【西那須野〜京都】二十歳の原点2【高野悦子】
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独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。
前スレ
【カッコ】二十歳の原点【高野悦子】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1287500812/
案内サイト
高野悦子 二十歳の原点案内
http://www7b.biglobe.ne.jp/~takanoetsuko/ 悦子さんは、何も残さなかったとしても、「日頃の行い」から一生けん命に生きていたと
わかってくれるけど、里香さんの場合、金持ちの我儘娘がいい加減に生きていたと誤解しそう。
里香さんの遺族が日記を出版したのも、死後の誤解を避けるため? >>744 >>745
里香さんの苦悩は外から見て理解するのが難しい。
お父さんは里香さんが男に生まれていたら自由に生きられ
活躍もできただろうと、娘の死を悼んでいる。
才能のある女性が古い男性優位社会の中で苦悩したとか、
そういったことなのだろうか?
それとも里香さんの個人的資質、芸術的才能からくる苦悩
なのか?
そのあたりの苦悩の中身が第三者には理解しづらい。
里香さんの苦悩は高級な芸術的苦悩で、極私的な苦悩のよう
にも見える。
悦子さんの苦悩も決して庶民的なものではないが、彼女と
同時代の学生層にはその苦悩の中身がよく理解できる。
そしてどの時代の若者にも共通する青春期の苦悩も書かれて
いるように思える。明け透けな性の悩みも含めて。 悦子さんのように自己保身の気持ちが極端に薄い学生がたくさんいた
時代って不思議だし、異常だ。
それは戦時中の、お国のために、という価値観にも通じてしまう危う
さがある。
対象が国であるか、社会であるか、階層や組織であるか、思想である
かの違いはあるが、その対象ために滅私することは同じ。 危秋求@ 北海道、釧路の桂恋海岸で遺体となって発見された、27才の中国の女性の文章
>>「人生は永遠に矛盾するもの。どんなに孤独でも友達は必要、友達がいても孤独は解決できない」
>>「シャワーを浴びて民宿のそばのブランコに。耳には途切れることのない風の音、そして音楽も。
>> 星もあなたの姿もないけれど、今はそれでも構わない。このすべてを人生最後の輝きにしよう。
>> 時間を切り詰めて、無駄な時間を過ごそう」
なんとなく、否、限りなく、高野さんと同じ孤独や絶望感を感じさせる文章 人の一生なんて、勘違いしたり、何かを思い込んだり、妄想と幻想の中で
生きて死んで逝くんだなと、最近思うようになった。
政治とか宗教とか、思い込みが激しくないとやってられないし、個人的な
小さな思い込みや勘違いも、自己維持にとってはそれなりに必要だし、
とにかく生き続けるためには、徹頭徹尾合理的であったり客観的であった
らダメなんだ。
生きる目標などそもそも無いのだ、生きているということ、生き続けると
いうこと、それそのものが目標なのだ。欲望に従おう。 U氏は今岡山県真庭郡新庄村に住んでおられます。
日本で一番美しい村とも呼ばれているそうです。 http://www.takanoetsuko.com/hoyo.html#simbuncolumn
難しいとか難解とかいうよりも、異常な状況に置かれた精神を病んだ人の文章に思える。
色彩が無い、白黒の世界。潤いがなく、枯れた思考世界。
自己否定、なんとも寂しく、もの悲しく、貧困な禁欲主義。もうほとんど禁欲的な宗教だ。
自己否定とは禁欲的な滅私奉公に他ならない。おそろしく中世封建主義的な考え方だ。
いったいどんな自己を否定しようとしたのか?
その自己否定を徹底したら自殺するしかなかったのではないだろうか?
自己否定とは物理的な自己否定、つまりは自殺ということになる。
悦子さんの場合は実際にそうなった。ある意味で論理的な正当な帰結だった。 体の欲求と欲望を逐次潰そうとする、自己否定という禁欲思想と価値観。
「美しく論理的で闘う精神」が、汚れた瑞々しい肉体を無理に少しずつ死に追いやる
過程。
悦子さんは自分で自分を枯らし死滅させていく。
自己否定ではなく、自己肯定こそが、自己の欲望や欲求を認めてこそ、生きて行ける。
論理的でなくともいい、非合理でもいい、目的があろうがなかろうがそれでもいい、
美しくなくてもいい、醜悪でもいい、自分を肯定してこそ生きられる。
枯れるのは年齢に任せればいい、自ら枯れる必要はない。 1970年前後の大学や学生の多くがが異常な状態だったと考えられる。
戦争への反省から反戦平和を叫び、更にそこから社会主義や共産主義まで叫ぶように
なっていった。
社会科学や政治思想を根拠にしていたが、そこには理想だけでなく妄想や幻想が入り
込んでいた。末期の彼等のすべてが、どう見てもカルトとしか言いようがなかった。
悦子さんはそういった運動に影響され捲き込まれた不運な犠牲者のひとりだった。
資質的かつ個人的な要因もあり、また、たまたま日記を残し自殺したことで注目を浴
びることとなったが、
実はその背後には、膨大な数の学生達がその後の人生に大きな負の曲折を被ったはず。
その時に死んでしまった人も、その後を生き続けた人も、その時代の影響は、時代
の流行を着てしまった人、染まってしまった個人に行き着くことになる。
あの世界中で流行った学生運動、学生層を中心にした社会主義運動だったようだが、
いったい何を、世界や個々の国にもたらしたのだろうか?
ほとんど何もないように見える? 幻想と熱狂があっただけのように思える。
悦子さんの個人的な「破綻」、そして個人的な死は学生運動の流れの中で考える
しかない。その生活の価値観上で「破綻」し、自殺まで自分を追い詰め、また広い
状況によって追い詰められた。 お誕生日お目でとございます。
生きていれば69歳か。
孫と遊んでたりしたんだろうな。 お母さんが言われたこと。
23年、年末のあわただしい日に生まれました。
26日から28日のあいだです。
年末で縁起が良くないので、年が明けた1月2日に届けを出しました。
昔はよくしたものです。
2005.11.19 西那須の高野さんの実家で。 一般書籍よりもおすすめてきにネットで得する情報とか
グーグル検索⇒『稲本のメツイオウレフフレゼ
6QMWA 乗馬スタイルの悦子さんかわいい
暖かくなったらノートから読んでみよう オシャレな本屋に行ったら二十歳の原点が売っていた
テレビで紹介されて大反響!みたいな帯がついていた
去年特集されてたのね、知らなかった 党派やリーダーが違うだけで、反革命だの反労働者だの、学生同士で敵対し合っていた。
猿山のボスの縄張り争いのように、ボスやボス候補の数だけ党派や理論があった。
資本主義的だ! 小市民的だ! とか言葉の遊びをしながら敵対していた。
まるで宗教的な禁欲競争の様相。思想なんかじゃなく宗教、あるいは幻想。
宗教や幻想を否定しながらも、実は宗教そのもの、幻想そのものだった。
高野さんの日記にはそれらが タテマエ として書かれ、そして悦子さんはそれらの
禁を実生活では破っていく。
そもそも、そんな自己否定のタテマエなど無理な話なのだ。守れないのは当然。
行き着く先は自らの心身の自己否定に純化される。彼女はそれを実行してしまった。
多くの学生が現実と妥協しはじめたその頃にだ。
そして、現実と妥協すること、受け入れることこそが正しい身の処し方だった。
卑怯に見えても、美しくなくとも、一貫性がなくとも、取り敢えず息をし、生き続ける
ことが、正解だったと思う。
人生で、死んでまで守らなきゃいけない、そんな価値あるものなんてない。
自分の命のほうがよほど大切なこと。
男の視線を自分に向けるために、自分の命を捨てるのは愚かとしか言いようがない。
悦子さんは最後の最後で愚かだった、としか言いようがない。 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
→ 資本主義的、小市民的自己の否定という倫理と、共産主義の精神
実際は、結果的には、禁欲的な宗教的価値が溢れる個人絶対主義への憧れや回帰であった。 >>765
男の視線を自分に向けるために命を捨てたとまじめに思ってるの? >>768
自殺動機には、中村や家族への当てつけも、間違いなくあったと思う。
日記に、私が入院するようなことがあったら中村は、家族はどう思うだろうか?
病院に来てくれるだろうか?、そんな書き込みがあったと記憶している。
また、新聞に何行かの死亡記事くらいは載るだろうか? そんなことも書いていた。
少なくとも自殺という結果までの絶望していく過程の中で、当てつけ自殺という幼稚
な思いはあり、それは日記に書かれている。
ただ、最後の最後は、そのような動機も漂白され、真っ白になって、事実上の無意識
のなかで、死んでいった、と、そう思いたいが、 自殺する前夜も、自殺した夜も着ていた服。
それは、一週間前に栃木から娘の様子を見に来た母にお金を出してもらって買った卵色
の水玉模様のワンピース。
いつもの薄汚いジーパンを着た男の子みたいな私ではなく、この可愛い服を着た、可愛い
私を中村に見てほしかった。見直してほしかった。
それで前夜にホテルの寮まで行った。
結果として会うことはできなかった。彼との希望は消えたと思った。
それが自殺の直接のきっかけ、引き金であったと思う。
しかしその背後には、これからも生きて行こうと思う意欲や気力の喪失という、深刻な
生命力の衰退、心身の病とも言える症状があった。
彼女は中村との関係に、そして、目の前の学生運動に、生きていく動機を、手がかりを
見つけようとしていた。生きたかったのだ。
ある意味で、そこまで彼女は追い詰められていた。近視眼的価値観に囚われていた。
そしてそれは、その当時を革命前夜として洗脳されていた、多くの学生にみられた症状で
あっただろう。革命の夢は消え、敗北と虚脱感でいっぱいになっていた。
人間なんて所詮は動物、生き物だ、とするところから出発しないと常に裏切られることになる。
そして自分自身をも危険に晒し、裏切ることになる。
当時の学生は、必要以上に理想主義的で、また形式主義的な人間観や社会感を植え付けられ、
またそれを受け入れてしまっていた。 大学生であることを自らの意志で辞めること、大学を退学すること、その選択が
悦子さんの希望と生活展望を奪うことになった。
また、おそらくは母が様子を見に上洛した際に、親からの仕送りを断っただろう。
自立できる力も覚悟も無いのにだ。
そのことが、母が帰った後に急に悦子さんを不安にさせることになった。
取り敢えずはホテルのバイトをして、本を読んで社会を知ろう、と書くが、学生
ではない一人の女性としてなにをするのか? 闘争と自己改革の無い人生に意味
は無い、30歳まで生きてどうするのか、生きても仕方ないと結論する。
悦子は私が帰ってから自殺するまでの一週間以上何も食べていなかったことになる、
と、母は何かの雑誌で書いている。事故の際に胃の解剖があったのだろう。
母が帰った後に、親への依存無しの生活に悦子さんの中で大きな不安感が生まれた。
学生では無い自分とは? 生きる価値と生きる力はあるのだろうか?
中村との希望的関係も失ったことと重なり、食欲を失うほどの大きなストレスにな
った。
口に入れたのは酒とタバコと眠剤だけだった。心身ともにボロボロになっていた。
周囲の人達も自分のことで精一杯で、彼女の異変に気が付くこともなかっただろう。 もしタイムマシンがあって、悦子さんを自殺しないように助けることが許されるなら、
あなたはどの時点でどのように介入し助けますか?
やはり、先ずは京都の大学に行かないように介入か?
また、京都の大学に行ったとして、どの時点で介入すればよいのか?
あるいは、悦子さんと友人になったり恋愛相手になるような介入も許されるなら、使命感
で?積極的に接触していく方法もある。
どこかの時点で良い人と恋愛関係が出来ていたなら死ぬことはなかっただろう。
人との巡り会いは偶然も大きいから運不運に左右されてしまう。
京都ホテルの中村と最初に酒を飲みに行く機会を消してしまう方法もある。
その前に小林をワンゲルのコンパに来させないとか、悦子さんを欠席させるとか?
たら、れば、は空しいが、原因と結果が浮かび上がることもある。
悪い偶然が重なって最悪の結果になったのか?
それとも、内なる本質が偶然とともに現象したのか?
自殺に至る本質などあるのだろうか?
私は死ぬ勇気はないので恥をさらしつつ生き続ける。
恥を晒しながら生きるのも勇気がいるのだ。
それでいいのだ、どうでもいいのだ、生き長らえろ。 とても性欲の強い女性だっただろう。
酒が入ると特に。
それが彼女に次々と災いをもたらすことになった。
つまりは彼女自身にも原因と責任のある事故なのだ。
そして、同時に倫理感が強かったので、自己嫌悪に
苦しむことになった。
エロ映画的には最高の素材である。
欲望に負ける倫理。
性に負ける聖。
血と糞にまける抽象的天使としての人間。 生きることに自暴自棄になってしまったから、男や酒に逃避していただけで、
性欲や酒は本質的なことではないだろ。
彼女が真摯に生きようとして挫折したことのほうが本質だわ。 >>774
> エロ映画的には最高の素材である。
だから角ゆり子が脱いだわけだな。
東宝は、さっさとDVD出せ。 凡人には天才が理解できなことがよくわかるスレ
自分の等身大の欲の人生に無理やり合わせて解釈しちゃうのな ttp://blog.honyomi.jp/200509/article_21.html
<< 自殺する直前のバイトの日、彼女は夜8時10分前ごろ、皿洗い場前のエレベータ
から出てきた。 いまだにこんな目撃証言が出てくるもんなんだね。
この人が、死亡を告げる電話を受けた人か。 一週間も何も食べてない状態でバイトしてたんだね。
それに睡眠薬を服用してた。
かなり疲れているように見える外観になるはずなんだが?
ちょっと元気がなかった? とバイト仲間が感じた程度?
自殺の夜に一気に疲れが出で限界が来たのだろうな。
張り詰めた糸がプッツンと切れた。
人は疲れると闇の妄想世界に入って行く。 死の直前は自暴自棄になってバイトなんて普通休むだろうに。
前日までバイトに入ってたのは、中村がいたからだろうな。 >>782
そうだね、それしか考えられない。
それほど執着していた。
あるいは、中村との関係が生きるためにすがる最後の理由、最後の藁だった。
でも、賢い悦子さんはそれが藁だと、掴んでも仕方ないことに気が付き、
自らの手を客観的に見つめ、放した。
最後の灰色の点が消え絶望の黒一色となった。 お父さんは中村に面会しに行って不在だったと言ってるけど、その後中村とは会えたのかな。
そのまま逃げ回ったなら相当な人間性だよ。 過去の書き込みでは、中村はスケートの国体選手になるぐらいのスポーツマンで、
そしてイケメンだったという。女にモテたし彼女もいたとされている。
そんな中村と悦子さんは酒を飲みに行って、いわゆる肉体関係を持ったという。
中村からすれば可愛い女子大生と遊んだだけが、悦子さんは本気になり、上から目線
で理論的な「教育」までしようとする。
中村はそんな悦子さんが面倒になり電話にも出なくなる。
学生運動に嵌まっている女子大生と、ホテルのコックさん、考えかたや意識がまった
く違っていた。一緒にいても住んでる世界が違っていた。
この肉体関係を伴った疑似恋愛は女性側にとって深い傷となった。
そしてこの時期、同時に、悦子さんは女子大生という社会的立場を捨て、親の仕送り
を断り独立して生活しようと考えていた。
理論や理想が先行し、自分の力関係や現状を無視して物事を決めてしまう甘さや愚か
さ、そして若さ。
後になってやっていける自信がなくなり不安になり、未来展望をなくし絶望へと向か
っていく。
不幸にも、上記の二つの困難が2週間という時間の中で同時に彼女の心身に降り注いだ。
どちらか一つなら持ちこたえることができただろうと思う。
しかし、厳しい言い方だが、それらは二つとも彼女の内から出た錆、彼女が自らつく
ってしまったトラブルであり破綻だっただろう。
それにしても、何事にも思い込みの激しい女性だったように見える。 彼女の自己自身を突き詰めて探求していく真摯さがわからないと、ただ無駄に空回りして
自死してしまったようにしか見えないんだろうな。 彼女は、学生という身分は中途半端な甘い存在で、労働者こそが本物の存在だと考えて
いた。学生という身分にコンプレックスを抱いていた。どこか居心地が悪かった。
これは当時の新左翼、全共闘の理論、妄想から生まれた価値観であった。
充実した学生生活を送ろうと希望をもって入学したのに、学生はダメな階層だと洗脳さ
れて自主退学することになるなんて斜め上が酷すぎる。
こんな愚かで時代限定の問題で悩んだり苦しんだりするのは何の価値もないことだった。 そういう時代の制約を超えた普遍的なものがあるから文学として成立してるんだろ。 >>788
たしかにそれはある。否定しない。
青春期の名前を付け難い苦悩、対社会や対人間関係、異性、性の問題。
これらは時代の制約を超えた普遍的なもの。
しかし、彼女が染まった思想のようなものはその時代の妄想レベルの
ものであり時代に制約されまくっている。
その部分で自らの将来を自ら詰んでしまったのは不幸すぎる。 厳しい言い方だけど
労働者階級が至高と言いながら、自分は親の脛を齧ってる学生。
彼女の理想は、まさに机上の空想でしかなかった。
実際、仕送りを断っても、自分では何も出来ない。
中村さんのこともあっただろうけど
自分のあやふやな立場に挫折したんだと思う 彼女の悲劇は、あまりにも真摯であり真剣だったこと。
それが故に、周りの状況を自分で受け入れることが
出来なかった。
田舎の真面目なお嬢さん、
それが裏目に出た 久しぶりに案内を読んだけど
かっこちゃんの火葬は京都でやったのに
その時はあまり人を呼ばなかったのかな?
火葬の時に友達とかは行かなかったんだろうか 度が過ぎた純粋とか理想とか生真面目は、身を滅ぼす元だ。
物事にはいろんな要素が斑模様に存在し、必ず不純物が混じっている。
それが現実であり実際なのだ。
その現実には自分自身も含まれる。バカをやりヘマをやる。
そんなアホで汚い自分とも共存しなければならないこともある。
許せない自分と共存しつつ生きねばならないこともある。
悦子さんの純粋と生真面目と、そして強烈な自己催眠的な思い込みは
汚い自分を許せなかった。共存できなかった。
生きつつ逃げることをせずに、生を放棄してしまった。
それにしても、人は飯を食わねば生きて行けない。
抽象的な飯ではない、リアルは食物、栄養摂取のこと。 そんな妥協的な大人になるくらいだったら、死んだほうがマシだったんだろうな、彼女は。 >>794
それにしては
西那須野の葬式には、京都からも数人行ったんでしょ?
百合の花を東京で買って持っていったとか
それなりに大きくやったんだと思う 葬式が大きかったか小さかったかが何故そんなに気になる? 自殺の要因は、
失恋と、学生運動にのめり込んだ結果の展望無き現在と未来。
そして、最後に背中を押したのは眠剤と酒と不食による心身の変調。
母が言うとおり、悦子さんは疲れ切っていた。
数日前まで自殺の気持ちを否定しようとしていた。
彼女は本当は生きたかった。 また、彼女の最後の日がやってきた。
49年前。来年になれば、なんと! 50年前のことになってしまう。
最初に彼女のことを知ったときは、ほんの少し年上の女性が、少し
前に亡くなったって感覚で、「原点」を読んでいたけど、あれから
もう何十年もたったしまった。
「原点案内」。最近更新遅いよな。
忙しいみたいだから仕方ないけど、もっといろいろ彼女のこと
知りたいよね。
あのサイトほんと凄いっ。
あんな昔のこと、いろいろ調べて、あのアプローチは最初サイト見た
ときびっくりした。
これからもサイト更新がんばって欲しいね。
あのサイト、本当に貴重なサイトだから。。 明日だけどね。命日。
来年で50年か。五年一昔が10回分とは。
生きていれば来年で70歳。なんだか感無量だわ。 もう50年になるんだ…
自分も年取るはずだw
かっこちゃんは永遠に20歳なのに 記憶違いかもしれないが
昔、新幹線で京都-山科間で青雲寮が見えた。
丸太町の下宿も、まだそのままの形で残ってた。
もちろん、シアンクレールも国際ホテルもあった。
みんな、みんな消えつつある 天神踏切跡には花が手向けてあるのかな?
以前、京大桂キャンパス出張のついでに天神踏切跡によって
六曜社の地下で珈琲飲んだ
今度は身銭きって行ってこよう 今日はちょうど日曜だったし、あの現場に出向いた人、そこそこいたんだろうな。
俺は遠くてなかなか行けないけど、関西にいてすぐ行ける範囲だったら、絶対行ってる。 天神踏切跡は高架のおかげで消えたんじゃなかった?
場所を覚えてる人ならわかるだろうけど 20年も前に高架化されてるけど、高架の足下駄に行くんだよ。 今は円町駅が出来てるから歩いて天神踏切跡まで楽に行ける
天神踏切跡、六曜社、いずれも家内は好きじゃなさそう
京都旅行のついでって訳にもいかないな
今住んでる場所からは京都は日帰り旅行はきついな
カッコちゃんのお墓は片道3時間弱のドライブなので何度も行った 30年以上前に踏み切り裏にあった春陽堂でバイトしてた頃の記憶では、古い住宅街の路地裏みたいな雰囲気だったけど、今は高架下付近に新しい家も増えて、辺りウロウロするのは結構勇気がいる。 20年以上前、カッコちゃんのお墓を探しに
京都の街中をウロウロ彷徨ったw
一緒に行った友人を付き合わせて悪いことした。
お墓ばかり頭にあって、肝心の天神踏切には
行かなかったことが悔やまれる
今みたいにネットもない、情報が少ない時代だったなあ 最期に着ていたワンピースのたまご色ってどんな色なの? 8月上旬、家族と京都に行った。
30年以上前、兄弟言ってた友達の下宿に止まりに行ってから、京都には一度
も行ったことがかなかった。
夜、ひとりで宿を抜け出して、天神踏切跡まで歩いていった。
もちろん、天神踏切に行くのは初めて。、
現場につくまでは、ひょっとして、なにか高野さんの残存感のようなもの、
そんなものを感じるかもなって、少し期待していたけど、でもそんなもの
は全く感じることができなかった。
もう五十年近く前のこと、消えてしまった彼女の存在。もう何も残っていな
い感じ。とてもとても虚しくて、寂しい気持ちになった。
高野さんの頃は、多分現場はほぼ真っ暗だったと思うのだけど、今は高架下
にパーキングが並び夜も明るい。
現場で、彼女の冥福を2回お祈りした。
一度でいいから、現場で彼女に手を合わせたいと、ずーと思っていたので、
それができて、京都にきて良かったと思った。これが目的ではなかったの
だけど…。 踏切跡から下宿まで50年前の彼女の足取りと逆方向に歩いてみたけど、思
ったより近かった。
下宿前の細い路地で、彼女の下宿からそんなに離れていない場所で若いカ
ップル(中高生くらい?)が地面に腰かけて空を見ていた。こんな近くに住
んでいるけど、きっと高野さんの事は知らないだろう。
下宿前の路地を丸太町通に向かって歩いていくと、丸太町通と交差する点
前で路地はかるい上り勾配になっている。
当時と今では、こんな細い路地でも多分様変わりしているだろうけど、
でもこの上り勾配だけは当時とほとんど変わらないはず。
バイト帰りの高野さんが、丸太町通からこの路地へ自転車で曲がってきて
自転車をこがずにこの勾配を下ってくるのが、見えるような気がした。 >>816->>817
興味深いレポート乙
実際に現場に行ってみないとわからないことも沢山あるんだろう。 20年ぐらい前、京都に数年間住んでて
丸太町の下宿近所は何度もチャリで通ったのに
とうとう分からずじまいだった。
そもそも、下宿と言えども今のアパートの形を想像してたので
完全に読みを間違えてた。
後になって、目の前を何度も行ってたことに気がついた。
ヒントだったのは日記にも出てくる小学校だけど
意外と下宿からは距離がある。
昔だから子供の声もよく聴こえてたのかも。
今の感覚だと、分からないことが多い 最大の謎は、なぜご両親は出版に踏み切ったか、ということ。
巻末にあるお父様の「失格者の弁」には親子の隔絶の例として他山の石にして欲しいと述べてありますが、
あれだけインパクトのある日記を、本人が公開を望んでいなかったと思われるものを、
そして関わった人たちに少なからぬ影響が出ることが予想されるものを
万人に公開した理由としては十分でない気がする。
そこらへん、ご意見ありませんか? 二つの考えがある
一つは、国鉄から損害賠償を求められて
その為に出版した。
もう一つは、娘が生きた証を父親が欲しかったため
確か
那須文学に出したのも、父、三郎さんの考えだったらしい。
故人と関わった西那須野中学の関係者から
勧められたとか。
しかし、何故、那須文学を経て新潮社から出すことになったか
今では謎。
まだまだ立命館関係者が活躍してる時期だから
あちこちで名前を出すと困る人も居たと思う。
尤も、新潮社版では随分と原作から手を入れて
削除した部分もあると聞いている、
最後の旅に出ようの詩も、原作にはあそこには無く
三郎さんが入れた、と聞いてる。 日記文学は、紫式部日記 とか更級日記とか日本文学の基本だしね >>823
なるほど、ご意見ありがとうございます。
前者については、まず可能性は無いだろうと推測します。
山陰本線の夜中2時の貨物列車を一時的に止めたぐらいでは、さほど損害賠償が発生するとは思えません。
加えて、その程度の賠償を払えないようなご家庭にも見えません。
後者については、可能性を否定しません。が、あまりにも抽象的な理由な気がします。 日記文学として非常に優れた内容であることを父親が正しく理解できた
ということだろうね。
娘を溺愛するだけの凡庸な父親ではないよ、この人は。
旅に出る詩を最後に置いたのも、父親の文学センスによるもの。 >>826
なるほど、それもあり得ますね。
ただ、もし高い文学性を評価してということであれば、
故人の恥部になるような箇所は全面カットしてもよかったはず。
すでにカットされているのかもしれないが、にしても性的な内容や(この方にしては)下品な言葉がそのまま載りすぎているように感じる。
それらを削除しても文学性は何ら落ちないと思うのですが。。。 >>829
うーん、どうですかね、過剰なリアリティーという気がします。文学的には。
また、読者的には良くても、親としては大問題です。当時の良家なら尚更。
現に朝日新聞のインタビュー記事でお母様は出版に大反対したと証言されています。
お父様のお気持ちを察するのが難しい。。 >>828
アンネの日記読んだことある?
赤裸々な箇所がいくらでもあるぞ。
そういうものだろ、日記文学というものは。 うーん
日記文学がどういうものであるかということと、なぜあの日記をご両親(お父様)が公表したかというのは、全く別次元の話だと思います。
お父様がアンネの日記を読んで、それを基準に公開を決意したとは思えないです。
当時を知る人の証言が欲しいですね。 >>832
個人の好き嫌いで話しても仕方がないでしょ
あなたがそういう性的な事に慣れていない(過剰反応する)っていうのが最大の原因だと思うよ >>833
完全同意。
性も含めて人間の生きた姿なのに、ことさらそこだけタブー視して過剰反応する
のが偏った見方としか思えない。 中村さんに社会的制裁を加えたかった、という動機はないか? >>835
それは多分にあると思う
カッコちゃんの一方的な思い入れが強いだけに
中村さんはある意味被害者 他に彼女がいるのに悦子さんに手を出し、すぐに捨てた。直後に悦子さん自殺。
親としては当然怒るだろう。かといって法的にどうこうできるものでもない。
せめて中村さんが誠意のある謝罪をしていれば、出版まではしなかったかもしれない。
「案内」サイトによると、父は中村さんに会い事情を聞こうと試みたが、不在で会えなかったとある。
常識的に考えて、栃木からわざわざ京都まで会いに行くのに、事前連絡していないはずがない。
不在ってことは拒否と同義でしょう。
やりきれない父は制裁を与えるべく出版に踏み切った。
これならつじつまが合う。 そんな復讐劇があるのかw
新潮社だってそんな個人的な事情だけでは出版に踏み切らないでしょ。
あくまで内容に読むべきものがあると判断したから出版したのだし、
その読みは正しくてロングセラーになったわけで。 出版社にとっては売れる内容かどうか、それがすべて。あの日記にはその価値があった。その点に何の疑問もない。
いま話題にしているのは、なぜ父が日記の出版を認めたかということ。 でも中村さんも悦子さんの自殺から7〜8年後に若くして病気で亡くなっているんだよね。
因果応報と言えなくもないかな。 >>840
そうなんだ。
ホテルの仕事はそのまま続けてたのかな? >>841
すぐに別のホテルに移って、数年して病死されたという情報をどこかでみた。 >>836
中村さんが被害者というのは違和感あるな。
数回肉体関係を持って捨てたのは事実のようだし。
それで自殺が起きることは滅多にないが、火遊びと一緒で、一定のリスクはある。
リスクをとって、惨事がおきた。そしてその責任を取らされた、ということだろう。被害者とは言えない。 >>843
でもさ
中村さんは自分は彼女持ちだとはっきり伝えてたワケでしょ
火遊びで寝たのを、いつまでも責められるのは
可哀想だと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています