僕は、何か重大な秘密をこっそりと打ち明けるかのような装いで、読書家の友人Aに自
慢の一節を読んでもらった。
「大江健三郎みたい。難解すぎて現代の文芸思潮に合ってない」
 Aの評価は、概して否定的なものだった。僕は上辺ではAの金言を恭しく拝聴する表情
を繕いながらも、内心ではひどく、本当にひどく、失望を感じた。僕にとって大江健三郎
という名詞は悪文の象徴であり、三島的美文の対局を成すものであったからだ。僕の美文
への幻想は、Aによって、かくも容易く打ち砕かれた。
 しかし、僕はこうも考えた。なぜ「大江健三郎みたい」だといけないのか。なぜ難解で
あると駄目なのか。なるほど、近来活躍する小説家の文章は、押し並べて平易なものだ。
だが、本当に現代の文壇には、持って回った難解な文章は通用しないのだろうか。
 その答えを問うべくして、僕は、いかにも難解な文章を好みそうなイメージのある、2ch
の住人に意見を乞うことにしたのだった。(完)