神学と言えば富岡幸一郎さんの「使徒的人間」(未読)の佐藤によるあとがきを眺めていたら
富岡さんはバルトの神学の言葉を参考に日本の超越者である天皇を語る言葉を
紡ぎ出そうとしているのではないか、と書いていた
これは多分佐藤も重なるところがあるんじゃないかと思うね

ID:Yam3uNbF0さんの話と重なるんだけど
佐藤が右翼だというのは、天皇なりイエスなりといった超越性に対する崇拝の気持ちのことなんだ
超越性は、必ず理性の外側にあり、理性では片付かない様な危機にあっても
「お言葉」あるいはキリスト教なら啓示のようなものがみんなの着地点を作る
それは理性絶対の人たちには出来ないことだよね
そういう超越性を認めるか認めないかが右左、というのが佐藤の認識であり
佐藤は右を自称している