フェイク言論に賞が授与され、祝福に駆けつける東浩紀や津田大介という連中は何がしたいんだ、一体? 
社交のみか?付き合いのみか?

安倍は「正論新風賞」を受賞した三浦瑠麗をこう賛美した。「既存メディアの論調などに決して
流されることなく、持ち前の冷静な分析力とわかりやすい語り口で、評論活動を通じておられる
三浦さんには、正論新風賞として初の女性受賞者としても今後、さらなるご活躍を大いに期待しております」
笑わせるなという評価だ。三浦は「既存メディアの論調」に流されないどころか、ウィキペディアから
引用禁止を通告された「デイリー・メール」や、ネットのデマに流されまくっているのだから話にならない。
 贈呈式が行われたのは三浦が「スリーパー・セル」発言をした「ワイドナショー」の放映翌日で、
まさに炎上の真っ最中だったのだが、三浦は首相のお墨付きに気を良くしたのか、完全に開き直って
「(北朝鮮危機の)Xデーについても、専門家はそれに伴うリスクやコストもしっかり情報発信していくべきだ」
と発言して、「今後もタブーなく発言していく決意を示した」という。デマを飛ばしてはならないというのは
「タブー」ではない。「ルール」だ。

ホテルニューオータニで開催された贈呈式には、約500人が出席した。ここに「社交」があり、
「つきあい」があるから人が集まってくるわけだ。彼らは「社交」によって言論が「なあなあ」になる
危険性にまったく無自覚なんだろう。言論をやっている以上は、誰が相手だろうと、男女を問わず厳しく
批判しなければならないことがある。ましてや、人に害を及ぼすような発言をしていれば、
特に厳しく接しなければならなくなる。ところがその相手と会って仲良くしていたら、
なんだ、実は全部なあなあで、本気で批判していないんじゃないかというように、外からは見えてしまう。
 そんな馴れ合いの関係を、果たして「社交」というのだろうかという疑問が湧く。