大学出て小説ヘタな奴って何なの?馬鹿なの?
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ごめんなさい。大学院も出ました。文学ではなく理学なので勘弁してください。馬鹿でごめんなさい。ごめんなさい。 大学に小説の書き方なんてものを勉強しに行っているわけじゃない
んだから、ヘタなほうが当たり前じゃん。あほか? 小説の書き方の「いろは」なら、お近くのカルチャースクールへ。
ただし、あくまでそこでは「いろは」を教えてくれるだけ。
その人の持っている鉱脈までは探ってくれない。
まあ、文章力はアップするかもしれないが。
行って損はないかもしれない。 >>11&12
なんだよ、両方ともエラーが出るじゃんか。
ちゃんとしたリンク張れよ。 俺も国立出てるけど、そんなの小説書くことと関係ないよ。
高卒ですごいレベルの放送作家とかと仕事したし、
学歴なんて関係ない。
大学は、学部によるけど、小説のことなんか教えてくれないよ。 小説の巧拙と学歴は、まったく関係ないよ。
関係してると思い込んでいるトピ主の思考回路が滅茶苦茶だ。 欧米じゃ、大学の創作学科出身の作家がたくさんいるんじゃないか?
日本の大学にも出来てるけど、伝統が浅いから実績もないのでは?
とにかく欧米の作家はいろんなところで創作を教えてる場合が多い
ような気がする。
日本は創作の方法論が確立してない。その一方で作家の文章読本は
たくさん出てる。概してそれらの中身は創作の方法論じゃないのでは
ないか?
それは日本の作家や創作を教える大学教授達の社会的経験や視野の
狭さが原因して、創作の参考になるようなことを言えないためでは
ないか?と俺は思うんだが。
第一、欧米の大学の創作学科でも学べないことが多過ぎるぐらいだと
俺は推測するがね。
それと、日本人は外国に亡命して、そこの国の言葉で文学を生産した
歴史がないから、創作の言葉をテクニカルに研究する契機に乏しいと
いうことも言えるかもな。ナボコフみたいな秀才でロシアの裕福な
貴族の家庭で英仏語を幼い時から身に付けていた者ですら、アメリカ
亡命後に英語で初めて小説を書くことは物凄い苦しみだったと
告白してるぐらいな事を、日本の作家で経験した人は皆無なんだろう
から。
漱石なんかイギリスに永住してれば、英語で小説を書けたかもとは思うが、
人種差別で苦しんだだけかもなw
イシグロの場合はイギリスで英語一辺倒だから、日本語から転向した
訳じゃない。
日本の場合は文章を分析的に見る姿勢よりも、文章は人間の有機的
発達と不可分なものであるという信仰や伝統があるしね。文体を
真似るのも非常に難しい場合があるし、また多いのではないか? テクニカルに文体真似るのってムズくない?
何というか、自転車とかピアノと同じ要領で身体で覚える感覚で真似る方が楽。
具体的に言うと、覚えたい作家の著作のうち図書館で手に入るもの片っ端から読んで、
書きたい事書いてみる。とか。
欧米ではよくこんなもん理論化して教えてんねえ。
レジュメとか手に入んないかな。 好きになった作家の作品を、とにかく書き写す。
これ以上の文章練達術はないと思うな。
あるレベルを超えると、今度はもっと違う作家の作品に心ひかれるようになる。
そうしたら、乗り換えて、新しい作家の作品をまた書き写す。
そうして成長していくわけだ。
体と手で覚える。それしかないと思う。 欧米でそんな事教えてねえから安心しろ
小説の鑑賞とか、自分を高めるための創作とかだから
商業出版目指す門ではない >>21
多和田がドイツ語でか?
彼女のwikiでは具体的に、この作品が彼女のドイツ語で書かれたという
記述はないと思うが。
これほど、ドイツ語での著作があると世間で言われながら、なぜ、これが
その作品だという指摘がないのか不思議だな。 低学歴「小説家の能力と学歴は関係ないよ。この前高卒の…」
>>22
とりあえず『旅をする裸の眼』は日本語ドイツ語平行して書かれたらしい。
『ボルドーの義兄』もドイツ語が先だったような。何かのインタビューで読んだ。見出しの漢字を反転させたのは日本版だけ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています