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「ネットは正しい」というより「ネットには無限の情報がある」が正しく、
情報は質も大事だが、量がそれ以上に大事なことで、
いろんな人間が、いろんな立場や場所から発信、公表することによって、
それら複数の情報が干渉または補完しあい、ようやくファクトチェックの機能が働く。
「ネットの中に真実がある」というのはそういうことであり、
もしテレビの情報に頼るように、ネットの一つの情報にすがるのなら、それは同じことで、大きな過ち。

テレビや新聞の情報でも、中立を保ちたいなら、
すくなくとも相反する意見、両論併記しなければならないが、
日本の今のメディアではそれが徹底されていない。
仮に徹底されていたとしてもたった二つの対立意見だけでは心もとない。
真実は他にあるのではないか、という疑念が残る。またそれが「報道しない自由」にあらわれている。

新聞がこれまでやってきた誤報や偏向報道を見ていれば、
情報に責任や保証を求めても全く意味はなく、
むしろ責任や保証があるから「これは確かな情報である」「信用できる」というのは、危険な先入観にすぎない。
記者クラブ内で新聞各社が記事のすり合わせをして、同じ情報を流してきたために、
どこのテレビ、新聞も同じことを報道をしている、だから「これが真実だ」と思わせてきたのが、これまでのマスコミのやり方でもあった。

ネットが情報取集ツールとして身近になって、
ようやくそういったマスコミの偽造されたニュース報道にも気づけるし、嘘も見抜けるようになった。
しかし、新聞テレビ派の古い世代は「新聞テレビvsネット」という構図を作り、
「ネット情報は嘘だ、信用できない、保証もない、責任もない」と馬鹿なことをいう。
新聞を読まなくなった、テレビを見なくなった新しい世代にとって、新聞テレビもネットの情報の一つに過ぎないのに。

信ぴょう性は、より多くの情報を集めること、様々な証拠や関連する他の事象を知ること、に尽きる。
つまり多くの情報を得ることによってでしか担保できない。
要するに、真実はネットの中にある。ただし、そこに辿り着けるかどうかは、あなた次第。