【西那須野〜京都】二十歳の原点2【高野悦子】
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独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。
前スレ
【カッコ】二十歳の原点【高野悦子】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1287500812/
案内サイト
高野悦子 二十歳の原点案内
http://www7b.biglobe.ne.jp/~takanoetsuko/ http://www7b.biglobe.ne.jp/
1969年1月〜3月頃? 嵐山の下宿に訪ねたときの長沼さんの感想
移った嵐山の下宿に3回訪ねました。6畳もない細長い部屋でした。
そこへ私たちが何人かで民青の話をしに行きましたが、“拒否”されました。
「一緒に問題に取り組んで…」とか言って引き戻そうと一生懸命に説得しましたけど、
最後は殻に籠もったままでダメでした。
彼女はずっと隅に座って暗い顔をして黙ったままでした。こちらが一方的にしゃべる
だけで、そうしたら彼女はまた日記を書いてますし。よほど私たちがうっとうしいと
感じてるのかなって思いました。
“ああ、もうだめなんだなあ”って。これ以上話してもいけないと思って引きあげまし
た。
どうして嵐山に行ったのかなあって初めは不思議に思ってたんです。
あとからですが、彼女は結局、民青に対して不信感を抱いたのかな、と。だから私に
対してもだんだん距離を置くようになって、それで引っ越したんだなあって思って…。
さみしかったですね。
自分探しをしていた彼女
長沼:嵐山の下宿で会った時が最後でした。彼女がそのあと丸太町御前に引っ越し
たという話は全然知らなかったです。そのあと彼女は亡くなりました。
話を聞いたのはそれからまもなくで、もう学生運動が少しおとなしくなった時でした。
最後に会ってから自殺するまで時間的間隔があまりなかったことを知って、よけいに
ショックでした。亡くなった場所へ行きましたし、彼女がかつて暮していた山科の下宿
を電車の窓からよく見つめたものでした。 1969年1月〜3月頃? 嵐山の下宿に訪ねたときの西山さんの感想
彼女の嵐山の下宿には一回だけ行ったことがある。学園紛争やってたころだから、
たぶん1969年1月じゃないかと思う。こんな「ちくしょう」なんて書いてること
知らないもんだから、長沼と一緒に彼女の部屋を普通にオルグのつもりで訪ねた。

そしたら同級生で知ってる牧野が出てきて、「もう二度と来ないでほしい」と
きつい口調でバーンと言われて、それもものすごいショックだったなあ。
 あの
時に高野悦子の顔を見たのが最後だった。 http://www.takanoetsuko.com
その間に男性関係があったでしょう。そのことが大きいです。かわいそうで、“なんでそんな”って。
女の弱さなのかなあと思いました。
人ってみんな周りの見方が全部違いますから、何が真実かはわかりません。
ただエッチャンは人間が信じられなくなったんじゃないでしょうか。それしか考えられないんです。(談)
+++++++++
彼女の恋活はことごとく失敗した。淡いものから火遊びまでしたが、形のあるものにはならなかった。
青年期に、恋愛の相手を見つけられないのは寂しくもあり苦しいことだ。
それと、自己否定=学生であることをやめるというセクトの考え方を受け入れたが、そのことが、彼女の
生きる希望を失わせたように思える。
学生ではない自分を想像することができず耐えられなかった。 彼女は大学生生活をとても貴重な有限な時間として思い描き行動していた。
本を読み、サークル活動をし、恋をする、そんな夢や願いをもって入学した。
最初の大きな失敗はサークル選びだったと思う。スポーツ系でもないし、趣味や学習系でもない。
社会活動を伴うようなので、良心や真面目さだけで続けられるものではなかった。
不器用で盲目的に生真面目な自分が、自分に無理を強いた選択をしたことに気が付き、1年後には活動が
負担となった。また、恋の相手もできなかった。
ここから彼女の焦りは加速していく。遅れを取り戻そうと、大人への階段を二段三段飛ばしで駆け上がろ
うとする。サークルの選び直しと入り直しをする。そして対男性での行動で特に焦りが出てしまった。
その結果が、二つ目の失敗で、ワンゲル小林との冒険的初体験だ。これは自己イメージを毀損し、免疫疾患
のように自分自身を炎症させ苦しめることになった。
そして三つ目の失敗は全共闘で学生運動を再開してしまったことだ。民青系からは離れたのだから、政治的
運動からは一切足を洗うべきだった。
そして、四つ目の間違いは、第三の間違いとほぼ同時進行下で起きた中村との火遊びだった。
これは遊びにはならず本気になってしまい、学生運動とあいまって彼女の人生のクライマックス的はイベント
となり、喜びと悲しみ、心身ともに激しく高く舞い上がっていった。
その舞い上がった日々は2週間ほどしかない、映画の演出効果ならスローモーションで5秒ほどの瞬間だ。
次の瞬間には、ドッサッという効果音とともに、映画と彼女の人生は終わる。
そもそもの間違いは、大学の選択にあったかもしれない。京都ではなく東京の大学に行っていれば、まったく
別の人生を送ったことだろう。
大学が悪い、京都が悪いと言っているのではなく、人は時間と場所の中で生きているわけだから、別の場所で
生きていたら別の結果があったということなのだ。
そして、その時間なのだが、この選択できない時間こそが、1969年という時間こそに、大きな不幸があった。 父親が書いているように、子供のころに心臓弁膜症と診断されたことが、
高野悦子の人格形成と思考様式に少なからず影響を与えたのは事実だろう。
そうした病を患っていることが「自分は不完全な存在である」というコンプレックスになり、
さらには「明日にも死ぬかもしれない」という思いから、人生を生き急ぎ、第三者からみると
自暴自棄的な行動に彼女を駆り立てていく一つの要因になったんじゃないかな。 日記からすると、二人の男と体の関係を持ったようだ。
初体験はワンゲル小林で、この男とはこの一度だけ。
二人目は中村で、三度ほど関係をもったように読み取れる。
小林のときも、中村のときも、酒を呑んだ上で肉体関係と
なっている。
小林の時はサークルの飲み会の後で、中村とは仕事の後に
スナックへ行き関係をもった。
性への好奇心は強い方だったのではないだろうか?
酒が入るとその好奇心が表に出るような女性だっただろう。
特に、初体験後はそのように見える。
中村も、そして小林も、レイプしたとか無理矢理ホテルに
連れ込んだとか、そういうのではないように思われるのだ。
小林と安宿に入った経緯には、無自覚な狡さ=自己防衛的に
事実関係をすり替えて日記に書いた部分があるように思える。
嵐山の下宿で吐くほど酒を飲んだ原因は、そんな汚れてしま
た自己イメージによる自己嫌悪に苦しんだからだろう。
いずれにせよ、悦子さんも生々しい欲望を持ち、血と糞の欲
望を持ち、その欲望の取扱に悩み翻弄され苦しんだ一人の若
い女性であった。 http://www.takanoetsuko.com/sub19690617.html
*****上記サイトより引用
二十七日、中村氏と呑みに出かける以前と以後では、私との繋がりにおける鈴木と中村氏との関係はお互
いに逆転していたということが確認点の一つ。それはスナックで中村氏と一緒に話し、一夜を飲みあかすこ
とにより生まれてきた。
この一ヶ月半は私にとって非常に苦しい期間だった。あなたに会った回数は数えるほどしかなかったが、
1969年5月4日「二十七日、中村氏と呑みに出かける以前と以後では、」
1969年6月2日「中村とのリレーション。四・二七、五・一三、五・一九、御所で二回あい、テレを数回」
ここ数日、ビヤガーデンであれほど会いたかったあなたの顔を目の前にみながら、
1969年6月14日「今日、中村はビヤガーデンにきていた」
1969年6月17日「中村の目の前で働きながら私は何もできなかった」
*****引用終わり
悦子さんは中村と本当に実際に寝たのだろうか?
4月27日に中村と一夜を飲みあかす、と書いているが、関係を持ったとは書いていない。
中村とのリレーションと書くが、電話で話したことまで書いている。
4/27に関係を持っていなかったとしたら、5/13と5/19しか関係をもった日はない。
他の所で、中村とは肉体関係だけだったのか、という表現をしているが、何か別の比喩的表現ではないか?
寝たのか、キスぐらいなのか、それで肉体関係なのか? 確定的なことは分からない。
悦子さんの一方的な片思い、それも所謂肉体関係なしに、ということも有りうる。
中村の前に意識していた鈴木に対する彼女の思い込みもかなりなもので、この頃は彼女は男を強く求めて
いた。 >>654
>それはスナックで中村氏と一緒に話し、一夜を飲みあかすことにより生まれてきた。
>>生まれてきた。
この表現を見るかぎりは、少なくとも4/27には男女関係を持っていない。 なにゆえ電話まで含めた関係=リレーションなるものを書き連ね、確認したのだろうか?
それは中村との関係が不確かなものに思え、自信がなかったからだろう。
付き合っていることを自分の中で確定したかったのだ。
これだけの関係があるから中村も私のことを思っているだろうと、思いたかったのだ。 ホンネ ト タテマエ
キレイゴト ト ヨゴレゴト
ゴウリ ト フゴウリ
メイ ト アン
エロ ト アガペ
日記の後半部分では上記の心理や行動が入り交じる。
相反する心理や行動、どちらか一方ではなく、どちらも悦子さんなのだ。
また、悦子さんだけのことではなく、人一般のことでもある。
メスであり女であり、オスであり男であり、人であり動物.生物である。
それぞれが対語であると同時に、いかにして包括するか、できるかが、
各個人に問われる。
時にメスやオスが前面に出ることもあって当然なのだ。さぁどうする? 関西以外の地域の方には、2月25日(土)にNHK総合で放送があります。午前11時半から。
目撃!日本列島「悩んで、もがいて、生きて〜若者たちの“二十歳の原点”〜」 高野悦子『二十歳の原点』の特集です。関西では昨秋、ニュース番組内で5分ほどの特集が放送されましたが、
今回は30分番組になっています。今週金曜日(2/10)、夜7時半から。 録画見た。
見所は最初の5分程度(原点の直筆ノート、高野さんの着物姿の初見カラー写真等)、
あとはどうでもいい内容 なんか久しぶりに来てみたら、怒涛のように長文の投稿があって驚きました 読んだことあるけど、わけがわからないだけだったけど。
左寄りの内容なのに、なぜか今でも人気があるなんて知らなかった。
あと、この前の放送で「女の子は女らしく、妻は夫を立てて」の部分。
今だったら、建前だけなら「女性の自立」を主張しやすいし、「女は男に従う
もの」と人前で(心の中で本気に思っているか、またその考えを実践しているかは
関係なく)主張した方が勇気が必要だし。ある意味、口先だけでも「女性の自立」
を主張した方が楽。
右でも左でもとりあえずは(具体的な案を出さずに抽象論にとどまっている限りは)
受入れてくれる今の方が生きやすかったのかな。 入学当時は純粋無垢で理想を求める、多少の左翼的傾向をもつ文学少女。
当時ではよくあるタイプの学生だっただろうが、その「純度」は非常に高かった?
人の良さをお人好しとも言う。活字に影響されての思い込みの強さも半端無い。
当時の雰囲気をそのまま、あまりにも素直にストレートに飲み込んで、サークル
の選択枝に底辺研と部落研を上げ、そして実際に部落研に入った。
動機の中には、理想主義や犠牲的精神、社会的政治的使命感のような気持ちが多分
にあったはずだ。
あまりに純粋で生真面目な少女は、厳しくもあり美しくもない現実と向き合うこ
とになり、次第に無力感と苦痛を感じることになる。
彼女が求めるような人間関係、恋愛関係も実現しなかった。
大学生の二年目、自分自身や周囲が次第に見えるようになり、自分自身の欲も出て
きた。サークルが辛くなった、恋愛もできそうもない、部落研を退部して、再度原点
に戻って大学生活をやりなおそうとする。
それが、大学生としての二度目の原点であり、年齢的に二十歳の原点でもあった。
つまりは入学当時に思い描いた自画像に対しての挫折状態、そんな原点からの再開で
あり、孤独という原点からの再開であった。
その大学生活のやりなおしと再開はワンダーホーゲルへの加入から始まった。
>>ハイ、ワンゲル部に入りましたというのである。
この文章には、彼女の若干の うしろめたさ を感じることができる。
つまりは、苦しいサークルから逃げたという、うしろめたさ である。 >>851
東京や京都ではなく、学校の専攻の学問を社会奉仕に役立つためと
脳内解釈しやすい医学部や工学部に入ったら。または、法学部に入って
弁護士を目指すとか。文学部でも、専攻する学問は社会に役立つものと考えて大学の
講義に熱中すれば、そのうちに、世の中も落ち着いてきて、本人も、イデオロギーと
どの程度距離を取ればよいかわかった?
あと、10年遅く生まれて来たら、オウムに入っただろうか。 「そして私自身も醜い。鈴木との肉体関係をのぞむし、くさいくそもすれば、
小便もする。メンスのとき血だらけになる。 」のくだりは、スカトロマニアが
読んだら悶絶死すると思う。 >>667
悦子さんがなんでそんな気持ちになったかといえば、
彼女は天上の神か天使か抽象的な雲のような存在から
自らを、また人間を、見下ろす目と意識を、持ってい
たから?
まぁそんなことはないな、思春期には多かれ少なかれ
そんな感情が生まれてくる。ヒゲが面倒くさい、生理
が面倒くさい、なんでこんなところに毛が、などなど。
自らの生物的身体や欲望を嫌悪したり手に余るものと
して感じる。
自らの動物性を嫌悪する、もうひとつの自分がいた。
脳味噌の中の社会意識や美意識と、腹や下半身の中の
動物性とが、悦子さんという女性の中で火花を散らし
ていた。
日記の中で彼女は理性的であろうとする、自分の行動
や選択にきちんとした理由や根拠を求めようとした。
人間はどこまで行っても動物であり天使にはなれない。
女と男、メスとオス、そんな生物的制限や限界の中で
しか生きられない。自らの動物性を受け入れなければ
ならない。そのことに苦労する人もいるのだ。
セックスが気持ち悪いという人もいれば、セックス脳
になり中毒症状になる人もいる。
悦子さんは女とメスの間で迷い、人間と動物の間で迷い
、合理と非合理の間で迷った。
思春期の、無防備な子供のような純粋無垢さが壊れたとき
、少しずつ、そして突如としてバランスが壊れ、上記の対立
項の後者の方に一方的に傾き、崩れていった。 人間を動物に戻すには飢えさせればいい。
食物の欠如での飢えもあれば、
他者とのふれ合いの欠如による飢えもある。
特に異性との心身を含むふれ合いの欠如による飢えは
女を男を動物に戻してしまう。大袈裟か?
少なくとも正常な思考や感情を持ちにくくすることが
あるかもしれない。
私が次々と男を好きになるのに、男達は私を見てくれない、
受入てくれない、異性と心と体の体験を共にしてみたいのに、
また裏切られた、中村よお前もか、私は飢えている、だが、
もはや飢えの欲望も感じられなくなってきた、もうどうでも
いい、こうなったら私を無視し拒絶した世界の破壊あるのみ….
それにも疲れた無理だ、
もうこれ以上傷つくのはイヤだ、これ以上の苦痛はイヤだ。
もう終わりにしよう、自らの身体と意識を消し去ろう….
警笛と共に迫り来る列車を見ながら、彼女は冷たいレールに
そっと頭を乗せた。 甘ちゃんの私だから理解できる、
悦子さんはお人好しの大甘ちゃんだった。
でも、死ぬ必要はなかった。
普通は死ねない。
責める気にはなれない。
とにかく異常な時代だったのだろう。 死ぬ前日に睡眠薬30飲んでも何も変化なくて、ぼーっとしたまま絶望の深夜2時の徘徊じゃないかな。
その日はずっと死に場所を探してたと思う。 睡眠薬の副作用があった可能性は高い。
どのように、どれくらい、かは分からないが。
2日前の日記の中で自分自身を自殺へと追い詰めている。
もう希望もなにもないんだと。
失恋の傷心と運動の挫折感に加え、
睡眠薬、寝不足、1週間ほど何も食べていない、、飲酒、
間違いなく疲れ果てていたはずだ。
そんなボロボロの状態だから、自殺の壁はかなり低くな
っていた。 社会主義とか共産主義の社会をユートピアのように考えたんだろう。
それ以前に革命とか語感に酔い痴れていたのか?
その当時の現状では、社会主義も共産主義も、変形的な中世封建絶対主義の
焼き直し版でしかなかった。
レーニンやスターリン、毛沢東という新指導者=新独裁者=新王様達。
しかも行政だけでなく、思想という「宗教」も彼等と彼等の政党に一元化さ
れていた。究極の絶対主義であった。
左翼のふりをした絶対主義。社会主義のふりをした三代金王朝もある。
そして、専制独裁は右翼も同じでアプローチが違うだけ。
オスとメスのヒトの世界の常。
猿山のボスの地位獲得競争。血で血を洗う、攻撃的な男性ホルモンの争い。
場合によっては血の繋がった兄弟をも殺害する。
理論や政策の違いなんて名目で、指導者同士の権力争い、領土争い。
戦国時代の凶暴な信長などの領主武将達と同じ、ボス猿同士の争い。
所詮はヒトの世界、強さ弱さ、美醜、高低、能力差、運不運など、これらは
どうしても避けることはできない。
ヒトの世界にバラ色のユートピアなんてない。
そんな夢のような空想の世界の犠牲になった当時の優秀でお人好しな学生達。 しかし、やっぱ当時は民青の暴力革命って言うの?酷かったんだね。
地元で何十年か前に大学の入り口でビラ巻いてる人達を角材で襲撃してたのも民青の人達。
自分の正義のためなら人殺しもいとわない。 人間は動物であり生物である、このことを大前提にし、貫かないと、
あらゆる感情や知識そして理論が奇麗事の嘘になる。
雲のような存在から自分自身の生物性を嫌悪するか、生物性を表に
出さなければならないその時まで見ないことにするしかない。
進化論を否定する、猿が進化して人間となったことを否定する考え
は、神が人間を創造したという聖書を信じたいのか、あるいは自分
の中の猿を、生物性を嫌悪し、否定したいのか?
猿を見て、あのような動物から枝分かれして進化して私になったって
いう事実を受け入れるのはやはり抵抗があるが、それは自然な感覚だ。
しかしそこから出発しないとすべてが奇麗事の嘘になる。 =「そして私自身も醜い。鈴木との肉体関係をのぞむし、くさいくそもすれば、
= 小便もする。メンスのとき血だらけになる。
まあ、事実だし否定しようもない。否定する必要もない。
僕は私はウンチをするんだよ、って言われても、そうだろうなと。
で、悦子さんは何を言いたかったんだろう?
女だけど、女だって実は汚いんですよ、メスの部分があるんだよ、って、
言いたかったのか?
悦子さんも知ってたはずだけど、みんなウンチはしてるし、それほど強調する
ことでもないことなんだけど、微妙な話題だけど確認しておきたかったのだろう。
こういう問題は話さない書かないでいいんだ、口にしなければそんなことは存在
しないのと同じだから。
想像するのと、実際に見るのとでは、100キロメートルぐらい距離があるんだ。
存在するのだろうが見えない、見えないことは存在しないのと同じなんだかから。
唐突だが、ここから 二次元の女 の話しも可能だ。 こんなに若くてきれいな女の子が、くさいウンチを大量に出している。
そう考えると激しく興奮した!!! >>678
人間とヒトの狭間で、いわゆる変態的欲情が生まれる。
ということは、誰しもが変態的なところを持っているってことだろ?
ここでもまた、程度と行為が問題となる。 実際あまりかわいくないだろ。奇跡の一枚に騙されてるだけで。 戦前の、清水澄子『ささやき』もそうだったが、夭折者の遺稿集には、
一番良い写真を使うのが、編集する側の思いやりだろうよ。
強面で有名な、ある夭折作家の全集見本にも、教科書でおなじみの写真ではなく、
最も良く撮れていたのを載せていた。 遅ればせながらFBで放送があったというので来てみたら
大した情報は無かったみたいだね
>>626
噂の範囲だが、仮名も含め書き換えはあったようだね
案内のサイトの作者に直接メールをして那須文学のものを載せることは出来ないかと聞いたら
色々問題があって出来ない、という回答だった >>683
突然出てきた案内サイトだけど、その価値は大きい。
まさか悦子さんの同級生まで探して当時の証言を語らせるなんて考えてもみなかった。
サイト主は東京在住だが、その行動力には感心する。
サイトの情報が出てくるまでは、悦子さんが何かヒロイン化され、現実離れしたイメー
ジが出来上がっていたが、やはり当時の普通の女子大生、ひとりの女性だったという、
そんな当たり前なリアルな事実をあらためて浮き上がらせる結果となった。
私は正直言って、悦子さんそのものに強い関心があるわけではなく、悦子さんを通して
1970年初頭に感じたり経験した自らの愚かな若かりし時代を思い起こしている。
同年齢ではないが学生運動の残り火がまだ残っていた時代に大学に入学した。
反省などしたくはないが、あまりにも幼く偏狭だったという思いが強い。
思想や宗教にとらわれることなく生きるという柔らかさを失っていた時代。
悦子さんの不幸な出来事は、悦子さんという個性の中で、時代を集中し先取りした結果
の不幸だった。彼女は内から壊れてしまった。
遠くから見れば、不毛で不幸な時代だった。ある種の学生にとっては受難の時代だった。 悦子さんには生き残って欲しかった
ぜひ会いたかった 80年代に読んだ左翼系の歴史の入門書の冒頭に、ある大学生のコメント
「自分はかねがね人民に尽くしたいと思っているが」。
本人は、人民とは思わなかったのか。
>>687
人民に尽くす・・・・
今の時代で表現すれば、ボランティア精神だろうか?
そこに階級論を被せると当時の学生の気持ちが見えるようになる。
悦子さんがそうだったが、自分を守る、自らも利するという持続
可能な価値観や行動を捨ててしまっているところに幼さが、また
根本的な間違いがあった。
それは自己犠牲という自爆だ。 現在の左翼にもあるように、
悦子さん達は、人間とはすばらしい存在であり、条件が満たされれば神のようにも
なれる、というようなお花畑でお花を摘むような甘い想定で人や社会を捉えていた。
人間の美醜の、美だけを見、醜を無いもののようにした。
人間の動物性を見ないように、話題にしないように、無いように幕を張った。
人はパンのみにて生きるにあらず、どころかパンに目もくれずに、雲や夢を食す、
どこにもあり得ない、ユートピアを夢見た。
もちろんそれは幻想でしかなかった。 本来は下部構造(経済)中心で宗教には批判的な唯物論が一種の宗教になった皮肉。
マルクス主義の発展史観はキリスト教(千年王国)の影響を受けていると思えば
理解しやすいけど、当時は、余程偉い学者でもない限り、そんなこと(唯物論とキリスト教
の関係)言えなかった?
>>687
「自分はかねがね人民に尽くしたいと思っているが、歴史の勉強は役に立つのか。
それなら、弁護士になった方がよいのか。」
日本では、建前では、皇族以外は全員が人民。
あと、森藤学園の映像を見ていると、日教組や同和教育の推進校を思い出す。
元左翼の活動家がスタッフにいるのか。
森藤をかばうわけではないけど、あれが批判されて、日教組の左翼教育が何も
咎められないのは不公平。 >>690
左翼は宗教的カルトで、ありもしないユートピアを思い描き暗い日々をおくる
右翼は産業ビジネスで、儲けのためなら日本が滅んでも構わないと原発を抱きしめる おれは映画版「二十歳の原点」の脚本のコピーを持っている。
邦画の脚本が掲載されている月刊誌「シナリオ」の1973年12月号に掲載されていた。
都立中央図書館で「シナリオ」のバックナンバーを読んだ時偶然見つけたので
コピーしてもらった。 映画の冒頭部分をYouTubeで観たが、映像も音楽も取り敢えずは暗い。
元々が自殺した女子大生の日記を元にした映画なのだから、暗〜い映画
になるのは当然だろうが、その暗さもいかにもつくられたような暗さだ。
それがイマイチということになるのか?
加えて、悦子さん役の女優さんが美人過ぎるし、背が高くジーンズ姿が
格好良すぎる。結果としてリアリティーを失わせている。
女優さんがどんなに暗い顔をしても自殺のイメージが湧いてこない。
日記の読者が持つ身近な普通の女子大生のイメージ、また出来事とは違
ってくる。
それがイマイチということになるのか? 俺は『日本沈没』の演技とは異なる角ゆり子を観たいのだ。 漫画家の池田利代子のインタビュー読んだけど、池田さん自体、「生き延びた悦子さん」?
2人の運命の違いは、魔がさしたかささないかの違いだけで、他の点ではたいした
違いはない。 ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーン
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ダイエットニュース (アリババダイエット40代偽装結婚プロ級世代(ヤフージャパンタイ資金洗浄)
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適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
トランプジョーカー切り(放送大学消防庁コストカットアイドルマスターアップ株式会社テレビビジネス)
NHKトランプ大統領ニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京槍杉ギャンブル依存症顧問職員)
ヤフージャポンマイノリティ社員「日本とロシアは仲良くさせてはいけないーhondasouichirouー」
中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ダビンチ(駄文知)ニュース >>696
学生運動そのものがカルト的であった。
カルトにはまった学生達を後の時代の人がいろいろと想像してもいまひとつ
理解できないのは無理はない。その絶望的な暗さも理解できないだろう。
悦子さんもアジテーションで煽り煽られ、焦りまくり、生き急ぎ、死に急いだ。
そんなカルト的な価値観からの、その結果としての自殺であった。 ときどき「団塊世代ベンチ組」という事情通ぶっている爺さんがいろいろなブログのコメント欄に出没するな。
誰だ?あれは。 >>701
推測だけど、原点案内サイトに証言者として登場している、当時二十歳の男性ホテル社員
だった人ではないだろうか?
悦子さんが亡くなる事故の前夜に喫茶店で偶然に会い、悦子さんは中村などと酒を飲みに
行っていたことを知っていたからか、あるいは悦子さんが中村と会いたいと言ったのか?
、酔ってふらふらしている悦子さんの面倒を看ながら歩いて社員寮まで行き、中村の所在
を確かめたりしたという。
そして、酔って座り込んだ悦子さんの扱いに困り、タクシーを呼んて下宿まで帰したという。
この証言が事実かどうかは証言者しか知らないことで、確定事実とすることはできない。 >>701
そしてこの男性は鉄道事故の新聞記事を見て、もしかして悦子さんでは、と
思い、警察に連絡したと言っている。 違うような気がする。
24日京都新聞夕刊の小さい記事を目にし、身元確認にいったのは、u氏です。
その後アルバイト先へ再確認の電話が入ったのですね。
23日の高野さんの様子に危険な危うさを受けたからて゜す。予兆と記事の特徴が彼の中で重なったのでしょう。
労働運動と学生運動は、「連帯」していました。そんな時代でした。
団塊世代ベンチ組
2005/09/19 12:15 別人でしょうね
Uさんが男性ホテル社員だった人なんでしょうね
以下引用
ありがとうございます。「中村さん」は、「・・・・・」と記憶しています。しかし35年も経っています。
自信全くありません。ただ珍しい名前とだけ記憶していました。
思い出すのに一週間かかりました。あなたと友人Aさんの記憶の良さには、驚愕します。
いい天気ですか、私は、小雨と思えたのですが。
A さんが高野さんに会ったのは、8時過ぎですよね、ビヤガーデンが終わり片付け掃除着替え等すれば11時前後ですか。
11時過ぎに会ったU氏は、危うさを本気で感じています。
そうでなければ24日夕刊の小さな記事に目を留めることは、なかったでしょう。
「娘さん自殺」時間・場所・年齢15〜22・身長1、 45・おかっぱ頭・面長のやせ型・身元不明これだけで西陣署まで出向きますか。
そのあと警察は、アルバイト先に電話してあなたがうけたのです。
翌25日に故高野三郎さんは、勤務先(多分県庁)で連絡を受けています。
少しづつ空白の23日から24日未明までの高野悦子さんの足取りが埋まっていきそうです。
あなたとAさんが偶然アルバイト先が一緒だったそれだけで十分なのです。
23日のことをおぼろげにでも記憶して頂いていたそれだけで十分なのです。
団塊世代ベンチ組
2005/09/19 22:09 このスレにポエムみたいな書き込みを何度もしている人=団塊世代ベンチ組だと思ってた。
少なくとも三つのブログのコメント欄に登場しているが、何者なんだ? >>708
U氏は団塊世代ベンチ組と同一人物だと思う。
悦子さんが亡くなる1日前に知り合いとして関わったことで、
自分がもう少し違った対応をしていたら…..とか後悔を含めて
いろんな思いがあるのではないだろうか?
悦子さんと多少とも関わったことで彼の中に青春時代の自己
陶酔のような思いがある、そんなことを感じさせる文章だ。
若き日の夢物語、涙もろい感傷的な想い出に浸る爺さん達の
自慰記憶。 >>709=U氏=団塊世代ベンチ組というオチを期待している >>712
悦子さんと直接話したことはありますか?
どんな感じの女性でしたか?
美人というより可愛い感じでしたか? 別れ際6月24日分の私の日記を手渡しました。私の日記24日分は、破られています。
24日の日記一頁をその時渡しました。
高野悦子さんは、23日バイトからの帰り、11時過ぎに京都府庁前、日赤病院裏手の国際ホテル男子寮を訪ね、「中村」に面会を求めています。
「中村」は外出していて留守。
「中村」宛ての伝言もメモ、本類等、無かったと聞いています。
その夜は、小雨がしとしとと降っていました。傘もささず頬にほつれ毛が纏わりついていたそうです。 (2005/09/11 06:38:42 PM)
22日の日記、文字の乱れが気になります。写真で見る限りですが・・ (2005/09/15 06:51:02 PM)
忘れようとしていた高野悦子さんが佇んでいた。
ひっそりと静やかに、凛として、微笑みながら、満開まじかの彼岸花のように、私の小学生の作文みたいな日記に佇んでいた。
記憶と文字類は、思想みたいなものと一緒に全て捨てたはずなのに。
一年ぶりの京都、御所から府庁前二条城まで歩いた。京都国際ホテルを左にみながら・・・・・・・・・・・ (2005/09/29 05:53:30 PM) 原典案内の人は2013年にU氏と思われる元ホテル従業員に聞き取りをしているが
団塊世代ベンチ組という人はその8年前にはU氏から聞いた情報をネット上に書き込んでいたんだな
U氏=ベンチ組の一人二役説も捨てがたい あまり詮索しないほうがいいと思う。
しても意味も価値もない。
それよりも、U氏の証言はどこまで事実なのだろうか?
U氏は、閉店間際の夜に、食堂だか喫茶店の中から、ガラス越しに、小雨に
濡れて立っていた悦子さんを見つけた、という。
ホテルの社員寮の近くでもない場所で悦子さんは何をしていたのだろうか?
その食堂は中村と何か関係があったのだろうか? 京都国際ホテルの連中がよく食事に来ているところだったから中村がいるかもと思ったんだろ >>717
中村の顔を一目でも見たかったのか。
母におねだりした水玉模様のワンピース姿の自分を見て欲し
かったのか。
彼女は中村を憎むことすらできず、もっと深く傷つき流血し、
生きる欲望を失い絶望していった。
そして、彼女は気が付いていた。
中村は、その時の彼女の厳しい状況下での逃避先対象であり、
中村を鏡にし、実は自分自身を見ていることを。
厳しい状況下でのほとんど唯一の希望の光として、中村との
関係にすがってみたが拒絶されてしまった。
彼女が言うところの、孤独と未熟という二十歳の原点にまた
戻ってしまった。
今度はより凄惨な孤独、より深い自己嫌悪をもたらす未熟の
自覚となった。
もはや孤独からの出発も、未熟の自覚からの旅立ちもできる
力は残っていなかった。 あまりにも純粋で、理想を求め、前のめりになり、無理に無理を重ねていた。
自分自身がその純粋さや理想により自家中毒となり、生きる足場を失った。
人は天使ではない、少なくとも悦子さんのようには純粋ではなかった。 1988・11・11 朝日新聞大阪本社版夕刊に、今日的歴史探検、「二十歳の原点」
生と死に悩む日々の記事の中に、U氏の住所、職業・本名・年齢が掲載されています。
49歳とあります。29年前の事です。 誰かが、何らかの身元隠し工作をしてないか?
今だけでなく過去にも。
29年前の新聞記事なんて本人かその直近の人しか知らないでしょ? >>716
> あまり詮索しないほうがいいと思う。
> しても意味も価値もない。
何でお前ごときが仕切っているの? >>718=U氏=ベンチ組≠「中村」≠こ●きでFAか? >>723
Uさんは、高野さんと同い年だろ?
情報攪乱やめろ U氏には、恥ずかしさと同時に表にも出たいというアンビバレンツな気持ちがあるんだろう。
身元が完全に分かってしまったら涙がウルウルとした文章が恥ずかしい、でも悦子さんと多少とも
関わった自分を世に残したい、そんな気持ちの入れ替わり? U氏というかベンチ組氏
表に出てブログですべてを書いてくれ!
雨が降っていたかどうかについても 昨夜、天神橋踏切後へ行きました。
原典案内に移っていた1984年当時の家がまだあるのですね。
69-84-17
感慨深いです。 自殺の直接の原因は恋愛問題だっただろう。
だが、彼女の自殺の背景のひとつとして、当時流行った左翼革命思想がある。
これが彼女の価値観全般に影響を与え、彼女の日々の希望や明るさを失わせた。
彼女の焦燥感の原因もそこにある。明日にでもありもしない革命が起こせると
考えていた。
これはカルトにはまった人達によくある心理現象でもある。 >>729
当時の京都、線路沿いの小さな木造の家並、庶民の家屋は、小さくて黒くてとても暗い感じがした。 >>717
>京都国際ホテルの連中がよく食事に来ているところだったから中村がいるかもと思ったんだろ
中村に、母から買ってもらった女の子らしい可愛いワンピース姿の私を見てもらいたかった。
そんな悦子さんの気持ちを想像すると、本当にもの悲しい気持ちになる。
思い込みの激しさは、学生運動にも男にも、人間関係他いたることに及んでいて、悦子さんの性格
の最も特徴的な部分だ。
それが悲劇の元となり、悲劇の土台をつくり構成していった。
あるいは、思い込みの激しさという悲劇の蜘蛛の糸を吐き出し続け、自らの糸に絡め捕られてい
った。思い込みという幻想と妄想の自縄自縛。
男なんて他にいくらでもいるのに、思い込みの激しさで粘着シートに囚われた。
男も妄想なら粘着シートも妄想だった。客観的には考え方ひとつでいくらでも逃げ出せたはず。
何故それが出来なかったかといえば、既にそのときには心と体ともに病的な段階に入っていた。 1回生の5月に行われたクラスコンパで配られた自己紹介アンケートの回答
http://www.takanoetsuko.com/sub19670516.html
高野悦子は自己紹介でアンケートの「1.(ニックネーム)」以外に回答している。
高野悦子 部落研
2.(生年月日)昭和24年1月2日
3.(現住所)京都市東山区山科御陵鳥向町 青雲寮
4.(帰省先)栃木県那須郡西那須野町扇町
5.(好きな異性のタイプ)明るい人
6.(京都で一番行きたい所)どこでも歩いてみたいです
7.(好きな食べ物)からいカレーとはるさめとピーマン以外のものはなんでも好きです
8.(将来の希望)特別にありません。これから考えます
9.(大学で何をすべきか)自分の生き方にある方向性をもつためにいろいろなことをしたい
10.(自分自身のこと)明るい性格で少しぬけているところがあります。 >>733
>10.(自分自身のこと)明るい性格で少しぬけているところがあります。
同級生の長沼さんは、悦子さんは暗かったという。同時に明るいという人もいたという、発言
をしている。
おそらくは、時系列で言えば、本来は明るい性格だったが、時代と大学環境が悦子さんを暗く
させたのだろう。嵐山の下宿にオルグに行った長沼さんが見た最後の悦子さんは特に暗かった
だろう。
そして、>>少しぬけているところがあります。 これが彼女の人の良さの部分でもあり、弱さ
の部分でもあったと思う。
大学生活に大きな期待を持っていた。そして自ら課題を抱え過ぎてもいたように見える。その中
には恋愛願望もあり、やがては性への強い衝動があり、焦りもあった。
そのことが、大切にしていた自己イメージを毀損する自損事故を起こしてしまう。
これが下宿で吐くほどの自棄酒の原因だった。寂しさを伴う自暴自棄と、それを忘れるための
自棄酒。
大江健三郎、壊れ物としての人間。 >>733
>9.(大学で何をすべきか)自分の生き方にある方向性をもつためにいろいろなことをしたい
>>自分の生き方にある方向性をもつために
高校出たての18歳とは思えない文章だ。野外の公園でのアンケートに答えたものだそうだ。
>>ある方向性 とはなんだったのだろうか?
すでにこの頃には部落研に入っているが、いろいろと重い荷物を背負い過ぎていた。
1年後にはそれを自覚することになる。 「二十歳の原点」 とは、夢に描いた大学生活に挫折した悦子さんの、辛い現状認識だった。
それは孤独と未熟という再出発地点の確認であった。
入学前から抱いていた夢や自己像の実現を一端は投げ出したということでもあった。
だが、その夢自体が、あるいは彼女が書くところの、ある方向性 そのものが、その時代が
つくりだした幻想や妄想、イデオロギーであったと考えることができないだろうか?
彼女は高校生時代から、そして大学に入ってから更に鮮明にその幻想や妄想を外から注入さ
れ、自分の価値観として実現しようとしていたと考えることもできる。
つまりは、夢なのではなく妄想や幻想を、社会にも自分にも求めていた。
妄想や幻想という言葉が強すぎるなら、高すぎて実現できない理想を追い求めた、でもいい。
そして、一端挫折した悦子さんは、普通の女子大生に戻りつつあったが、フラッとより過激な
学生グループのデモの隊列に入ってしまう。これが、ぬけていると自己評価している部分だ。
この、ぬけている、部分はまた、お人好しで打算のない、欲が抜けている部分でもあった。 ぬけている = 間が抜けている ?
間が抜ける
@ 拍子抜けがする。当てがはずれてぼんやりする。 「 − ・けた返事」
A 大事な点が落ちる。おろかにみえる。 「間の抜けた顔」
大辞林 第三版
間が抜ける
1 調子が外れる。拍子抜けする。「―・けた音楽」
2 大事なことが抜け落ちている。「―・けた話」
デジタル大辞泉
まぬけの「間・ま」とは時間的な間隔の 間 である。
芝居や舞踏、漫才などで 間 は、音や動作の休止の時間的長短のことを言い、
拍子やテンポの意味にも用いられる。
間が抜ける ことは、拍子抜けする 調子が崩れる ことであり、テンポが合わ
ないことを意味した。
転じて、行動に抜かりがある、意味となり、さらに愚鈍な人を罵る言葉になった。
語源由来辞典より
悦子さんの自己評価は残念ながら当たっていた。
明るくてぬけていた悦子さんは、いつしか、暗くて間が抜けた悦子さんに変身して
いた。 >>737
>間が抜ける
>@ 拍子抜けがする。当てがはずれてぼんやりする。 「 − ・けた返事」
>A 大事な点が落ちる。おろかにみえる。 「間の抜けた顔」
悦子さんは自分の将来を守るという、大事な点が抜け落ちていた。
お人好し過ぎて間が抜けていた。
大学解体論に影響され →
悦子、授業料払いません、学生身分を放棄します、退学します、
そして、拍子抜けし、当てがはずれて。人生も辞ちゃいました。 「死が美しいなんて誰が言った」(カッパブックス)という本を知っている?
著者は、学生運動が激しかった時代の少し後に大学生活を送って
事故死した女子大生。
悦子さんと同じ青春ものだけど、学生運動とは直接関係がない上に
死因も事故死(油絵を描いている時に中毒死)だったからほとんど忘れられている。
昔、読んだことがあるけど、悦子さんと同じ左翼的な考えの持ち主だったけど
欧米崇拝の強い人物だった。 >>739
確かに、そして間違いなく、欧米はアジア諸国よりも民主主義や社会制度などで進んではいる。
だが、10年以上前のことだが、テレビで大学教授の姜尚中 がフランスに行き、中東系の若者に
教科書的なフランスの民主主義や自由や人権の歴史、などをインタビューしたら、彼等はゲラ
ゲラ笑い出し、姜尚中が当惑した表情を見せた、そんなシーンがあった。
そんな民主主義や人権がどこにあるのって感じで彼等は笑ったのだ。大学教授も本の中の人だ
った。
そんなきれいさっぱりの、隅々まで行き渡るような自由も民主主義も、実際にはない。
差別はあるし、偏見もある。本の中の奇麗事だけで済む話しではない。
あくまでも制度として法制化されているだけで、全面一色で活きているわけではない。
悦子さんの時代の学生は活字に弱かった。そして本に弱かった。自由や民主主義、そして革命な
の言葉に酔った。弱いというのは騙されるということ、誤って理解してしまうこと。
残念ながら理屈道理にはいかないのだ。美醜混合した人の社会だ。 >>739
>死が美しいなんて誰が言った
http://d.hatena.ne.jp/yt076543/20120928
1977年1月、朝日新聞3面の記事下5段抜きのカッパブックスの広告が眼にとびこんできた。
その大半は『死が美しいなんてだれが言った』という本に費やされていた。[思索する女子学生の遺書]と
サブタイトルがついている。著者は29歳で夭折した広津里香(本名廣津啓子)。 http://d.hatena.ne.jp/yt076543/20120928
原罪があるように、「原死」、生まれ持った死、内包された死というものが、生まれてきた時にすでにあるのではないか、
と私はいつも考えている。それは幼少の意識下にはなくとも、肉体とともにゆるやかに育っていくものであり、意識にのぼる
時に否応なく人生を考えることになる。彼女の日記を読んでいると、ごく早い時期から、そこここに原死の感覚がちりばめら
れているのを見逃すことができない。 大学解体論が叫ばれても、今では学歴が良くも悪くも重視されている。
日本社会の礼賛も、少なくとも初期は行き過ぎた欧米崇拝を修正する意味があった。
里香さんと悦子さんが今生きていたら、日本と欧米の良い面、悪い面を理解し、理想と
現実のバランスの取れた人物になっていただろうか。
それとも、日本を異常に持ち上げて高卒を叩く鬼女になっていただろうか。 悦子さんほど知名度がないのは、表面的な経歴の華々しさ、大金持ちのお嬢様という
身の上が「庶民の嫉妬」でただの贅沢な悩みとしか思われてないから?
その点、経済的には普通の大学生の悦子さんの方が「親しみやすい」?
それにしても、当時の欧米崇拝はすごかった。物質的なものはもちろん、精神的なものまで
欧米の方を無批判に崇拝していたから。 悦子さんは、何も残さなかったとしても、「日頃の行い」から一生けん命に生きていたと
わかってくれるけど、里香さんの場合、金持ちの我儘娘がいい加減に生きていたと誤解しそう。
里香さんの遺族が日記を出版したのも、死後の誤解を避けるため? >>744 >>745
里香さんの苦悩は外から見て理解するのが難しい。
お父さんは里香さんが男に生まれていたら自由に生きられ
活躍もできただろうと、娘の死を悼んでいる。
才能のある女性が古い男性優位社会の中で苦悩したとか、
そういったことなのだろうか?
それとも里香さんの個人的資質、芸術的才能からくる苦悩
なのか?
そのあたりの苦悩の中身が第三者には理解しづらい。
里香さんの苦悩は高級な芸術的苦悩で、極私的な苦悩のよう
にも見える。
悦子さんの苦悩も決して庶民的なものではないが、彼女と
同時代の学生層にはその苦悩の中身がよく理解できる。
そしてどの時代の若者にも共通する青春期の苦悩も書かれて
いるように思える。明け透けな性の悩みも含めて。 悦子さんのように自己保身の気持ちが極端に薄い学生がたくさんいた
時代って不思議だし、異常だ。
それは戦時中の、お国のために、という価値観にも通じてしまう危う
さがある。
対象が国であるか、社会であるか、階層や組織であるか、思想である
かの違いはあるが、その対象ために滅私することは同じ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています