>>489
>>502
>>503
で、振袖火事というのは明暦の大火1814年
これはげんなりの存命中1798年(寛政10年) - 1859年(安政6年) に起きている。そうするとげんなりのころは遺伝病じゃないわけ。
明治時代の遺伝病とされた病気の患者に対する偏見のすごさを見ると、仮に江戸時代に同じような
偏見が存在していたとすれば看病なんかしない。寺に生きたまま投げ込むだろう。江戸時代はそういう時代。
http://bungaku.cocolog-nifty.com/barazoku/2013/07/post-9767.html

明治時代遺伝病とされたハンセン病が如何に偏見を生んでいたか。即村八分ですよ。
502で紹介した論文では森鴎外も妻を離縁している。

生田葵山著 『団扇太鼓』―ハンセン病・迷信が支配していた時代の悲劇―
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n282/n282014.html

あ、あと労咳が伝屍病なのは
伝屍病肝心抄并痩病治方
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/160481/4
という13世紀に中国から鎌倉時代に伝わったものがありその内容から推定されているようだ。
そうすると先ほどの文献から遺伝病とは解釈できない。
この鍼灸法の治療が江戸時代まで続くみたいだな。