【新刊】小谷野敦70【売れない】
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どちらかというと「知の巨人」は在野の大物に使うんじゃないかね
吉本隆明しかり 小谷野敦の本は売れない。
商業的に成功できない。
負け組 小谷野敦 落合陽一を知の巨人呼ばわりするのは流石にどうかと思う 文學界に小説が載ってたけど、話題にならないね
自分も読んでないけど 小谷野負け組。
本出しても売れない。
だから批判しやすい売れっ子の作家を偉そうに批判。
それしかできない ナボコフ「青白い炎」が読めなくて古本屋に売ったとアマゾンレビューしているのに
週刊朝日の書評でナボコフをさほど偉いと思わないとか腐している
読んだこともない作家作品を腐す足を引っ張って嬉しいんだろうか
「誰が偉いか」という発想に囚われているのも頭悪い >>192
アマゾンレビューに書くようなことじゃないだろ……
もし自分の本のレビューで同じこと書かれたら逆上するんでしょ? 偉いか偉くないかを何で判断してるのか知らないけど、小谷野が「ナボコフは偉いと思わない」と言ったところでナボコフの評価が低くなるわけでもないし、小谷野の評価が高くなるわけでもないんだよね
そもそも「偉い」って何なんだろうと思うが 東大行ってない日本人は全員偉くない、ぐらいのバカな議論
東大卒という過去にすがるという、ほとんどの日本人からバカにされる類型 小説は面白いからとか興味あるから読むのであって
偉いから読むってのがこの人の根源なんだろうな
偉くなるために小説を読むっていう発想 小谷野は浅田彰に対しては「学位は?」を連呼すれば勝てると思ってるアホ
ほんとどうしようもない >>197
東大卒で負け犬というのが恥ずかしいことがわからない。
東大出ていてもバカはバカの典型。 >>196
いやナボコフって通常偉い作家と思われてるでしょ
なにせ「ロリータ」書いた人だし
王道的ではないが文学史上重要な人物
ちょっと批判しにくいタイプだから蛮勇ふるったつもりでは >>198
小谷野みたいに一代で成り上がった知識人は網羅的に読まないと
文化資本に恵まれた連中に太刀打ちできないからまあしょうがない
強迫観念はあるだろうな 網羅的とは逆でしょ
これはあれより偉くないから読まなくていい
純文学はSFとかミステリーより偉いから純文学だけ読んでたらいい
こんな調子だから読書量が少ないんだと思う >>208
いやいや
小谷野は秋草俊一郎のナボコフについての本を書評しているわけ
その中で秋草が論文データベースの推移なぞを上げていて、ナボコフについての論文が80年台から90年台には増加したが00年台から減少している
てな傾向を上げて、「聖典」として生き残るかどうかてなことを書いているわけ
秋草も平凡な学者だなと思ったけどね そもそも、すべての作家の作品は未来に残っていくかなんて
わからないんだぜ。
まして小谷野の作品は・・・・・・ 文学史の「聖典」(キャノン)とか信じているのが信じられんね
アホなのかな あっくんの作品は1000年後には「聖書」と呼ばれて世界中で読まれている 選考委員の怒りを買って落とされたとかまた書いているようだが
落された人はみんな選考委員の怒りを買っているのか?
んなことないだろ? >>215
落とされたのは俺が正論を言う正直者で選考委員の目障りだったからだー、とか言ってれば落とされても面目は保てる
俺にガーガー言われたくない選考委員とかが押してくれていつか何かの賞が取れるかも知れない、こんな事考えてるんじゃないの 小谷野敦新田次郎文学賞がほしい @tonton1965
亀井さんが無事でほっとした。
9:46 - 2018年10月5日 @tonton1965: 絲山秋子は面白くないが、ファンがいるらしいなあ。
大江健三郎は面白くないが、ファンもいないらしいな 小谷野はいつもいつも賞がほしいと叫んでいるが、正論は認められないんという
独りよがりを言っても負け犬の遠吠えにしか聞こえない。
コネで強引に雑誌に掲載されても独りよがりの小説だから荒唐無稽だといわれる。
それにしても、東大比較の出身者は佐伯順子をはじめ偉くなったひとが多いな。 賞がほしいなら
新人賞の応募したら現実がわかるのではいかな
全部一次落ちだろう >>151
「まず事実につけ、事実確認が杜撰な意見は無意味」とか書いてた人だったんだけどねえ。
大河ドラマや特撮やアニメとか扱って「なぜ制作側に取材しないのか?」と指摘されても「制作側は自分たちに都合が好いことしか言わないだろうが」とか
twitterで言ってたがそんなもん裏取りをきっちりやればいいだけでしょ、だいたい制作側に事実確認やってれば防げた誤記が多過ぎるし。
単に面倒くさいか取材・裏取りの能力がないから自分の記憶だけで書いてるだけなのにアホみたいな言い訳してるだけじゃんこの人。 「文藝」2018冬号の「さようならコムソモリスカヤ・プラウダ」
おそらく2015年6月27日にTwitterで
「今日自転車の爺さんが、私が直進しているのに横合いから突撃してきた。」
と書いていた出来事に少し色をつけた程度の、他愛ない身辺雑記小説。
題名にだまされた。
https://twitter.com/tonton1965/status/614743871054987264
竹内正浩がTwitterで
「こういう「空気」をしっかりとらえるのが「現代文学」だと思うのだが、
昨今の文壇では安っぽいおとぎ話がもてはやされる。いかにも文学の衰退を
示していて興味深い。」
と書いているけれども、どこをどう捻ったらそんな絶賛が飛びだしてくるのか
全く理解できない。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>225
「制作側は自分たちに都合が好いことしか言わない」なんて言い訳するのは、単にこの人自身が正直者を装いつつ、実際は自分に都合のいいことしか言わないようにしてるからだと思うよ
自分がそうだから他もそうだと決めつけるという
「いい関係でいたい人のことを悪く書かないのは人間として当然」らしいし
そりゃまあ当然といえば当然だろうが、自分にとって都合の悪いことをどう書くかってのは、特に私小説作家としては向き合わなきゃいけないところなんじゃないの
他人を批判するくせにそういうセコいやり方してるから嫌われるし面白いもの書けないんだよ 小谷野敦なんか、ぶっ殺せ!!
小谷野敦なんか、ぶっ殺せ!!
小谷野敦なんか、ぶっ殺せ!! 前の結婚のことは前妻から書くと訴えると言われてるから書かないとか
そこをぶっちゃけて書くのが私小説家ってもんじゃなのかね >>227
「他愛ない日常のなかにひそむ危機を鋭くえぐり
現代人の生存の条件を照らし出す作風が高く評価された」
(2036年ノーベル文学賞授賞理由要旨) >>230
いつも大きなことを言っている小谷野は小心者なのだ。 あっくんってもともとは俺には小説家としての才気才能がないって自覚した上での出発だったはずだよね
小説の技術にも冷淡でだからこそその点の成長も期待できないのに
どうして俺の小説のほうが選考委員より上だっていう評価になったのか
そのアクロバットな自意識の変転こそを私小説にすべきなんじゃないかな
私小説が自分にとって書きづらいことを書くべきだ、という考えならば 小谷野はフィクションを作り上げる想像力も技術も忍耐力もないから私小説だからね
フィクションだって色々取材とかして人物の彫りを深めたりディティールを詰めてリアリティを高めたりするんだけどそういう能力もないでしょこの人 あっくんは被害者意識にまみれてるけど自分は同程度かそれ以上に他人を攻撃してることに気づくべきだよ 同程度って冗談だろ?
自分かやられた1000倍くらい攻撃してるよ
やられたってのも理不尽な言いががりが多い >>230
途中まで書いてやめてなかったっけ?
前妻もそうだけど、佐伯順子も、小説に書かれてないだけで、実際には相当嫌な思いをさせられたんじゃないかなあという気がするよ
なんで「相手に自分が何をされたか」ばっかりで「自分は相手に何をしたか」はちゃんと書かないんだろうねこの人 241
佐伯順子はぽちゃとした丸顔で小谷野のタイプだからストーカーの
対象になったのではないかな?
だから佐伯順子の本を対象にした小谷野の本は私怨と悪意に満ちている
ようだ。佐伯は一流私大の教授であり、関西では人脈もあるから小谷野は
悔しくて悔しくて攻撃しているが、佐伯は執念深い、性格の悪い小谷野を
無視している。 新田次郎賞は評伝や事実を基にした小説の受賞が多いようだが
そういうの書くつもりなのかな >>243
小谷野の伝記は文学作品としての伝記になっていないから無理でしょう。
細かな事実をつなげたり、他人の言説を孫引き風に引用したりするだけで分析も総合も
なされていないのは伝記文学とは言えない。何の感動も呼ばないからです。
しかも間違いも少なくないです。
警察の調書のようだ。
自分だけですばらしいと思っているのはアホくさい。 小谷野の伝記は小谷野の小説よりはマシってだけだからなあ、まあ久米正雄と里見クの伝記は他にないからその点だけは価値があるが >>244
事実の羅列は別にいいのよ
そういうものとしてちゃんとしてればいい
問題は事実の出典が書かれていないこと
だから事実羅列本として信用できないのよ 「江藤と大江」を立ち読みしたんだが小谷野の自伝っていつもこんなの?
妙な本だった
いついつ新潮でだれそれと対談とか
いついつなんとかという本を出版とか
どこでなにそれがこう言っていたとか
事実の羅列なのかな
ところどころおかしな自分の解釈が入るというか >>>246
事実の羅列だけなら、文学者の伝記と政治家の伝記はどこが違うのですか? 政治家だろうと文学的な伝記は可能でしょう
対象が文学者か政治家かに関係なく
文学的な伝記もあれば事実羅列の伝記もあり
またそれぞれに出来のいいもの悪いものがある
小谷野くんのは事実羅列型の出来の悪いタイプ >>249
文学者の伝記は作品を通しての伝記でなくては意味がない。
政治家の伝記は政治活動を通しての伝記はでなければ意味がない。
些末な事実の羅列だけなら警察の調書と同じになってしまう。
小谷野さんは文学作品の分析ができないから作品論は主観的だといって
にげているが、彼の書く本はほとんど主観的である矛盾。
小谷野さんは、たくさんの伝記をかいているが、話題にもならないのなぜですか?
川西政明さんからまったく無視されていることに私怨と激怒している。 某紙の書評欄で好意的に触れている評者もいましたから
手軽な
まとめサイト的なものとして
消費されているのかもしれませんね >>251
警察の調書のような伝記なんて魅力的やん
あっくんのは到底そこまで行っていないよ >>254
警察の調書と伝記の魅力は根本的に違うよ。
警察の調書はそれなりに別の意味で面白いが。 新田次郎文学賞もらうためにあっくんも冬山登山でも始めたらどうかな? >>248
江藤の鞄持ちをしている福田和也の目撃談だけは価値がある。 >>261
国分功一郎は知的なイケメンたな。東工大教授だからすごい。
それに対して小谷野は田舎のヤクザみたいな風貌で無職に等しい。
私大の教授にすらなれない。 松井知事が全面禁煙の庁舎から逃げて公用車内で喫煙していたらしいね。
小谷野先生はこういう時こそ声を挙げて松井知事にエールを送るべきだろう。 このスレは小谷野本人が必死で自画自賛の書き込みしてます。
小谷野の吹かしを真に受けないでください。 >>258
小谷野は体力が乏しいうえに運動音痴だから冬山登山なんかとても無理だよ、元々乏しいのが喫煙と加齢でさらに落ちてるだろうし 小谷野の自伝は変な本だけど
結論ありきでそれを強化するためだけに事実が拾われて、解釈される感じが特に不気味 >結論ありきでそれを強化するためだけに事実が拾われて、解釈される感じ
この不気味さって私小説にも共通してると思うね
自分は正義だ、自分は素晴らしい人間だということを言いたいがためだけに、事実や他の人物の人間性が変に歪められる
そんなにしてまで自分を美化するってのが悪い意味で普通の感覚じゃないんだよ 誰それは偉大だという結論は最後まで変わらず
こいつは貶したいという意図も最後まで変わらない
目的に事実を従属させている >>271
その点に関しては私小説は主人公目線でいいんだと反論してるね
主人公の後に作者がいる必要はないと 日本史世界史大河ドラマ特撮高畑勲ミステリーと事実確認はテキトーで取材もせずにダラダラ自分語りしてるだけ
主に事実誤認の点で突っ込まれても碌に答えないで論点ずらしして喚くだけ
小説とか映画とかだって斜め読みや斜め見してるから感想もいい加減だし、まあちゃんと読んだり見たりしても小谷野の鑑賞力じゃ怪しいもんだが 『禁じられた遊び』がなんで名画扱いされてるかわからん、子供が男女で仲良くして妬ましいからである。こういうのも子供時代の美化だ。
「芥川賞の偏差値」の伸予の章だけど小谷野はアホみたいに短絡的な事平気で書いてるな、昔はもうちょっとマシだった気が。 あっくんはほんとに自伝を書いたらどうだろ
小説がそれにあたるのかもしれないが
そうじゃなくて生まれた時から時系列で全部書く 「なになには面白くない」って貶してばかりだよね
面白いものを挙げないのは反論されるからじゃないかな
何かを守るために誰かを貶める 「芥川賞の偏差値」ではいちおう名作と考えるものも列挙している >>279
小谷野の長所は褒めた作品が本当に面白いところ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています