★一人称でイク?三人称カマす?どっちよ★
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どーすんの?
みんな、どーしてる?
私は一人称。わたしはね。わたしわ >>160
マジレスだと思って書きます。
一人称と三人称はwikiで調べればわかるよ。
>>154 確かに例文として相応しくなかった。再チャレンジ。
三人称ダイアナ・パーマー風神視点。
不穏な気配を感じ取り、その時キングはゆっくりと振り返った。その気配こそ木立の脇に隠れ身を潜めていた次郎が、
恐怖のあまり鼻孔をふくらませた微かな動きに他ならなかったのだが当の次郎自身はそれに気づいていない。
ゆっくりとキングの顔が自分に向かってくる動きを見つめながら、次郎は内心恐れおののいていた。まさかキングが
振り返るなどとは思いもしなかったのだ。目の前でキングが振り返りおえたとき、次郎は驚きのあまり身動きできな
くなった。「殺してやる」キングの血走った目がそう語っているように次郎には見えた。
二人の視線が合う。キングの視線の先には次郎が立っていた。それが何者であるか理解した瞬間、キングは怒りを爆
発させた。愛するティファニーを殺された当時の記憶が鮮明にキングの脳裏に蘇り、キングの表情が無意識に堅く不
恰好に歪んでいった。
見つめられた次郎の顔に、なにやら諦めに似た表情が現れた。その時にはもう次郎は死を覚悟していた。死を覚悟し
た諦めの表情。
まるで俺に殺されるのを待っているようではないか。キングはそう思った。ティファニーの仇なのだ。どうするかは
もうすでに決まっていた。ティファニーを殺した次郎を許すつもりなど微塵もない。同じように殺してやる。ティフ
ァニーと同じように。今度は俺の手でこいつを殺してやるのだ。刀の柄に手をかけるキング。いつしかキングの顔に
はあやしい喜びの笑みが浮かんでいた。
「ティファニーのカタキー!」海沿いの中山道にキングの叫びが響いた。
次郎の目に刀の柄に手を掛けるキングの姿が映った。次郎の足は大地に根が生えたように動かなかった。刀を手にし
たキングが迫り来る。
次郎が自分の死を実感したのは、その美しい日本刀の刃が上段の構えから打ち下ろされる直前だった。目の前にキン
グの顔が迫り、その向こうに空が青く広がり、遠くに雲雀が飛んでいた。 >>154 確かに例文として相応しくなかった。再チャレンジ。
三人称ダイアナ・パーマー風神視点。
不穏な気配を感じ取り、その時キングはゆっくりと振り返った。その気配こそ木立の脇に隠れ身を潜めていた次郎が、
恐怖のあまり鼻孔をふくらませた微かな動きに他ならなかったのだが当の次郎自身はそれに気づいていない。
ゆっくりとキングの顔が自分に向かってくる動きを見つめながら、次郎は内心恐れおののいていた。まさかキングが
振り返るなどとは思いもしなかったのだ。目の前でキングが振り返りおえたとき、次郎は驚きのあまり身動きできな
くなった。「殺してやる」キングの血走った目がそう語っているように次郎には見えた。
二人の視線が合う。キングの視線の先には次郎が立っていた。それが何者であるか理解した瞬間、キングは怒りを爆
発させた。愛するティファニーを殺された当時の記憶が鮮明にキングの脳裏に蘇り、キングの表情が無意識に堅く不
恰好に歪んでいった。
見つめられた次郎の顔に、なにやら諦めに似た表情が現れた。その時にはもう次郎は死を覚悟していた。死を覚悟し
た諦めの表情。
まるで俺に殺されるのを待っているようではないか。キングはそう思った。ティファニーの仇なのだ。どうするかは
もうすでに決まっていた。ティファニーを殺した次郎を許すつもりなど微塵もない。同じように殺してやる。ティフ
ァニーと同じように。今度は俺の手でこいつを殺してやるのだ。刀の柄に手をかけるキング。いつしかキングの顔に
はあやしい喜びの笑みが浮かんでいた。
「ティファニーのカタキー!」海沿いの中山道にキングの叫びが響いた。
次郎の目に刀の柄に手を掛けるキングの姿が映った。次郎の足は大地に根が生えたように動かなかった。刀を手にし
たキングが迫り来る。
次郎が自分の死を実感したのは、その美しい日本刀の刃が上段の構えから打ち下ろされる直前だった。目の前にキン
グの顔が迫り、その向こうに空が青く広がり、遠くに雲雀が飛んでいた。 デリヘルならチェンジ対象だぞ。
わざわざフォーカス外してどーすんだ。あったま悪いなぁ。 あダブった。
>>166
いや、わざわざフォーカス外してこそ神視点だろうに。
どう外すかの技術の話で、それは158も言ってる。
>>159
(三人称 太郎視点)
太郎は振り返り、次郎を見た。
沸きあがる怒りと殺意に全身が震える。
花子を殺したこの男を許す事など、決してできる事ではない。
太郎は刀の柄に手をかけた。
(ここで視点チェンジ 三人称 次郎視点)
太郎の目に宿った殺意の光。
その指がゆっくりと鯉口を切り、白刃が露となる。
次郎は唇をぎゅっと結び、高鳴る胸を押さえる。
すべては自業自得なのだ。
甘んじて死を受け入れようではないかと。
あんまりうまい例文じゃないけど、そうだなぁ
この後、観念した様な次郎の態度にいらつく太郎の心情を太郎視点で切りかかるところまで書く。
それが済んだら自分に襲い掛かる太郎の様子を次郎視点で描くみたいに交互にはさんでいくとか。
>視点を増やすことでテーマを立体的に描くことができる。
>また、複数の視点が相互補完的な役割を果たせば
って役割はこういう使い方って事じゃないかと思うんだが 俺は三人称で書いて大失敗したことがある。それで一人称オンリー。それでも知れてるけど。人間が欠陥品なんだろうな… >>167
あーもう。このバカちんがぁ! 小説の技術の事じゃねぇぇぇwww
キミね。自分の場合で考えた方が良いよ。数学でも英語でも、当然国語でも。
だらだら、だらだらっ。だらだら、だらだらっとながーい例文でな。どこが大事なのか分かりやすい?
なぜここの皆が、短い例文書いてるのか……。大事な部分にフォーカス当てろってことだ。おもしれー程アホだ。 >>169
俺の場合。三人称だと自身の色が濃くなり過ぎる。説教くせぇし最悪w
逆に自分と掛け離れた主人公を一人称で書くと、自身が入り込む余地が無くて良い感じ(らしいw) 小学生に向かってまだ掛け算やってるのか的な発言はやめようぜ。
それより師匠。折角だから色々教えてくれ。 西村賢太が「私小説といいながらも三人称で書かれているが、独特の技法」
って言われてたけどあまりピンとこない。三人称の私小説って珍しいんだっけ。 そういや珍しいかも。
自分の周りで実際に起きた事を書くのが私小説ってことだから、基本的には一人称になるはず。
その作品は未読だけど、おかげでちょっと興味が湧いてしまった。
純文学と私小説にはまるで興味がなかった俺なのにな。
西村氏、確かにデキる男のようだ。 西村氏のが一人称だったら、もっと売れていただろうにと思う。
三人称だと、読みにくい、っていうか憑依感がない。
タイプとしては珍しいが。 私小説を三人称にするとかなりぶち壊し。
07.06.2010 · Posted in 思ひ出と言ふネタ, 読書, 雑
ふと、「私小説ととして書かれたものを、無理矢理三人称に『翻訳』して
みたらどうだろう」と脈絡なく思いついた。
ちょっとやってみる。
今回は判りやすいところで太宰治「人間失格」第一の手記のでだしを「翻訳」してみる。
第一の手記
彼は恥の多い生涯を送って来たようです。
彼には、人間の生活というものに、見当がつけられないようです。彼は東
北の田舎に生まれたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってか
らだったようです。彼は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそ
れが線路をまたぎ越える為に造られたものだという事には全然気づかず、た
だそれは停車場の構内を外国の遊技場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラに
するためにのみ、設備せられてあるものばかりだと思っているようでした。し
かも、彼はかなり永い間そう思っていたようです。ブリッジに上ったり降りたりは、彼にはむしろ、ずいぶん垢抜けのした遊戯で、それ
は鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っ
ていたようですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る
実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めたようです
>>177
どうせふざけるなら、もうちょいセンス見せろって感じだなあ。
そもそも「ようです」は因数分解の要領で括弧の外に出せる。
最初のひとつで十分だ。
いくら三人称でもすべての文末に必要なわけじゃない。
どこかで「彼」の心理描写を一人称で挿入するやり方もあるだろう。
たとえば、一人称の小説でも、他人から聞いた長ったらしい話を
順を追って説明していくなんてケースもあるよな。
そのときは一時的に三人称的な描写になるわけだ。
〜という、〜らしい、〜ようだ、全部に必要あるか? >>177
彼だけだったら2人称じゃねえか
センスねえな 彼だけ、だったら二人称だと思われるが、
二人称の小説って無理があるから、まずないのだよね。
作者名失念したが「手紙」という題の作品は二人称ではなかったろうか。
ちなみに太宰の二人称なおしは、
作家志望としては残念なレベルに思われる。
試験的に二人称ってこんなかんじ?という例題提起なら、そうだとは思う。 >>179>>181
いや、彼だけでも三人称だろ
彼を英語に置き換えて考えてもわかるだろうけど
どう考えても三人称じゃん
「あなた」とか「君」とか読者に語りかけるような書き方の小説が二人称小説だよ >>181
>>177さんのコピペは、一人称と三人称の効果の違いを端的に示したものだよ。
いい試みだったと思う。
あと、正しい意味での二人称小説というのもちゃんと存在するよ。
かなり数は少ないけど。 一人称の場合はなにがあっても一人称でないとダメと思われ
三人称の場合は章が変われば視点も変わってもなにも問題ないと思われ
>>168みたいないきなりの視点チェンジは実績のある作家ならそういう文体だと理解されるが、素人がやると「なにこいつ視点のルールもしらねーのwwバカじゃねーのww」と、思われそう 小説を一枚の絵のように構成する。
そんな前衛的な試みを、明治時代に夢想した作家がいた。彼にとっては、は
じめから終わりに向かって読まなければならないという小説のルール自体が
窮
屈だったのかもしれない。描き込まれた絵を観賞するように、どこから、ど
んな風に読み始めても、読者にある種の美しさを与える小説――それが、彼
が夢想した理想の小説だ。
慶応3年、江戸牛込の生まれ。長じて東京帝国大学に入学し、英文学を専攻する。卒業後は中学校の英語教師や英国留学の経験を経て、明治38年に『吾輩は猫である』を発表、小説家として出発する。文豪、夏目漱石の誕生である。
いまでは千円札の顔となり、日本を代表する作家として名前が通っている
漱石だが、デビューした当初は、文壇からはむしろ異端作家として認識され
ていた。初期の前衛
的、実験的な作風は、当時の文壇の常識では、十全に理解され
るものではなかったのだ。
とりわけ、小説を一枚の絵ように構成するという構想のもとで書かれた『
草枕』は、漱石自身、それが普通の小説とは受け取られないことを自覚して
いたふしがある。
デビューの翌年に発表されたこの長編の特徴は、話の筋が意図的に排さ
れていることだ。主人公、画工の目を通した物語は、なんらかの
ストーリーを形作ろうとする
寸前で唐突にうち切られてしまう。まるで読者の興味をはぐらかすような
構成だが、その裏側には、漱石が夢見た理想の小説の姿が秘められている
ことを見逃してはならない。
俺が書きたい心情をキャラに乗せる。
そんな事を思っていた俺は小説を書くなら絶対一人称だと決めていた
ところがいざ書くとなると三人称のほうが書き安いことに気づいた
多分一人称の小説自体あんまり読んでないから経験不足からきた違和感だと思うけど、なんか萎えるわ
一人称で書きたいわー ここ数年か、一人称でばかり書いてる、自分のことを書いてるので、
必然的にそうなるのだが、一人称が楽だ。 >>190
一人称難しくない?特に自分の心情を書くときに無駄に描写しすぎ癖があるのと
心情を周りや物で暗喩するのをしていいかで迷ってしまう
やっぱ三人称で描くのが慣れてると地文が装飾的になりすぎて一人称にあわなくなるんだよなあ 西村けんたは一人称だとあまりに自分の闇をみつめすぎてつらいだとよ。梶井基次郎よりは劣るな。 よく見かけるのが、METAタグなど全く入っていないサイトです。 とて
も立派なサイトなのにもったいないと思います。ホームページ作成業者がMETAタグ(メタタグ)の事を知らないといった事もあるようです。 どんなにデザインが良くても
誰にも見てもらえないのでは意味がありません。
また、初心者の方は「メタタグって難しいそう」と思っていらっしゃるようです。
METAタグは、アクセスアップには大事な役割をしているのです。まだでしたら以下を参考にして作成してください!
★キーワードを入れる
(キーワードが記述されていないサイトは検索にかかりずらいです)
★イメージにはalt属性bツける
=iマウスがLINKャeキストの上に麹sったとき、説末セ文が出る方法=B代替テキストbニもいう)これbヘ、画像文字は血沚Gンジンにbヘ認識されないbゥらです。
★フレーム分けでのサイト構成は極力避ける
(フレームで分けると、ロボットがうまく情報を得られない場合があるからです)フレームで分けている場合、METAタグ等のキーワード挿入は、必ずindex.htmlページに挿入するようにします。
★<title>タグには適切なサイトタイトルをつける
(以下章、タグの説明参照)
★強調したいテキストキーワードは強調タグをつける
文字の大きさや太さを差別化することで、キーワードとして認識しやすくなるからです。
★フラッシュのみのページは極力避ける
ほとんどの検索エンジンでは、Flashのテキストをたどりません。
>>193
それはあんたの特徴じゃね?
客観視出来るなら適度な調整できそうだが 近代は、日記型や書簡型や告白手記体が否定されてたんだが、現代になってまた増えてきた。近代以前への回帰らしいが、まあ人称によっては、客観より主観に命を注ぐひとも今は多いんだろ。 一人称は素質だけでもそれなりに書けるよね、三人称は経験も重要だから面倒だわ。 いたる所で一人称の方が難しいと見るが違うのか?
理由は視点が固定されているからだという話だが。
ちなみに俺はどっちも難しいw はあ?
1人称なんて3人称書けない奴が好んで使うんじゃねーか
どんだけバカなんだよ
かいててわからねーならやめろゴミが >>200
難しいかどうかは書く内容に寄るんじゃね?
三国志を一人称で書き切るのは難しいだろうけど、学園物の一人称なら素人でも簡単だ。
ただ、視点なんて読者にオカシイと感じさせなければいいだけの話で、あまり杓子定規にやらない。
機械のように厳密に出来ない曖昧なところあるし、それより内容で勝負した方がいいかなとも。
後から経験上がれば視点の修正なんて、いつでもいくらでも直せるけど、若いときの感性はそのときだけだ。 一人称だと書きやすいけど、一人称書きの角田光代にはかなわないから、三人称で頑張ってます。 自分はぶっちゃけ一人称だと恥ずかしくなってきて書けない(^-^)三人称だとすらすら。そういう意味では一人称を書くのはむずいっす! 天下のヘンリーミラーは一人称なので一人称がいいな。 好きな小説が全部一人称だから一人称で書いてるわ。
世界観に完全に入りきれるのは一人称だけなんだよね。自分の場合。 それでいいんだと思うよ。
一人称で書く必然性があれば、それでいいんだ。
三人称で書く必然性があればそうすればいいし。
どっちでもいいんだよ。
人称なんて、所詮面白い小説を書くための手段のひとつでしかないんだから。 日記体小説には人称も地の文もないので、書くのはかなり難しい 主人公以外の裏の出来事も書きたいから
三人称にしてます
>>210
> 日記体って普通は一人称じゃないの?
普通はね。普通じゃない日記対もあるのさ。ふふふ。 トイレにいってうんこしたら紙をいっぱい使ってふけや!さらに手を洗うのもきっちり手のひらも裏も洗えよ。原始人かよ。サラリーマンのトイレの情景みてるとこんなやつばっか。ほんの5、6回でうんこが拭き取れるかよ、不潔野郎。 会社が理系だから文盲が多いのかな?
情報すらきちんと報告できない。
高い給料与えすぎの文盲企業。
じこけいはつばかり読んでないで、たまには文学などの素養も身につけて上手い文章の書き方、学んでください。バカ理系さん。
あのさ
こんなことはじめての経験だし
被害状況がどうなるかわからないので事前に訓練もできないし
停電すると言ったけど、
極限までがんばって停電させないようにしてるんだってことがわからんの?
今必死で、がんばってるのは理系だろうけど、
広報や、しゃべってるお偉いさんは君の大好きな文系だぜ
情報の交錯はむしろ技術を知らない彼らの地点で起こってるんじゃね? 技術文書が文学から何か学んで上手な文章を〜
なーんてやめて欲しいw
だいぶ良くなったけど、いまでも小難しい文書が多いのに 主人公が出るシーンは一人称で、
主人公がいないシーンは、三人称といった感じで使い分けるのはダメかな
統一した方がいいですか? >>221
技術があれば大丈夫だけどな
一般的に、新人賞応募作で人称を変えるやり方は少し危険
応募作では賭けになる
うまく書けたらいいけど、素人が挑戦するにはリスクありすぎ
承知で挑戦するのもいいかもな 今回の応募作は割ところころ変えたな。
知人に読んでもらったら違和感ないというから
その辺はおかしくなかったんだろうけど、それ以外がわるかったか。
一人称で書いてるのだが、文中で登場人物に敬称をつけるべきかどうか迷っている。
台詞は敬称つき。「〜さん」となっているのだが、文中でつけると〜さんだらけになって
うざいので、文中ではつけない方向にしたいのだが、これ、違和感バリバリだよね。
台詞は敬称つきで、文中では敬称なしの前例ってない? 白井は漫画を読み耽っていた。彼は瞬きもまともにせずに一心不乱だ。
違和感はないが いやそこで主人公格の台詞が
「白井さん○○○」となる感じだよ。
例えば
「白井さん」
声をかけると白井は作業中の手を止めて反応した。
とか。 確かに違和感があるね。
口では敬称を付けるけど、内心では尊敬していない、とも勘ぐれてしまう。
ただ、劇中の時間と語り手の現在の時間とに大きな隔たりがある場合は、
必ずしもこの限りではないかと。
その後、出世して白井さんより上の立場になったとか、喧嘩して嫌いになったとか、
そんな場合。 ぐぬぬ・・・やはり違和感はぬぐえぬか・・・
自分が普段一人称神視点というわけのわからないスタイルで日記を書いていたのでその癖が・・・ 新たな試みは、巧い人がやれば芸術になるが、
下手な人がやると鬱陶しい。疲れるものは読みたくない。
下手な人は下手なりに普通に書いた方がいい味が出て好感もたれる。
3人称で書けば。 >>224 へ?
地の文に「〜さん」をつけるかどうか、て事?
たまにあるよ。ほんわかしてていい。 >>226
「白井さん」
声をかけると、ひょろ長い馬顔の彼は、作業中の手を止めて反応した。
と言った表現方法もある。 >>224
そもそも文中に代名詞を使いすぎなんじゃないかな >>229
三人称オンリーは無理なんだよ。三人称他人視線の部分と一人称の部分をミックスさせて、読者が神視点になるのを狙ってるから。
例えばあるところで主人公の知らないことが起きて、それを三人称他人視線で書く。そののちにそのエピソードが絡んでくる事象が
主人公視線の文中で発生して、主人公は!?だけど読者はわかっているという寸法。
章によって人称を変えている。
>>231
>>232
ところが作中に登場人物がごろごろ出てくる上に、4人5人が集まってる場面なんかもあるので、
その方法だとわけわからなくなってしまう。
>>233
何人いようが、その瞬間だけ一体一にすれば良い >233
かなり挑戦的な作品になりそう。
私はいまだ一人称と三人称単一視点(視点変更含む)と神視点しか
書いたことないのでアドバイスできません。
頑張って下さい。
>>234
それは無茶な・・・・とりあえず敬称を無くすしゃべり方にしてみるか・・・ 3人称で行けるでしょう。
「私」を「だれ某」にすればすっきりする。
昨今、応募作品の殆どが1人称なので、
純粋な3人称の方が注目されるのでは……。
人の逆を行こう。
それと、自分で話すより、人から話させた方が説得力がでる。
自分で自分を褒めたり、自分で自分を愚痴ったり、って伝えるが難しいんだよね。
読者は個人の自慢話、愚痴なぞ聞きたくないから。
だけど、これらは客観的に描写すればすっきりする。
実は、1人称よりも3人称が物凄く楽なんですよ。
>例えばあるところで主人公の知らないことが起きて、それを三人称他人視線で書く。そののちにそのエピソードが絡んでくる事象が
主人公視線の文中で発生して、主人公は!?だけど読者はわかっているという寸法。
章によって人称を変えている。
簡単に思いつける事って既にだれかがやってるものです。過去のものです。
文学界新人賞→直木賞「子育てごっこ」三好京三の作品を読んでみましょう。
当時の話題作です。
他にも誰かがやってるよ
つーか、何人かの応募者が必ずやりそう…… しかもそういう小手先に逃げた作品ほど物語本編はスッカスカ いや別に賞ねらってるわけじゃないし、ただの自己満足だからなー。
ストーリー重視だからこの構図にしたわけで・・・
とりあえずアデュー 日本の私小説の歴史は浅い。
殆どが、明治以降に輸入される西欧の私小説の型の模倣なのだが、
真似にもなっていない。近代小説の本質を描ききっていない。
嘘の私小説です。
中途半端な白樺派私小説なんかは西欧からの嘲笑の的だろうね。これは小説なの?といった具合だと思う。
近代小説の本質を捉えられない人間が、下らない私小説作っているんだから笑える。
生活からにじみ出る文学というものがある。私小説というのがそれだ。私は観念
的な作品や民話・伝承などを再構築した再話文学なども好き
だが、日常生活からどうしようもなく湧き出る文学に好感を持っている。それは、その作品が書かれた時代の生活風景や心象風景といった
ものが、写真の様にパチリと切り取られ、あたかもアルバムに貼られたものでもあるかのように、本 >日本の私小説の歴史は浅い
えーと土佐日記とかあたりが始まりでしょうか? 私小説といえども、日本の場合、どちらかといえば、写生文学となるのだろう
西欧で熟成された本格的な近代小説とは違う。
世界の人達も日本の文学者に本格的な近代文学を期待してはいなかった。
ローカルな日本文化を気休め的に楽しんでいたのだろう。 馬鹿ばっか 海外に私小説なんかないよ
自伝と自分の経験が出てくる小説はあっても 西洋にもゲーテ『若きウェルテルの悩み』、
トルストイ『幼年時代』『少年時代』『青年時代』、
ラディゲ『肉体の悪魔』、
プルースト、アンドレ・ジッド『一粒の麦もし死なずば』、
ヘッセ『車輪の下』、ヘンリー・ミラー、ハンス・カロッサのほぼ全作品など、
がある。 日本の私小説とは違う
という事じゃないの
厳密には、探せば、あるにはあるだろう 自分の経験を生かした普通の小説
(相手の心理とかも書いてるしね) 浮世絵みたいなもんだろ
外国の影響が皆無なわけではないが手法、題材において日本オリジナルな点が多い
海外に(むりから加えれば)ないわけではない
版画をすべて浮世絵て呼ぶのに抵抗があるように
自伝的作品を私小説って呼んじゃうのはちょっとやっぱ違うと思う 初心者ですが、
日本の私小説のイメージとして
「自然主義文学」真面目なものを書いていてもつまらないので、人間の醜い所を芸術化する
「白樺派文学」理想を求めながら、結果的には落とし所で調和・妥協する
を持っています。
内面的な格闘・克服はこれらでは避けられてきたようですが、
これらの手法は海外からは全く評価されていないのでしょうか? 無頼派なんてものもあったよな。
日本の文芸各社は陰湿な作品を好むのが伝統なんだよ。 ラン・アン・ユン
2010年12月30日 … 第一に、もともと小説は、過去に対する回想という形式の枠物語となっているが、彼は 現在形をなるべく使用 … 突然ですが、登場人物が一人しか居ない小説はありませんか?
突然ですが、登場人物が一人しか居ない小説はありませんか?
. 違反報告.
難しいご質問ですね〜。性質上、短編とか実験性の強い作品が多いと思います。
夢野久作の超短編『ビルヂング』は深夜のビルに一人泊まり込む男
の話、同じく夢野の『縊死体』も、厳
密には違いますが、ある殺人犯一人の超短編です。
「人間が一人しか登場しない」なら
オラフ・ステープルドン『スターメイカー』が確かそうです。
宇宙の意識体に導かれて宇宙の成
り立ちを探る人間の話です。他に、埴谷雄
高の短編『闇のなかの黒い馬』が「主人公の哲学的思索を辿る」作品
として該当するかも知れません。
「全てが一人の人物を不動の中心として展開される」作品でもよければ以下の作品があります。
・丸山健二『千日の瑠璃』知的・身体障害者の少年に連なる森羅万象の物語。
・石川淳『荒魂』神出鬼没のモンスター・佐太の周りでうごめく政財界の腐れ男女。
・サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』登場人物の全てが待っているゴドーはやって来るのか?
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