私の知り合いに76歳の中島さんという話好きなお爺さんがいるのですが、中島さんは昭和32、3年ごろ中学生で、英語の塾に行っていたという。勉強ができないので親に、
「あんた、塾にでも行きなさいよ」
と言われて、近所の塾、東京の碑文谷なんですけれど、に行かされていたという。
60年も前に通っていた塾の話を聞かされるのも、私としてめんどくさいというのはあるのですが、私も暇なんで、フンフンと聞くわけです。
そこの塾長というのは数学を教えるのですが、英語の先生は大学生のバイトを雇うのです。中島さんを教えてくれた英語の先生は早稲田の学生で、すごく温厚ないい人だったらしいですよ。
いつもニコニコしていて、中島さん曰く、ぽちゃぽちゃっとした小太り体形の男性だったらしいです。
ここまで昔話としては成立しているのですが、話として何も面白くないです。
その英語の先生は、ある日、塾の生徒に本を配ったというのです。
「その先生、本を出したって言うんだよね。だから塾の生徒にその本を配ったんだよ」
塾の先生が自費出版したような本を配っても、そんなこと全くどうでもいいとは思うのですが、
一応マナーとして私も聞くわけです。
「それ、どんな本だったんですか?」
「野獣死すべし、っていう題名だったね」
「えっ?」

なんていうか、とんでもないこと言いだしたんじゃないのかと思いまして。

「その英語の先生、大藪って名前じゃなかったですか?」
「うん、そんな名前だったね」
「ちょっと待ってくださいね。その大藪春彦、いや大藪先生、どんな先生でしたっけ?」
「うん、ぽちゃぽちゃっとして愛想のいい先生だったよ」

実話です。