初期・中期の大江が悪文とみなされたのは、ひとえに翻訳調だったからだ。何を持って悪文というのか?
これ、実は大事な問題だけど、ここではあまり議論されていない。
 修飾語を連ね、華美に文章を飾るものを「悪文」と言うなら、三島も確かに「悪文」を書いている。だけれど、彼の修飾語は、描写する対象を的確にとらえる為の修飾語だ。
1の人の修飾語は重ねることで、逆に対象をぼやかせているし、必要のない形容詞や副詞を徒に重ねているだけで本当の悪文。
忌憚のない意見で申し訳ない。