(レス388でもちょっと言ったけど)クリティークの過去の受賞者の誰一人としていわゆる「文学者」を論じた者はいない 一昨年の群像評論賞の時は「武田泰淳論」を推す大澤・山城二人に対し東一人が「シンゴジラ論」にこだわってた(ただあずまんの場合「シュミ」としての側面のあることは否定できないと思う) そしてついでにいうと(私事ながら)私の群像賞最終回に送った落選作もいわゆる「作家論」ではない
 評論がお荷物になったってのは間違いなくホントだろうけど、文芸誌としてはやはりせめて小説を論じて欲しいってのもあったのかな? ただ(これも半分は好みの問題かもしれないが)今小説そのものに手を付けるとなると基本古典の訓詁解釈しかやりようがない その批評の「面白さ」は「今」とは無関係な「学術論文」にならざるを得ない
 率直に言って「評論賞の絶滅」は(確かに私達の責任でもあるが)純文学そのもののゾンビ化でもあると思う