僕が小説を執筆するにあたって、まずその拠り所として重きを置いたのは、三島由紀夫
の「仮面の告白」であった。文学史に屹立する異様のモノローグ、他に比類を許さない美
文の極致に、僕は魅せられ、心酔した。
 しかしそれは、持たざる者の、持たざるが故の他愛ない憧憬の引力の所作であったと、
やはり言わざるを得ないだろう。いや、より正直なところを告白するならば、三島の美文
に、その志しだけでも相寄り添うことによって、余りに凡庸に過ぎる自我意識、ひいては、
その反映としての、創作をする上でのいくつかの矮小なる命題を、秘匿しようとしたのだ。
 矮小なる命題――それは、或る極めて「宿命的」な命題であった。「宿命的」というの
は、これらの命題は先験的に、例外なくいつしか手酷い反証に屈する運命にあることの悲
哀、そして、これがあらかじめ予感され得る性質にあるということの逆理をさえ含んだ上
での、殊にその意味が限定された形容表現であり、そういう意味では、些かアイロニカル
でもある。
 つまり僕は、心のどこかでいつか必ず手痛いしっぺ返しを食うことになると知っていな
がら、それでもなお、それらの命題を語らずにはいられなかったのだ。なぜ語らずにはい
られなかったのか、そもそもその命題とはいったい何なのか、それは、またの機会に語り
たいと思う。
 とにかく僕は、三島の流麗なレトリックの秘奥を縁取るようにして、或いは詮のない多
言の修辞で迂回を繰り返したり、或いは難解な術語を擁してその秘奥に迫ったつもりにな
ったりと、そうやって、紆余曲折を経て、とうとう歪な――今になって鑑みればあまりに
醜く歪な―― 一つの円周を書き上げたのだった。