★一人称でイク?三人称カマす?どっちよ★
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どーすんの?
みんな、どーしてる?
私は一人称。わたしはね。わたしわ おっと、もう一個間違い発見。すまん。
「女の一生」は外国じゃねーか。
日本文学 一人称 22、三人称 39
外国文学 一人称 12、三人称 16 つか、>>103 よくそこまでやったよ。
さらなる分類は>>107自身におねがいしよう。
しかし、三人称の方が多数派とはいえ 思ったより差は少ないんだな。
20世紀に入って一人称ブームというのがあったんだよ。
ま、日本は20世紀になって今のような小説の体系ができたからあまり関係ないんだが。
歴史的背景を見ると、第二次産業革命やなんかで明るい電気が行き渡り、
自宅での夜での生活が充実してきたのかもしれないな。
で、その頃総じて一文の長さも短くなっているというデータもある。
不思議なことに日本でもちょっと遅れて短くなっているらしい。
つまりこれはどういうことかというと、庶民が文章を書くようになったからではないかな。
文章を書くことが身近になり、口語により近くなったって感じか。
外国の一人称でも古いやつは、過去のことを外側からの視点で語っていて、
視点としては三人称に近いんだ。
例えばシャーロック・ホームズはワトスンの一人称だが、
三人称の語り手ワトスンが劇中から語っているだけ。
要するに主役のホームズが自ら一人称として語っているんではないんだ。
嵐が丘も確か過去の話を聞いているところから始まるんではなかったか。
ま、古い小説は人称と視点の関係のおかしなのがある。
有名なボヴァリー夫人などは最初こそ一人称だがその後三人称になってしまっている。
外国の小説は、一人称であっても外側からの語り手の視点であり、
悪くいえば、説明的なんだ。特に古いやつは。現代の日本の一人称とは違う。
だから翻訳本の視点は滅茶苦茶といわれるし(人称と視点の区別のついてない者がそういう)、
また過去の話を語っているから、一人称といっても、その過去の自分の姿を語る感じで、
自分の姿を描写することもできる。
日本では一人称では自分の姿を描写してはいけないという珍説があるくらいだが。
ま、しかし、翻訳本ばかり読んで小説を書いているといけないといわれるのも、
そのへんに理由があるのだろう。 ばかじゃねえの、屁理屈こねすぎ
主人公がホームズってだけで、ワトソン目線の1人称を
無理から劇中3人称っていっちゃだめだろ
途中から人称が変わったからと言って、それは変わったというだけでしょ
視点がどうのこうのとは別な話
それと日本人のリアリズム至高主義的な
「俺は顔が赤くなった」的な文章を文句言う人がいるってのも別な話
って言うか視点にルーズなボヴァリー夫人をおかしいって言ったり
そうかと思うと厳しい日本の私小説を珍説って言ったり、あなたはどっちなの?
ま110さんの持論ではなく小林秀雄とか吉本りゅうめいとかの意見だろうけど
歴史はともかくさ、このスレ的には日本のみの珍説かも知れんけど
「1人称なのに見えないはずの自分の外観描写をすると減点になる場合がある」
ってのは覚えておいたほうがいいんじゃないかな
赤面はいいらしいよね、顔が熱ければ赤面(という症状を)してるのは分かるし
でも顔が赤くなったは色だから見えないはずなのでダメとか
馬鹿らしいけど、審査員がそういう考えの人かもしれない 珍説というのは「一人称は」としているところだよ。
三人称でも視点を人物に密着させていると、
人物が見えないところや、人物がいないところでの話は書けない。
つまり人称は関係ないってこと。 そんなことないだろ
3人称で地の文で見えないところ書くのはいたって普通じゃん
たかしは、ポケモンの事を考えていた
ちょうどその頃、からくさタウンではロケット団が怪しげな動きを〜
3人称なら別におかしい所はない おかしいっていうなら例を挙げてみてよ ボクがポケモンの事を考えていた頃、
からくさタウンではロケット団が怪しげな動きを〜
一人称でもおかしいところはないよ。 >>116
君の感覚でおかしくなくても
一人称なら、からくさタウンの事を知れるわけがないからおかしい
って言われる場合があるってことだよ
あなたの感覚的にどうだかはちょっと横に置いておいて
述懐にして
あの時、俺はポケモンのことを考えていた。
ちょうどそこ頃、からくさタウンではロケット団が怪しげな動きをしていたが
俺はまったく気がつかなかった
にするとか >>117
それと同じことが>>155でもいえるんだよ。
三人称で視点を統一して書いている場合、
途中でブレた書き方をすると突然視点がワープしたと感じさせてしまうことがあるんだ。
君の感覚でおかしくなくても、そのときに笑われる。
三人称でも視点の取り方によって種類が分けられているから、
ちゃんとその区別がつけれるようにしておいたほうがいいよ。 ああ、そういう意味か
それならわかる、でもそれは(密着させすぎてると)違和感があるってだけで
文章に矛盾があるとか破綻してるみたいな言われ方はしない 横槍かつ個人的な感想だけども・・・。
違和感が積み重なると読む気持ちが失せて行くよな。
ちなみに117の述懐も要所なら問題ないが、多用されるとうんざりする。 >>104みて気づいたけど小中の頃は一人称の小説が好きで三人称の小説はそれ以降だった。不思議だわ 逆じゃ?三人称の方が読みやすい物が多い気がするが。読んだもののみ判断w だって、三人称って翻訳文体みたいで味気ないからねー 翻訳文体みたいで味気ないってことは翻訳小説が味気ないってことか。
下読みがもしもそういう人ばかりだったら困るな。 >>125
一人称で新人賞とった有名作家だってゴロゴロいるんだぜ?100パーってこたぁないだろ。 一人称はシュチュエーション物がほとんどだな
話に広がりを持たせようとすると三人称使うしかないな
昔は一人称でも章ごとに視点キャラを変えて
壮大な話にするパターンが多かったが
今は三人称に皆慣れてるから一人称にする利点は少ないかと むかしは三人称に慣れてなかったの?w いつの時代?w 131ではないが、3人称でも、3人称神視点と3人称一元視点に別れるけど
3人称神視点は古典だけど、3人称一元視点が今時の流行なんじゃね?
外の世界は主人公を追った3人称視点で書いて
主人公の心理なんかは主語を省いて彼女の1人称風にダイレクトに書いたりするみたいな。
焦点を絞ったり広げたりする感じ。
例えば、宮部みゆきの英雄の書ってのもこんな感じだ。ラノベで多いのかも。
3人称と一人称のどっちの良いところも取れるハイブリッドな形式だが
難しいので素人が書くと、視点がオカシイみたいに言われたりする。 >>133
それそれそれだ!カメラが目まぐるしく切り替わるような文章。
読んでいて目まいがしたり迷宮の散歩をしているような作品、誰か書いてね。
船酔い小説。 俺はそういうのかいててそろそろ推敲や修正をするけど
多分他人からの視点の部分は消していくと思う。
別スレで質問もしたんだけどやっぱり唐突に視点変えて読む人を
そこでつっかえさせても良いことないんだよね。応募用小説は。 ゴーストドラムは長老の猫が一人の少女の一生を語る。
おもすれー児童文学。視点がちょこちょこ変わってスリルのある文章だたよ。 章ごとに、一人称の語り手が変わるのはどうなんだろ?
長所とか短所とかも含めて もちろん全然ありでしょう。
視点を増やすことでテーマを立体的に描くことができる。
また、複数の視点が相互補完的な役割を果たせば
いわゆる謎解きのような、読み手を飽きさせない効果も期待できる。
個人的には一人称と三人称が混在するものより好感が持てる。
そうやって相互補完的に描くのはどうも無粋に感じる。
難しいのは文体の変化のつけかたなのかもしれない。
「ぼく」、「おれ」、「わたし」、このくらいなら誰にでもできる。
文体とはすなわち「ものの見方」であり「考え方の筋道」だ。
例えば同じ部屋を見渡したとき、何を、どこから、どんな順番で
どんなふうに捉えていくか、人によってまるで異なる。
自分のなかのバリエーションをいくつか切り出す程度では、
結局のところ自己完結した狭い世界を描くにとどまるだろう。
そこに「まったくの他者」を感じさせるだけの技量がなければならない。 ソフトビニール人形的なラノベとか、桜庭なんちゃらみたいな、低脳が書く三人称は痛い 一人称の最大の欠点って一人称で書かれた作品の殆どが
「つチラシ」で終わっちゃうトコなんだよね。 三人称 神視点の書き方が分かりません。
三人称 神視点
太郎は振り返り、次郎を見た。
その目には殺意が燃えている。花子を殺した次郎を太郎は許すつもりはない。
同じように殺してやるまでだと、太郎は刀の柄に手をかけた。
三人称 太郎視点
太郎は振り返り、次郎を見た。
おのれの目は、殺意に光っているかもしれぬと太郎は思う。
花子を殺した次郎を、太郎は許すつもりはない。
同じように殺してやろうと、太郎は刀の柄に手をかけた。
三人称 次郎視点
太郎は振り返り、次郎を見た。
太郎の目に確かに光った殺意の色を、次郎は確かに見た。
花子を殺した次郎を、太郎が許すはずはなかった。
おまえも同じように殺してやると、太郎の手は刀の柄にかけられた。
一人称 太郎視点
振り返り、次郎の姿をみとめる。
とたん、体を駆け抜けるような熱を感じた。これが、殺意か。
花子を殺した次郎を、おれは決して許しはしない。今こそ、殺してやる。
一人称 次郎視点
太郎は振り返ってぼくを見据えた。
その目に確かに光った殺意を、僕はゆっくりと見つめ返す。
花子を殺したぼくを、太郎が許すはずはないのだ。殺されるかなと、僕は覚悟をした。 ____ _
/ / / | __ ―――― / \ / /
/ / ―――/―― ――_/_ / // / / / /
/___/ //| ― / / / / / //
/ ./ / ./ | ―  ̄ ̄ ̄ / / / / |
/ ./ /―/― | / ̄/ / ̄ ̄/ | / / / |
. /___/ / /_/ /__/ \_ \_/ / | 正しいか間違ってるかは知らないが、俺ならこう書くわ。
三人称 神視点
太郎は振り返り、次郎を見た。
太郎の目は血走り、殺意が燃えている。花子を殺した次郎を許すつもりはない。
同じように殺してやると、太郎は刀の柄に手をかけた。
次郎は死を覚悟した。
三人称 太郎視点
太郎は振り返って次郎を見た途端、全身に血が駆け抜け、熱を感じた。
これが殺意か、花子を殺したあいつを許すつもりはない、同じように殺してやるぞと
太郎は刀の柄に手をかけた。
三人称 次郎視点
振り返った太郎の血走った目を見た次郎は一瞬で血の気が引いた。
太郎は花子の仇だと言って刀の柄に手を掛けた。
次郎は死を覚悟した。
一人称 太郎視点
振り返り、次郎を見た途端、全身に血が駆け抜け、熱を感じた。これが殺意か。
花子を殺したあいつを許すつもりはない、同じように殺してやる。
俺は刀の柄に手をかけた。
一人称 次郎視点
振り返った太郎の血走った目を見て、僕は一瞬で血の気が引いた。
太郎は花子の仇だと言って刀の柄に手を掛けた。
僕は死を覚悟した。 選考委員だった人が面白いこと書いてるよっ。
日本ラブストーリー大賞攻略法
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/searchdiary?word=%2A[%BE%AE%C0%E2]
作者・語り手・主人公、この三者の関係が整理できていない作品は、
たいてい落選します。
>>146
読んできた。
下読みさんの正直な感想ってなかなか知る機会がないから参考になった。
どうもでした。 逆のこといってる作家もいるし、要は中身が面白いかどうかに尽きると思うけどね
視点の出入りだってどうでもいいっていう意見もあるし 三人称太郎視点
のところを、>>143 >>145 からクローズアップするけど
三人称 太郎視点
太郎は振り返り、次郎を見た。
>おのれの目は、殺意に光っているかもしれぬと太郎は思う。
>花子を殺した次郎を、太郎は許すつもりはない。
●同じように殺してやろうと、太郎は刀の柄に手をかけた。
三人称 太郎視点
太郎は振り返って次郎を見た途端、全身に血が駆け抜け、熱を感じた。
これが殺意か、花子を殺したあいつを許すつもりはない、同じように殺してやるぞと
●太郎は刀の柄に手をかけた。
>をつけた所に何か不自然さを感じてしまう。描写の問題?
あと、●しるしをつけた所で
太郎は刀の柄に手をかけた。
この辺りからは、一人称っぽくしてはいけないのかな?
もう一度太郎に戻るのかな?
俺は刀の柄に手をかけた。
じゃ駄目なんだろうか? もしくは「俺は」を抜いてみるとか
そうすれば>>140の
>視点を増やすことでテーマを立体的に描くことができる。
>また、複数の視点が相互補完的な役割を果たせば
に適うと思うんだけど、どうなんだろう?
誰か詳しく解説お願いします。 >>149 この辺りからは、一人称っぽくしてはいけないのかな?
自分は許容するが、応募作でやるのは自殺行為じゃないかな。
視点のブレとかなんとか、ゴミ箱直行させてしまう選考に当たる可能性もある。
危険を冒してトリッキーにゆくか、安全策を取るか、あんた次第ではないかと。 >俺は刀の柄に手をかけた。
こうやると完全に一人称になってしまうのではないかね?
視点が乱れてしまう。
>刀の柄に手を掛けた。
これだったら、まぁ、いいんじゃね?
『太郎は』刀の柄に手を掛けた。
『俺は』刀の柄に手を掛けた。
俺はではなく、太郎を抜いて、三人称の主語を抜いたってことで。
でも実際にやるんだったら
>太郎は振り返って次郎を見た途端、全身に血が駆け抜け、熱を感じた。
>これが殺意か、花子を殺したあいつを許すつもりはない、同じように殺してやるぞと
>目をぎらつかせ、刀の柄に手を掛けた。
これだったら太郎の目を見ているのが太郎である訳がないので
三人称の主語を省くなら、その代わりに入れるのに適してるのかも。
絞った焦点を広げて戻す感じ
最後の部分で視点を三人称で安定させて視点が乱れるのを防ぐ、みたいな。
まぁ、俺も初心者なんでよく分からんがw あぁ、でも三人称 太郎視点なのか……。
じゃ、太郎の目を見ているのが太郎である訳がないので
>目をぎらつかせ、刀の柄に手を掛けた。
これは止めた方がいいのかな?
>刀の柄に手を掛けた。
太郎視点で統一するなら、こうか。
まぁ、でも、同じ三人称なのだし
神視点が混じっても別にいいような気もするし
よく分からん。別の人に聞いてくれ。 面白そうなので乱入。
三人称 神視点
太郎は振り返った。視線の先には次郎が立っていた。
「殺してやる」太郎の血走った目がそう語っていた。花子を殺した次郎を許すつもりなど微塵もないのだ。
花子と同じように、今度は次郎を俺の手で殺してやるのだと刀の柄に手をかける太郎。
次郎は死を覚悟した。
三人称 太郎視点
振り返ると次郎が立っていた。それが何かと理解した瞬間から太郎は怒りを隠そうともしなかった。
花子を殺された当時の記憶が鮮明に太郎の脳裏に蘇り、太郎の表情が石のように堅く不恰好に歪んでいった。
同じように殺してやる。
太郎は刀の柄に手をかけた。
三人称 次郎視点
目の前で太郎が振り返ったとき、次郎は恐れのあまり身動きできなくなった。。
花子の仇だと太郎が叫び、刀の柄に手を掛けるのを見ても次郎の足はいう事を聞かずその場に踏みとどまっていた。
次郎は死を覚悟した。
一人称 太郎視点
振り返ると次郎がそこにいた。まるで俺に殺されるのを待っているかのようにそこに佇んでいた。
花子の仇。どうするかはもうすでに決まっていた。
俺は刀の柄に手をかけた。
一人称 次郎視点
まさか太郎が振り返るなどとは思いもしなかった。
太郎は花子の仇だと叫びながら刀の柄に手を掛け僕に向かってきた。
僕が死を覚悟したのはその美しい日本刀の刃が上段の構えから打ち下ろされる直前だった。空は青く遠くに鳥が飛んでいた。
>>149
>をつけた所に何か不自然さを感じてしまう。描写の問題?
不自然さがあるのは「太郎は振り返り、次郎を見た」と言う一歩引いた描写から
いきなり「おのれの目は……」と太郎の心理描写に移っているからかな。
ただ一人称っぽくするなら、>>143 の原文に近い方が良いと思う。原文の心理描
写の前に何かましてみると良いかもしれない。うまく行くかどうか――、ちょっ
とやってみる。
三人称 太郎視点
太郎は振り返った。茫然と立ち尽くす次郎の引き攣った顔が、まるで笑っているようにすら見える。
呆けたような笑い――。怒りが湧きあがり、脳髄が痺れる。
おのれの双眸には、殺意が宿っているだろう。花子を殺した次郎を、許す事など出来るものか。
俺は、刀の柄に手をかけた。
と、ここまで書いて気付いた。動作を自分で語らせるとその後がかなりムリ臭い。
心理描写なら割と簡単に一人称っぽい文章を出し入れ(笑)出来る気がするが――。
正直、この後三人称に戻せそうもない。力量不足も加えて大減点だな、これはw >>149
主語を飛ばすのは基本的なテクニックじゃないの?
動きの多い話で一々書いてたらものすごく間抜けな文章になっちゃうよ。
太郎は駆け出した。太郎は刀を振りかぶる。次郎も抜刀し、二人の刃が激しくぶつかった。
太郎は衝撃にうめいた。太郎の手にはまだしびれが残っている。
「台詞」太郎は叫んだ。
こんなんやってらんないから
太郎は駆け出した。刀を振りかぶる(略)
太郎は衝撃にうめいた。手にはまだしびれが残っている。
「台詞」叫び語をあげた。
くらいには省略するのが普通じゃないか? >>149
何か意味を間違えてないか? 俺が何か勘違いしてるのかもしれないが。
>視点を増やすことでテーマを立体的に描くことができる。
これを、一つの文章の視点をあえてぼかす事だと勘違いしてない?
一人芝居をイメージすればいい。
「ようアニキ、いい天気ですね」
「おうおめーか。最近どうだ」
「へい、ぼちぼちでさー」
みたいな話を、一人の人間が右にいったり左に行ったりして一人で演じてるイメージ。
これを文章の視点でやれって意味。
だから、「太郎が次郎を殺そうとする場面では、太郎視点で太郎の憎しみを描く」
「切りかかられた次郎視点に移動。次郎がどうして罪を犯し、今どう思っているかを描く」
コレを両方いれるのと片方しか入れないのでは、確実に話の奥行きは変わるよねって話だと思うんだが
コレをスムーズにできないと、いわゆる視点のブレで気持ち悪い文章になる >>157
149 がどう受け取ったかは置いといて。
一人称っぽくしてより人物に接近する事(という意味合いにおいて)は、良い方向性じゃないか?
まあ3人称で段落も変えず、クッションも置かず行ったり来たりされるとイラっとするが。
いずれにしろ新人が簡単にモノにできるようなもんじゃないね。俺は自重してる。
というか1節1視点に固定してる。固定した上で立体的に表現できる力量身につける方がいいとすら思ってるよ。 >>157 独り芝居の意味わかりにくいな。太郎と次郎の例文でやってみてくれると分かりやすいかも。たのむ。
私は初めて文芸スレに徘徊した本当の素人ですが、一人称って一人で書いた小説。
三人称って3人で書いた小説という事なのでしょうか?
友達若しくは恋人と2人で書き合う2人称小説って駄目なのでしょうか?
1人で書く小説というのは普通に分かりますが、どうして、2人ではなくて、3人で書く人が多いのでしょうか?
2人で書いて、コンクールに送っても、つまらないと思われる?のでしょうか??
知人と2人で勝手に書き合って2人称小説を試してみようとは思いますが、お互い、ありきたりのものしか書けないので、読み手には、恐らく私らの作品の刺激はないかと・・・。でも実験小説としてやってみます。 >>160
マジレスだと思って書きます。
一人称と三人称はwikiで調べればわかるよ。
>>154 確かに例文として相応しくなかった。再チャレンジ。
三人称ダイアナ・パーマー風神視点。
不穏な気配を感じ取り、その時キングはゆっくりと振り返った。その気配こそ木立の脇に隠れ身を潜めていた次郎が、
恐怖のあまり鼻孔をふくらませた微かな動きに他ならなかったのだが当の次郎自身はそれに気づいていない。
ゆっくりとキングの顔が自分に向かってくる動きを見つめながら、次郎は内心恐れおののいていた。まさかキングが
振り返るなどとは思いもしなかったのだ。目の前でキングが振り返りおえたとき、次郎は驚きのあまり身動きできな
くなった。「殺してやる」キングの血走った目がそう語っているように次郎には見えた。
二人の視線が合う。キングの視線の先には次郎が立っていた。それが何者であるか理解した瞬間、キングは怒りを爆
発させた。愛するティファニーを殺された当時の記憶が鮮明にキングの脳裏に蘇り、キングの表情が無意識に堅く不
恰好に歪んでいった。
見つめられた次郎の顔に、なにやら諦めに似た表情が現れた。その時にはもう次郎は死を覚悟していた。死を覚悟し
た諦めの表情。
まるで俺に殺されるのを待っているようではないか。キングはそう思った。ティファニーの仇なのだ。どうするかは
もうすでに決まっていた。ティファニーを殺した次郎を許すつもりなど微塵もない。同じように殺してやる。ティフ
ァニーと同じように。今度は俺の手でこいつを殺してやるのだ。刀の柄に手をかけるキング。いつしかキングの顔に
はあやしい喜びの笑みが浮かんでいた。
「ティファニーのカタキー!」海沿いの中山道にキングの叫びが響いた。
次郎の目に刀の柄に手を掛けるキングの姿が映った。次郎の足は大地に根が生えたように動かなかった。刀を手にし
たキングが迫り来る。
次郎が自分の死を実感したのは、その美しい日本刀の刃が上段の構えから打ち下ろされる直前だった。目の前にキン
グの顔が迫り、その向こうに空が青く広がり、遠くに雲雀が飛んでいた。 >>154 確かに例文として相応しくなかった。再チャレンジ。
三人称ダイアナ・パーマー風神視点。
不穏な気配を感じ取り、その時キングはゆっくりと振り返った。その気配こそ木立の脇に隠れ身を潜めていた次郎が、
恐怖のあまり鼻孔をふくらませた微かな動きに他ならなかったのだが当の次郎自身はそれに気づいていない。
ゆっくりとキングの顔が自分に向かってくる動きを見つめながら、次郎は内心恐れおののいていた。まさかキングが
振り返るなどとは思いもしなかったのだ。目の前でキングが振り返りおえたとき、次郎は驚きのあまり身動きできな
くなった。「殺してやる」キングの血走った目がそう語っているように次郎には見えた。
二人の視線が合う。キングの視線の先には次郎が立っていた。それが何者であるか理解した瞬間、キングは怒りを爆
発させた。愛するティファニーを殺された当時の記憶が鮮明にキングの脳裏に蘇り、キングの表情が無意識に堅く不
恰好に歪んでいった。
見つめられた次郎の顔に、なにやら諦めに似た表情が現れた。その時にはもう次郎は死を覚悟していた。死を覚悟し
た諦めの表情。
まるで俺に殺されるのを待っているようではないか。キングはそう思った。ティファニーの仇なのだ。どうするかは
もうすでに決まっていた。ティファニーを殺した次郎を許すつもりなど微塵もない。同じように殺してやる。ティフ
ァニーと同じように。今度は俺の手でこいつを殺してやるのだ。刀の柄に手をかけるキング。いつしかキングの顔に
はあやしい喜びの笑みが浮かんでいた。
「ティファニーのカタキー!」海沿いの中山道にキングの叫びが響いた。
次郎の目に刀の柄に手を掛けるキングの姿が映った。次郎の足は大地に根が生えたように動かなかった。刀を手にし
たキングが迫り来る。
次郎が自分の死を実感したのは、その美しい日本刀の刃が上段の構えから打ち下ろされる直前だった。目の前にキン
グの顔が迫り、その向こうに空が青く広がり、遠くに雲雀が飛んでいた。 デリヘルならチェンジ対象だぞ。
わざわざフォーカス外してどーすんだ。あったま悪いなぁ。 あダブった。
>>166
いや、わざわざフォーカス外してこそ神視点だろうに。
どう外すかの技術の話で、それは158も言ってる。
>>159
(三人称 太郎視点)
太郎は振り返り、次郎を見た。
沸きあがる怒りと殺意に全身が震える。
花子を殺したこの男を許す事など、決してできる事ではない。
太郎は刀の柄に手をかけた。
(ここで視点チェンジ 三人称 次郎視点)
太郎の目に宿った殺意の光。
その指がゆっくりと鯉口を切り、白刃が露となる。
次郎は唇をぎゅっと結び、高鳴る胸を押さえる。
すべては自業自得なのだ。
甘んじて死を受け入れようではないかと。
あんまりうまい例文じゃないけど、そうだなぁ
この後、観念した様な次郎の態度にいらつく太郎の心情を太郎視点で切りかかるところまで書く。
それが済んだら自分に襲い掛かる太郎の様子を次郎視点で描くみたいに交互にはさんでいくとか。
>視点を増やすことでテーマを立体的に描くことができる。
>また、複数の視点が相互補完的な役割を果たせば
って役割はこういう使い方って事じゃないかと思うんだが 俺は三人称で書いて大失敗したことがある。それで一人称オンリー。それでも知れてるけど。人間が欠陥品なんだろうな… >>167
あーもう。このバカちんがぁ! 小説の技術の事じゃねぇぇぇwww
キミね。自分の場合で考えた方が良いよ。数学でも英語でも、当然国語でも。
だらだら、だらだらっ。だらだら、だらだらっとながーい例文でな。どこが大事なのか分かりやすい?
なぜここの皆が、短い例文書いてるのか……。大事な部分にフォーカス当てろってことだ。おもしれー程アホだ。 >>169
俺の場合。三人称だと自身の色が濃くなり過ぎる。説教くせぇし最悪w
逆に自分と掛け離れた主人公を一人称で書くと、自身が入り込む余地が無くて良い感じ(らしいw) 小学生に向かってまだ掛け算やってるのか的な発言はやめようぜ。
それより師匠。折角だから色々教えてくれ。 西村賢太が「私小説といいながらも三人称で書かれているが、独特の技法」
って言われてたけどあまりピンとこない。三人称の私小説って珍しいんだっけ。 そういや珍しいかも。
自分の周りで実際に起きた事を書くのが私小説ってことだから、基本的には一人称になるはず。
その作品は未読だけど、おかげでちょっと興味が湧いてしまった。
純文学と私小説にはまるで興味がなかった俺なのにな。
西村氏、確かにデキる男のようだ。 西村氏のが一人称だったら、もっと売れていただろうにと思う。
三人称だと、読みにくい、っていうか憑依感がない。
タイプとしては珍しいが。 私小説を三人称にするとかなりぶち壊し。
07.06.2010 · Posted in 思ひ出と言ふネタ, 読書, 雑
ふと、「私小説ととして書かれたものを、無理矢理三人称に『翻訳』して
みたらどうだろう」と脈絡なく思いついた。
ちょっとやってみる。
今回は判りやすいところで太宰治「人間失格」第一の手記のでだしを「翻訳」してみる。
第一の手記
彼は恥の多い生涯を送って来たようです。
彼には、人間の生活というものに、見当がつけられないようです。彼は東
北の田舎に生まれたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってか
らだったようです。彼は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそ
れが線路をまたぎ越える為に造られたものだという事には全然気づかず、た
だそれは停車場の構内を外国の遊技場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラに
するためにのみ、設備せられてあるものばかりだと思っているようでした。し
かも、彼はかなり永い間そう思っていたようです。ブリッジに上ったり降りたりは、彼にはむしろ、ずいぶん垢抜けのした遊戯で、それ
は鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っ
ていたようですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る
実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めたようです
>>177
どうせふざけるなら、もうちょいセンス見せろって感じだなあ。
そもそも「ようです」は因数分解の要領で括弧の外に出せる。
最初のひとつで十分だ。
いくら三人称でもすべての文末に必要なわけじゃない。
どこかで「彼」の心理描写を一人称で挿入するやり方もあるだろう。
たとえば、一人称の小説でも、他人から聞いた長ったらしい話を
順を追って説明していくなんてケースもあるよな。
そのときは一時的に三人称的な描写になるわけだ。
〜という、〜らしい、〜ようだ、全部に必要あるか? >>177
彼だけだったら2人称じゃねえか
センスねえな 彼だけ、だったら二人称だと思われるが、
二人称の小説って無理があるから、まずないのだよね。
作者名失念したが「手紙」という題の作品は二人称ではなかったろうか。
ちなみに太宰の二人称なおしは、
作家志望としては残念なレベルに思われる。
試験的に二人称ってこんなかんじ?という例題提起なら、そうだとは思う。 >>179>>181
いや、彼だけでも三人称だろ
彼を英語に置き換えて考えてもわかるだろうけど
どう考えても三人称じゃん
「あなた」とか「君」とか読者に語りかけるような書き方の小説が二人称小説だよ >>181
>>177さんのコピペは、一人称と三人称の効果の違いを端的に示したものだよ。
いい試みだったと思う。
あと、正しい意味での二人称小説というのもちゃんと存在するよ。
かなり数は少ないけど。 一人称の場合はなにがあっても一人称でないとダメと思われ
三人称の場合は章が変われば視点も変わってもなにも問題ないと思われ
>>168みたいないきなりの視点チェンジは実績のある作家ならそういう文体だと理解されるが、素人がやると「なにこいつ視点のルールもしらねーのwwバカじゃねーのww」と、思われそう 小説を一枚の絵のように構成する。
そんな前衛的な試みを、明治時代に夢想した作家がいた。彼にとっては、は
じめから終わりに向かって読まなければならないという小説のルール自体が
窮
屈だったのかもしれない。描き込まれた絵を観賞するように、どこから、ど
んな風に読み始めても、読者にある種の美しさを与える小説――それが、彼
が夢想した理想の小説だ。
慶応3年、江戸牛込の生まれ。長じて東京帝国大学に入学し、英文学を専攻する。卒業後は中学校の英語教師や英国留学の経験を経て、明治38年に『吾輩は猫である』を発表、小説家として出発する。文豪、夏目漱石の誕生である。
いまでは千円札の顔となり、日本を代表する作家として名前が通っている
漱石だが、デビューした当初は、文壇からはむしろ異端作家として認識され
ていた。初期の前衛
的、実験的な作風は、当時の文壇の常識では、十全に理解され
るものではなかったのだ。
とりわけ、小説を一枚の絵ように構成するという構想のもとで書かれた『
草枕』は、漱石自身、それが普通の小説とは受け取られないことを自覚して
いたふしがある。
デビューの翌年に発表されたこの長編の特徴は、話の筋が意図的に排さ
れていることだ。主人公、画工の目を通した物語は、なんらかの
ストーリーを形作ろうとする
寸前で唐突にうち切られてしまう。まるで読者の興味をはぐらかすような
構成だが、その裏側には、漱石が夢見た理想の小説の姿が秘められている
ことを見逃してはならない。
俺が書きたい心情をキャラに乗せる。
そんな事を思っていた俺は小説を書くなら絶対一人称だと決めていた
ところがいざ書くとなると三人称のほうが書き安いことに気づいた
多分一人称の小説自体あんまり読んでないから経験不足からきた違和感だと思うけど、なんか萎えるわ
一人称で書きたいわー ここ数年か、一人称でばかり書いてる、自分のことを書いてるので、
必然的にそうなるのだが、一人称が楽だ。 >>190
一人称難しくない?特に自分の心情を書くときに無駄に描写しすぎ癖があるのと
心情を周りや物で暗喩するのをしていいかで迷ってしまう
やっぱ三人称で描くのが慣れてると地文が装飾的になりすぎて一人称にあわなくなるんだよなあ 西村けんたは一人称だとあまりに自分の闇をみつめすぎてつらいだとよ。梶井基次郎よりは劣るな。 よく見かけるのが、METAタグなど全く入っていないサイトです。 とて
も立派なサイトなのにもったいないと思います。ホームページ作成業者がMETAタグ(メタタグ)の事を知らないといった事もあるようです。 どんなにデザインが良くても
誰にも見てもらえないのでは意味がありません。
また、初心者の方は「メタタグって難しいそう」と思っていらっしゃるようです。
METAタグは、アクセスアップには大事な役割をしているのです。まだでしたら以下を参考にして作成してください!
★キーワードを入れる
(キーワードが記述されていないサイトは検索にかかりずらいです)
★イメージにはalt属性bツける
=iマウスがLINKャeキストの上に麹sったとき、説末セ文が出る方法=B代替テキストbニもいう)これbヘ、画像文字は血沚Gンジンにbヘ認識されないbゥらです。
★フレーム分けでのサイト構成は極力避ける
(フレームで分けると、ロボットがうまく情報を得られない場合があるからです)フレームで分けている場合、METAタグ等のキーワード挿入は、必ずindex.htmlページに挿入するようにします。
★<title>タグには適切なサイトタイトルをつける
(以下章、タグの説明参照)
★強調したいテキストキーワードは強調タグをつける
文字の大きさや太さを差別化することで、キーワードとして認識しやすくなるからです。
★フラッシュのみのページは極力避ける
ほとんどの検索エンジンでは、Flashのテキストをたどりません。
>>193
それはあんたの特徴じゃね?
客観視出来るなら適度な調整できそうだが 近代は、日記型や書簡型や告白手記体が否定されてたんだが、現代になってまた増えてきた。近代以前への回帰らしいが、まあ人称によっては、客観より主観に命を注ぐひとも今は多いんだろ。 一人称は素質だけでもそれなりに書けるよね、三人称は経験も重要だから面倒だわ。 いたる所で一人称の方が難しいと見るが違うのか?
理由は視点が固定されているからだという話だが。
ちなみに俺はどっちも難しいw はあ?
1人称なんて3人称書けない奴が好んで使うんじゃねーか
どんだけバカなんだよ
かいててわからねーならやめろゴミが >>200
難しいかどうかは書く内容に寄るんじゃね?
三国志を一人称で書き切るのは難しいだろうけど、学園物の一人称なら素人でも簡単だ。
ただ、視点なんて読者にオカシイと感じさせなければいいだけの話で、あまり杓子定規にやらない。
機械のように厳密に出来ない曖昧なところあるし、それより内容で勝負した方がいいかなとも。
後から経験上がれば視点の修正なんて、いつでもいくらでも直せるけど、若いときの感性はそのときだけだ。 一人称だと書きやすいけど、一人称書きの角田光代にはかなわないから、三人称で頑張ってます。 自分はぶっちゃけ一人称だと恥ずかしくなってきて書けない(^-^)三人称だとすらすら。そういう意味では一人称を書くのはむずいっす! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています