8月上旬、家族と京都に行った。
30年以上前、兄弟言ってた友達の下宿に止まりに行ってから、京都には一度
も行ったことがかなかった。

夜、ひとりで宿を抜け出して、天神踏切跡まで歩いていった。
もちろん、天神踏切に行くのは初めて。、
現場につくまでは、ひょっとして、なにか高野さんの残存感のようなもの、
そんなものを感じるかもなって、少し期待していたけど、でもそんなもの
は全く感じることができなかった。

もう五十年近く前のこと、消えてしまった彼女の存在。もう何も残っていな
い感じ。とてもとても虚しくて、寂しい気持ちになった。

高野さんの頃は、多分現場はほぼ真っ暗だったと思うのだけど、今は高架下
にパーキングが並び夜も明るい。

現場で、彼女の冥福を2回お祈りした。
一度でいいから、現場で彼女に手を合わせたいと、ずーと思っていたので、
それができて、京都にきて良かったと思った。これが目的ではなかったの
だけど…。