世の中には正字正仮名(旧字旧仮名)づかいを好み支持している人たちも少なくない。
だから岩波の場合も、校訂者や本に関わっている人たちが、あえて正字正仮名づかい
を残しているという可能性もありそう。

また、戦前の正字正仮名づかいの作品を、あえて書かれた原文のまま出版するという
のも、それはそれで価値ある事業だと思う。

その一方で、最近の岩波文庫は、原文で使われている漢字をどんどんカナに開いて
しまっていて、有島武郎の「或る女」などは、むかし新潮文庫で読んだときの印象とは
ずいぶん変わってしまい、驚いたこともある。
(以下は「或る女」からの抜粋、上が新潮文庫、下が岩波文庫)

  葉子は四角なガラスを箝(は)めた入口の繰り戸を古藤が勢いよく開けるのを
  待って、中にはいろうとして、八分通りつまった両側の乗客に稲妻のように鋭く
  眼を走らしたが、左側の中央近く新聞を見入った、痩せた中年の男に視線が
  とまると、はっと立ちすくむほど驚いた。

  葉子は四角なガラスをはめた入り口の繰り戸を古藤が勢いよくあけるのを
  待って、中にはいろうとして、八分通りつまった両側の乗客に稲妻のように鋭く
  目を走らしたが、左側の中央近く新聞を見入った、やせた中年の男に視線が
  とまると、はっと立ちすくむほど驚いた。