>>42
感性って便利な言葉だよね、少なくとも瑞々しい感性=若いではないでしょ
「日本人の愛した色」(吉岡幸雄著)という書物を読んで思ったんだが
例えば青という色一つとっても、呼び方が違い20種類もあった
微妙な色の違いを識別し、それに相応しい言葉を当てはめていた
言葉自体に瑞々しい感性を感じるし、言葉が色彩と影像とを連れてくる
こうした日本人の感性はどこに行ってしまったのかと思うんだ
今の作家の書く小説に出て来るのは草、虫、鳥、花……名前がないんだ
社会自体は複雑になったが、感性までが複雑になったのだろうか
むしろ単一化というか単純化してしまったのではないのか
感性のデジタル化(情報単位化)なのではないのかと思っている
鋭い感性で描写したものをあまり見かけない
川端の感性と較べると、自分を含めてあまりにも貧弱だ(笑)

アイデアで勝負するとは
アイデアでしか差別化できないという裏返しでもある
アイデアが一緒でも、作家の感性と眼が違えば
全く異なった小説世界を現出させられるし、その世界に宿る意味も違ってくるはず
今の世の中で日常茶飯事に起こっている事件は、小説の虚構さえも超えている
斬新で突拍子もないアイデアさえ、色褪せてしまうほど衝撃的だし
そして、その衝撃さえが当たり前になってしまっている
むしろ、逆にありきたりの日常風景の背後に隠れている
全く違った世界と意味とを読者の眼に突きつけた方が衝撃は大きいと思う
アイデアを追うから盗作や借り物がはびこるのだし
漫画と同じ土俵で戦うことにもなる、勝ち目はないよ(笑)
ビッグネームと被るようなテーマでも、全く違った小説世界と意味とを
創造できると思うけれどもね
テーマは、ビッグネームによって完結されてはいないだろう
時代も違えば、書く人間が違う、心と感情と感性と思想が違う
テーマが一緒で、同じになるとしたら
単なる後追いで、創造とはいえないし、自分自身が投影されていないことになる
されじゃあ、作家である意味はない、と思います