「敷居を跨ぐ」というのは家などに「出入りする」という意味の文学的修辞でしかない
「敷居は家の一部だから住んでいる人との人間関係とかを象徴する意味があるんだよ!」とか意味をこじつけようとする人をネット上でまれに見かけるが
どれも頭が悪そうな素人のブログみたいなものでしかない
そんなくだらない連想ゲームは国語学でも日本語学でも言語学でもないし、敷居と人間関係を関連づける文化など日本にはない
「『敷居が高い』は『敷居を跨がせない』と組になった表現」なんて小卒のアホでも騙せるかどうか分からない程くだらない嘘にすぎない