★一人称でイク?三人称カマす?どっちよ★
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どーすんの?
みんな、どーしてる?
私は一人称。わたしはね。わたしわ 三人称はだれでも書ける。本屋にいっていろんな小説ひらいてごらん?幻冬舎なんかいいかもな。
機械でも書ける翻訳文体三人称であふれてるから。
一人称がバカでも書ける。ネットにアクセスしていろんなブログひらいてごらん?ケータイ小説サイトがいいかもな。
耕耘機でも書ける日記文体一人称であふれてるから。 どちらも利点はある。好きずきじゃない?三人称はエンタメ向きで一人称は文学向き。芸術的な一人称が偉いとか、売れてる三人称が偉い、とかはない。 一人称はオリジナリティあふれる表現を追求するのにむいている。こんな文章こいつにしか書けないよ、という独自性を世の中に残して死んでいきたいなら一人称。
話の中身だけをコマを動かすように記述して作者が透明になるのが三人称。 山田悠介赤川次郎夢枕の三人称はひどい。脚本に違いない。まさに透明。 ごはんの創作意見室に同じ主旨のスレがあるが、
2ちやんの方がかなりレベルひくいな。
あれをひどいと感じるおまえがひどいだけの話じゃね?
おまえの意見が正しいならおまえはプロ。 山田悠介の文章にレトリックやポエジーはないわな。
それならわかる!
赤川次郎と星新一はゴミクズ。それもわかる!
恩田陸とかまじありえない。 告白すると、「涼宮ハルヒの憂鬱」の一人称はけっこう好き。
でも、あれの真似は無理だわ。 誰もがヘンリーミラーや、ジョイスや、プルーストにはなれるわけじゃあない。簡単そうで難しいのが一人称。太宰なんかはもっと評価されていいかと。 >>14
流石先生!
先生は世界中の作家の頂点に立たれるお方ですものね。
すばらしい御発言ですね! 一人称なんていつでも書けるって馬鹿にして
これまで三人称でしか書いたことなかったんだけど、
実際書いてみると確かに難しいな。
でも三人称でできなかったことが色々できるので面白い。 心理描写を緻密にやる時には一人称は都合が良いかな。
それと、主人公目線=読者目線みたいになりやすいから、
フィクションではないような錯覚に陥らせることによって
リアリティを高めるという効果もあるかな。
ま、筆力しだいだが。
俺は一人称で書いた作品は全体の2割程度かな。
この表現が正しいかどうか分からないが、
純文学で自分をさらけ出したり問題提起するようなケースでは一人称が、
エンタメでは三人称がやりやすいかな。
エンタメ系はあれかね?
映像化脚本に直結する可能性が高いから、三人称の方がいいのかな?
三人称は、作家の個性が出しにくいから、受賞は難しいとも聞くが。 俺は今まで読んできた本が殆ど一人称だから
三人称が超絶苦手
三人称で書いているのに心理描写してしまうから
もう駄目 >>25
>三人称は、作家の個性が出しにくいから、受賞は難しいとも聞くが。
そんな意見初めて聞いた。
どこか特定の分野とか、特定の賞の話なら分かるが。
一人称は、書き慣れていないと
独りよがりな感傷まみれになってしまう。
才能がない人は、そうしたくだらない感傷が
個性的な文章なんだと勘違いしてしまうのだが。 ↑
読解力ゼロだなこいつ。
感傷がくだらないのではなく「独りよがりな感傷」が
くだらないと書いているはずだが。
いや、「感傷」はどっちにしろダメ
読まされる方はたまったものではない。
深い洞察力で成される
心理描写は○ セカチュウの冒頭の感傷的なシーンは
ノルウェイの森を彷彿させたな
どちらも感傷的な男が感傷にひたっている
ああいうのがヒットするのか セカチューって、なんか賞とったっけ?
大嫌いなんだけどあれ 結局おまいらは、芸術や文学とは距離のある、
売れるだけのエンタメを目標にしてるのですか? 最近、三人称≠神ってことに気付いて楽しくなってきた。
語り手と登場人物とのあいだに距離がとれるんだよな。 >>39
俗にいう三人称一元視点か
主に視点保持者の見た世界を描いていく いまはそっちのほうが主流だね。一人称にかぎりなく近い。 >>41
視点保持者の心理も描写できるしね。視点保持者を変えてもよいし。幅は広い。
でも結局は、人称は扱う人次第だろうね。その物語を書きやすいほうを選べばいい。 基本、映画やドラマは三人称だがな。
外人は一人称のシューティングゲームが好きらしいが、
邦人は自分のキャラも映っているほうが酔わなくて、いいらしい。 一長一短。書きたい内容で好きなものを選べ。
場合によっては、それぞれの人称の複合もあり。
二人称なんてのも世の中にはある。 感覚は同じだよ。それがわからないと違いもわからんだろ。
基本、見えないものは書いちゃいけないんだよ、一人称は。
三人称と違って。 >>48 「基本」と頭に書いて逃げ道を作るのはずるいな。
じゃあ例外を教えてもらおうか。 >>52
過去だろ。
小説は現在進行が基本だが、過去を説明するとき例外が起きる。 回想は一人称でも三人称でも便利な技だよな。
あまり多いと下読みに煙たがれるけど。 一人称でも、主人公の見ていない景色を三人称で語るカットバックという手法もある。 三人称で書いたが、なんか内容が浅い感じ(-_-;)。
やっぱ一人称の方が、深みが出るような気がする。
書き直すか >>1
次は6年ぶり2度目の一人称に挑戦するよん。 ローファンタジーでかますか、ハイファンタジーでいくか、みたいなもんか。
まあ三人称ハイファンタジーが一番陳腐だが。 ハイファンタジーとかいいながら舞台設定は中世ヨーロッパだの火星だの、どっかの無人島だの、古代エジプトだの、近世中国だの、まったく既視感のある世界ばかり。
ハイだのローだのどっちでもいいけど、中途半端はつまらん。
現実世界に根ざすなら根ざす。位相を狂わせたいならフィネガンズ・ウェイクやノヴァ急報以上の解体と再構築を。
エクリチュールを舐めてはいけないよ。 一人称は女キャラに「これ、絶対男特有の発想だよな」って部分があると萎える 一人称はキャラの視点というフィルターを通して書くからな。
そのフィルターが狂ってたらかなり臭いだろうな。
1・主人公の描写(外見、名前)が出来ない。
一人称で自分の事を「俺は明るい茶色の毛髪で、彫りの深い顔をしている」などと語りだしては物凄い違和感を覚えます。なるべく他者からの働きかけで主人公の存在を語りましょう。
いきなり「俺の名前は憲輔、市立青山学園に通う高校二年生だ」などと物語が始まってしまったら、読者は茫然としてしまうでしょう。
一人称で外見を自分で語らせる例。
俺は会社に行く前に、自分の姿を鏡で確認した。スーツの皺を伸ばしているうちに、髪の毛がやたらと伸びている事に気づく。そういえば
この前も上司から『こんな髪で契約とってこれると思ってんのか?』と
注意されたばかりだ。髪の毛の事ぐらいで、いちいち文句言われるのは癪だから明日あたり散髪にいこう。
今日は出社しなければならないので、少しでも短く見えるよう
にしよう。
「クシで髪のボリュームを押さえて、と」
クシで髪の毛をかき上げた時、指が途中で引かかってしまった
。くそっ、俺は癖毛だから朝のセットがおそらく普通の髪質の
ヤツより二倍は時間がかかっているに違いない。
>>64
古いな。10年くらい前の考え方だ。
時代は進んでいるよ、おじさんおばさん。 つか逆に10年位前に
「私、洋子16歳、自分では笑顔がかわいいと思ってる女の子」みたいなのやたらあったよな 僕はよく周りから変な髪形の奴だと言われる。でもこれは生来の癖っ毛と寝癖によるもので、自分で直したくても直せないのだ――前に一度整髪剤を試してみたときには、友人に大笑いされる結果となった。
とにかく! こんな髪形に生まれついたのは僕のせいではないということを強調しておきたい。それもこれも、みんなDNAとかいうやつが悪いのだ。 つか数十年前に、「吾輩は猫である。名前はまだない」ってのがあるんだが。
そう考えると退化してるな。一人称は。 いや、読者との距離感が変わってきているよ。微妙に。 リアリズム気にする現代文学ではご法度と言って良いんじゃね
他では読者が茫然としたりはしない ごめん。一人称で
語り手がいない筈の場面を描く
カットバックっていう方法を、詳しくかつ具体的に
教えて下さる方おられませんか?
お願いします m(__)m 俺は便秘で苦しんでいた、もう何週間も大便をしていない
どうしたもんだろう、こんな便秘ってあるのか?別な理由じゃないだろうか
*
ちょうどその頃、動物園で小猿が逃げ出した
*
仕方ないのでとりあえず俺は下剤を呑むことにした・
これで解消してくれればいいのだが
いつもより強めのやつを買ってきて多めに飲む
*
小猿は街中を屋根から屋根にひた走り、一軒の家にしのび込んだ
*
飲んでから30分もすると腹が猛烈に痛い、
我慢ができない、立っていられない。俺はべットにもぐった。
呼吸がしぜんと「ハーハー、ヒーヒー」となる
*
小猿は疲れていた、あたたかい毛布に包まって眠りたかった。
*
「ダメだもらしてしまう!!」俺はベットの中でうめいた。
下剤が強すぎたのだ、もう間に合わない、俺はついベットの中で脱糞してしまった。
俺は額に脂汗をかき、腹の痛さに耐えながら布団をめくって糞を見た。
すると、どうだ、糞の中に何かいる。
俺はそいつを抱き上げると言った。
「お、おまえ、小さくて糞まみれで、まるでサルそっくりだけど、
俺が生んだんだよな、俺の赤ちゃんだよな」
涙があふれてきた。 俺は頭を抱えていた。文章を書きたい。無性に。
しかし、しかしだ、志は立てたものの基礎が解らん。
今まで文章とは無縁の生活を送ってきたからだ。
どうしたらいいんだ?
※
ちょうどその頃、神は退屈していた。
※
ふと、俺は目の前の箱をみやった。
そうだ。俺は部屋にいて、ここにあるのはパソコンで、その先にあるのは情報の海で、
何より向こう側には、人がいる。経験を積み、知恵を重ね、たゆたぬ親切心を持つ人々が。
※
神の退屈さを紛らわそうとする視線は、空から街へ、高層ビルから屋根、地上へと走り、一軒の家にしのび込んだ。
※
俺は待つ。待つしかできない。
今までいろいろと調べて見たが、やはり素人にはわからない事が多すぎる。
勇気を持って掲示板で訪ねて見たが、図々しかったか? 怒られたらどうしよう?
いや、親切な人だってきっといる。
胃が痛い。それにしても痛い。不安と緊張でキリキリと痛む。
仕方ないのでとりあえず俺は胃薬を呑むことにした。
これで解消してくれればいいのだが。
※
男は疲れていた、あたたかい毛布に包まって眠りたかった。
何日も続いた徹夜仕事が終わる。もうパソコンなんて見たくもない。
自分がモニターの前で何をしているのかさえ、朦朧とする意識では捕捉できない。
限界が来る。ね、眠……、
男の背後に、神の視線が迫る。
眠りに落ちる一瞬、意識を失う寸前、我を忘れ心も体も空になったその時、
神の視線は男と重なり、男の手は神の意のままに動かされた。
人間の作った小箱を気まぐれに触り、情報の海をさまよい遊ぶ神の意志。そこには助けを呼ぶ声が。
「力が欲しいか? ならばくれてやる。 我が教えに従え、人間達よ」
※
俺は待った。呼吸が荒れる。「ハーハー、ヒーヒー」と荒げる。
両手を重ねる。天井に阻まれるが故に見えもしない空を、それでも祈りの気持ちの中で仰ぎ見た。
そう、祈りとは、きっとこんな時に人が頼るもの。
全ての努力を尽くした時に、己の無力を思い知り、それでも何かを望む時、
人は祈るのだろう。
そして掲示板は告げた、神の意志を。その声を、美と慈悲と尊厳に満ちた文字の羅列で。
『「ダメだもらしてしまう!!」俺はベットの中でうめいた。
下剤が強すぎたのだ、もう間に合わない、俺はついベットの中で脱糞してしまった。
俺は額に脂汗をかき、腹の痛さに耐えながら布団をめくって糞を見た。
すると、どうだ、糞の中に何かいる。
俺はそいつを抱き上げると言った。
「お、おまえ、小さくて糞まみれで、まるでサルそっくりだけど、
俺が生んだんだよな、俺の赤ちゃんだよな」
涙があふれてきた。』と。
感謝と、そして別の感情で
俺は涙があふれてきた。
了
これでいいんですか? (><) 分かりません!
要するにカットバックって、一人称の合間に、神の視点的な3人称を挟み入れるってことですか。
ワカサギさんって方は、時系列を扱えない、文章の下手な奴だとみなされるから使うな、と書いておられましたが。
>>73さん。わざわざ、こんなに具体的に技を見せて下さって有難うございました。m(__)m 別に一人称の合間に3人称と決まっているわけではありません
>語り手がいない筈の場面を描く〜方法
っていうから一人称の間に3人称を入れたけど
1人称に1人称でも、3人称に1人称でもカットバック足りえます
「1人称なのに見てないものを書くための手法」ってだけではないからです
一人称の語りの中に1人称の語りいれてとか多いと思います
(たとえば刑務所にいる男の生活に、犯罪の回想なんかを入れるとか)
厳密な英語ではクロスカッティングって言って、その一回の画面切り替えをカットバック
って言うらしいですけど
日本ではバックってついてるせいか回想シーンを指すことが多い気がします
ちなみにワカサギ氏の本は読むの止めたほうが良いと思います
彼は簡単に作家になれる系の本をいくつか書いてますが、彼自身作家として評判が良いわけでもなく
内容も、どうかなと思うことが書いてあります
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