★一人称でイク?三人称カマす?どっちよ★
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どーすんの?
みんな、どーしてる?
私は一人称。わたしはね。わたしわ 感想『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』
・江國香織『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』集英社文庫 05/04/12 様々な女性の一人称で語られた短編、というより掌編集。小説の言葉という より、詩の言葉で綴られた物語という感じだ。 自分は一人称のほうがかきづらい なんかこっぱずかしいのだ 新人賞応募作品では「一人称が良くて三人称多視点はよくない」
っていうのは一般的に言われてることなのかい?
それともみんなの経験上、そういうのが予選通らなかったとかかい? 一人称はまあいい(ただし、見てないことが書けない)
三人称固定視点(たまに別視点)もまあいい
その代わり、地の文と主人公の視点と混乱が無いようにしないとだめ
賞にもよるが口語口調を地の文に入れると駄目と思われる
例
ムカついた俺は(1人称なので可)
ムカついた佐藤は(地の文でムカついたはないだろと言われる)
三人称多視点は、群像劇でもないなら、ころころ変えるのが
へたくそと思われる(本人的には考えて狙っていたとしても) もともとは純文学の世界が言文一致をやっていたよ。ラノヘより前に。 それって常時主流でないから
ラノベは純文学の新時代を告げてるのか 純文学(のホンの一部だけど)ができるだけ口語をやったの対し
ラノベは日常で使わない部分があるラノベ口語だよな
それを日常で使っちゃってる人の例とか2chに書かれたりしてるけど 、太宰治は エッセイのような小説をたくさん書いています。 …
www.bunshun.co.jp/../rectcle.htm
fragments 『真鶴』
志賀の小説には明らかに創作された小説と、そして自身の体験を基にした随筆のような小説があり、後者は特に「心境小説」と言 …
elsur88.blog77.fc2.com/blog-e 5つ星のうち 5.0 小説として読むニーチェ, 2008/4/29
By 河童 "河童のマッグ" (大阪府吹田市) - レビューをすべて見るレビュー対象商品: ツァラトゥストラはこう言った 上
(岩波文庫 青 639-2) (文庫)
色々なレビューがありますがこの視点のレビューが無いので書いてみます。
私が読んだ感想は一言「笑えます」。
超人?よくわかりません。いろいろな言い回し、はっきり言って殆ど真意は
わかりませんでした。
でももしこれを哲学書としてではなく小説として読んでみた場合。面白い、
あるいはなんじゃこりゃという”超人的”な世界の連続です。亜空間とで
もいいましょうか。驚くべき登場人物とまさに頭のネジが取れた主人公と
の軽妙なやり取り。狙ってないのでしょうがちょっとした漫才みたいです。
(ただし突っ込みは居ません。自分で突っ込まないといけませんが)
「女とは妊娠だ」という台詞には笑えました。それに対する老女の回答も絶妙。こんなキャラ他の小説では出会えません。哲学は一寸苦手という人も読んでみても損は無いかな。
ただしある程度活字に慣れておかないとしんどいかもしれませんが… ドストエフスキー的三人称説明文体は、アンドレ・ブルトンが百年も前に否定してるのに、いまだに日本の小説界は古臭い文体で頑張ってるね。
まあどこの国にも、そういう説明文体はあるが。 ドストエフスキーは知ってるがアンドレ・ブルトンは知らない ググってみた
>アンドレ・ブルトン
>ちなみに、誕生日については、
>ブルトン自身しばしば2月18日とも公言しているが、
>それは「詩的」な意味でのことで、
>書類などでも2月19日生まれとはっきり記されている。
詩的な意味wwwだって
中二病わろす
自動記述とかやってるし、ドストエフスキーの病的なまでに緻密に描写された
小説にコンプレックスとかあるんじゃね 書けませんよ。
世の中バカばっかりだから、三人称の多いこと多いこと。
三人称なんてただの説明書。 一人称、三人称どっちもメリットデメリットあるんだから
内容に寄ってどちらが適切か判断して使い分けるべき
どっちが難しいとか易しいとかない
正直一人称→三人称へはすぐに書き直せるだろ
三人称から一人称はちょい難しいけど 一人称だと主人公が居ない場面は書けないからな
物理的に無理 伝聞という手法を用いれば不可能ではないけど
まどろっこしい 大丈夫。バカでも書けますw一回やってみ。
でも廃れてるよ。糞みたいなラノベでしか今や見かけない>一人称 一般は春樹、ラノベはハルヒで、一人称はお腹いっぱい。 ダヴィンチから2007年くらいに出てる小説の書き方みたいな本読んだけどさ。
編集者のコメントであったよ。1人称は腐るほど送ってくる。3人称は珍しい、って。
結果として発表される小説で、1人称と3人称の割合が仮に同じだとしたら、
1人称の方が競争率高い?
それとも屑みたいな文章が多いから振り落とされてるだけ?
ちなみに私は3人称主人公視点で書いてます。
章によっては一部、主人公が去った後の部屋で、主人公が会話していた相手の視点で
書いてる部分もありますが数行だけ。それとわかるように。
思うんだけど1人称でも3人称でも、ちゃんと書くにはどっちも難しいんじゃない? 一人称は取っ付き易いが奥が深い
三人称は面白く無いのが多い それで思い出した。
今の小学生は三人称で日記書かせるぞ
5年3組 後藤雄太
雄太が朝おきて朝顔に水をやりに行くと花が咲いてるのに気づきました
「朝顔が咲いてる」雄太はお母さんに言いました
みたいなやつ
あと、なりきり作文とか言って
他人の目線の1人称で書かせたりとかもやる
5年3組 後藤雄太
朝に雄太君が僕に水をかけてくれました
「朝顔がやっと咲いたよ」と雄太君が雄太君のお母さんに言ってました
みたいなやつ
ここで、『朝起きたばかりの雄太君は』って書くと
『朝顔は外にあるなら雄太君が起きたばかりってわからないはずです』
って教師に赤で書かれる
(つかアサガオなら雄太かどうかもわからんだろwって俺は思った)
ゆとり教育を止めるんで、こういうのも始まったらしいけど
何がしたいんだろうな、文科省はw 下手な奴が一人称で書いているのをみると非常にむかつく。
他人のオナニー小説なんぞ誰だって読みたくない。
初心者は一人称は止しなさい。
三人称で客観的に書いてくれるなら読んでもいいけど。 結局、自分が出てしまうんだよね、一人称は。
俺の思いを分かってくれ! って感じになるんじゃないの。
初心者がやっちゃうと。
読者はくだをまかれている感じになってしまうからね。
>>325
すげーな、それ。
どんな教育効果を狙ってんのかわからんなあ。
>>326
初心者・ベテランは関係ないんじゃなかろうか。
一人称が良い作品になるかどうかは、生得のセンスのような気がする。 >>328
わからんけどアスペの矯正(あるいは、いぶり出し?)なんじゃね
って旦那が言ってた
あるいはコミュ力の強化とかw
10数年たてば、僕や俺ではじまる1人称しか使えないゆとり世代が年下にも
つかえねーって馬鹿にされるようになるんじゃね でも新人賞作品、とくに純文学って一人称が異常に多くね?
一人称って競争率激しいよね。 この際、二人称をやってみたらどうだ。
生存競争の激しい一人称と違って、巧く纏まるだけで注目されるのかもよ。 ま、最終選考に上げられるのは、対照的でお互いが別なタイプの作品なんだろうかね?
似たような作品が並んだ時点でどっちかが切られるか……。
と考えるとオーソドックスな一人称の私小説は、物凄く巧くなければ、厳しいかもな。 >>328
共感能力の向上と客観視の向上
ゆとりーとの能力欠如に焦りを覚えたお偉いさんの足掻き 客観的に書かれた文章は体温がないからなあ。おとぎばなしとか絵本の世界だわ。
俺はどっちも好きだな。どちらも大抵入り込める。
ただ超ネガティブ思考はどちらも無理。イラっとして冷める。 新鮮な二人称小説をお勧めします。
それほど巧くなくても目立ちます。
2005年小学館の受賞作の選評を見ると、
二人称小説を途中まで読んだ時点で、選考委員は、これに決まりと思ったようです。
一人称小説は応募者の殆どの人が試みるわけだから、
一人称小説が刺激薄くなるのは致し方ない事。 最初に書いたのはやっぱ一人称物だったなぁ。
あまりにスラスラ書けて驚いたもんだw
だがある日、この視点がいかにウソくさいかを悟ってやめた。
だって、目の前の出来事を延々実況してるようなもんだろ?
ありえないよそんなのwww 人生初の小説は三人称。調子こいて500枚書いたが当然ボツった。
二作目の短編は一人称。これは作法きちっと守って地方入選程度だった。
三作目は再度三人称で。現在途中だが入選。――予定(笑) >>343
リアリティーがあった方が重みがでるな。
客観的描写をし、風景は細部の細部まで書き込む。
ところで、一人称小説の場合、自分の顔とか髪とか表現するの大変じゃないか?
私は大きな目をしている。
私はなまめかしい唇を動かしている。
別に可笑しくないんじゃない。 純文学系に初投稿するため初一人称に挑戦してみた。かき易かったけど実体験に思われやしないかと気恥ずかしい。 >>347
だから、初心者は一人称は止めなさい、といっただろう。
君の場合は、黙って三人称を書きなさい。
イライラされるだけ。 >>349
実は一人称って難しい、という事をわからないで一人称をやってる人が多いのかもね。 >>345-350 十中八九、三人称でもつまらない。 ↑自分の事か?w 俺は潤ってるぞ。小説も多分余裕w 二人称ってホラー向きじゃないかな?
・・・と思って、6000字ほどのショートストーリーを書いてみた。
やべぇ。これを序章にして、本編を一人称にして長編にしよう。
って思った。
ともあれ、視点を変えて書くのって面白いね。
深夜に書いてたんだけど、背筋が寒くて仕方がなかった。
ちょっとした灯りのゆらぎが気になって、びくっ!、てなったし。
二人称やべーわ。 二人称はハマるとキマるが……。技巧に走ると溺れるぞ >>356
「ぼっけえ、きょうてえ」は二人称だったっけ
二人称のホラー書くのなら参考になるかもよ 一人称で書くと
こねくり回せばこねくり回すほど、性格が自分に似てきてしまう……勘弁してくれorz それが一人称の売りなんだが。それが恥ずかしい奴は三人称でも書いておれ 恥ずかしいんは人称あまり関係ないかな。
外部設定違うのに 主人公の性格みんなにたりよったりじゃつまらなくね?
内気で鋭利なキャラのはずが、隙あらばずっこけてみせる。。 人称は作品の形式に合わせてやりやすいのを選んでるけど、
ミステリだけはワトスン役の一人称にこだわって三人称書いたことないな。 結局わからんのだけど、純文系新人賞応募作は下手なことしない方がいい。
こういうことから三人称より今時の一般的な一人称がいいってこと?
視点も一人のほうがいいのかな。例えば男が一章で「ぼくは〜」だとしたら
女が二章目で「私は〜」とか。そういう切り替えのあるものも、下手なことのうちに入るのかな。 一人称だと小説に広がりがでないぞ。
こじんまりとしたものになる。
迫力とステレオ観を出すのなら、どうしても三人称を使わなくてはいけない。 主人公の見えない所も不自由なしに書ける点では三人称の方が楽だろうね。
一人称だとどうしても周りの描写がこじんまりとしたものになる。
小さな小説で満足している分にはいいけど。
三人称でも主人公の内面には多く入れるさ。
淡白にはならないよ。 >>369
そこなんだけどね、
主人公を始め登場人物の心理描写についてだけれど、
「神(作者)視点」でも出来るものなのか、
「三人称単一視点」でしか出来ないものなのかどっちなんだろう、と悩んだことがある。
「神視点」ならば、全て把握しているものだから、
各人物の心理描写がなされてもおかしくはない、と思うけれど、
「三人称は心理描写をしてはならない」っていうような意見を言う人もあったりして、
結構悩んだw
この心理描写も含め、三人称の視点の問題っていろいろ考えてて思ったけど、
結局のところ、
・読者を混乱させない。
・物語上必要なものである。
この条件を満たしているのならば、視点の切り替えって許されると思うんだけどね。
なんていうか、これって映画でいうところの、「カメラワーク」「見せ方」の問題で、
「三人称単一視点だから、クローズアップした人物視点から以外のものは何も書きません」
というのは確かに正しいのだけど、
所々で「カメラ」を引いてみせたりすることで「見せ方」に幅を持たせることができるのが、
三人称の便利なところなのに、
「三人称単一だから視点を動かしてはならない」とがっちがちにしちゃうと、
一人称とかわらない気がする。
ただ、こういう視点の切り替えって、失敗すると「何書いてんだこれ?」ってなるから、
少しでも読みやすい作品にすることができるようにする為に、
「視点は固定する方がいい」「視点を変えるなら章(段落)ごとで」
というアドバイスがあるんだろうね。
ラノベなんかで特にこの視点の「固定」に固執する人が多いように思う。 三人称は、主人公の見えない所も書ける。
一人称は、主人公の見えない所は書けない。
どっちの小説の方が広がりが出せるか明らかだけどね。 一人称で自分の事褒めたりは思うように出来ない。
客観的描写には限界がある。 日本の私小説の代表と思われがちな『蒲団』だけど、
これ、実は三人称小説になっていて、周りの風景で主人公
の見えない所までも事細かく描いている。
そのせいか、主人公の心理が鮮やかに浮き上がった。
客観的描写が見事で景色に広がりが出た。 三人称でも主人公の内面には入れるんだよね。
別にわざわざ不自由な一人称にしなくても良いと思うんだけど。 三人称は書ける範囲が無限だし、何でもできるんだけど、
それだけ自由度が高い分、作者がきっちりコントロール出来ないと、
何を書いているのかわからなくなって、読者が混乱してしまう危険がある
視点移動については、
物語を盛り上げる演出技術の一つだから、使いこなせるほうがいいと思うけど、
慣れるまでが難しいのも事実だね
視点移動が効果的に使われている典型は官能小説で、
作者の側としても他のジャンルに比べると、結構簡単に視点移動が使えるよね
これは小説がエロ目的であるだけに、多少その視点移動が下手でも、
抜ければいいってごまかせちゃうせいでもあるんだけど、、
逆に言えば、視点移動をスムーズかつ効果的に出来ると、
より完成度の高い作品を作ることも可能なわけで、
視点移動というものについて、実践的に学ぶことができる貴重な場
以前これと類似したスレで語られてた文句じゃないけど、
「読者を混乱させるような下手くそな視点移動はタブー」なのであって、
視点移動そのものはタブーではないんだよね
要はその使い方の問題だよね >>375
三人称でも当然主人公の内面に入れるんだけど、
「小説の書き方」系の本ではこれをタブーとするようなことを書く人間も少なくない
三人称での描写の方法って一人称に比べると幅が広くて、
書き手それぞれのやり方があるだけに、意見がばらばらになるんだと思う 三人称にて視点移動のある小説、
新人賞ではあまり見受けられないけど、
その分だけ斬新な味が出せるのかも知れない。
実験小説として創作する価値はある。 >>375
視点が主人公限定、となるだけに、
三人称のように今は誰目線か、何を描写しているのか、を注意しなくていい気楽さはあるよ
三人称はこれをいい加減にすると、めちゃくちゃになる危険がある >>378
神の目線のまま、
ある時は主人公、ある時はヒロイン、ある時は敵役の描写をしている場合、
これは視点移動をしていると言うべきなのだろうか
神目線の場合、
スポットが当てられている登場人物については、
単一目線同様の描写が出来(神は全てを把握している・出来る為)、
かつ周囲の描写も出来る強みがあると思うんだけど >>378
どっかの小説サイトの掲示板で、
「三人称神目線でしか書かない」
なんていわれてる三島由紀夫でも、
視点移動している例はあるよ
視点移動をタブー視するのはおかしいと思うんだけどね 純文学系新人賞では、
一人称は既に出尽くしている、
観があるしな。 視点移動そのものは間違いではないけど、
移動させる必要がある場面ってそんなになくないか?
使うとしたら、官能小説くらいな気がするけどな 書き方は個人の自由
一人称でも三人称でも、視点移動があろうが無かろうが、
要は読者に最後まで読ませることが出来る小説を書けたらいいのだ >>383
既存の純文学系小説ではね。そんなにないよ。
要は、目新しい形式を創って行く事を話している。 三人称視点移動というけど、
「さようなら、ギャングたち」
のような壊れた小説を目指すような場合じゃね?
そうでないのなら一人称が若しくは三人称視点固定がオーソドックスじゃね。
わざわざ視点移動させる必要がある?
その辺は普通に創った方が良い。 「さようなら、ギャングたち」
の他に、
石川達三 蒼氓(太宰治落選時の芥川賞)
小林多喜二 蟹工船
ですばらしい三人称視点移動を見せてくれている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています