転職の際に受けた面接も、面接官が酔っぱらっていたのには驚きました。

前職ではとても考えられない非常識な人でしたが、私は逆に「こんな人が会社にいられるということは、
この会社の器が大きいか、この人が天才かのどちらかだろう」
と興味を持ったのです。

後に、この人は私の師匠になりました。
他の面接官どころか、最終の役員面接でトップの代表取締役にも
「アイツは不遜だ」とはねつけられていたにもかかわらず、無理を言って押し込んでもらっていたのです。
もちろん、当時の私はそんなこと知りませんから、余裕のトップ内定と思っていました。

その師匠がいなければ落ちていたのです。
かといって、落ちていても私の独立が早まっただけだったでしょう。
結局、その師匠は入社してまもなく天才だったということがわかりました。
もう周囲のコンサルタントとはすべてにおいて次元が違うのです。

20代の私は、何だかんだいっても、いざとなったら腕力こそ、男の価値だ、と本気で信じていたのですが、打破されました。
頭の回転の速さと本質を見抜く猛烈なスピードと執念に生まれて初めて恐怖を感じました。
入社間もなく私が実績を連続で出して最短出世コースを歩んだ頃を見計らって、その師匠が、

「実はオマエ、本当は満場一致で落ちていた」

ということを告白されたとき、ものすごくうれしかったのです。
その天才にしか、私が受け入れてもらえなかったことがうれしかったのです。
それだけでも、独立を遅らせた甲斐がありました。

千田琢哉(2009年7月11日発行の次代創造館ブログより)