大江健三郎が現代の文学賞に応募したら受賞できる?
別に大江アンチとかじゃなくてさ、最近の新人文学賞の受賞作品の文章って、
易化しすぎじゃないか?
ストーリーとか内容とかじゃなくて地の文章がさ。
すかすかっていうか、誰でも書けそうっていうか。
大江みたいな、半ば悪文とまで言われそうなほどの(私は悪文だと思ってるw)込み入った文章では、
もう文学賞は取れないんだろうか? なんで糞スレたてんの?
単発質問のスレに行けばいいはなしじゃん。 スレタイしか読んでないだろ。
私は文学賞全体の傾向について世人に問うにあたって、
最近の受賞傾向の対局として大江健三郎という固有名詞を出したんだよ。
レスありがとう!
平野は思ったけど、あれ確か投稿によるデビューなんだよね。
Wiki確認したら詳しく書いてあるけど、
>『新潮』編集部に自分の思いを綴った16枚の手紙を送
ったんだそうな。ちょっと真似出来んわな……。 ウィキハ所詮ウィキ
平野はコネだよ。先に推薦状ありきの手紙だよ。 デビュー当時の大江の作品、
すっきりして読みやすいと俺は思う。
彼が若い感性に立ち戻って
また文学賞に応募しても、作家になるだろうし、また芥川賞とると思うけど。
悪文っつったって、ちゃんとクリアに書ける前提で、
いろいろ試してみてたみたいだしさ。
ピカソみたいな感じじゃない?
新人のうちは、あんまり文法的挑戦はしないのが無難だし、
最近の読者の活字離れを考えれば、読みやすさ重視の文体が
増えるのはいたしかたなしかな、と。 条件を詳しく指定してくれないと考えられないが
あんまりパラレルワールドが入るとますます訳がわからないんで
今の大江が正体を偽り同い年でどこにでもいるおじいちゃんとして
新人賞に応募して寿命がくるまでに受賞できるかを考えてみる
無理な公算の方が大きいと思う
これ凄い実力あるけど大江健三郎のコピーじゃん、ってなるのでは?
村上春樹の物まねはそれだけではねられるっていうくらいだし すまん、スレタイだけ見ておりました…
俺はいけると思うよ!他の要素もしっかりしてればね レスありがとうありがとう。
>>6
コネかー。どっちにしても参考にはならないね。
デビューしたのもなんだかんだで10年以上前だし……。
>>7
>デビュー当時の大江の作品、すっきりして読みやすい
そうなんだ、自分で言いだしといてなんだけど、
有名どころしか読んでないからなー。「万延元年〜」のイメージが強い。
ちょっと「死者の奢り・飼育」を掘り出してきて読んでみたけど、
なかなかイケるね。やっぱり突き抜けた才能がある人だとは思う。
まあただ、自分が言いたいのは大江のような才覚を今の文壇、
ひいては新人賞が受け止めるだけの器量があるか、ってことなんだよね。
創作文芸板だからこその、書く側が読む側(それも単なる読者ではなく選考を行う人)を、
どこまで信頼していいのかって話、また、持って回った難解な言い回しってやつが、
或いは許容されるのか、或いは許容されないのかって話がしたいのよ。
そういう意味では最後に加えてくれた三行は参考になります。
やっぱそうだよね。自分の美感と読みやすさ、天秤にかけなきゃならんか……。
いやー真摯なレスが沢山貰えて嬉しいよ!
この板は初心者なもんで、他のスレ見てコエーってなっちゃってたから。
>>8
条件というか、ようは大江レベルに難解な言い回しを多用する作家が、
今の新人賞の傾向として、通用するのかって話。大江はあくまで一例ね。
批評家含めりゃ小林でも柄谷でもいい。ただ、小説家で分かりやすい例っていったら、
一番は大江かな、と。そーゆーこと。
>>9
えー、もしかして2の人!?
いやいやこっちこそツンケンしたレスしちゃってごめんね。
イケるかなー、イケたら良いよね。
あなたが考える「他の要素」ってのも聞いてみたいかも!
>>10
新人賞に応募するのに文法の個性で勝負するのは、
意図してそうしているのか、あるいは正しい文法を使えないのか
選考側には分からないという点で、リスクが高すぎる。
ぐしゃぐしゃと長い修飾が何重にも連なるようなのも、
分かりやすくすっきり書くスキルがないと受け取られる可能性がある。
去年の文藝賞なんかは句読点抜きの奇抜さが目立つけど、
灰が降ってきたことで人間の同一性保持が困難になり
主人公の意識が複数のパラレルワールドをまたいで錯綜する
という状況設定と、その中での恐怖を理屈でなく感覚的に描けたことにこそ本当の個性があった。
(ちなみに、その受賞者は文藝賞スレで精子というあだ名がつけられている・笑)
とにかく新人賞に通って、その後しばらく実績積んで、
そのあと文体に関する挑戦をするのがいいんじゃないかな?
お互い、そんな高みに辿りつけるといいな……遥かに遠いけどな >>12
文法の個性で勝負するってのは、いまいちピンとこないかな。
これの理由を語るためには、
まず私のポジションについて言及しなければならないかな。
本当はもっと一般的・普遍的な議論をしたいから、
敢えて言及は避けていたんだけど……。
私は、三島のような美文を目指しているのに、
つい(悪い方向で)大江っぽくなってしまうんだよね。
これは自分でそう思ってるんじゃなくて、
初めてまともに書いた小説の一節を読書家の友人に読んでもらったところ、
「大江みたいで難解すぎ」と、
否定的なニュアンスで大江の名前を出された感じ。
そんで、話を戻すと、文法の個性で勝負するってのとは、
前提からちょっと違うよね。
美文を目指すからには、自身の持てる文法を最大限に駆使してこそだから。
ただ、美文の基準が三島ということになると、
どうしても運用される文法は難解になる。でも、
難解な文法であることと、正しい文法であることは、
必ずしも矛盾はしないはずだと思う(もちろん理想として目指す究極形ではあるけれど)
どうかな?
>ぐしゃぐしゃと〜
これも、やっぱり使い分けることで分かりやすさの提示との、
両立を図ることはできると思う。
でも、あなたが言及した"新人賞に通る作品、通らない作品"というものの要素のおかげで、
新人賞に向き合うにあたってとるべき態度というのは理解することが出来た。
ようは、選考する側は、長く小説家として活躍できる人材、
並びに、これを立証するような作品を求めているってことだよね。
基本的なところであるはずなのに、ちゃんと理解できてなかった、
ありがとう。
>お互い、そんな高みに〜
うん、お互い頑張ろう! 三島だって人によって悪文だし。
1の文章が大江的ってのも一人だけの評価だよね。
まずは原稿用紙一枚くらいで、チミの文章をはってもいいんじゃね?
そのほうが盛り上がるし。 俺も読みたいなあ、1の文章。
このスレはいい流れになってるから、
ボロクソ言われて「はい、おしまい」にはならんと思うぞ。
俺は最近、読者の意識の流れを気にするようになった。
日本語を母語としない外国人のために書くんじゃないから、
文法的な分かりやすさより、そっちの方が大事だな、と。
基本を押さえた上でね。
文法的に多少ごちゃごちゃしても、読者の中に想起される印象が
スムーズに流れていくなら、一般の読者にとって読みづらいことはないと思う。
逆に文法的明確さに優れていても、
読者の意識が振り回されるうような文章は、とても読みづらいものとなる。
そんなことも含めて感想いうから、
ちょっと文章公開してみてよ。 余裕。デビューした頃のわかりやすい文章で書けばいいんだし
(最近は比較的シンプルな文体に戻ってる)、
ファンタジー色もそれほど強くないし、時代を反映したその作風は芥川賞向きだし、狙えるレベル
下読みと選考委員に見る目があって
送る出版社と文学賞さえ間違えなければ、ノーベル文学賞は無理でも、
数いる作家の一人になるくらい楽勝だろ、オーケンなら >>15
>>16
分かった……。ちょっと書いて来る!
>>17
余裕かー。
でもやっぱ、シンプルな文体を意識しなきゃいけない、というか、
大江のやりたい放題の文章では受賞は難しいってことなのかな。
それこそ、現代の新人賞の下読みと選考委員に見る目はあるのか、
ってことなんだよね、ようするに問いたいのは。 >すかすかっていうか、誰でも書けそうっていうか。
本気で誰でも書けそうだと思うのなら、そういうの書いて送ってみればいいじゃないか。 ほぼ同じ内容の繰り返しになるが、
大江のような非凡な才覚であっても、
若いころはクリアな文体で勝負していたんだ。
それに、大江も三島も文学賞でデビューした才能ではない。
素人ながら非凡な才覚を文壇の先輩に拾われたわけだろ。
9割以上の作品が自己満足の作文に過ぎない中から
わずかな本物を探さなければならない現代の文学賞において、
正当な文章を書けるのか危ぶまれるような
回りくどい文章の作品を送るなんて、無茶だろ。
ちなみに君は高学歴? 旧帝大系の文学部とかでないなら、
頭がいいから難解な文章を書くのではなく、
まともな文章を書けない馬鹿と思われるだろう。
1ページ読み終わる前にさ。
他人に見せるものなんだ。自作を客観的に見るためには、
自分の意図なんて半分も伝わらないんだというくらいの意識を持って
己に厳しく臨まなければならないと思うぞ。 僕が小説を執筆するにあたって、まずその拠り所として重きを置いたのは、三島由紀夫
の「仮面の告白」であった。文学史に屹立する異様のモノローグ、他に比類を許さない美
文の極致に、僕は魅せられ、心酔した。
しかしそれは、持たざる者の、持たざるが故の他愛ない憧憬の引力の所作であったと、
やはり言わざるを得ないだろう。いや、より正直なところを告白するならば、三島の美文
に、その志しだけでも相寄り添うことによって、余りに凡庸に過ぎる自我意識、ひいては、
その反映としての、創作をする上でのいくつかの矮小なる命題を、秘匿しようとしたのだ。
矮小なる命題――それは、或る極めて「宿命的」な命題であった。「宿命的」というの
は、これらの命題は先験的に、例外なくいつしか手酷い反証に屈する運命にあることの悲
哀、そして、これがあらかじめ予感され得る性質にあるということの逆理をさえ含んだ上
での、殊にその意味が限定された形容表現であり、そういう意味では、些かアイロニカル
でもある。
つまり僕は、心のどこかでいつか必ず手痛いしっぺ返しを食うことになると知っていな
がら、それでもなお、それらの命題を語らずにはいられなかったのだ。なぜ語らずにはい
られなかったのか、そもそもその命題とはいったい何なのか、それは、またの機会に語り
たいと思う。
とにかく僕は、三島の流麗なレトリックの秘奥を縁取るようにして、或いは詮のない多
言の修辞で迂回を繰り返したり、或いは難解な術語を擁してその秘奥に迫ったつもりにな
ったりと、そうやって、紆余曲折を経て、とうとう歪な――今になって鑑みればあまりに
醜く歪な―― 一つの円周を書き上げたのだった。 僕は、何か重大な秘密をこっそりと打ち明けるかのような装いで、読書家の友人Aに自
慢の一節を読んでもらった。
「大江健三郎みたい。難解すぎて現代の文芸思潮に合ってない」
Aの評価は、概して否定的なものだった。僕は上辺ではAの金言を恭しく拝聴する表情
を繕いながらも、内心ではひどく、本当にひどく、失望を感じた。僕にとって大江健三郎
という名詞は悪文の象徴であり、三島的美文の対局を成すものであったからだ。僕の美文
への幻想は、Aによって、かくも容易く打ち砕かれた。
しかし、僕はこうも考えた。なぜ「大江健三郎みたい」だといけないのか。なぜ難解で
あると駄目なのか。なるほど、近来活躍する小説家の文章は、押し並べて平易なものだ。
だが、本当に現代の文壇には、持って回った難解な文章は通用しないのだろうか。
その答えを問うべくして、僕は、いかにも難解な文章を好みそうなイメージのある、2ch
の住人に意見を乞うことにしたのだった。(完)
注釈とか弁明とか。
・ついいつもの癖で30×40行で一枚書いてしまった……長文すまん。
・執筆中の作品の主人公にならって、一人称は僕を採用した。
・1200字に自分らしさを凝縮するために、意図して難解な文章を書くよう努めた。
だが、実際も大体こんなもん。
・私は本来、推敲するにあたって、最低でも一日、長い時には数か月単位で
文章を寝かせる、生粋の修正厨。即興にしては割と書けた方だと思うけど、
あまり自信を持てる文章にはならなかったから、気兼ねなくボロクソ言って欲しい。
あと>>7のレスで大江が悪文というのは考えを改めました。
大江さん、大江のファンの人、ごめんなさい。 >>19
その答えもさっき書いた小説?に盛り込んでみました。
>>20
ふむふむ、なるほど。
>ちなみに君は高学歴?
痛いところを突かれたな……。私、高学歴とか以前の問題なんだよね。
つまりちょうど、受験生ってやつ。
>他人に見せるものなんだ。自作を客観的に見るためには、
>自分の意図なんて半分も伝わらないんだというくらいの意識を持って
>己に厳しく臨まなければならないと思うぞ。
至言だね。心に留めておくよ。 第一印象。
読めなくはない。
内容が伴えば充分形になりうる。しかし、
現代の若者の心情を描くにはいささか古風に過ぎるか。
作品の舞台を近代におけば、活きるだろう。
>矮小なる命題――それは、或る極めて「宿命的」な命題であった。「宿命的」というの
は、これらの命題は先験的に、例外なくいつしか手酷い反証に屈する運命にあることの悲
哀、そして、これがあらかじめ予感され得る性質にあるということの逆理をさえ含んだ上
での、殊にその意味が限定された形容表現であり、そういう意味では、些かアイロニカル
でもある。
「宿命的というのは」〜「殊にその意味が限定された形容表現であり」
という主述関係が、初見のときには分からなかった。
おそらく、そこで読点を打って「そういう意味では」以下の文を続けてしまったことで、
最初の文の述語がぼやけてしまっているためだろう。
文体として基本的に悪くはない印象受けたけど、内容次第。
内容が伴わないでこういう重々しい文体をふりかざす輩は、
他にもいくらでもいるだろうからな。
内容が良くなければ、な。
今日はもう寝るけど、また何か役にを立ちそうな感想・批評あれば書きこむよ。
受験生か!
将来、楽しみだ。
受験勉強の内容は、社会に出ても、小説書くにも、
必ず役に立つからな。
受動的にしか勉学に臨まなかった奴は役に立たないと言うが、
そんなのは真赤なウソだ。
頑張っていい大学入れよ!
おじさんは、若い子が好きなんだ。
良い経験をたくさんしろよ。
青春を真摯に、積極的に過ごさなかった奴が
良い小説書けるわけないんだから。 >>26
好意的な評価ありがとう!
間に合わせのしょうもないプロットだったから、自分らしさを出すのに苦労したよ。
その分、文体というより言い回しが、ちょっと古風になっちゃったかな。
今のところ近代をテーマに置けるほどの資料を集められる環境にないから、
よくよく注意して本命の小説の著述を進めるよ。
宿命的というのは〜の一文は、私なりの文法的挑戦だったんだけど、
素直に読点じゃなくて句点をうつべきだったかな。穿った意見だと思う。
内容はね、けっこう自信あるんだ(笑)
まあ、慢心せずにより深いテーマを模索するよ。
>こういう重々しい文体をふりかざす輩は、他にもいくらでもいるだろうからな。
そうそう、創作文芸板ならそういう人って沢山いるかなと思ってスレ立てたんだよね。
だから、もし自分も文章が難解になりすぎて困ってるって人がいたら、
どんどん文章を公開してね。このスレは、私の所有物にしたくないから。
>また何か役にを立ちそうな感想・批評あれば書きこむよ。
ありがとう! 本当に助かるし、参考になるよ。
>>27
将来が楽しみかー、ありがとう!
>受験勉強の内容は、社会に出ても、小説書くにも、
>必ず役に立つ
身に沁みて実感してるとこだよ。
現代文や倫理の用語集は有用な語彙を増やすのにとっても役立つし、
英語の勉強は、筋道だった論理的な文章を編むための近道になるし、
他にも数えきれないほど参考になる面があるよね。
おじさんなんだ(笑)
敬語使った方がよかったかな? まあ、老若男女問わずフラットな
立ち位置から意見の交換が出来るのが、2chのいいとこだし、まあいいか。
もちろん敬語使えっていうなら謹んでそうさせていただきます(笑)
良い経験、沢山したいと思います! この>>1君は若いのに文章力あるね、おじさん感心しちゃったぞ
まだまだ未来のある君のこと、余計な心配かとは思うけれど
美意識に呑まれてしまわないよう気をつけてね
おじさんなんか簡単な文章しか書けない人間だけど
美意識に囚われた人間は概して自分の内側に埋没していく傾向がある気がします
凝り固まることなく、怠けることもなく、多様な人になってください! またおじさん……笑
ちょっとみんな自分を卑下しすぎじゃない?
そんなに下手に出られると、からかわれてるのかと思っちゃうよ笑
>美意識に呑まれてしまわないよう気をつけてね
そうだね、気をつけます。なまじっか自分の美意識に自信があるから、
ホント、気をつけないとね。自分の内側に埋没していくってのも、
昔気質の文人っぽくて、そういう方向に魅せられてしまうのも、
或いはアリかなとか思っちゃうけど。
>凝り固まることなく、怠けることもなく、多様な人になってください!
はい! 頑張ります! >>21
>>22
この内容ではまるで論文だね。
これをどう小説として消化できるかが大事でしょ。
小説は論文と違って、論理的な展開すら必ずしも必要としないからなあ。
読んだだあとに同意するかしないかの最終判断よりも
寄り添って考える過程のほうが肝だろうしね。
そういう意味では、現在のような分かりやすい言葉で書いたほうが理にかなっているのかもしれない。
まあそれでも、現在は平易な文章に偏りすぎていると思うよ。
カウンターカルチャーはいつでも存在するべきだし
個人的にはいつでもそこに身を置きたいとは思うけど。
>>32
それは言われると思った。
プロット上そうなってしまうのも致し方ない、
と弁明したいところだけど、実際いま書いてる小説も
けっこう論文に近づく瞬間が多いんだよね。
>これをどう小説として消化できるか
そうだね……誰か入れ知恵はありますか?笑
いや、自分でも考えるけどさ。
情景描写に力を入れるってのが私なりの差し当たっての打開策かな。 >>33
うんうん、参考になります。
>まあそれでも、現在は平易な文章に偏りすぎていると思うよ。
>カウンターカルチャーはいつでも存在するべきだし
>個人的にはいつでもそこに身を置きたいとは思うけど。
やっぱそうだよね!
カウンターカルチャーってのは、私の理想だなー。
現代の文芸思潮に一矢報いたいというのが根本にあるよ。 >>36
それ大江が言ったの? マジでか。
ていうか、皆も文章晒していこうよ!
私ばっかり晒してるんじゃ、なんか、ズルいじゃん!
>>26さんとか>>33さんあたりの文章、読んでみたいな。 初期・中期の大江が悪文とみなされたのは、ひとえに翻訳調だったからだ。何を持って悪文というのか?
これ、実は大事な問題だけど、ここではあまり議論されていない。
修飾語を連ね、華美に文章を飾るものを「悪文」と言うなら、三島も確かに「悪文」を書いている。だけれど、彼の修飾語は、描写する対象を的確にとらえる為の修飾語だ。
1の人の修飾語は重ねることで、逆に対象をぼやかせているし、必要のない形容詞や副詞を徒に重ねているだけで本当の悪文。
忌憚のない意見で申し訳ない。 38だが。例えば・・・。
私が小説をものすにあたり、始めにその依拠として念頭に置いたのは、
三島由紀夫 の『仮面の告白』であった。文学史に燦然と聳え立つ異様なる
モノローグ、そして、他に比類無き(あるいは“比肩することを許さぬ”)
美文の極致に、私の心は魅せられ、酔い痴れ、虜となった。
しかしそれはやはり、持たざる者が、持たざるが故に抱く、他愛ない
憧憬の所作であったと言わざるを得ぬだろう。いや、より正直に胸中を
吐露するならば、三島の美しき言葉の王国に、せめて精神だけでも寄り
添うことで、凡庸極まりない自我意識、ひいては、その産物としての、
創作上の矮小なる数個の命題を、秘匿する意図があったのだ。
矮小なる命題――それは、極めて「宿命的」な命題であった。
「宿命的」というのは、これらの命題が例外なく手酷い反証に瓦解する
運命にあることの悲劇性、そして、これが本質的に予感され得るであろう
という逆理さえも孕んだ形容表現であり、その意味では、些かアイロニ
カルでもあった。
つまり私は、心のどこかで、いつか必ず手痛いしっぺ返しを喰らうこと
になると知りながら、それでもなお、これらの命題を語らずにはおれなか
ったのだ。なぜ語らずにおれないのか、そもそもこの命題とはいったい何
なのか、それは、またの機会に語りたいと思う(ぎゃふん!)。
とにかく私は、三島の絢爛たるレトリックの秘部を縁取るようにして、
或いは児戯のように数多の修辞で迂回を繰り返し、或いは大時代で難解な
術語を弄してその奥底に迫ったつもりになり、そのように紆余曲折を経て、
とうとう歪つな――今になって思えばあまりに醜く歪つな―― 一つの円周
をなぞり上げた(あるいは“あぶり出した”)のだった。
私は、何か重大な秘密を打ち明けるかのように、読書家である友人
のAに拙い一節を手渡し、読むことを乞うた。
「大江健三郎のようだ。修辞が過多で、現代の文芸思潮に合ってい
ない」
Aの評価は、否定的なものだった。Aの助言を恭しく拝聴するような
上辺を取り繕いながらも、私の心中は深く、本当に深く、失望を覚えて
いた。私にとっては、大江健三郎の名は「悪文」の象徴であり、三島的
な美の対局にあるものであったからだ。私の三島的美への幻想は、かくも
容易く打ち砕かれた。
しかし、すぐに私はこう考え直した。なぜ「大江健三郎のよう」では
いけないのか。なぜ修辞が過多では駄目なのか。なるほど、現行活躍する
小説家の文章は、押し並べて修飾語を省いたものである。
だが、現代の文壇においては、華美なレトリックを擁した文章は本当に
無用なのだろうか。
その答えを知るべく、私は、文章に対して柔軟な姿勢であるという
イメージの、2chの住人たちに意見を乞うことにしたのだった。(完)
俺も高校時代は、1さんみたいな文章を書いてた。ハシカみたいなもんだな。
38の添削の意図が分からない。
1の修飾語を、より的確・華美なものへ修正したのか?
それにしては、
>文学史に燦然と聳え立つ異様なるモノローグ、そして、他に比類無き
(あるいは“比肩することを許さぬ”) 美文の極致に、私の心は魅せられ、
酔い痴れ、虜となった。
「燦然」と「異様」が意味的に対立しているし、
「〜モノローグ」と「〜美文の極致」の同格関係が、
「そして、」を挿入することによって、ぼやけてしまっている。
「魅せられ、酔い痴れ、」てのもリズムが単調すぎて、
ここ以外の荘厳な文章に比べて、軽薄な印象。
全体として、修飾語や文体が、1に比べて一層重苦しくなっているだけで、
的確でも華美でもないな。
時制の徹底、読点の配置、同一表現を連用しないといった、基礎的な部分では38、
論理の通り具合、音韻といった面では1に軍配が上がる、て感じかな。
修飾語については、ベクトルの違いはあれど、五十歩百歩。
あくまで俺の意見ね。 時代性ってやつかね…
どこか白けた目で見てしまう向きはある
あなた実際にそんな世界観で生きてるの?
どうせファッション的な感覚なんじゃない?
自分で書いたこと本当に自分でわかってる?
みたいな、冷めた態度は俺の中に確かにある >>38
わざわざ全レス読んでくれて(だよね?)
さらに私の拙い文章のリライトまでしてくれて、
ホント、すごくありがたいです!
申し訳なく思うことなんてないよー。
建設的な意見で、すごく助かるよ。
>1の人の修飾語は重ねることで、逆に対象をぼやかせているし、
>必要のない形容詞や副詞を徒に重ねているだけで本当の悪文。
副詞はね、かなり意識的にやってる。
副詞って英語にはない日本語独自の品詞でしょ?
そういうのを尊重するのが、日本浪漫派を標榜したいところの、
私なりのアイデンティティなんだよね。
でも、形容詞はどうかな。私も忌憚のない意見を言うけど、
リライトしてくれた文章の方が、むしろ形容詞増えてない?
「描写する対象を的確にとらえる為の」、
つまり、より直截的な形容詞を示して、
私の語彙の貧しさを指摘してくれたってことなのかな?
私は、文体を大江や三島そのものにしたい訳ではないんだよね。
だから、一人称は「僕」だし、言い回しも、
リライトしてくれた文章に比べれば現代的にしてある。
今回は、それでも表出してしまう私の悪文的なところを強調したものだったから、
私の意図が伝わりづらかったね。言葉が足りなくてごめん。
あと、
>彼の修飾語は、描写する対象を的確にとらえる為の修飾語だ
についてだけど、私が形容詞や副詞を使う場合には、意味よりもまず、
リズム感、語感を重視して持ってくるんだよね。
でも、「本当の悪文」にしか見えなかったってことは、
その点でもまだまだ精進が足らないんだろうね。
それと、やっぱり意味のほうも重視していくことにするよ。
ところで、38さんはおいくつ?
いつ頃その”はしか”を乗り越えて、今はどんな文章を書かれるんですか?
39〜40の文章は、私の意図を38さんなりに解釈して、
その模範として書いてくれたものだよね?
確かに1の文体よりは38の方が読みやすいよね。
読みやすいのが優れているとはかぎらないけどもさ。
>>41
>時制の徹底、読点の配置、同一表現を連用しないといった、基礎的な部分では38
に軍配が上がるってことは、逆に言えば、
基礎的な部分が私には不足してるってことだよね?
耳が痛いな・・・笑 これからは気を付けるよ。
音韻ってリズム感のこと? だったら嬉しいなー。
私、物書き以前に、ジャズ板に常駐する重度のジャズヲタだから、
リズム感ってのも私のアイデンティティの一つなんだよね。 >>42
やっぱそう思うか・・・。
難しいよね、今の新人賞の傾向を見ると。
>>43
あー、あー、耳が痛い・・・笑
>>46
やっぱ読みにくいか、私の文体。
圧倒的に38のほうが質的にも優れてるよ! 物語があって、それを小説にするために文体をつくるのか
文体があって、それを小説にするために物語をつくるのか
>>50
私は物語ありきかな。
より厳密に言えば、主人公のリテラシーのレベルをまず設定して、
それに合った文体を選ぶってのが、私の方法論です。 まさか新人賞のことを言っているのか?
絶対にとれるに決まってんだろw
>>1の人は読んでんの?最近の新人賞の?
ゴミ屑みたいのばっかりでしょ。腐っても大江だぞ。
文章作成の基本レベルが違いすぎるわ。 >>52
新人賞のことを言っているよ。
いやさ、そのゴミ屑みたいのが、一応は選者の好評を得て、
受賞なり出版なりされてる訳でしょ?
ああいうのが、言ってみれば現代文学の主潮な訳じゃん。
そんな中で、大江のような、文章的にも内容的にも難解な(ここでは、
とりあえず文体について議論している)小説が、ちゃんと評価されるのか?
っていう話。 大江の文体は「これ駄目」って人と「おお!これは凄い!」って人に、はっきりと別れそう
減点方式で適当な見方されたらちょっとヤバそうだけど、見る人が見たらなんなく受賞できると思うよ