲学を描いた『忍者武芸帳』、階級差別を問う『カムイ伝』、そして食物誌まで、巨匠の全体像に迫る
0301無名草子さん
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2022/05/08(日) 22:02:00.11
鬼打ち猿丸   『 黒潮の岸辺記 』改題
黒潮に洗われた男たちのたじろぐことのない性根、無骨な愛、
 朴訥な感性を、紀州弁の独特なリズムで語る雄大な海のロマン。
「 おちょろ丸 」、「 餌 」、「 鬼打ち猿丸 」、「 斑 」など九篇を収める、異色の時代小説集
。ベストセラー『 元禄御畳奉行の日記 』の著者が描く異色異彩の時代小説集
神坂氏とこの作品集 ― 解説にかえて : 司馬遼太郎
司馬さんのこと ―― 『 黒潮の岸辺 』改題にあたっての あとがき : 神坂次郎
 (「 神坂氏とこの作品集 」生原稿、 歓談写真、 和歌山城 司馬スケッチ、『 街道をゆく 』における
   神坂登場 該当文 あり
0302無名草子さん
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2022/05/08(日) 22:11:48.40
黒潮の岸辺』にて第2回日本文芸大賞受賞
神坂次郎

黒鯨記
0303無名草子さん
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2022/05/11(水) 19:47:57.49
象徴の設計 松本清張
幕末から明治維新への混乱と変革を経て、急速な近代化と富国強兵を成し遂げ、日清日露の戦争に勝利した明治国家が、大正デモクラシーを間に挟みつつも昭和期に入って急速に軍国主義と国粋主義に傾斜していったのはなぜか。その近代化の陰にある歪みの部分を担うのが、元勲にして巨魁である山県有朋である。
西南戦争で西郷が倒れ、大久保利通が暗殺された後、政治の表舞台は伊藤博文が担ったが、陸軍と警察は山県が担った。
伊藤が表舞台の光の部分で脚光を浴びる存在なら、山県はそれを裏で支える汚れ役、国家の治安を一手に引き受けたようなものだ。
この著作は山県が自由民権運動や政党をいかに敵視して、密偵も多用して執念深くかつ用意周到にその分裂をはかり弾圧をしていったかが丁寧に描かれている。板垣や大隈の動きも手に取るように把握して、巧みに押さえ込んでしまう。
また、松方デフレ財政が米価を下げて自由民権運動の資金源であった自作農を窮乏化させ、それが秩父事件などの暴発につながる経緯も立体的に描かれている。
とにかく山県という男は治安と民衆抑圧にかける暗い情熱がすさまじい。人間類型としては、KGB創設者のジェルジンスキーやFBIを創設して40年近く君臨したフーバーにも比すべきかもしれない。

この本の前半では、自由民権思想が軍に侵入するのを防止するため軍人勅諭がつくられる過程が詳しく描かれているが、興味深いのはフランス人権思想の洗礼を受けた哲学者の西周が起草した原案の穏健でむつかしい
文面が気に入らない山県が、東京日日新聞の福地源一郎の手も借りて、天皇が自ら直接軍人に力強く諭す端的な勅諭に変えられていくところである。
これは教育勅語にも共通するが、下級公家と下級武士によってつくられた明治国家のよりどころが天皇神格化にあったことがこの本の題名の由来であろう
0304無名草子さん
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2022/05/12(木) 13:37:38.05
老いを感じる男の人生の陰影を描いた傑作長篇
心が通わない妻と放蕩息子の間で人生の空しさと焦りを感じる紙屋新兵衛が、薄幸の人妻おこうに想いを寄せ、深い闇に落ちていく。

辞書には載っていないようであるが、「文品」という言葉を目にしたことがある。真っ先に浮かんだのが藤沢周平氏の作品だった。氏の時代小説は、武家もの、市井もの、歴史ものと多岐にわたるが、
ジャンルを超えて小説としての品格がある。氏のファンであり続けてきたのは、「文品」に由来しているように思えたのである。
文品にはもちろん、文体が含まれる。氏の作品でいつも感服するのはごくなんでもない情景の描写だ。やさしい言葉を使いつつ、目の前に光景が浮かんでくる。そこに、心象や暗示が微かに込められているときもある。
本書『海鳴り』には、海や川の情景が幾度か登場する
《そして空は、よく見ればゆっくりと一方に動く黒雲に埋めつくされているのだった。街道には、ほかに人影はなかった。歩いているのはそのころはまだ新助と言っていた、新兵衛ただひとりである。
 笠を押さえながら、新兵衛はいくぶん心ぼそい気分になりながら歩いていた。そのとき新兵衛は、見えるところにくだけては散る磯波とはべつの音を耳にした。音は沖から聞こえて来た。
 そのときはじめて、新兵衛は海に眼をやったのだが、思わず声を出すところだった。沖の空は、頭上よりも一層暗く、遠く海とまじわるあたりはほとんど夜の色をしていた。音はそこから聞こえて来た。寸時の休みもなく、
こうこうと海が鳴っていた。重重しく威嚇(いかく)するような、遠い海の声だった》
その文体に導かれて、読者は物語へと誘われ行くのである
0305無名草子さん
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2022/05/13(金) 14:23:14.39
右門捕物帖  佐々木味津三
岡本綺堂『半七捕物帳』、野村胡堂『銭形平次捕物控』、佐々木味津三『右門捕物帖』、城昌幸『若さま侍捕物手帖』と並んで五大捕物帳
捕物小説という種目が岡本綺堂の『半七捕物帳』から始まったが
推理小説家の都筑道夫は、本作について、『半七捕物帳』と比較して「がぜん派手になるかわりに、あるのは発端の異常性だけ」「きわめて魅力のある謎が、論理をまったく無視して、
いいかげんに解決されるありさまには、泣きたくなるくらいで、もう推理小説としては読むにたえない。
むしろ、右門のせりふの珍妙さには笑いがこみあげてくるし、その愚かな言動を地の文が、なんたる明察、疾風迅雷の行動、と持ちあげているおかしさで、ロバート・L・フィッシュの「シュロック・ホウムズの冒険」の
ようなナンセンス・パロディとしてなら、かなりの評価ができるだろう」[2]と評し、「むっつり右門の成功によって、捕物帳は推理小説から、怪奇時代小説に変貌した」

奉行所から十手を授かる少数の正式な十手持ちは“小者”と呼ばれ、大多数を占める定町廻り同心が個人的に雇用する非公認の“御用聞き”とは区別されていた。正しくは江戸では御用聞き(ごようきき)、
関八州では目明かし(めあかし)[注 1]、上方では手先(てさき)あるいは口問い(くちとい)、
と各地方で呼称は異なった。岡は「岡目八目」と同じく脇の立場の人間であることを表し、公儀の役人である同心ではない脇の人間が拘引することから岡っ引と呼ばれた。岡っ引は配下に手下、下っ引と呼ばれる子分を持つ事も多かった。
本来「岡っ引」は蔑称で、公の場所で用いたり自ら名乗る呼称ではない。下っ引きを配下とすることから「親分さん」が正しい呼称だが[2]、時代小説や時代劇で用いる事例が多い

銭形平次の魅力を司馬遼太郎が「街道をゆく本所深川散歩・神田界隈「叙述がすずやかで、すだれごしに上等な夏の料理をたべているような気がした」と書いている
ただし、同時代の推理小説家の評価は低く(例えば江戸川乱歩、木々高太郎など)、捕物帳は推理小説ではないとの論争を招いたこともある。

間違いだらけの時代劇 (河出文庫) 1989/7/1名和 弓雄 (著)
現代語訳 雑兵物語 (ちくま文庫
0306無名草子さん
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2022/05/13(金) 19:57:50.50
現代人は、戦国大名は独裁者と考えがちだが、実際は小さな国を持つ国衆の代表に過ぎなかった。国衆は起請文(誓約書)を交わし、人質を出して戦国大名と盟約を結び、領国の自治権を認めてもらう代わりに戦時には兵を出す約束をした。
国衆は誓約を破ったり、より良い条件を出す戦国大名が現れたりすれば離反するので、国衆への気配りは欠かせなかったのである。
 作中では国衆が村重の謀叛を支持しているが、これは村重の軍略を聞き勝利できると確信したからにほかならない。ただ国衆は不利になれば寝返る危険があるので、村重は毎日のように軍議を開いて状況を報告しながら、
裏切りの早期発見に努めている。宮仕えをしている読者なら、中間管理職的な苦労が多く、上に立つがゆえに相談相手が少なく、妻・千代保との会話に安らぎを感じる等身大の村重に共感するかもしれないが、これが最新の研究で見えてきた戦国大名のリアルなのである。
 また剣術が武士の嗜みになるのは、太平の世になった江戸時代以降のことで、戦国時代は確実に敵の鎧が貫ける鑓、弓、鉄砲が主要な武器だった。鑓も足軽が使う三間鑓(三間は約5.45メートル)
と武将が馬上などで使う鑓は別物で、長く扱いが難しい三間鑓は、隊列を組んで上から叩きつけて敵陣を崩したり、鑓衾を作って敵の侵入を阻止する集団戦闘に使われていた。弓は鉄砲に取って代わられた印象も強いが、連射が簡単なので重宝されたようである。
0307無名草子さん
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2022/05/14(土) 16:52:50.11
イギリスも、インドの「セポイの乱」(1857年)、中国の「太平天国の乱」(1851年〜64年)など、植民地支配に反抗する“てごわい民族運動”に直面したこともあって、我が国に対しては“柔軟な政策”をとっていました。日本の統治能力を認めつつ、「日本人の手による政変」の後押しにはこのような背景があったのです。

少し説明が長くなりましたが、我が国が「明治維新」を成し遂げた頃の国際環境は、このように“西欧列国勢力の空白期”といっても過言でない“一瞬の幸運”に恵まれたと言えるでしょう。
0308無名草子さん
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2022/05/19(木) 16:46:13.73
司馬遼太郎は、権力側からの寵愛を受け、彼らの望む歴史観をドラマチックに仕立て、ベストセラーを生み、大河ドラマに採用され、国民的な支持を得てきたんだと思いますが、この場合の権力者とは誰になりますでしょうか??
ググってみたのですが、核心的なソースや文献がみつからなかったので、もしあれば教えて頂きたいです。
0309無名草子さん
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2022/05/20(金) 16:27:29.86
「室町」の「無頼」だったのでしょうか。

垣根 この時代を調べると現在の日本、特にバブル経済が弾けたあと二十年以上経ったいまの日本と社会の様相が酷似しているんですね。為替や信用取引が登場し、馬借などの輸送機関が生まれ、農業生産高が飛躍的に上昇し、
人と物と銭がめまぐるしく回り始めます。また日明貿易を初めとした海外との交易が盛んでグローバリズムの波に洗われ、
日本人の生活空間の原型となる床の間や、茶の湯や侘びさびなどが誕生し、経済的にも文化面でも国力は増していました。にもかかわらず公家と武家、神社仏閣は好き勝手に利益を吸い上げる仕組みを築き上げ、国民の間にかつてないほどの格差が生まれ、
その現状に対して政府である室町幕府はまったくの無策でした。鎌倉や江戸時代と違って人口が一極集中化した京の都は、職を失った牢人や流民で溢れ返っていた。応仁の乱が勃発する前、
何も持ってなかった者が、どのように世に立ち、いかにして個人として生きたかに強く惹かれました。
0310無名草子さん
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2022/05/20(金) 21:52:08.30
堺屋太一
織田信長の天才性である。
筆者のいう「1560年体制」=兵農分離、全国統一市場、政治が宗教への優位を確立した絶対王制等々、信長のつくりだした「しくみ」は16世紀日本を世界で最も富強な国のひとつにした。(その良い証拠が、文禄・慶長の役である。さほどの必要もなかった戦に海を越えて大軍を派遣できたばかりか、戦に負けても国力が疲弊していない。)
安土桃山の日本は既に中世を脱し「近代初期」と呼んでいい段階に達していた

秀吉は天下布武を達成した。日本全土を統一、貨幣経済を普及させ、自ら関白、太政大臣となり、太閤と呼ばれた。十六世紀のうちに、これほどの完全な中央集権型の絶対制を実現した国は世界中に見当たらない。しかし、夢を達成したことは、夢を失ったことでもある。この瞬間から戦国バブルの崩壊が始まる。
0311無名草子さん
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2022/05/21(土) 16:27:37.54
文化面でも、義教の趣味がために和歌と蹴鞠が優遇される一方で琵琶法師や闘鶏(後花園天皇は好きだった)が抑制される一方で義教死後に再び闘鶏ブームが起きたりする話や
、中国では当時軽視されていた牧谿の水墨画の発見、雪舟が冷遇されたがゆえに自由に絵をかけ、小栗宗湛は義政に好まれたがゆえに自由に絵がかけなくなってしまったという対比など、なかなか面白い。
こうした流れの中にも、幕府が唐物を独占していた状況が財政難で困難となるという背景がある。
0312無名草子さん
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2022/05/22(日) 15:55:40.82
『室町無頼』
既成の歴史観をくつがえす、今年度ベスト必至作![レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
「おい、読み終わったかい?」
「ああ、思った通りの大傑作さ。今年のベスト10に入ることは確実だ。この作品が本誌に連載されはじめたとき、私はいかん、と思った。もちろん、駄目という意味じゃないよ。
こんな面白いものを毎週、少しずつ読まされたら欲求不満になってしまう。単行本にまとまってから読もうと思ったわけさ」
「辛口の君にしては大絶讃じゃないか。で、テーマは何だい」
「この世に生きとし生けるものすべてが、納得のいく人生を歩めますように、というこの本は祈りの書だ。無頼の意味もそこにある」

応仁の乱前夜の状況はもっとひどい有様で現代の格差社会と二重写しにされ、蓮田の起こした相国寺(しょうこくじ)大塔での一揆の場面なんぞ、
これまで歴史・時代小説で描かれてきた一揆の概念を根底からくつがえしてしまっている。何ごともはじめてづくしの小説なんだって―」
0313無名草子さん
垢版 |
2022/05/22(日) 20:58:15.46
その財力を賭けて粋を競った相手の紀ノ国屋文左衛門は、悪銭廃止令によって没落した。勝ち残った奈良屋茂左衛門の胸を一陣の風が吹き抜けていった。紀文と共に一つの時代が過ぎていったようだ

……(表題作「霜の朝」)。
0314無名草子さん
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2022/05/27(金) 13:18:12.09
昭和40年の作品ですか。「真田太平記」よりだいぶ前の作品です。後講釈になりますが、おそらく著者の模索中の実験作といったほうがいいのかもしれません。後の「真田太平記」とだぶる時間(一年から2年)を凝縮して取り扱っているのですが、
作品は全体としては不思議なことに緊張感に欠けています。様々な登場人物が出てきますが、個々の人物の造型はどれもいまいち印象に欠けます。
一つには丹波大介の設定に問題があったようです。甲賀という組織から外れてしまった設定にしたため、存在感と動機付けに欠けてしまったまま、この関ヶ原という天下分け目の戦いにのぞんてしまうという羽目に陥ってしまいました。大介のあいまいな一匹狼という忍びの設定はあまりにも
現代人の価値観を投影したものであり、現代とは違う戦国の時代設定の中では必然的にそのリアリティを失ってしまったようです

そして連載小説の性なのでしょうか、悲しいかな結末はあっという間に早送りされ、大介とのかかわりのある「ある女性忍び」もあっという間に登場しては処理され消えてしまいます。

ただ後の「真田太平記」にも使われるディテールはかなりの部分本書で出尽くしています。これらの実験と失敗を通じて、あの骨太の「narrative」の型とモティーフが生み出されたと考えれば、著者にとっても必要不可欠なステップだったのかもしれません。
0315無名草子さん
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2022/05/29(日) 20:11:49.26
んまあ石組みなら東南アジアの寺院とかヨーロッパの城やピラミッド、巨石文明、インカの剃刀も入らないようない石組みの方が凄いと思うけどね。

土塁を石で固める石垣は、単純に石やレンガを摘んで作る城壁よりも余程強固で、築城技術では当時世界の最先端とも言える技術なんだぞ。
特徴は、大砲打ち込まれても破壊されない強度。
西洋の城も、大砲戦が増えてからは、石垣のような土塁と石の組み合わせで作られるようになっていくんだから。
日本の城は、百年に渡る戦国時代と、2度に渡る海外遠征、当時世界一と考えられる数の鉄砲をはじめとした火器に鍛え上げられた堅城だよ。
戊辰戦争や西南戦争といった、数百年後の兵器を用いた戦争ですら、大規模な城は直接攻撃による落城はほとんどしていないんだから。

大阪城は天守がコンクリだけど、石垣や堀の壮大さは日本一
天守はシンボリックな建物ではあるけど、
要塞としての機能は、単に大きな塔以上のものではないから、元々天守の無い城ってのも結構ある。
石垣、堀、城門といった主要施設が健在なら、城としては実質の機能は十分と言えるよ

日本は地震の関係で石造りの壁面がないから木彫りにしていただけで、彫刻の技術なら西欧よりはるかに精緻なものがあったよ。元々石は脆くて彫刻の素材には向かない。
セメントが発明され現代の工法になってから後も、日本のコンクリート建築技術は世界のトップにある。現在の耐震工法というのも日本が発明したものだしね。

日本の「城」は軍事施設であって、海外の貴族が住まう家としての「城」とはまた別物

大阪城はお堀と大きさを体験する所だよ。んで、姫路城が本物の天守閣を見る所

日本の多湿な気候では、石の建築ではカビや冷え・通気性の問題がある
多湿ではない英国等の建築でも、採光と冷えの対策を両立させるために、高く幅の狭い窓のデザインと、何十cmにもなる厚みの壁が巨大建築の主流
またこれらの窓や壁の仕様は、自重で潰れやすい石建築の耐久性をも補強する
しかし、それらが可能なのも、ひとえに地震の発生数と災害規模が、日本に比べると殆ど無いようなものだからだ

日本庭園は遠景を借景して完成形になる
海外の日本庭園はよくできていても遠景がマッチしてないんだよな。その辺がイマイチに感じるなー。
0316無名草子さん
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2022/06/02(木) 13:22:23.05
塵劫記 (岩波文庫)
江戸初期の和算家吉田光由(1598‐1672)の主著。書名は仏教語の「塵点劫」に由来する。大数・小数の名、九九の掛算から、
米や材木の売り買い、金銀の両替、検地、河や堀の普請といったさまざまな実用問題と、継子立て、ねずみ算などの数学遊びを図とともに豊富に載せており、全体がしっかりとした数学的体系をなしている

算法少女 (ちくま学芸文庫 1974年に『算法少女』(岩崎書店)でサンケイ児童出版文化賞を受賞

父・千葉桃三から算法の手ほどきを受けていた町娘あきは、ある日、観音さまに奉納された算額に誤りを見つけ声をあげた…。その出来事を聞き及んだ久留米藩主・有馬侯は
、あきを姫君の算法指南役にしようとするが、騒動がもちあがる。上方算法に対抗心を燃やす関流の実力者・藤田貞資が、あきと同じ年頃の、関流を学ぶ娘と競わせることを画策。はたしてその結果は…。安永4(1775)年に刊行された和算書『算法少女』の成立をめぐる史実をていねいに拾いながら、豊かに色づけた少年少女むけ歴史小説の名作。江戸時代、いかに和算が庶民の間に広まっていたか、それを学ぶことがいかに歓びであったかを、いきいきと描き出
0317無名草子さん
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2022/06/30(木) 14:59:10.99
中公文庫日本の近代シリーズ
(1)開国・維新 1853〜1871
(2)明治国家の建設 1871〜1890
3)明治国家の完成 1890〜1905
(4)「国際化」の中の帝国日本 1905〜1924
5)政党から軍部へ 1924〜1941
(6)戦争・占領・講和 1941〜1955
7)経済成長の果実 1955〜1972
(8)大国日本の揺らぎ 1972〜

中公文庫シリーズ日本の近代 -
「逆説の軍隊」 捕虜虐待や非戦闘員殺害、終戦時の森師団長殺害など、ファナティックで特殊なイメージの強い昭和の日本軍だが、明治時代の北清事変や日露戦争では軍紀の厳正さと国際法遵守で高い評価を得た。この変容は何が原因か。様々な逆説を内包する日本軍の謎を「近代化」と「成長」をキーワードに解明する
「官僚の風貌 」
「日本の内と外」 開国で国際社会に編入された日本は、欧米が牛耳る「世界」を必死に生き延び、日清・日露の戦を勝ち抜いて二十世紀を迎えた。だが新しい世紀は、世界大戦の惨禍と、共産主義という新たな局面で大きく揺すぶられていた。第一部「列強への途」、第二部「共産主義の世紀」と二部構成で描く近代日本の歩み。
「メディアと権力」
「都市へ」(西欧文明との出会いは、日本の佇まいに何をもたらしたのか。それは、「場所」として存在した日本古来の建築物が「空間」と出会うことによって、都市が近代へと脱皮する出発点だった。変容する都市の風貌から、日本人のアイデンティティの軌跡を検証する。
「新技術の社会誌」
「企業家たちの挑戦」 三井、三菱、住友など財閥が勃興し、古河市兵衛や大倉喜八郎ら政商が活躍した明治を経て、大正昭和の大衆化の時代に消費者本位のビジネスを展開した小林一三、松下幸之助、本田宗一郎まで、大変動の時代をビジネス・チャンスと捉え時代を先どりした経営者たち。彼らの手腕と発想はどう培われたのか
0318無名草子さん
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2022/06/30(木) 15:14:05.98
第7回(1985年) サントリー学芸賞・政治・経済部門受賞
米国の日本占領政策―戦後日本の設計図 五百旗頭 真 (著

吉田茂賞受賞作
日米戦争と戦後日本 (講談社学術文庫) 五百旗頭 真 (著
真珠湾」から半年余、わが国が緒戦の戦勝気分に酔っていた頃、米国ではすでに対日占領政策の検討に着手していた

吉野作造賞受賞作
占領期 首相たちの新日本 (講談社学術文庫、五百旗頭 真 (著
敗戦2日後に誕生した東久邇内閣を皮切りとして、7年後の占領統治の終焉までに、幣原、吉田、片山、芦田、再び吉田と5人の首相、6代の内閣が生まれた
通史的に描くのではなく、5人・6代の首相たち(吉田のみ再度、政権についた)が、何を想い、何を資源として、
この地に堕ちた国を支え上げようとしたか。そして何に成功し、何に行き詰まったか。
0319無名草子さん
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2022/06/30(木) 21:35:34.05
江上波夫 『騎馬民族国家
司馬遼太郎は、江上を“最も敬愛する人”と言い、「独自の仮説なくして学問なし」
という信念の司馬は、“日本の考古学者で、40年の時に耐えうる仮説を提示し得た学者”
0320無名草子さん
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2022/07/01(金) 02:07:54.38
、司馬遼太郎氏の朝鮮(韓国)関連紀行文の 3 部作 − 「韓のくに紀行」「耽羅紀行」「壱岐・対馬の道」
− 研究の一環であって、朝鮮関係の表現を中心に司馬氏の朝鮮認識について探ってみるのに目的がある。
その内容は、1) 日本神道の原型は対馬にあり、対馬の古神道は朝鮮に定着した古代大陸信仰の影響を受けて
いたと見ていること 2) 「遣新羅使」の存在確認と単発性・無成果であった役割の分析 3) 豊臣の朝鮮出兵の
無謀さと日韓合併の間違いの指摘 4) 中西氏の山上憶良の百済流民説への賛同 5) 古代朝鮮半島の文字(イド
ゥ等)が存在していないことへの残念な遺憾表明 6) 元・高麗連合軍の日本侵略過程説明 7) 朝鮮儒教文化の
前近代性と閉鎖的弊害の指摘等である

壱岐には、唐人 ― 漂流朝鮮人であろう ― を祀った古趾が多い。海のむこうから来た客
人を神に近いものとして崇敬する民俗が西日本の島々や海浜にあった。<p. 35, 10>

「遣新羅使」の存在については韓国でもほとんど取り扱われていない。

ともかくもこの遣新羅使は日本の政治史にはどういう貢献もしなかったが、大坂湾を出て以来、
船泊りのつどおそらく全員が歌を詠み、そのうちの秀歌を記録し、保存し、ついに帰還まで百四十
五首という大量の秀歌を『万葉集』に入れたということで、文学史上の大きな業績をのこしたこと
になる。<p. 38, 6
0321無名草子さん
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2022/07/01(金) 02:20:31.51
○ 姓についていえば統一新羅などは徹底していた。唐という巨大帝国からの圧迫をよりすく
なくし、利益をより多くひきだすために外交の妙のかぎりをつくしたが、ついには朝鮮古来の氏族
のよび方や名のつけ方まで廃し、中国式にしてしまった、と私は思っている。<p. 44, 9

秀吉の朝鮮侵略のときに連れて帰った唐人に屋敷地をあたえて住ませたという。かれらに豆腐の
専売権をあたえて他の者にはやらせなかったというから、高知の豆腐はひょっとするとこの系列
が相当ながくつづいたかもしれないのである。豆腐は、朝鮮語で dubu という。<p. 75, 11

大まかなその理由は、中国、朝鮮の王朝を成立させている古代的農業社会が、地球上の他か
らの経済や文化の刺激によってこわれることをおそれたのであろう。徳川日本の鎖国は、いうまでもなく三代将軍家
光の代の十七世紀からだが、それまでの日本人には私貿易においても海外渡航においても、原則的
に自由であった。 ≪中略≫ 刺激のまっただなかでにわかに鎖されたからこそ特異な文化が醞醸
されたとみるべきで、古くから鎖国だった中国・朝鮮では、鎖国が常態であったために、古代が温
存されつづけただけであった。 条件の相違にすぎない。<p. 102, 8>

幾万でなく幾千であったとしても、それほどの人数を連れて帰ってしまったかと驚かされる。
日本側にとってこの朝鮮侵略は国内を疲弊させただけでなんのもたらすところもなかった。た
だ室町期からつづいた茶の美術の隆盛期にこの侵寇戦争は起こっている。朝鮮の民衆が用いるめ
し茶碗や雑器が、海をわたって日本の美意識の中に入りこむと、美学という人類が持った最高の錯覚に照射されて宝石以上のかがやきを持った。<
p.109, 4>
○ ともかくも徳川家は自分の手が汚れていないために、送還を約束した。が、いったん「宝
石」をうむひとびとを抱え込んだ諸藩はこの勧告をきかなかった。≪中略≫
双方、相互主義の原則をもちつつも、さまざまな点で凹凸があった。日本側が沿道の諸大名のは
しばしにいたるまで朝鮮通信使を重んじすぎ、一方通信使のほうは儒教的尊大さを持しすぎると
いうこともあった。儒教国と非儒教国の差ということもあるであろう。<p. 110, 15>
0322無名草子さん
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2022/07/01(金) 02:31:00.43
ただ山上憶良は、当時の人としては文明の感覚や人間意識の点でかけはなれた ― 日本離れした ― ところがあり、荒雄の死について
それを侠として感じうる精神と教養をもっているのは、あるいはこの人だけではなかったかとも思われる。
山上憶良は百済人の子ではなかったかという推定を、前期の中西進氏は持っておられる。 ≪
中略≫ ほとんど百済ぐるみが日本にひっこしたのではないかという想像が『日本書紀』の記述に
よって可能だが、中西氏は『山上憶良』で綿密に論考されつつ、やがて、自分の推定にもし従うと
すれば、として、憶良は百済でうまれた、とし、四歳のとき「故国滅亡の嵐の中を」父憶仁につれられて日本に渡航した、としておられる。<p. 137

○ 卜占という古代における一種の科学を含んだ日本神道は、壱岐・対馬からはじまっているのである

○ 対馬の場合、済州島よりも朝鮮半島に近いのに、『魏志』の倭人伝という三世紀の世界を書いた史書でも、「対馬国」として邪馬台国に属
している。邪馬台国から地方官として卑狗(彦のこと?)卑奴母離(夷守)が派遣されている、と
書かれているが、要するに上代から倭人世界の濃密な一地域であり、朝鮮世界に属したことがない。
両島の歴史地理の関係は、ふしぎといえばふしぎである。<p. 161, 1>

こんど公開されたこの国務省外交機密文書によれば、一九五一年七月九日、韓国の駐米大
使ヤン氏が、当時の国務長官ダレス氏に会い、対馬の領有を主張した、となっている。堂々とした外交交渉である。≪中略≫
室町期から戦国にかけて東アジアの沿岸に出没する倭寇のうち、朝鮮沿岸を専門とした者のほとんどは、対馬人であった。<p. 163, 2>

○ 朝鮮は中国以上に中華思想がつよく、むしろ激烈である。中華思想をもつ者でけが「人」
であり、持たないのは夷狄であり、それを漢字文化としてしか持っていない中途半端な日本人の
場合、特殊人として「倭」としか言いようがない、というのがその基本思想であろう。<p. 165, 4>
○ これを一挙に簡素化したのは、将軍の補佐役だった新井白石(一六五七 〜 一七二五)で
あった。かれは朝鮮通信使の傲岸さをたしかに憎んでいた 8)。<p. 168, 10>
0323無名草子さん
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2022/07/01(金) 02:47:32.07
○ 日本の儒学は、中国や朝鮮のように科挙の制がないために、国を挙げてやるということは
なかった。いわば専門家にまかせるという主義で、古く京都の朝廷で博士家をその専門の家として、
維持させた。鎌倉になって武家政治が出現すると、統治学としての儒学はおとろえた。日本の武家政
治というのは、中国でいう法家にちかい。<p. 171

○ 朝鮮と日本の関係は、ときに個人レベルでの友情も成立させがたいほどにむずかしい。そのことがすでに十八世紀初頭から存在している

朝鮮は、中国大陸に隣接しているため国をたててゆくについて困難な環境にあった。朝鮮独自の年号を用いたこともあったが、国家の安全の上か
ら中国を宗主国とし、その年号を用いたことのほうが多い。といって十九世紀のヨーロッパ的概念
における属邦ではなく、単に宗支 ― 本家・分家 ― という儒教的礼教を原理とするそれであったといっていい。<p. 184, 11>

中華とは簡単にいえば対外意識において他国を野蛮人とみる意識なのである。この時代もその
後も朝鮮の公文書では、日本の室町大名や小名はみな倭酋とか巨酋とかいった表現でかかれてい
る。酋とはいうまでもなく未開人のかしらという意味だが、ひるがえっていえばそのように書かね
ば自国が中華、小中華にならない。中国、朝鮮が凄惨な停滞におちいったのはこのためであった。
古を尚ぶという停滞こそ儒教的には正しい姿であり、相手を正視する視点をもたず野蛮国でもって片づけてしまわねば、自分の礼教が立たない。
0324無名草子さん
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2022/07/01(金) 02:49:14.30
○ 古朝鮮は、古日本と同様に、固有の文字がなかった。古朝鮮が記録時代に入るやいなや、
記録には漢語、漢文を用いたことが、それらを日本に伝える上で日本のためにはなかった。しかし
朝鮮にとっては記録を中国語に置きかえて ― それも鮮やかすぎるほどの漢文で ― おこなう
ために、後世にとっては古朝鮮語がどんなものであったか、わからなくなってしまった。古曰本の
場合、『古事記』と『万葉集』がのこされたおかげで古語が中学生の学習書の中にまでコトパと
して生命をもちつづけている。もし古朝鮮のことが書かれた『三国史記』が朝鮮語によるものであ
ったなら、日朝の比較言語学というのはよほどおもしろいものになっていたにちがいない。
古朝鮮語というものが、せめて地名にでも残っていればすばらしいものであったろうと思うの
である。統一新羅王国は対中国政策で惨憺たる苦心をしたことは大いに評価されねばならないが、
その大政策の一環であったのかどうか、全朝鮮の地名をすべて漢語漢音にしてしまうという思い
切った文化大革命をやってのけた。このため、地名からも古朝鮮語が消えた。もし地名にそれが残
っていれば、対馬にきて古朝鮮の地名との異同を考える楽しみがあるのだが、いまとなれば対馬単独で考えざるをえない。<p. 236, 4
0325無名草子さん
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2022/07/03(日) 14:02:55.63
司馬遼太郎はエッセイ「大正生まれの「故老」」中で、東條を「集団的政治発狂組合の事務局長のような人」と言っている。
0326無名草子さん
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2022/07/05(火) 01:16:27.27
日本神話と古代国家 (講談社学術文庫) 直木 孝次郎 (著)
神話の条件として著者は、「神々の物語が、一部の人の創作でなく広く民衆に支持され、宗教性と呪術性をもつこと」をあげる。
「記・紀」編纂の過程で、また明治以後の歴史教育のなかで、日本神話はどのような潤色が加えられたか。
天孫降臨の話やヤマトタケル伝説、三種の神宝などの具体例をもとに、綿密な文献学的方法による研究を進め、古代国家の歴史と形成に果たした神話の実体を明らかにした労作。

日本古代国家の成立 (講談社学術文庫) 直木 孝次郎 (著)
四世紀の崇神天皇に始まる三輪政権が、応神天皇を始祖として瀬戸内海の制海権を握った河内政権により征服される過程や、壬申の乱の後に天武天皇が実力で
全権を掌握するまでを綿密に解説。また稲荷山古墳鉄剣銘を独自に読み解き、雄略天皇の日本統一をめざした戦いを明らかにするなど、古墳や遺物に秘められた謎を著者ならではの緻密な分析と推理で解く
0327無名草子さん
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2022/07/05(火) 12:20:29.88
岡田英弘先生(東京外国語大学名誉教授)の日本史等に対する見方(歴史観)についてである。一点目としては、日本の歴史を「世界史の一部分」として捉える、ということである。逆に言えば、日本の古代史論議における最大の「欠陥」は、「日本古代史を世界史の観点から見ようとしないこと」(p.11)であろう。
次に二点目として、「歴史は、何よりもまず…(中略)…書く人の主張の表現」であり、「歴史は決して、単なる事実の記録ではなく、何かの立場を正当化するために書くものである」(前掲『日本史の誕生』序章)ということである。さらに付け加えるならば、「歴史」という文化は、
岡田先生の区分けによると「地中海型」と「中国型」に大別でき、前者は「対立」を、後者は「正統」をモチーフとしており、我が国最初の歴史書である『日本書紀』を見た場合、当然のごとく「中国型」をモデルとしてい
0328無名草子さん
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2022/07/05(火) 12:27:13.95
葛城と古代国家 (講談社学術文庫) 文庫 – 門脇 禎二 (著)
統一王朝大和朝廷が成立する以前、大和には倭国(やまとのくに)と葛城国(かづらきのくに)が存在していた。百済からの渡来人、蘇我氏とその一族が定着した地、海外の新文化の流入路で数多くの古墳が残る葛城は、
どのような国だったのだろうか。考古学の成果と諸史料の綿密な検討によって、その支配の実態と大和との関係を系統的に解明する。
《付》河内王朝論批判

古代出雲 (講談社学術文庫) 文庫 – 門脇 禎二 (著)
1984年、出雲の弥生中期の遺跡神庭荒神谷(かんばこうじんだに)から大量の青銅器が発掘され、世間の耳目を聳動(しょうどう)させた。
銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本、初の同時出土。古代の出雲には、どのような勢力が存在したのか。
大和や吉備との関係は、どのようなものであったのか。考古学上の新発見と数多くの論考・新説を検討し直し、著者独自の視点から、鮮明な古代出雲像を提示する。

大和朝廷 (講談社学術文庫) 文庫 – 上田 正昭 (著)
大和朝廷の起源は、今も多くの謎ち包まれている。本書は古代国家成立の経緯を、2世紀後半の倭国動乱から説き起こし、卑弥呼が登場する女王の世紀を経て、
4世紀三輪王権確立による倭国の発展と5世紀の河内王朝への推移を解説。さらに大伴氏など有力豪族と大王家との争いによる王統断絶と蘇我氏の進出までを
、綿密な文献批判と大胆な推理で考察した。古代史研究にあらたな問題提起をした力作。
0329無名草子さん
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2022/07/05(火) 12:40:49.29
渡来の古代史 国のかたちをつくったのは誰か (角川選書) 単行本 – 2013/6/22上田 正昭 (著)
日本の歴史を考える上で欠かせない、大陸から来た人びと。百済・加耶系の漢人、新羅系の秦人、高句麗系の高麗人などは、いつ、どのように登場し、
どういった役割を果たしたのか―。彼らの入国を意味する「帰化」と「渡来」の語を明確に区分、古代史に風穴をあけた泰斗による、
「渡来人と渡来文化」の集大成。近年の発掘調査の成果も踏まえ、古代国家形成にかかわる渡来を、東アジアという視点でダイナミックに提示する。

帰化人 古代の政治・経済・文化を語る (講談社学術文庫) 関 晃 (著)
四~五世紀、楽浪・帯方から渡来し、大和政権に貢献した人々。六~七世紀、律令国家成立に寄与した韓民族。日本が新しい段階に足を踏み入れ、
豊かな精神世界の展開を可能にする、大陸や半島の高度な技術や知識をもたらした彼らこそ、古代の日本人そのものだった―。帰化人の実像に迫り、古代東アジア史研究に多大な影響を与えた、不朽の金字塔。

日本の歴史〈1〉神話から歴史へ (中公文庫) 文庫 – 2005/6/1井上 光貞 (著)
謎にみちた日本民族の生成を神話学・歴史学・考古学の最新の成果によって解明、神話の中の真実を探り、女王卑弥呼を語り、日本の歴史の夜明けを描く。
第二次大戦後、画期的な進歩を示した歴史学と発掘成果いちじるしい考古学とは、古事記・日本書紀の世界に、まったく新しい光を投げかけた。
これら諸学を総合的に協力させることにより、従来の歴史書には見られない鮮明さで、古代日本はその姿を現すこととなった。巻末に森浩一「四十年のちのあとがき」を付す。

飛鳥の朝廷 (講談社学術文庫) 文庫 – 井上 光貞 (著)
倭王武にはじまり、仏教伝来と聖徳太子の登場、大化の改新を経て白村江の戦い、壬申の乱と続いた動乱の時代。中国・朝鮮と濃密な関係にあった日本は、
東アジア世界の激動の中、文化の飛躍的発展を背景に古代天皇制を確立し、統一国家への歩みを進めた。『日本書紀』など史料の精緻な分析により、史学界の泰斗が六~七世紀の日本の姿を鮮やかに描き出
0330無名草子さん
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2022/07/26(火) 21:18:14.78
慶応長崎事件 単行本 1985/8/1司馬 遼太郎,
発表媒体はまちまちながら昭和30年代後半に書かれた『慶応長崎事件』『薩摩浄福寺党』『倉敷の若旦那』『五条陣屋』『おお、大砲』『壬生狂言の夜』『侠客万助珍談』『けろりの道頓』
を収める講談社(当時)独特の短編選集。
現・講談社文庫ではこの外題・構成ともに失われており、更には『おお、大砲』だけは版権が離れたのか、同文庫のどの短編集にも見当たらなくなっている(要確認)。その意味で貴重(?)な本書は、
大阪の陣で幕を閉じる巻末の『けろり〜』を除いて、旧幕時代の極末期、文久から慶応にかけての数年間に起きたエピソード的な小事件を並べた連作―時系列通りではないが―の体裁。
0331無名草子さん
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2022/08/01(月) 11:22:51.23
江戸近郊道しるべ 現代語訳 (講談社学術文庫)

文化・文政・天保の頃、徳川家御三卿のひとつ清水家に仕えた武士が、多忙な勤務の合間に楽しんだ日帰り散策紀行。大都市・江戸も一歩郊外に出れば、
豊かな自然に囲まれていた。起伏に富む地形、田畑と湿地、深い森に佇む社寺旧跡と素朴な人々。ささやかな名所・絶景を求めて歩く喜びに満ちた、時空を超える江戸東京お散歩ガイド。(解説・田中優子)
0332無名草子さん
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2022/08/01(月) 21:28:49.23
ロシア人によるロシア国家の決定的な成立は、わずか15、16世紀にすぎないのです。若いぶんだけ、国家としてたけだけしい野性をもっている(p10)
・ロシアの対外行動には、一つの法則がある・・・異民族地帯に乱がおこったときに、救援をもとめてくる一派の勢力に加担し、その一派から出兵を要請されたとして出兵し、そのあと「法を改め政を匡す」(ロシア領にする)(p220
)1533年、有名なイヴァン四世(雷帝)が即位・・・ロシア国家の基礎ができあがる・・・貴族に反逆のうたがいあれば住民まで大虐殺する・・・恐れをもたせることこそ当時のロシアにとって統治の本質的な秘略
ロシア史においては、他民族の領土をとった場合、病的なほどの執拗さでこれを保持してきた・・・やる気なら喧嘩は買ってもいい。という考え方を伝統的にとってきたロシアが、日本と北方四島返還さわぎにのに例外を設ける保証などどこにもない
シベリア出兵・・・理由もなく他国に押し入り、その国の領土を占領し、その国のひとびとを殺傷するなどというのは、まともな国のやることだろうか(p249)
0333無名草子さん
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2022/08/01(月) 22:45:15.83
初めて世界一周した日本人 (新潮選書) 1993/9/1加藤 九祚 (著)

江戸時代、多くの荷船が海難事故で漂流した。船乗りたちの大半は水死したり餓死したりしたが、
漂流しロシアの船に乗って世界周航した漁民たちがいた。その見聞録に、外国人が見た彼らの様子を合わせて、その周航の全貌を描く

魯西亜から来た日本人―漂流民善六物語 単行本 1996/10。
1813年函館。高田屋嘉兵衛の仲介による日露会談の席に、ロシア側の通訳として一人の日本人がいた。漂流の末カムチャッカ
にたどり着いた石巻若宮丸の乗組員でロシアに帰化した善六の生涯を中心に漂流民たちの足跡を追う。
0334無名草子さん
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2022/08/02(火) 19:40:11.16
乱世の英雄
海音寺潮五郎

豊臣秀吉は成功者なら誰でもする少年時代の苦労話をなぜしなかったかなど、歴史通の著者が披露する楽しい歴史裏話がいっぱい。
0335無名草子さん
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2022/08/05(金) 17:50:17.31
大和維新 単行本 2018/9/21
植松 三十里 (著)
「勤、大和の誇り忘れるべからず」師は13歳の今村勤三にそう書き遺し、天誅組と共に散った。やがて明治。維新を先駆けたはずの奈良県は廃藩置県を経たのち大阪府へと吸収され、
災害復興も後回しの屈辱的地位に置かれた。議員となった勤三は師の無念と民の怒りを受け、大和の再独立のために立ち上がる。

平成15年「桑港にて」で歴史文学賞を受賞して作家デビュー。平成21年「群青 日本海軍の礎を築いた男」で新田次郎文学賞受賞。同年「彫残二人」で中山義秀文学賞受賞。
0336無名草子さん
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2022/08/06(土) 19:42:39.84
天明蝦夷探検始末記―田沼意次と悲運の探検家たち

浅間山の大噴火や東北大飢饉、北方からの異国船の到来やアイヌ民族の蜂起など、世紀末的な様相を呈した江戸時代の天明期。この時代の転換期に、かつて誰もなし得なかった蝦夷地探検が秘密裡に決行された――
本書は、みちのくの山村の地下に潜った『蝦夷拾遺』を読み解き、探検の全体情況を細密画のように描き切った在野の研究者による画期的な労作である。田沼意次の北方政策を浮かび上がらせ、
松平定信による歴史歪曲と粛清政治を徹底批判、そして青島俊蔵ら断罪された蝦夷地探検者たちの名誉回復をめざす名著、待望の復刊。
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