★一人称でイク?三人称カマす?どっちよ★
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どーすんの?
みんな、どーしてる?
私は一人称。わたしはね。わたしわ 告白すると、「涼宮ハルヒの憂鬱」の一人称はけっこう好き。
でも、あれの真似は無理だわ。 誰もがヘンリーミラーや、ジョイスや、プルーストにはなれるわけじゃあない。簡単そうで難しいのが一人称。太宰なんかはもっと評価されていいかと。 >>14
流石先生!
先生は世界中の作家の頂点に立たれるお方ですものね。
すばらしい御発言ですね! 一人称なんていつでも書けるって馬鹿にして
これまで三人称でしか書いたことなかったんだけど、
実際書いてみると確かに難しいな。
でも三人称でできなかったことが色々できるので面白い。 心理描写を緻密にやる時には一人称は都合が良いかな。
それと、主人公目線=読者目線みたいになりやすいから、
フィクションではないような錯覚に陥らせることによって
リアリティを高めるという効果もあるかな。
ま、筆力しだいだが。
俺は一人称で書いた作品は全体の2割程度かな。
この表現が正しいかどうか分からないが、
純文学で自分をさらけ出したり問題提起するようなケースでは一人称が、
エンタメでは三人称がやりやすいかな。
エンタメ系はあれかね?
映像化脚本に直結する可能性が高いから、三人称の方がいいのかな?
三人称は、作家の個性が出しにくいから、受賞は難しいとも聞くが。 俺は今まで読んできた本が殆ど一人称だから
三人称が超絶苦手
三人称で書いているのに心理描写してしまうから
もう駄目 >>25
>三人称は、作家の個性が出しにくいから、受賞は難しいとも聞くが。
そんな意見初めて聞いた。
どこか特定の分野とか、特定の賞の話なら分かるが。
一人称は、書き慣れていないと
独りよがりな感傷まみれになってしまう。
才能がない人は、そうしたくだらない感傷が
個性的な文章なんだと勘違いしてしまうのだが。 ↑
読解力ゼロだなこいつ。
感傷がくだらないのではなく「独りよがりな感傷」が
くだらないと書いているはずだが。
いや、「感傷」はどっちにしろダメ
読まされる方はたまったものではない。
深い洞察力で成される
心理描写は○ セカチュウの冒頭の感傷的なシーンは
ノルウェイの森を彷彿させたな
どちらも感傷的な男が感傷にひたっている
ああいうのがヒットするのか セカチューって、なんか賞とったっけ?
大嫌いなんだけどあれ 結局おまいらは、芸術や文学とは距離のある、
売れるだけのエンタメを目標にしてるのですか? 最近、三人称≠神ってことに気付いて楽しくなってきた。
語り手と登場人物とのあいだに距離がとれるんだよな。 >>39
俗にいう三人称一元視点か
主に視点保持者の見た世界を描いていく いまはそっちのほうが主流だね。一人称にかぎりなく近い。 >>41
視点保持者の心理も描写できるしね。視点保持者を変えてもよいし。幅は広い。
でも結局は、人称は扱う人次第だろうね。その物語を書きやすいほうを選べばいい。 基本、映画やドラマは三人称だがな。
外人は一人称のシューティングゲームが好きらしいが、
邦人は自分のキャラも映っているほうが酔わなくて、いいらしい。 一長一短。書きたい内容で好きなものを選べ。
場合によっては、それぞれの人称の複合もあり。
二人称なんてのも世の中にはある。 感覚は同じだよ。それがわからないと違いもわからんだろ。
基本、見えないものは書いちゃいけないんだよ、一人称は。
三人称と違って。 >>48 「基本」と頭に書いて逃げ道を作るのはずるいな。
じゃあ例外を教えてもらおうか。 >>52
過去だろ。
小説は現在進行が基本だが、過去を説明するとき例外が起きる。 回想は一人称でも三人称でも便利な技だよな。
あまり多いと下読みに煙たがれるけど。 一人称でも、主人公の見ていない景色を三人称で語るカットバックという手法もある。 三人称で書いたが、なんか内容が浅い感じ(-_-;)。
やっぱ一人称の方が、深みが出るような気がする。
書き直すか >>1
次は6年ぶり2度目の一人称に挑戦するよん。 ローファンタジーでかますか、ハイファンタジーでいくか、みたいなもんか。
まあ三人称ハイファンタジーが一番陳腐だが。 ハイファンタジーとかいいながら舞台設定は中世ヨーロッパだの火星だの、どっかの無人島だの、古代エジプトだの、近世中国だの、まったく既視感のある世界ばかり。
ハイだのローだのどっちでもいいけど、中途半端はつまらん。
現実世界に根ざすなら根ざす。位相を狂わせたいならフィネガンズ・ウェイクやノヴァ急報以上の解体と再構築を。
エクリチュールを舐めてはいけないよ。 一人称は女キャラに「これ、絶対男特有の発想だよな」って部分があると萎える 一人称はキャラの視点というフィルターを通して書くからな。
そのフィルターが狂ってたらかなり臭いだろうな。
1・主人公の描写(外見、名前)が出来ない。
一人称で自分の事を「俺は明るい茶色の毛髪で、彫りの深い顔をしている」などと語りだしては物凄い違和感を覚えます。なるべく他者からの働きかけで主人公の存在を語りましょう。
いきなり「俺の名前は憲輔、市立青山学園に通う高校二年生だ」などと物語が始まってしまったら、読者は茫然としてしまうでしょう。
一人称で外見を自分で語らせる例。
俺は会社に行く前に、自分の姿を鏡で確認した。スーツの皺を伸ばしているうちに、髪の毛がやたらと伸びている事に気づく。そういえば
この前も上司から『こんな髪で契約とってこれると思ってんのか?』と
注意されたばかりだ。髪の毛の事ぐらいで、いちいち文句言われるのは癪だから明日あたり散髪にいこう。
今日は出社しなければならないので、少しでも短く見えるよう
にしよう。
「クシで髪のボリュームを押さえて、と」
クシで髪の毛をかき上げた時、指が途中で引かかってしまった
。くそっ、俺は癖毛だから朝のセットがおそらく普通の髪質の
ヤツより二倍は時間がかかっているに違いない。
>>64
古いな。10年くらい前の考え方だ。
時代は進んでいるよ、おじさんおばさん。 つか逆に10年位前に
「私、洋子16歳、自分では笑顔がかわいいと思ってる女の子」みたいなのやたらあったよな 僕はよく周りから変な髪形の奴だと言われる。でもこれは生来の癖っ毛と寝癖によるもので、自分で直したくても直せないのだ――前に一度整髪剤を試してみたときには、友人に大笑いされる結果となった。
とにかく! こんな髪形に生まれついたのは僕のせいではないということを強調しておきたい。それもこれも、みんなDNAとかいうやつが悪いのだ。 つか数十年前に、「吾輩は猫である。名前はまだない」ってのがあるんだが。
そう考えると退化してるな。一人称は。 いや、読者との距離感が変わってきているよ。微妙に。 リアリズム気にする現代文学ではご法度と言って良いんじゃね
他では読者が茫然としたりはしない ごめん。一人称で
語り手がいない筈の場面を描く
カットバックっていう方法を、詳しくかつ具体的に
教えて下さる方おられませんか?
お願いします m(__)m 俺は便秘で苦しんでいた、もう何週間も大便をしていない
どうしたもんだろう、こんな便秘ってあるのか?別な理由じゃないだろうか
*
ちょうどその頃、動物園で小猿が逃げ出した
*
仕方ないのでとりあえず俺は下剤を呑むことにした・
これで解消してくれればいいのだが
いつもより強めのやつを買ってきて多めに飲む
*
小猿は街中を屋根から屋根にひた走り、一軒の家にしのび込んだ
*
飲んでから30分もすると腹が猛烈に痛い、
我慢ができない、立っていられない。俺はべットにもぐった。
呼吸がしぜんと「ハーハー、ヒーヒー」となる
*
小猿は疲れていた、あたたかい毛布に包まって眠りたかった。
*
「ダメだもらしてしまう!!」俺はベットの中でうめいた。
下剤が強すぎたのだ、もう間に合わない、俺はついベットの中で脱糞してしまった。
俺は額に脂汗をかき、腹の痛さに耐えながら布団をめくって糞を見た。
すると、どうだ、糞の中に何かいる。
俺はそいつを抱き上げると言った。
「お、おまえ、小さくて糞まみれで、まるでサルそっくりだけど、
俺が生んだんだよな、俺の赤ちゃんだよな」
涙があふれてきた。 俺は頭を抱えていた。文章を書きたい。無性に。
しかし、しかしだ、志は立てたものの基礎が解らん。
今まで文章とは無縁の生活を送ってきたからだ。
どうしたらいいんだ?
※
ちょうどその頃、神は退屈していた。
※
ふと、俺は目の前の箱をみやった。
そうだ。俺は部屋にいて、ここにあるのはパソコンで、その先にあるのは情報の海で、
何より向こう側には、人がいる。経験を積み、知恵を重ね、たゆたぬ親切心を持つ人々が。
※
神の退屈さを紛らわそうとする視線は、空から街へ、高層ビルから屋根、地上へと走り、一軒の家にしのび込んだ。
※
俺は待つ。待つしかできない。
今までいろいろと調べて見たが、やはり素人にはわからない事が多すぎる。
勇気を持って掲示板で訪ねて見たが、図々しかったか? 怒られたらどうしよう?
いや、親切な人だってきっといる。
胃が痛い。それにしても痛い。不安と緊張でキリキリと痛む。
仕方ないのでとりあえず俺は胃薬を呑むことにした。
これで解消してくれればいいのだが。
※
男は疲れていた、あたたかい毛布に包まって眠りたかった。
何日も続いた徹夜仕事が終わる。もうパソコンなんて見たくもない。
自分がモニターの前で何をしているのかさえ、朦朧とする意識では捕捉できない。
限界が来る。ね、眠……、
男の背後に、神の視線が迫る。
眠りに落ちる一瞬、意識を失う寸前、我を忘れ心も体も空になったその時、
神の視線は男と重なり、男の手は神の意のままに動かされた。
人間の作った小箱を気まぐれに触り、情報の海をさまよい遊ぶ神の意志。そこには助けを呼ぶ声が。
「力が欲しいか? ならばくれてやる。 我が教えに従え、人間達よ」
※
俺は待った。呼吸が荒れる。「ハーハー、ヒーヒー」と荒げる。
両手を重ねる。天井に阻まれるが故に見えもしない空を、それでも祈りの気持ちの中で仰ぎ見た。
そう、祈りとは、きっとこんな時に人が頼るもの。
全ての努力を尽くした時に、己の無力を思い知り、それでも何かを望む時、
人は祈るのだろう。
そして掲示板は告げた、神の意志を。その声を、美と慈悲と尊厳に満ちた文字の羅列で。
『「ダメだもらしてしまう!!」俺はベットの中でうめいた。
下剤が強すぎたのだ、もう間に合わない、俺はついベットの中で脱糞してしまった。
俺は額に脂汗をかき、腹の痛さに耐えながら布団をめくって糞を見た。
すると、どうだ、糞の中に何かいる。
俺はそいつを抱き上げると言った。
「お、おまえ、小さくて糞まみれで、まるでサルそっくりだけど、
俺が生んだんだよな、俺の赤ちゃんだよな」
涙があふれてきた。』と。
感謝と、そして別の感情で
俺は涙があふれてきた。
了
これでいいんですか? (><) 分かりません!
要するにカットバックって、一人称の合間に、神の視点的な3人称を挟み入れるってことですか。
ワカサギさんって方は、時系列を扱えない、文章の下手な奴だとみなされるから使うな、と書いておられましたが。
>>73さん。わざわざ、こんなに具体的に技を見せて下さって有難うございました。m(__)m 別に一人称の合間に3人称と決まっているわけではありません
>語り手がいない筈の場面を描く〜方法
っていうから一人称の間に3人称を入れたけど
1人称に1人称でも、3人称に1人称でもカットバック足りえます
「1人称なのに見てないものを書くための手法」ってだけではないからです
一人称の語りの中に1人称の語りいれてとか多いと思います
(たとえば刑務所にいる男の生活に、犯罪の回想なんかを入れるとか)
厳密な英語ではクロスカッティングって言って、その一回の画面切り替えをカットバック
って言うらしいですけど
日本ではバックってついてるせいか回想シーンを指すことが多い気がします
ちなみにワカサギ氏の本は読むの止めたほうが良いと思います
彼は簡単に作家になれる系の本をいくつか書いてますが、彼自身作家として評判が良いわけでもなく
内容も、どうかなと思うことが書いてあります
クロスカッティングは、人称が統一されていなくて、
視点がぶれる
裁定の技法とみなされるのでは?
という心配ですね 一人称作品好きだし、自分もそれで書いてたが、
「一人称=どう書いてもウソくさい(≒不自然)」ってことに気付いてやめた >>4
>三人称はだれでも書ける。本屋にいっていろんな小説ひらいてごらん?幻冬舎なんかいいかもな。
>機械でも書ける翻訳文体三人称であふれてるから。
翻訳文体ってよくないのかな。自分はハヤカワミステリをよく読んでいたので、あの翻訳文体こそ
簡潔で読みやすいと感じてしまう。そのため、意識的にあんな文体を目指したんだが。
やっぱりウケは悪いのか。 翻訳文体(欧文体)じゃなかったら何にすんだ?
和文体か、漢文体か、和漢混合文体、しかないぞ?
現代の書き言葉としての日本語はすべて欧文体。
哀しいかな、プライドゆえにそれを認めないバカが翻訳文体といって、
なにか他に日本独自の文体があるようにいうが、ねーよ!w あれ?
三人称視点に挟まれる一人称のクロスカッティング?
それは視点のブレ、人称のブレではないかという議論は何処へ?
最近気になったものだから興味あるお
どう違うん?
詳しそうな>>77はじめ、色んな人に訊いてみたいっす
最近特に分んなくなっちゃって。みんなはどう? 三人称は書けないなぁ。個人的に難しい
一人称だと、地の文もある程度崩して大丈夫だから、個人的には楽だなぁ
どっちも一長一短だろうけど >>74->>76
なあ、お前の文章が評価されるとして、それは構わんか?
人の書いた文章を、スレ主が評価してくれるっつー、スレがあるんだわ。
既にそこに、ここでのやりとりが、コピペされてるんだがな。
それで色々と、人称についての、書き方議論が生まれていてだな。 >>88
おっけーですお。宜しくです。結果は教えてね。
皆様の議論の切っ掛けになれば嬉しいです。 主人公の感情を緻密に描こうと思えば一人称は比較的やりやすいかな。
一方、三人称は、エンタメなどで場面があちこち移動する場合はやりやすい。
小説全体でみると、三人称小説の方が圧倒的に多いと思う。
一人称の小説読み慣れない頃、初めて読んだときは、私小説なんだと思った。
三人称のほうが圧倒的というのは誤りだがな。
海外の小説も含めたら、一人称もそこそこ多い。
三人称小説がシナリオ的なのはよくわかる。話の筋しか、ウリのない作家は三人称小説しか書けない。 日本は一人称が多いよ。純文学もほとんどが一人称だし。
面白いのは、例えばアメリカのハウツー本には、文学作品を書くなら三人称の神視点にすべし、というのがある。
日本は歌詠みの文化で下地に一人称があるが、外人は三人称の聖書が下地にあるんだ。 歌詠みの文化?
歌詠みだって1人称にかぎらんだろ
普通にリアリズム小説が大流行(だった)国だからじゃねえの?
海外だって3人称神視点ではなく、3人称で登場人物視点のほうが多くないかな
普通にリアリズム小説が大流行(だった)国だからじゃねえの?
↓
普通にリアリズム私小説が大流行(だった)国だからじゃねえの?
>>95
どうだろう? そりゃ純文学だけならそうかもしれないが。
いま、俺の書棚の一段を全部チェックしてみた。
その結果は以下の通り。小説のジャンルは様々だが、純文学は少ししかない。
ほとんどはエンタメ。短編集などは、最初の一作だけで判断している。
それと、すべて文庫。
一人称 6冊
三人称 41冊
まあ、俺の書棚の一段だけの統計だから、これがそのまま
全体に適用できるとは言わないが。
CD-ROM版『新潮文庫の100冊』があるので調べてみた(小説以外は除く)。
短編は一作目のみチェック。
日本文学 一人称 24、三人称 40
外国文学 一人称 10、三人称 15
【日本一人称】
こころ、ビルマの竪琴、一瞬の夏、歌行燈/高野聖、絵のない絵本、狭き門、錦繍、金閣寺、
死者の奢り/飼育、小さき者へ/生れ出づる悩み、小僧の神様/城の崎にて、焼跡のイエス/処女懐胎、
人間失格、世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド、聖少女、草の花、痴人の愛、忍ぶ川、
美しい村、風に吹かれて、放浪記、野火、野菊の墓、檸檬
【外国一人称】
グレート・ギャツビー、シャーロック・ホームズの冒険、ティファニーで朝食を、異邦人、月と六ペンス、
黒猫/黄金虫、若きウェルテルの悩み、長距離走者の孤独、悲しみよこんにちは、嵐が丘
【日本三人称】
あすなろ物語、アメリカひじき/火垂るの墓、エディプスの恋人、コンスタンティノープルの陥落、
さぶ、にごりえ/たけくらべ、パニック/裸の王様、ブンとフン、塩狩峠、花埋み、華岡青洲の妻、
雁の寺/越前竹人形、銀河鉄道の夜、剣客商売、孤高の人、国盗り物語、黒い雨、砂の女、砂の上の植物群、
山本五十六、山椒太夫/高瀬舟、女の一生、女社長に乾杯!、新橋烏森口青春篇、新源氏物語、
人民は弱し官吏は強し、青春の蹉跌、雪国、戦艦武蔵、太郎物語、沈黙、点と線、冬の旅、二十四の瞳、
破戒、友情、羅生門/鼻、李陵/山月記、路傍の石、楡家の人びと
【外国三人称】
O・ヘンリ短編集、アンナ・カレーニナ、クリスマス・カロル、ジーキル博士とハイド氏、チップス先生さようなら、
トニオ・クレーゲル/ヴェニスに死す、トム・ソーヤーの冒険、はつ恋、罪と罰、車輪の下、
十五少年漂流記、赤と黒、赤毛のアン、怒りの葡萄、変身 CD-ROM版『新潮文庫の100冊』があるので調べてみた(小説以外は除く)。
短編は一作目のみチェック。
日本文学 一人称 22、三人称 40
外国文学 一人称 12、三人称 15
【日本一人称】
こころ、ビルマの竪琴、一瞬の夏、歌行燈/高野聖、錦繍、金閣寺、死者の奢り/飼育、小さき者へ/生れ出づる悩み、
小僧の神様/城の崎にて、焼跡のイエス/処女懐胎、人間失格、世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド、
聖少女、草の花、痴人の愛、忍ぶ川、美しい村、風に吹かれて、放浪記、野火、野菊の墓、檸檬
【外国一人称】
グレート・ギャツビー、シャーロック・ホームズの冒険、ティファニーで朝食を、異邦人、絵のない絵本、狭き門、
月と六ペンス、黒猫/黄金虫、若きウェルテルの悩み、長距離走者の孤独、悲しみよこんにちは、嵐が丘
【日本三人称】
あすなろ物語、アメリカひじき/火垂るの墓、エディプスの恋人、コンスタンティノープルの陥落、
さぶ、にごりえ/たけくらべ、パニック/裸の王様、ブンとフン、塩狩峠、花埋み、華岡青洲の妻、
雁の寺/越前竹人形、銀河鉄道の夜、剣客商売、孤高の人、国盗り物語、黒い雨、砂の女、砂の上の植物群、
山本五十六、山椒太夫/高瀬舟、女の一生、女社長に乾杯!、新橋烏森口青春篇、新源氏物語、
人民は弱し官吏は強し、青春の蹉跌、雪国、戦艦武蔵、太郎物語、沈黙、点と線、冬の旅、二十四の瞳、
破戒、友情、羅生門/鼻、李陵/山月記、路傍の石、楡家の人びと
【外国三人称】
O・ヘンリ短編集、アンナ・カレーニナ、クリスマス・カロル、ジーキル博士とハイド氏、チップス先生さようなら、
トニオ・クレーゲル/ヴェニスに死す、トム・ソーヤーの冒険、はつ恋、罪と罰、車輪の下、
十五少年漂流記、赤と黒、赤毛のアン、怒りの葡萄、変身 おっと、もう一個間違い発見。すまん。
「女の一生」は外国じゃねーか。
日本文学 一人称 22、三人称 39
外国文学 一人称 12、三人称 16 つか、>>103 よくそこまでやったよ。
さらなる分類は>>107自身におねがいしよう。
しかし、三人称の方が多数派とはいえ 思ったより差は少ないんだな。
20世紀に入って一人称ブームというのがあったんだよ。
ま、日本は20世紀になって今のような小説の体系ができたからあまり関係ないんだが。
歴史的背景を見ると、第二次産業革命やなんかで明るい電気が行き渡り、
自宅での夜での生活が充実してきたのかもしれないな。
で、その頃総じて一文の長さも短くなっているというデータもある。
不思議なことに日本でもちょっと遅れて短くなっているらしい。
つまりこれはどういうことかというと、庶民が文章を書くようになったからではないかな。
文章を書くことが身近になり、口語により近くなったって感じか。
外国の一人称でも古いやつは、過去のことを外側からの視点で語っていて、
視点としては三人称に近いんだ。
例えばシャーロック・ホームズはワトスンの一人称だが、
三人称の語り手ワトスンが劇中から語っているだけ。
要するに主役のホームズが自ら一人称として語っているんではないんだ。
嵐が丘も確か過去の話を聞いているところから始まるんではなかったか。
ま、古い小説は人称と視点の関係のおかしなのがある。
有名なボヴァリー夫人などは最初こそ一人称だがその後三人称になってしまっている。
外国の小説は、一人称であっても外側からの語り手の視点であり、
悪くいえば、説明的なんだ。特に古いやつは。現代の日本の一人称とは違う。
だから翻訳本の視点は滅茶苦茶といわれるし(人称と視点の区別のついてない者がそういう)、
また過去の話を語っているから、一人称といっても、その過去の自分の姿を語る感じで、
自分の姿を描写することもできる。
日本では一人称では自分の姿を描写してはいけないという珍説があるくらいだが。
ま、しかし、翻訳本ばかり読んで小説を書いているといけないといわれるのも、
そのへんに理由があるのだろう。 ばかじゃねえの、屁理屈こねすぎ
主人公がホームズってだけで、ワトソン目線の1人称を
無理から劇中3人称っていっちゃだめだろ
途中から人称が変わったからと言って、それは変わったというだけでしょ
視点がどうのこうのとは別な話
それと日本人のリアリズム至高主義的な
「俺は顔が赤くなった」的な文章を文句言う人がいるってのも別な話
って言うか視点にルーズなボヴァリー夫人をおかしいって言ったり
そうかと思うと厳しい日本の私小説を珍説って言ったり、あなたはどっちなの?
ま110さんの持論ではなく小林秀雄とか吉本りゅうめいとかの意見だろうけど
歴史はともかくさ、このスレ的には日本のみの珍説かも知れんけど
「1人称なのに見えないはずの自分の外観描写をすると減点になる場合がある」
ってのは覚えておいたほうがいいんじゃないかな
赤面はいいらしいよね、顔が熱ければ赤面(という症状を)してるのは分かるし
でも顔が赤くなったは色だから見えないはずなのでダメとか
馬鹿らしいけど、審査員がそういう考えの人かもしれない 珍説というのは「一人称は」としているところだよ。
三人称でも視点を人物に密着させていると、
人物が見えないところや、人物がいないところでの話は書けない。
つまり人称は関係ないってこと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています