【西那須野〜京都】二十歳の原点2【高野悦子】
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独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。
前スレ
【カッコ】二十歳の原点【高野悦子】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1287500812/
案内サイト
高野悦子 二十歳の原点案内
http://www7b.biglobe.ne.jp/~takanoetsuko/ 誰かが、何らかの身元隠し工作をしてないか?
今だけでなく過去にも。
29年前の新聞記事なんて本人かその直近の人しか知らないでしょ? >>716
> あまり詮索しないほうがいいと思う。
> しても意味も価値もない。
何でお前ごときが仕切っているの? >>718=U氏=ベンチ組≠「中村」≠こ●きでFAか? >>723
Uさんは、高野さんと同い年だろ?
情報攪乱やめろ U氏には、恥ずかしさと同時に表にも出たいというアンビバレンツな気持ちがあるんだろう。
身元が完全に分かってしまったら涙がウルウルとした文章が恥ずかしい、でも悦子さんと多少とも
関わった自分を世に残したい、そんな気持ちの入れ替わり? U氏というかベンチ組氏
表に出てブログですべてを書いてくれ!
雨が降っていたかどうかについても 昨夜、天神橋踏切後へ行きました。
原典案内に移っていた1984年当時の家がまだあるのですね。
69-84-17
感慨深いです。 自殺の直接の原因は恋愛問題だっただろう。
だが、彼女の自殺の背景のひとつとして、当時流行った左翼革命思想がある。
これが彼女の価値観全般に影響を与え、彼女の日々の希望や明るさを失わせた。
彼女の焦燥感の原因もそこにある。明日にでもありもしない革命が起こせると
考えていた。
これはカルトにはまった人達によくある心理現象でもある。 >>729
当時の京都、線路沿いの小さな木造の家並、庶民の家屋は、小さくて黒くてとても暗い感じがした。 >>717
>京都国際ホテルの連中がよく食事に来ているところだったから中村がいるかもと思ったんだろ
中村に、母から買ってもらった女の子らしい可愛いワンピース姿の私を見てもらいたかった。
そんな悦子さんの気持ちを想像すると、本当にもの悲しい気持ちになる。
思い込みの激しさは、学生運動にも男にも、人間関係他いたることに及んでいて、悦子さんの性格
の最も特徴的な部分だ。
それが悲劇の元となり、悲劇の土台をつくり構成していった。
あるいは、思い込みの激しさという悲劇の蜘蛛の糸を吐き出し続け、自らの糸に絡め捕られてい
った。思い込みという幻想と妄想の自縄自縛。
男なんて他にいくらでもいるのに、思い込みの激しさで粘着シートに囚われた。
男も妄想なら粘着シートも妄想だった。客観的には考え方ひとつでいくらでも逃げ出せたはず。
何故それが出来なかったかといえば、既にそのときには心と体ともに病的な段階に入っていた。 1回生の5月に行われたクラスコンパで配られた自己紹介アンケートの回答
http://www.takanoetsuko.com/sub19670516.html
高野悦子は自己紹介でアンケートの「1.(ニックネーム)」以外に回答している。
高野悦子 部落研
2.(生年月日)昭和24年1月2日
3.(現住所)京都市東山区山科御陵鳥向町 青雲寮
4.(帰省先)栃木県那須郡西那須野町扇町
5.(好きな異性のタイプ)明るい人
6.(京都で一番行きたい所)どこでも歩いてみたいです
7.(好きな食べ物)からいカレーとはるさめとピーマン以外のものはなんでも好きです
8.(将来の希望)特別にありません。これから考えます
9.(大学で何をすべきか)自分の生き方にある方向性をもつためにいろいろなことをしたい
10.(自分自身のこと)明るい性格で少しぬけているところがあります。 >>733
>10.(自分自身のこと)明るい性格で少しぬけているところがあります。
同級生の長沼さんは、悦子さんは暗かったという。同時に明るいという人もいたという、発言
をしている。
おそらくは、時系列で言えば、本来は明るい性格だったが、時代と大学環境が悦子さんを暗く
させたのだろう。嵐山の下宿にオルグに行った長沼さんが見た最後の悦子さんは特に暗かった
だろう。
そして、>>少しぬけているところがあります。 これが彼女の人の良さの部分でもあり、弱さ
の部分でもあったと思う。
大学生活に大きな期待を持っていた。そして自ら課題を抱え過ぎてもいたように見える。その中
には恋愛願望もあり、やがては性への強い衝動があり、焦りもあった。
そのことが、大切にしていた自己イメージを毀損する自損事故を起こしてしまう。
これが下宿で吐くほどの自棄酒の原因だった。寂しさを伴う自暴自棄と、それを忘れるための
自棄酒。
大江健三郎、壊れ物としての人間。 >>733
>9.(大学で何をすべきか)自分の生き方にある方向性をもつためにいろいろなことをしたい
>>自分の生き方にある方向性をもつために
高校出たての18歳とは思えない文章だ。野外の公園でのアンケートに答えたものだそうだ。
>>ある方向性 とはなんだったのだろうか?
すでにこの頃には部落研に入っているが、いろいろと重い荷物を背負い過ぎていた。
1年後にはそれを自覚することになる。 「二十歳の原点」 とは、夢に描いた大学生活に挫折した悦子さんの、辛い現状認識だった。
それは孤独と未熟という再出発地点の確認であった。
入学前から抱いていた夢や自己像の実現を一端は投げ出したということでもあった。
だが、その夢自体が、あるいは彼女が書くところの、ある方向性 そのものが、その時代が
つくりだした幻想や妄想、イデオロギーであったと考えることができないだろうか?
彼女は高校生時代から、そして大学に入ってから更に鮮明にその幻想や妄想を外から注入さ
れ、自分の価値観として実現しようとしていたと考えることもできる。
つまりは、夢なのではなく妄想や幻想を、社会にも自分にも求めていた。
妄想や幻想という言葉が強すぎるなら、高すぎて実現できない理想を追い求めた、でもいい。
そして、一端挫折した悦子さんは、普通の女子大生に戻りつつあったが、フラッとより過激な
学生グループのデモの隊列に入ってしまう。これが、ぬけていると自己評価している部分だ。
この、ぬけている、部分はまた、お人好しで打算のない、欲が抜けている部分でもあった。 ぬけている = 間が抜けている ?
間が抜ける
@ 拍子抜けがする。当てがはずれてぼんやりする。 「 − ・けた返事」
A 大事な点が落ちる。おろかにみえる。 「間の抜けた顔」
大辞林 第三版
間が抜ける
1 調子が外れる。拍子抜けする。「―・けた音楽」
2 大事なことが抜け落ちている。「―・けた話」
デジタル大辞泉
まぬけの「間・ま」とは時間的な間隔の 間 である。
芝居や舞踏、漫才などで 間 は、音や動作の休止の時間的長短のことを言い、
拍子やテンポの意味にも用いられる。
間が抜ける ことは、拍子抜けする 調子が崩れる ことであり、テンポが合わ
ないことを意味した。
転じて、行動に抜かりがある、意味となり、さらに愚鈍な人を罵る言葉になった。
語源由来辞典より
悦子さんの自己評価は残念ながら当たっていた。
明るくてぬけていた悦子さんは、いつしか、暗くて間が抜けた悦子さんに変身して
いた。 >>737
>間が抜ける
>@ 拍子抜けがする。当てがはずれてぼんやりする。 「 − ・けた返事」
>A 大事な点が落ちる。おろかにみえる。 「間の抜けた顔」
悦子さんは自分の将来を守るという、大事な点が抜け落ちていた。
お人好し過ぎて間が抜けていた。
大学解体論に影響され →
悦子、授業料払いません、学生身分を放棄します、退学します、
そして、拍子抜けし、当てがはずれて。人生も辞ちゃいました。 「死が美しいなんて誰が言った」(カッパブックス)という本を知っている?
著者は、学生運動が激しかった時代の少し後に大学生活を送って
事故死した女子大生。
悦子さんと同じ青春ものだけど、学生運動とは直接関係がない上に
死因も事故死(油絵を描いている時に中毒死)だったからほとんど忘れられている。
昔、読んだことがあるけど、悦子さんと同じ左翼的な考えの持ち主だったけど
欧米崇拝の強い人物だった。 >>739
確かに、そして間違いなく、欧米はアジア諸国よりも民主主義や社会制度などで進んではいる。
だが、10年以上前のことだが、テレビで大学教授の姜尚中 がフランスに行き、中東系の若者に
教科書的なフランスの民主主義や自由や人権の歴史、などをインタビューしたら、彼等はゲラ
ゲラ笑い出し、姜尚中が当惑した表情を見せた、そんなシーンがあった。
そんな民主主義や人権がどこにあるのって感じで彼等は笑ったのだ。大学教授も本の中の人だ
った。
そんなきれいさっぱりの、隅々まで行き渡るような自由も民主主義も、実際にはない。
差別はあるし、偏見もある。本の中の奇麗事だけで済む話しではない。
あくまでも制度として法制化されているだけで、全面一色で活きているわけではない。
悦子さんの時代の学生は活字に弱かった。そして本に弱かった。自由や民主主義、そして革命な
の言葉に酔った。弱いというのは騙されるということ、誤って理解してしまうこと。
残念ながら理屈道理にはいかないのだ。美醜混合した人の社会だ。 >>739
>死が美しいなんて誰が言った
http://d.hatena.ne.jp/yt076543/20120928
1977年1月、朝日新聞3面の記事下5段抜きのカッパブックスの広告が眼にとびこんできた。
その大半は『死が美しいなんてだれが言った』という本に費やされていた。[思索する女子学生の遺書]と
サブタイトルがついている。著者は29歳で夭折した広津里香(本名廣津啓子)。 http://d.hatena.ne.jp/yt076543/20120928
原罪があるように、「原死」、生まれ持った死、内包された死というものが、生まれてきた時にすでにあるのではないか、
と私はいつも考えている。それは幼少の意識下にはなくとも、肉体とともにゆるやかに育っていくものであり、意識にのぼる
時に否応なく人生を考えることになる。彼女の日記を読んでいると、ごく早い時期から、そこここに原死の感覚がちりばめら
れているのを見逃すことができない。 大学解体論が叫ばれても、今では学歴が良くも悪くも重視されている。
日本社会の礼賛も、少なくとも初期は行き過ぎた欧米崇拝を修正する意味があった。
里香さんと悦子さんが今生きていたら、日本と欧米の良い面、悪い面を理解し、理想と
現実のバランスの取れた人物になっていただろうか。
それとも、日本を異常に持ち上げて高卒を叩く鬼女になっていただろうか。 悦子さんほど知名度がないのは、表面的な経歴の華々しさ、大金持ちのお嬢様という
身の上が「庶民の嫉妬」でただの贅沢な悩みとしか思われてないから?
その点、経済的には普通の大学生の悦子さんの方が「親しみやすい」?
それにしても、当時の欧米崇拝はすごかった。物質的なものはもちろん、精神的なものまで
欧米の方を無批判に崇拝していたから。 悦子さんは、何も残さなかったとしても、「日頃の行い」から一生けん命に生きていたと
わかってくれるけど、里香さんの場合、金持ちの我儘娘がいい加減に生きていたと誤解しそう。
里香さんの遺族が日記を出版したのも、死後の誤解を避けるため? >>744 >>745
里香さんの苦悩は外から見て理解するのが難しい。
お父さんは里香さんが男に生まれていたら自由に生きられ
活躍もできただろうと、娘の死を悼んでいる。
才能のある女性が古い男性優位社会の中で苦悩したとか、
そういったことなのだろうか?
それとも里香さんの個人的資質、芸術的才能からくる苦悩
なのか?
そのあたりの苦悩の中身が第三者には理解しづらい。
里香さんの苦悩は高級な芸術的苦悩で、極私的な苦悩のよう
にも見える。
悦子さんの苦悩も決して庶民的なものではないが、彼女と
同時代の学生層にはその苦悩の中身がよく理解できる。
そしてどの時代の若者にも共通する青春期の苦悩も書かれて
いるように思える。明け透けな性の悩みも含めて。 悦子さんのように自己保身の気持ちが極端に薄い学生がたくさんいた
時代って不思議だし、異常だ。
それは戦時中の、お国のために、という価値観にも通じてしまう危う
さがある。
対象が国であるか、社会であるか、階層や組織であるか、思想である
かの違いはあるが、その対象ために滅私することは同じ。 危秋求@ 北海道、釧路の桂恋海岸で遺体となって発見された、27才の中国の女性の文章
>>「人生は永遠に矛盾するもの。どんなに孤独でも友達は必要、友達がいても孤独は解決できない」
>>「シャワーを浴びて民宿のそばのブランコに。耳には途切れることのない風の音、そして音楽も。
>> 星もあなたの姿もないけれど、今はそれでも構わない。このすべてを人生最後の輝きにしよう。
>> 時間を切り詰めて、無駄な時間を過ごそう」
なんとなく、否、限りなく、高野さんと同じ孤独や絶望感を感じさせる文章 人の一生なんて、勘違いしたり、何かを思い込んだり、妄想と幻想の中で
生きて死んで逝くんだなと、最近思うようになった。
政治とか宗教とか、思い込みが激しくないとやってられないし、個人的な
小さな思い込みや勘違いも、自己維持にとってはそれなりに必要だし、
とにかく生き続けるためには、徹頭徹尾合理的であったり客観的であった
らダメなんだ。
生きる目標などそもそも無いのだ、生きているということ、生き続けると
いうこと、それそのものが目標なのだ。欲望に従おう。 U氏は今岡山県真庭郡新庄村に住んでおられます。
日本で一番美しい村とも呼ばれているそうです。 http://www.takanoetsuko.com/hoyo.html#simbuncolumn
難しいとか難解とかいうよりも、異常な状況に置かれた精神を病んだ人の文章に思える。
色彩が無い、白黒の世界。潤いがなく、枯れた思考世界。
自己否定、なんとも寂しく、もの悲しく、貧困な禁欲主義。もうほとんど禁欲的な宗教だ。
自己否定とは禁欲的な滅私奉公に他ならない。おそろしく中世封建主義的な考え方だ。
いったいどんな自己を否定しようとしたのか?
その自己否定を徹底したら自殺するしかなかったのではないだろうか?
自己否定とは物理的な自己否定、つまりは自殺ということになる。
悦子さんの場合は実際にそうなった。ある意味で論理的な正当な帰結だった。 体の欲求と欲望を逐次潰そうとする、自己否定という禁欲思想と価値観。
「美しく論理的で闘う精神」が、汚れた瑞々しい肉体を無理に少しずつ死に追いやる
過程。
悦子さんは自分で自分を枯らし死滅させていく。
自己否定ではなく、自己肯定こそが、自己の欲望や欲求を認めてこそ、生きて行ける。
論理的でなくともいい、非合理でもいい、目的があろうがなかろうがそれでもいい、
美しくなくてもいい、醜悪でもいい、自分を肯定してこそ生きられる。
枯れるのは年齢に任せればいい、自ら枯れる必要はない。 1970年前後の大学や学生の多くがが異常な状態だったと考えられる。
戦争への反省から反戦平和を叫び、更にそこから社会主義や共産主義まで叫ぶように
なっていった。
社会科学や政治思想を根拠にしていたが、そこには理想だけでなく妄想や幻想が入り
込んでいた。末期の彼等のすべてが、どう見てもカルトとしか言いようがなかった。
悦子さんはそういった運動に影響され捲き込まれた不運な犠牲者のひとりだった。
資質的かつ個人的な要因もあり、また、たまたま日記を残し自殺したことで注目を浴
びることとなったが、
実はその背後には、膨大な数の学生達がその後の人生に大きな負の曲折を被ったはず。
その時に死んでしまった人も、その後を生き続けた人も、その時代の影響は、時代
の流行を着てしまった人、染まってしまった個人に行き着くことになる。
あの世界中で流行った学生運動、学生層を中心にした社会主義運動だったようだが、
いったい何を、世界や個々の国にもたらしたのだろうか?
ほとんど何もないように見える? 幻想と熱狂があっただけのように思える。
悦子さんの個人的な「破綻」、そして個人的な死は学生運動の流れの中で考える
しかない。その生活の価値観上で「破綻」し、自殺まで自分を追い詰め、また広い
状況によって追い詰められた。 お誕生日お目でとございます。
生きていれば69歳か。
孫と遊んでたりしたんだろうな。 お母さんが言われたこと。
23年、年末のあわただしい日に生まれました。
26日から28日のあいだです。
年末で縁起が良くないので、年が明けた1月2日に届けを出しました。
昔はよくしたものです。
2005.11.19 西那須の高野さんの実家で。 一般書籍よりもおすすめてきにネットで得する情報とか
グーグル検索⇒『稲本のメツイオウレフフレゼ
6QMWA 乗馬スタイルの悦子さんかわいい
暖かくなったらノートから読んでみよう オシャレな本屋に行ったら二十歳の原点が売っていた
テレビで紹介されて大反響!みたいな帯がついていた
去年特集されてたのね、知らなかった 党派やリーダーが違うだけで、反革命だの反労働者だの、学生同士で敵対し合っていた。
猿山のボスの縄張り争いのように、ボスやボス候補の数だけ党派や理論があった。
資本主義的だ! 小市民的だ! とか言葉の遊びをしながら敵対していた。
まるで宗教的な禁欲競争の様相。思想なんかじゃなく宗教、あるいは幻想。
宗教や幻想を否定しながらも、実は宗教そのもの、幻想そのものだった。
高野さんの日記にはそれらが タテマエ として書かれ、そして悦子さんはそれらの
禁を実生活では破っていく。
そもそも、そんな自己否定のタテマエなど無理な話なのだ。守れないのは当然。
行き着く先は自らの心身の自己否定に純化される。彼女はそれを実行してしまった。
多くの学生が現実と妥協しはじめたその頃にだ。
そして、現実と妥協すること、受け入れることこそが正しい身の処し方だった。
卑怯に見えても、美しくなくとも、一貫性がなくとも、取り敢えず息をし、生き続ける
ことが、正解だったと思う。
人生で、死んでまで守らなきゃいけない、そんな価値あるものなんてない。
自分の命のほうがよほど大切なこと。
男の視線を自分に向けるために、自分の命を捨てるのは愚かとしか言いようがない。
悦子さんは最後の最後で愚かだった、としか言いようがない。 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
→ 資本主義的、小市民的自己の否定という倫理と、共産主義の精神
実際は、結果的には、禁欲的な宗教的価値が溢れる個人絶対主義への憧れや回帰であった。 >>765
男の視線を自分に向けるために命を捨てたとまじめに思ってるの? >>768
自殺動機には、中村や家族への当てつけも、間違いなくあったと思う。
日記に、私が入院するようなことがあったら中村は、家族はどう思うだろうか?
病院に来てくれるだろうか?、そんな書き込みがあったと記憶している。
また、新聞に何行かの死亡記事くらいは載るだろうか? そんなことも書いていた。
少なくとも自殺という結果までの絶望していく過程の中で、当てつけ自殺という幼稚
な思いはあり、それは日記に書かれている。
ただ、最後の最後は、そのような動機も漂白され、真っ白になって、事実上の無意識
のなかで、死んでいった、と、そう思いたいが、 自殺する前夜も、自殺した夜も着ていた服。
それは、一週間前に栃木から娘の様子を見に来た母にお金を出してもらって買った卵色
の水玉模様のワンピース。
いつもの薄汚いジーパンを着た男の子みたいな私ではなく、この可愛い服を着た、可愛い
私を中村に見てほしかった。見直してほしかった。
それで前夜にホテルの寮まで行った。
結果として会うことはできなかった。彼との希望は消えたと思った。
それが自殺の直接のきっかけ、引き金であったと思う。
しかしその背後には、これからも生きて行こうと思う意欲や気力の喪失という、深刻な
生命力の衰退、心身の病とも言える症状があった。
彼女は中村との関係に、そして、目の前の学生運動に、生きていく動機を、手がかりを
見つけようとしていた。生きたかったのだ。
ある意味で、そこまで彼女は追い詰められていた。近視眼的価値観に囚われていた。
そしてそれは、その当時を革命前夜として洗脳されていた、多くの学生にみられた症状で
あっただろう。革命の夢は消え、敗北と虚脱感でいっぱいになっていた。
人間なんて所詮は動物、生き物だ、とするところから出発しないと常に裏切られることになる。
そして自分自身をも危険に晒し、裏切ることになる。
当時の学生は、必要以上に理想主義的で、また形式主義的な人間観や社会感を植え付けられ、
またそれを受け入れてしまっていた。 大学生であることを自らの意志で辞めること、大学を退学すること、その選択が
悦子さんの希望と生活展望を奪うことになった。
また、おそらくは母が様子を見に上洛した際に、親からの仕送りを断っただろう。
自立できる力も覚悟も無いのにだ。
そのことが、母が帰った後に急に悦子さんを不安にさせることになった。
取り敢えずはホテルのバイトをして、本を読んで社会を知ろう、と書くが、学生
ではない一人の女性としてなにをするのか? 闘争と自己改革の無い人生に意味
は無い、30歳まで生きてどうするのか、生きても仕方ないと結論する。
悦子は私が帰ってから自殺するまでの一週間以上何も食べていなかったことになる、
と、母は何かの雑誌で書いている。事故の際に胃の解剖があったのだろう。
母が帰った後に、親への依存無しの生活に悦子さんの中で大きな不安感が生まれた。
学生では無い自分とは? 生きる価値と生きる力はあるのだろうか?
中村との希望的関係も失ったことと重なり、食欲を失うほどの大きなストレスにな
った。
口に入れたのは酒とタバコと眠剤だけだった。心身ともにボロボロになっていた。
周囲の人達も自分のことで精一杯で、彼女の異変に気が付くこともなかっただろう。 もしタイムマシンがあって、悦子さんを自殺しないように助けることが許されるなら、
あなたはどの時点でどのように介入し助けますか?
やはり、先ずは京都の大学に行かないように介入か?
また、京都の大学に行ったとして、どの時点で介入すればよいのか?
あるいは、悦子さんと友人になったり恋愛相手になるような介入も許されるなら、使命感
で?積極的に接触していく方法もある。
どこかの時点で良い人と恋愛関係が出来ていたなら死ぬことはなかっただろう。
人との巡り会いは偶然も大きいから運不運に左右されてしまう。
京都ホテルの中村と最初に酒を飲みに行く機会を消してしまう方法もある。
その前に小林をワンゲルのコンパに来させないとか、悦子さんを欠席させるとか?
たら、れば、は空しいが、原因と結果が浮かび上がることもある。
悪い偶然が重なって最悪の結果になったのか?
それとも、内なる本質が偶然とともに現象したのか?
自殺に至る本質などあるのだろうか?
私は死ぬ勇気はないので恥をさらしつつ生き続ける。
恥を晒しながら生きるのも勇気がいるのだ。
それでいいのだ、どうでもいいのだ、生き長らえろ。 とても性欲の強い女性だっただろう。
酒が入ると特に。
それが彼女に次々と災いをもたらすことになった。
つまりは彼女自身にも原因と責任のある事故なのだ。
そして、同時に倫理感が強かったので、自己嫌悪に
苦しむことになった。
エロ映画的には最高の素材である。
欲望に負ける倫理。
性に負ける聖。
血と糞にまける抽象的天使としての人間。 生きることに自暴自棄になってしまったから、男や酒に逃避していただけで、
性欲や酒は本質的なことではないだろ。
彼女が真摯に生きようとして挫折したことのほうが本質だわ。 >>774
> エロ映画的には最高の素材である。
だから角ゆり子が脱いだわけだな。
東宝は、さっさとDVD出せ。 凡人には天才が理解できなことがよくわかるスレ
自分の等身大の欲の人生に無理やり合わせて解釈しちゃうのな ttp://blog.honyomi.jp/200509/article_21.html
<< 自殺する直前のバイトの日、彼女は夜8時10分前ごろ、皿洗い場前のエレベータ
から出てきた。 いまだにこんな目撃証言が出てくるもんなんだね。
この人が、死亡を告げる電話を受けた人か。 一週間も何も食べてない状態でバイトしてたんだね。
それに睡眠薬を服用してた。
かなり疲れているように見える外観になるはずなんだが?
ちょっと元気がなかった? とバイト仲間が感じた程度?
自殺の夜に一気に疲れが出で限界が来たのだろうな。
張り詰めた糸がプッツンと切れた。
人は疲れると闇の妄想世界に入って行く。 死の直前は自暴自棄になってバイトなんて普通休むだろうに。
前日までバイトに入ってたのは、中村がいたからだろうな。 >>782
そうだね、それしか考えられない。
それほど執着していた。
あるいは、中村との関係が生きるためにすがる最後の理由、最後の藁だった。
でも、賢い悦子さんはそれが藁だと、掴んでも仕方ないことに気が付き、
自らの手を客観的に見つめ、放した。
最後の灰色の点が消え絶望の黒一色となった。 お父さんは中村に面会しに行って不在だったと言ってるけど、その後中村とは会えたのかな。
そのまま逃げ回ったなら相当な人間性だよ。 過去の書き込みでは、中村はスケートの国体選手になるぐらいのスポーツマンで、
そしてイケメンだったという。女にモテたし彼女もいたとされている。
そんな中村と悦子さんは酒を飲みに行って、いわゆる肉体関係を持ったという。
中村からすれば可愛い女子大生と遊んだだけが、悦子さんは本気になり、上から目線
で理論的な「教育」までしようとする。
中村はそんな悦子さんが面倒になり電話にも出なくなる。
学生運動に嵌まっている女子大生と、ホテルのコックさん、考えかたや意識がまった
く違っていた。一緒にいても住んでる世界が違っていた。
この肉体関係を伴った疑似恋愛は女性側にとって深い傷となった。
そしてこの時期、同時に、悦子さんは女子大生という社会的立場を捨て、親の仕送り
を断り独立して生活しようと考えていた。
理論や理想が先行し、自分の力関係や現状を無視して物事を決めてしまう甘さや愚か
さ、そして若さ。
後になってやっていける自信がなくなり不安になり、未来展望をなくし絶望へと向か
っていく。
不幸にも、上記の二つの困難が2週間という時間の中で同時に彼女の心身に降り注いだ。
どちらか一つなら持ちこたえることができただろうと思う。
しかし、厳しい言い方だが、それらは二つとも彼女の内から出た錆、彼女が自らつく
ってしまったトラブルであり破綻だっただろう。
それにしても、何事にも思い込みの激しい女性だったように見える。 彼女の自己自身を突き詰めて探求していく真摯さがわからないと、ただ無駄に空回りして
自死してしまったようにしか見えないんだろうな。 彼女は、学生という身分は中途半端な甘い存在で、労働者こそが本物の存在だと考えて
いた。学生という身分にコンプレックスを抱いていた。どこか居心地が悪かった。
これは当時の新左翼、全共闘の理論、妄想から生まれた価値観であった。
充実した学生生活を送ろうと希望をもって入学したのに、学生はダメな階層だと洗脳さ
れて自主退学することになるなんて斜め上が酷すぎる。
こんな愚かで時代限定の問題で悩んだり苦しんだりするのは何の価値もないことだった。 そういう時代の制約を超えた普遍的なものがあるから文学として成立してるんだろ。 >>788
たしかにそれはある。否定しない。
青春期の名前を付け難い苦悩、対社会や対人間関係、異性、性の問題。
これらは時代の制約を超えた普遍的なもの。
しかし、彼女が染まった思想のようなものはその時代の妄想レベルの
ものであり時代に制約されまくっている。
その部分で自らの将来を自ら詰んでしまったのは不幸すぎる。 厳しい言い方だけど
労働者階級が至高と言いながら、自分は親の脛を齧ってる学生。
彼女の理想は、まさに机上の空想でしかなかった。
実際、仕送りを断っても、自分では何も出来ない。
中村さんのこともあっただろうけど
自分のあやふやな立場に挫折したんだと思う 彼女の悲劇は、あまりにも真摯であり真剣だったこと。
それが故に、周りの状況を自分で受け入れることが
出来なかった。
田舎の真面目なお嬢さん、
それが裏目に出た 久しぶりに案内を読んだけど
かっこちゃんの火葬は京都でやったのに
その時はあまり人を呼ばなかったのかな?
火葬の時に友達とかは行かなかったんだろうか 度が過ぎた純粋とか理想とか生真面目は、身を滅ぼす元だ。
物事にはいろんな要素が斑模様に存在し、必ず不純物が混じっている。
それが現実であり実際なのだ。
その現実には自分自身も含まれる。バカをやりヘマをやる。
そんなアホで汚い自分とも共存しなければならないこともある。
許せない自分と共存しつつ生きねばならないこともある。
悦子さんの純粋と生真面目と、そして強烈な自己催眠的な思い込みは
汚い自分を許せなかった。共存できなかった。
生きつつ逃げることをせずに、生を放棄してしまった。
それにしても、人は飯を食わねば生きて行けない。
抽象的な飯ではない、リアルは食物、栄養摂取のこと。 そんな妥協的な大人になるくらいだったら、死んだほうがマシだったんだろうな、彼女は。 >>794
それにしては
西那須野の葬式には、京都からも数人行ったんでしょ?
百合の花を東京で買って持っていったとか
それなりに大きくやったんだと思う 葬式が大きかったか小さかったかが何故そんなに気になる? 自殺の要因は、
失恋と、学生運動にのめり込んだ結果の展望無き現在と未来。
そして、最後に背中を押したのは眠剤と酒と不食による心身の変調。
母が言うとおり、悦子さんは疲れ切っていた。
数日前まで自殺の気持ちを否定しようとしていた。
彼女は本当は生きたかった。 また、彼女の最後の日がやってきた。
49年前。来年になれば、なんと! 50年前のことになってしまう。
最初に彼女のことを知ったときは、ほんの少し年上の女性が、少し
前に亡くなったって感覚で、「原点」を読んでいたけど、あれから
もう何十年もたったしまった。
「原点案内」。最近更新遅いよな。
忙しいみたいだから仕方ないけど、もっといろいろ彼女のこと
知りたいよね。
あのサイトほんと凄いっ。
あんな昔のこと、いろいろ調べて、あのアプローチは最初サイト見た
ときびっくりした。
これからもサイト更新がんばって欲しいね。
あのサイト、本当に貴重なサイトだから。。 明日だけどね。命日。
来年で50年か。五年一昔が10回分とは。
生きていれば来年で70歳。なんだか感無量だわ。 もう50年になるんだ…
自分も年取るはずだw
かっこちゃんは永遠に20歳なのに 記憶違いかもしれないが
昔、新幹線で京都-山科間で青雲寮が見えた。
丸太町の下宿も、まだそのままの形で残ってた。
もちろん、シアンクレールも国際ホテルもあった。
みんな、みんな消えつつある 天神踏切跡には花が手向けてあるのかな?
以前、京大桂キャンパス出張のついでに天神踏切跡によって
六曜社の地下で珈琲飲んだ
今度は身銭きって行ってこよう 今日はちょうど日曜だったし、あの現場に出向いた人、そこそこいたんだろうな。
俺は遠くてなかなか行けないけど、関西にいてすぐ行ける範囲だったら、絶対行ってる。 天神踏切跡は高架のおかげで消えたんじゃなかった?
場所を覚えてる人ならわかるだろうけど 20年も前に高架化されてるけど、高架の足下駄に行くんだよ。 今は円町駅が出来てるから歩いて天神踏切跡まで楽に行ける
天神踏切跡、六曜社、いずれも家内は好きじゃなさそう
京都旅行のついでって訳にもいかないな
今住んでる場所からは京都は日帰り旅行はきついな
カッコちゃんのお墓は片道3時間弱のドライブなので何度も行った 30年以上前に踏み切り裏にあった春陽堂でバイトしてた頃の記憶では、古い住宅街の路地裏みたいな雰囲気だったけど、今は高架下付近に新しい家も増えて、辺りウロウロするのは結構勇気がいる。 20年以上前、カッコちゃんのお墓を探しに
京都の街中をウロウロ彷徨ったw
一緒に行った友人を付き合わせて悪いことした。
お墓ばかり頭にあって、肝心の天神踏切には
行かなかったことが悔やまれる
今みたいにネットもない、情報が少ない時代だったなあ 最期に着ていたワンピースのたまご色ってどんな色なの? 8月上旬、家族と京都に行った。
30年以上前、兄弟言ってた友達の下宿に止まりに行ってから、京都には一度
も行ったことがかなかった。
夜、ひとりで宿を抜け出して、天神踏切跡まで歩いていった。
もちろん、天神踏切に行くのは初めて。、
現場につくまでは、ひょっとして、なにか高野さんの残存感のようなもの、
そんなものを感じるかもなって、少し期待していたけど、でもそんなもの
は全く感じることができなかった。
もう五十年近く前のこと、消えてしまった彼女の存在。もう何も残っていな
い感じ。とてもとても虚しくて、寂しい気持ちになった。
高野さんの頃は、多分現場はほぼ真っ暗だったと思うのだけど、今は高架下
にパーキングが並び夜も明るい。
現場で、彼女の冥福を2回お祈りした。
一度でいいから、現場で彼女に手を合わせたいと、ずーと思っていたので、
それができて、京都にきて良かったと思った。これが目的ではなかったの
だけど…。 踏切跡から下宿まで50年前の彼女の足取りと逆方向に歩いてみたけど、思
ったより近かった。
下宿前の細い路地で、彼女の下宿からそんなに離れていない場所で若いカ
ップル(中高生くらい?)が地面に腰かけて空を見ていた。こんな近くに住
んでいるけど、きっと高野さんの事は知らないだろう。
下宿前の路地を丸太町通に向かって歩いていくと、丸太町通と交差する点
前で路地はかるい上り勾配になっている。
当時と今では、こんな細い路地でも多分様変わりしているだろうけど、
でもこの上り勾配だけは当時とほとんど変わらないはず。
バイト帰りの高野さんが、丸太町通からこの路地へ自転車で曲がってきて
自転車をこがずにこの勾配を下ってくるのが、見えるような気がした。 >>816->>817
興味深いレポート乙
実際に現場に行ってみないとわからないことも沢山あるんだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています