★一人称でイク?三人称カマす?どっちよ★
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どーすんの?
みんな、どーしてる?
私は一人称。わたしはね。わたしわ それで思い出した。
今の小学生は三人称で日記書かせるぞ
5年3組 後藤雄太
雄太が朝おきて朝顔に水をやりに行くと花が咲いてるのに気づきました
「朝顔が咲いてる」雄太はお母さんに言いました
みたいなやつ
あと、なりきり作文とか言って
他人の目線の1人称で書かせたりとかもやる
5年3組 後藤雄太
朝に雄太君が僕に水をかけてくれました
「朝顔がやっと咲いたよ」と雄太君が雄太君のお母さんに言ってました
みたいなやつ
ここで、『朝起きたばかりの雄太君は』って書くと
『朝顔は外にあるなら雄太君が起きたばかりってわからないはずです』
って教師に赤で書かれる
(つかアサガオなら雄太かどうかもわからんだろwって俺は思った)
ゆとり教育を止めるんで、こういうのも始まったらしいけど
何がしたいんだろうな、文科省はw 下手な奴が一人称で書いているのをみると非常にむかつく。
他人のオナニー小説なんぞ誰だって読みたくない。
初心者は一人称は止しなさい。
三人称で客観的に書いてくれるなら読んでもいいけど。 結局、自分が出てしまうんだよね、一人称は。
俺の思いを分かってくれ! って感じになるんじゃないの。
初心者がやっちゃうと。
読者はくだをまかれている感じになってしまうからね。
>>325
すげーな、それ。
どんな教育効果を狙ってんのかわからんなあ。
>>326
初心者・ベテランは関係ないんじゃなかろうか。
一人称が良い作品になるかどうかは、生得のセンスのような気がする。 >>328
わからんけどアスペの矯正(あるいは、いぶり出し?)なんじゃね
って旦那が言ってた
あるいはコミュ力の強化とかw
10数年たてば、僕や俺ではじまる1人称しか使えないゆとり世代が年下にも
つかえねーって馬鹿にされるようになるんじゃね でも新人賞作品、とくに純文学って一人称が異常に多くね?
一人称って競争率激しいよね。 この際、二人称をやってみたらどうだ。
生存競争の激しい一人称と違って、巧く纏まるだけで注目されるのかもよ。 ま、最終選考に上げられるのは、対照的でお互いが別なタイプの作品なんだろうかね?
似たような作品が並んだ時点でどっちかが切られるか……。
と考えるとオーソドックスな一人称の私小説は、物凄く巧くなければ、厳しいかもな。 >>328
共感能力の向上と客観視の向上
ゆとりーとの能力欠如に焦りを覚えたお偉いさんの足掻き 客観的に書かれた文章は体温がないからなあ。おとぎばなしとか絵本の世界だわ。
俺はどっちも好きだな。どちらも大抵入り込める。
ただ超ネガティブ思考はどちらも無理。イラっとして冷める。 新鮮な二人称小説をお勧めします。
それほど巧くなくても目立ちます。
2005年小学館の受賞作の選評を見ると、
二人称小説を途中まで読んだ時点で、選考委員は、これに決まりと思ったようです。
一人称小説は応募者の殆どの人が試みるわけだから、
一人称小説が刺激薄くなるのは致し方ない事。 最初に書いたのはやっぱ一人称物だったなぁ。
あまりにスラスラ書けて驚いたもんだw
だがある日、この視点がいかにウソくさいかを悟ってやめた。
だって、目の前の出来事を延々実況してるようなもんだろ?
ありえないよそんなのwww 人生初の小説は三人称。調子こいて500枚書いたが当然ボツった。
二作目の短編は一人称。これは作法きちっと守って地方入選程度だった。
三作目は再度三人称で。現在途中だが入選。――予定(笑) >>343
リアリティーがあった方が重みがでるな。
客観的描写をし、風景は細部の細部まで書き込む。
ところで、一人称小説の場合、自分の顔とか髪とか表現するの大変じゃないか?
私は大きな目をしている。
私はなまめかしい唇を動かしている。
別に可笑しくないんじゃない。 純文学系に初投稿するため初一人称に挑戦してみた。かき易かったけど実体験に思われやしないかと気恥ずかしい。 >>347
だから、初心者は一人称は止めなさい、といっただろう。
君の場合は、黙って三人称を書きなさい。
イライラされるだけ。 >>349
実は一人称って難しい、という事をわからないで一人称をやってる人が多いのかもね。 >>345-350 十中八九、三人称でもつまらない。 ↑自分の事か?w 俺は潤ってるぞ。小説も多分余裕w 二人称ってホラー向きじゃないかな?
・・・と思って、6000字ほどのショートストーリーを書いてみた。
やべぇ。これを序章にして、本編を一人称にして長編にしよう。
って思った。
ともあれ、視点を変えて書くのって面白いね。
深夜に書いてたんだけど、背筋が寒くて仕方がなかった。
ちょっとした灯りのゆらぎが気になって、びくっ!、てなったし。
二人称やべーわ。 二人称はハマるとキマるが……。技巧に走ると溺れるぞ >>356
「ぼっけえ、きょうてえ」は二人称だったっけ
二人称のホラー書くのなら参考になるかもよ 一人称で書くと
こねくり回せばこねくり回すほど、性格が自分に似てきてしまう……勘弁してくれorz それが一人称の売りなんだが。それが恥ずかしい奴は三人称でも書いておれ 恥ずかしいんは人称あまり関係ないかな。
外部設定違うのに 主人公の性格みんなにたりよったりじゃつまらなくね?
内気で鋭利なキャラのはずが、隙あらばずっこけてみせる。。 人称は作品の形式に合わせてやりやすいのを選んでるけど、
ミステリだけはワトスン役の一人称にこだわって三人称書いたことないな。 結局わからんのだけど、純文系新人賞応募作は下手なことしない方がいい。
こういうことから三人称より今時の一般的な一人称がいいってこと?
視点も一人のほうがいいのかな。例えば男が一章で「ぼくは〜」だとしたら
女が二章目で「私は〜」とか。そういう切り替えのあるものも、下手なことのうちに入るのかな。 一人称だと小説に広がりがでないぞ。
こじんまりとしたものになる。
迫力とステレオ観を出すのなら、どうしても三人称を使わなくてはいけない。 主人公の見えない所も不自由なしに書ける点では三人称の方が楽だろうね。
一人称だとどうしても周りの描写がこじんまりとしたものになる。
小さな小説で満足している分にはいいけど。
三人称でも主人公の内面には多く入れるさ。
淡白にはならないよ。 >>369
そこなんだけどね、
主人公を始め登場人物の心理描写についてだけれど、
「神(作者)視点」でも出来るものなのか、
「三人称単一視点」でしか出来ないものなのかどっちなんだろう、と悩んだことがある。
「神視点」ならば、全て把握しているものだから、
各人物の心理描写がなされてもおかしくはない、と思うけれど、
「三人称は心理描写をしてはならない」っていうような意見を言う人もあったりして、
結構悩んだw
この心理描写も含め、三人称の視点の問題っていろいろ考えてて思ったけど、
結局のところ、
・読者を混乱させない。
・物語上必要なものである。
この条件を満たしているのならば、視点の切り替えって許されると思うんだけどね。
なんていうか、これって映画でいうところの、「カメラワーク」「見せ方」の問題で、
「三人称単一視点だから、クローズアップした人物視点から以外のものは何も書きません」
というのは確かに正しいのだけど、
所々で「カメラ」を引いてみせたりすることで「見せ方」に幅を持たせることができるのが、
三人称の便利なところなのに、
「三人称単一だから視点を動かしてはならない」とがっちがちにしちゃうと、
一人称とかわらない気がする。
ただ、こういう視点の切り替えって、失敗すると「何書いてんだこれ?」ってなるから、
少しでも読みやすい作品にすることができるようにする為に、
「視点は固定する方がいい」「視点を変えるなら章(段落)ごとで」
というアドバイスがあるんだろうね。
ラノベなんかで特にこの視点の「固定」に固執する人が多いように思う。 三人称は、主人公の見えない所も書ける。
一人称は、主人公の見えない所は書けない。
どっちの小説の方が広がりが出せるか明らかだけどね。 一人称で自分の事褒めたりは思うように出来ない。
客観的描写には限界がある。 日本の私小説の代表と思われがちな『蒲団』だけど、
これ、実は三人称小説になっていて、周りの風景で主人公
の見えない所までも事細かく描いている。
そのせいか、主人公の心理が鮮やかに浮き上がった。
客観的描写が見事で景色に広がりが出た。 三人称でも主人公の内面には入れるんだよね。
別にわざわざ不自由な一人称にしなくても良いと思うんだけど。 三人称は書ける範囲が無限だし、何でもできるんだけど、
それだけ自由度が高い分、作者がきっちりコントロール出来ないと、
何を書いているのかわからなくなって、読者が混乱してしまう危険がある
視点移動については、
物語を盛り上げる演出技術の一つだから、使いこなせるほうがいいと思うけど、
慣れるまでが難しいのも事実だね
視点移動が効果的に使われている典型は官能小説で、
作者の側としても他のジャンルに比べると、結構簡単に視点移動が使えるよね
これは小説がエロ目的であるだけに、多少その視点移動が下手でも、
抜ければいいってごまかせちゃうせいでもあるんだけど、、
逆に言えば、視点移動をスムーズかつ効果的に出来ると、
より完成度の高い作品を作ることも可能なわけで、
視点移動というものについて、実践的に学ぶことができる貴重な場
以前これと類似したスレで語られてた文句じゃないけど、
「読者を混乱させるような下手くそな視点移動はタブー」なのであって、
視点移動そのものはタブーではないんだよね
要はその使い方の問題だよね >>375
三人称でも当然主人公の内面に入れるんだけど、
「小説の書き方」系の本ではこれをタブーとするようなことを書く人間も少なくない
三人称での描写の方法って一人称に比べると幅が広くて、
書き手それぞれのやり方があるだけに、意見がばらばらになるんだと思う 三人称にて視点移動のある小説、
新人賞ではあまり見受けられないけど、
その分だけ斬新な味が出せるのかも知れない。
実験小説として創作する価値はある。 >>375
視点が主人公限定、となるだけに、
三人称のように今は誰目線か、何を描写しているのか、を注意しなくていい気楽さはあるよ
三人称はこれをいい加減にすると、めちゃくちゃになる危険がある >>378
神の目線のまま、
ある時は主人公、ある時はヒロイン、ある時は敵役の描写をしている場合、
これは視点移動をしていると言うべきなのだろうか
神目線の場合、
スポットが当てられている登場人物については、
単一目線同様の描写が出来(神は全てを把握している・出来る為)、
かつ周囲の描写も出来る強みがあると思うんだけど >>378
どっかの小説サイトの掲示板で、
「三人称神目線でしか書かない」
なんていわれてる三島由紀夫でも、
視点移動している例はあるよ
視点移動をタブー視するのはおかしいと思うんだけどね 純文学系新人賞では、
一人称は既に出尽くしている、
観があるしな。 視点移動そのものは間違いではないけど、
移動させる必要がある場面ってそんなになくないか?
使うとしたら、官能小説くらいな気がするけどな 書き方は個人の自由
一人称でも三人称でも、視点移動があろうが無かろうが、
要は読者に最後まで読ませることが出来る小説を書けたらいいのだ >>383
既存の純文学系小説ではね。そんなにないよ。
要は、目新しい形式を創って行く事を話している。 三人称視点移動というけど、
「さようなら、ギャングたち」
のような壊れた小説を目指すような場合じゃね?
そうでないのなら一人称が若しくは三人称視点固定がオーソドックスじゃね。
わざわざ視点移動させる必要がある?
その辺は普通に創った方が良い。 「さようなら、ギャングたち」
の他に、
石川達三 蒼氓(太宰治落選時の芥川賞)
小林多喜二 蟹工船
ですばらしい三人称視点移動を見せてくれている。 そもそも視点移動って何よ?
以下の場合は視点移動してると言えるのかな?
***
もう隠しと推す事は出来ない、
そう思った太郎は、意を決して、二郎に詫びることにした。
「悪かった二郎……」
次の瞬間、太郎は二郎に思い切り頬を殴り飛ばされた。
その衝撃で太郎は床に転がったが、すぐに起き上がった彼はその場で土下座して、
ただただひたすらに二郎に謝り続けるだけだった。
この突然の出来事に、教室内の空気は一瞬で凍りつき、
花子をはじめ誰もがその場で動きを止め、口を開く事は出来なかった。
二郎の今まで見せた事もないその憤怒の形相に誰もが恐れ慄いたからだ。
***
上手い例文じゃないけど、
こういう場合はどうなんだろう
これは視点移動してるというのかね 花子をはじめ誰もがその場で動きを止め、口を開く事は出来なかった。
誰もが恐れ慄いたからだ
これらが太郎の目から見た心理なら移転移動していない。
太郎の目ではなく、他の誰かの目から見た心理なら視点移動している。
前後の文を読まなければわからんが、俺は、太郎の目から見たもので視点移動していないと思う。 >>390
厳格な適用かもしれないけれど、
殴り飛ばされて、そのあとすぐ土下座してるのだから、
太郎に周囲の状況は見えるはずないんだよね
だから、ここについては「太郎視点」ではなく、、
「神視点」に移動してるのかな、と思う
問題は、こういう「移動」すらも、
三人称単視点で固定させないといけない、と禁じてしまうと、
三人称で書く意味はない気がするのよね
少なくともこの程度の「移動」で、壊れた小説になる事はないでしょ もしくは逆の発想で、
「すべて神視線で書いています。
ですから、冒頭はここでは太郎の心境を書き、
花子以下の下りは周囲の状況を描写する為に記しましたが、、
全ては神視線で描かれているので、本質的な視点移動はありません」
という事も出来る…のかな?
結局個人個人の解釈、使い方になるのかなあ
で、それが受け入れられるかどうか…が問題な気がする まあ、
こういう「移動」すらも、
三人称単視点で固定させないといけない、と禁じてしまうと、
この突然の出来事に、教室内の空気は一瞬で凍りつき、
花子をはじめ誰もがその場で動きを止め、口を開く事は出来なかった。
二郎の今まで見せた事もないその憤怒の形相に誰もが恐れ慄いたからだ。
これらの文が書けなくなってしまう。
場面の広がりが失せてしまって、状況が全くこじんまりしてしまう。
迫力が出ない。
そこまで禁じたら一人称とかわらなくなって、
三人称で執筆するメリットがないわな だから視点移動が悪いんじゃなくて、
移動のさせ方が問題なんだって
>>389のケースだと、別に読者が混乱する事もないし、
周囲の描写があることで、場面に広がりを持たせることが出来てる
これまで禁じるのなら、一人称で書く方がいい >>387
読者を混乱させず、効果的に使えるかどうかだな
もし不安があるのなら止めておく方が無難だろう 最近ラノベとかで一部出てきてるけど、
1章は一人称、2章は三人称、3章は再び一人称、
といった感じで人称の統一がないやつの方が問題だと思う
これをやるなら、
三人称で統一して、
章ごとに一人称的な単一視点の書き方から、
神視点の書き方まで幅広く効果的に使う方がずっと自然か、と >>397
人称を混合するのってダメなんじゃないの?
こんなの新人賞なんかはまずダメだろ? それでも人称なんて道具なんだから使い方しだいだろ
今思いついたべたな例で言うと
1 主人公目線で始める 普通のなんでもない日常
2 三人称になり事件が起きる、敵目線や見方目線 結局みんなどんどん死んでいく
主人公も死ぬ(予感で終わる)
3 全部終わったあと、わき役だった子の一人称になり述懐
(大人になって子供に話すとか、写真見ながらとか)
みたいな感じでエピローグ
うまくやれば効果上げそうじゃね >>399
視点はともかく、人称変える必要はないんじゃない?
そのケースだと視点移動で十分対応できる
人称を変えると、
視点移動以上に作品全体の統一感が大きく損なわれるんだよな 三人称で視点変えても可能だけどさ
最後の一人ぼっち感とか「もう昔の話」感は
1人称の方が強くだせると思うんだ
(「俺は思わない」って言われたら反論無いけどw) はっきり言って読者が付いてこれる限りは、何書いても自由なんだけどね
ただ、こういう人称混濁の進め方は、
漫画やアニメとか映画などの影響が強いのかなあ、と思う
例えば三人称の小説でも、
途中でヒロインか誰かの回想があったり、手紙が届くなどして、
ここだけ一人称で描く、そんな方法もあるかとは思うけど、
それ以外での人称の混濁というのはどうかな、って気がする
少なくとも俺は採用できないな >>401
>最後の一人ぼっち感とか「もう昔の話」感は
>1人称の方が強くだせると思うんだ
これを人称を変えないで表現して見せるのもテクニックなんじゃないのかな?
いや、それもテクニックだけど
1人称にするのだってテクでしょ
蛇におびえるみたいに人称変更を嫌ったり憎んだり
すること無いと思うんだけど 素朴な疑問なんだけど、
今、そういう人称を変える小説って結構あるものなの?
いい悪いじゃなく単純に、そういうのも増えてきてるのかなって思って >>404
読者を納得させられるんだったらいいんじゃない? >>401
そうかなぁ、それは1人称の方が難しいと思うけど……。
寂しさというのは、周りの描写でより浮き上がるものだと思う。
主人公が自分の気持ちを説明しちゃ、駄目だろうね。
主人公を取り巻く周りの描写が、凝っていれば凝っているほど効果が出ると思う。 一人称はどうしても話が薄くなってしまうと思う。
主人公の見えない部分まで思うように描写ができないからだろう。
>>404
古典とか気にしないから昔は多かったんだけど
少し前までは減ってた(っていうか1人称リアリズム純文学では壊滅状態だと思う)
「私は赤面した」すら怒られる。
エンタメでもミステリーなんかは最後に犯人目線の告白とか
それこそ手紙のやり取りとか一部しかなかった
最近小説が漫画化してて
漫画は絵で吹き出しだから「と**が言った」がないから
平気でいろんな人の思考とかも書いちゃう
それでラノベを中心に堤防が崩れつつある感じ
と俺は思う証拠があるわけでも調べたわけでもない 表現というのは無限の可能性があって、何を採用するかは作者の自由
視点移動にしろ、人称の使い分けにしろ
読者に受け入れられたら問題ないし、
拒否されたら諦めるしかない >>404
このスレの反応くらいで不満漏らしてどうする
書きたいという信念があるならそれに従って書いて堂々と発表して、
読者に信を問えばいいじゃないか >>411
ちがーだろw もうちょっと上からスレ読んでよ
**はアリかなしかの議論をしてるだけだよ
>>412
否定的な意見が出てきて、これにまともに反論もせず、
>>404のようなレッテル貼りをするようなレスじゃ議論も何もあるまい… 考えてみたんだけど、
やっぱり人称を変える理由がわからない
これは三人称の視点移動で代用すべきだろ
人称を変えるってのは個人的には、
設計図もないまま、勢いだけで小説を書いた結果、
当初の人称では描ききれない為に、他の人称に切り替えているように見えて、
あまりカッコのいいものには見えないな
作品の統一感が損なわれるリスクが大きい割に、それほどの効果はないと思う 考えんなよ 感じろよ、
読んだつもりになってさ
効果がないと、思う?
効果を感じられない人には言う事はないよ
例えるなら
モスキート音を出す楽器で演奏した時の効果をしゃべってるのに
40代の人から「効果はないと思う」って言われたら何も言い返せないもん
もうなんていうか
じゃあここでは話し合いの結果「効果がない」で決定しましたで良いよ >>415
ここでいくら議論したって答えは出ないよ
「人称転換した作品ってこんなにすごいんだ」
と思わせるような作品でも紹介するか、
それこそ自分で書いて見せてくれよ
どれほどの効果があるものなのか、個人的にはすごく興味がある
100万回の議論よりも優秀作一作読ませる方がはるかに説得力があると思う >>415
えらい、人称ごっちゃ混ぜの作品を推すけど、
そういう作品を何か読んだの?
それともこれから書こうとしてるの? 無駄だよ
いいや、これも三人称でも書けるって言われるだけ
実際に書けるわけだしね
それと数値化してみせれるもんじゃないから
「なるほどこっちの方がいいね」という評価が
返ってくるとは思えない 要するに自分の意見が絶賛してもらえないから嫌だというわけね
そういう人間は議論に参加する資格はないのでさっさと退場してください とりあえず>>399でいうような人称混合はありかなしかというと、俺はなし
三人称なら視点移動で代用できるし、
一人称でも、語り手を変えるか、
思い出話を語るようにして疑似三人称で進めればすむ話
人称という根本を変える理由が、
「ひとりぼっち感は強く出せると思うんだ」
というようなものじゃ何の説得力がない
他の人がどう思っているかは知らないけどね >>399
なんか袋叩きにあってるっぽいけど、
俺なら、この流れで進めるなら、
3の述懐するわき役だった子を語り部にして、
1から物語を語らせるかなあ
そうしたら、過去の思い出で、語り部が知っている範囲の事を書く事が出来るから、
一人称でも三人称っぽく書く事も出来る
(語り部が知っている範囲内に限るけど)
こうすれば、三人称っぽく話が進むところがあっても、
基本一人称だから、何の問題もないよ >>399
ちなみに何で、あなたの意見が批判されるか、というと、
「誰が何を語るか=人称・視点」
という小説における根本の重要要素がごちゃごちゃになってるため
これは上でも話題になった視点移動について、忌み嫌う人がいる事にも通じるけど、
「そんなことをしたら読者を混乱させる危険がある。スムーズに読み進められない」
これを避けるため、視点移動や人称混合を嫌う意見があるわけ
小説ってのは当然の話だけど、読者あってのもので、
視点や語り手という基本部分がころころ変わって、
必要以上に読みづらく、読者を混乱させてしまうのは、基本的に褒められたものではない
だから、視点移動や人称混合は、読みにくくする可能性があるだけに、
忌み嫌われる、避けられるのよね
とくに、語り手がころころと変わる人称混合は、
一つの小説の中で、複数の小説を書いているようなもので、
余計な混乱を与える可能性が高いから、特に嫌われる
逆に言えば、
「読者を混乱させない」
もしくは、
「わざと視点移動などを駆使して読者を混乱させ、最後に真相を明かして読者を驚かせる」
のならば、視点移動などはあってもいいと思う
けれど、人称の混合は、語り手の混合になってしまうから(一人称で複数の人物が語るなら別)、
>>399のような話だったら、人称混合で変に読者を混乱させるよりも、
語り手を一人に絞り、この人物が過去を振り返る形で進めていく方が、
自然になるし、余計な混乱を与えないでいいと思う つかお前ら察してやれよ
>>399は一人称と三人称を織り交ぜた小説を書きたいんだよ
それまdねい視点移動あったっていいじゃん、って意見が多かったから、
「人称を織り交ぜてもいいよね」と意見出して、
賛成してもらえると思ってたんだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています