どんな質問でも誰かがマジレスするスレ57 [無断転載禁止]©2ch.net
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・応募関係のことが分からない
・執筆関係のことが分からない
・物体は分かるが正式な名前が分からない
・あれってどうやって使うのか分からない
等々、
創作文芸に関係なさそうなどんな質問でもいいので、聞けば誰かがマジレスしてくれるはずのスレです。
前スレ
どんな質問でも誰かがマジレスするスレ56
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/bun/1478721614/ >>239
>そこに新しい価値を付け加えることができないのなら買収などしてはいけません
バカですか?
宅配事業が盛んになってくるとリアル店舗が必要なくなります。
しかし商品を置く場所は不可欠なのです。当たり前ですが土地が必要になってくるのです。
もちろん荷物を集める拠点も全国になければなりません。
ネット時代は、リアル店舗は必要なくても商品の仮置き場が必要なのです。
店舗をもたないネット家電店が安売りで台頭してきているように、
すべての商品がそうなるのです。
わかりますね? >>240
>彼ら自身の意見ですよ
>自分が言ってるわけではありません
それは郵便物だけをやっていては「電子メールに負ける」ということです。
だから宅配事業やネット店舗など新たな時代の趨勢に従うということです。
わかりましたね? >>241
なるほど
それは面白い視点ですね
宅配社会を前提にした都市開発というのならありかもしれません
彼らはそこまで考えているのでしょうか?
それならもっとアピールすべきでしょう
これでは畑違いの会社をトンチンカンに買収したようにしか見えませんよ 日本語教育の用語は特殊なのでATOKの辞書に登録されていません
どこかにありませんか? >>243の件ですが
今現れつつある、あるいはまだ現れていない新技術が
これからの都市の在り方をも規定することになるので
下手に手をだすと大やけどする気がします
根幹になるものは彼ら自身のコントロール下にはないからです
分かりますね? >>186の件ですが
日本側が提出した憲法思案があまりにも代わり映えがしないものだったので
アメリカ側が民間人などを招集して用意したものだったのは歴史的事実のようですね
最近草案の立案に関わったベアテ・シロタ・ゴードンさんの名前を知りました
日本国憲法に関わった人々はまったく霧に包まれていたので、
ひとまず手がかりを得ました
ただ、あの尋常ではない日本国憲法前文を誰が書いたのかという謎は解けそうもない気がします >>246
>アメリカ側が民間人などを招集して用意したものだったのは歴史的事実のようですね
近年日本で憲法改正がいわれだしてからそのメンバーらに取材に行ったらしい。つくったときの思いを聞きに。
そしたら、みな一様に驚いて、まだアレを使っているのか、とっくに変えていると思った、だと。 >>247
それはネトウヨサイトがソースでは?
憲法草案に関わり表だって発言している人は
ゴードンさん以外にいない雰囲気ですよ
よくは調べてないので分かりませんが。
それにいま憲法を変えるなと言っている人達は、
憲法には何があろうと絶対に触れるなと言っているのではなく
NHKや年金、国富などあらゆるものを私物化してきた安倍政権が
憲法をも私物化し、独裁の道具にしようとしてることに反対してるのですよ Amazon、Fire TV内蔵の低価格4Kテレビを発売
http://jp.techcrunch.com/2017/05/17/20170516amazon-built-fire-tv-directly-into-a-cheap-4k-set/
個人的にはSD画質でも気にならないくらいなので、
4Kなんていらなくね?と思っていたのですが、
電波放送を4K化しようと思ったら、
発信側も受信側も大きな投資と変更が必要になりますが
インターネット経由なら4Kだろうが8Kだろうが既存技術の延長線上にあるので、
高解像度化が遙かに容易です
つまり4Kという技術が電波放送を葬るアクセルになるわけで、
そのような意味では歓迎ですね?
特に国民が拠出した視聴料で運営しているくせに安倍の宣伝機関と化した、
経営倫理にもとるNHKなどは早々に解体すべきです
そうですね? netflixで「ゴーイング・クリア サイエントロジーと信仰という監禁」
というドキュメンタリーを観ました
サイエントロジストとして有名なトム・クルーズのイメージから、
サイエントロジーにものすごく悪い印象はなかったのですが、
ガッチガチのカルトだったのですね
オウム真理教や幸福の科学など日本国内のカルトは、
こういった「本場のカルト」の亜流でしかなかったのだなと思うくらい、
桁違いの強欲さと攻撃性を有していて、悪い意味で洗練されています
日本に入ってくるとカルトでさえシャープネスを失うのですね
幹部が信者の前で演説する集会は最もカルトらしい場面ですが、
制服として採用されているらしい船長服、あほくさいメダル、
空疎で大袈裟すぎる演出など、すべてが何かのパロディのようで、
圧倒的な嘘くささです。嘘くさいというか、もはや嘘の塊です。
それを見て「何かのパロディみたいであること」こそカルトの本質ではないかと思いました
それで思い出したのですが、国家神道は一神教のパロディとして生まれたのでしたよね
パロディ化する前の天皇制はどういうものだったのでしょう?
今の天皇制は戦前戦中よりはずっと脱パロディ化していると思いますが、
完全に脱し得ているといえるかどうかは分かりません
日本人たるものパロディ化=カルト化する前の、
いわば原天皇制のようなものを知らなくてはいけませんね? >>251
危険です。
安倍一派は国民を支配するという明確な目的を持ってこの法案を成立させました
まさに盗人に刃物を与えるようなものです
しかし以前にも申しましたが、
国が壊れていくほど国民は賢明になりもするのです
国民が十分な賢明さを手に入れるために必要な破壊だと考えることもできるでしょう 安倍一派は戦前の流れを驚くほど正確にトレースしています
口から出てくる言葉のほぼ全てが嘘の安倍政権にあって、
唯一真摯という言葉に値するのは、
戦前の再現に向かう姿勢だと言えるでしょう
見方を変えると、
彼らは日本国民の敵になることで、
リベンジのチャンスを作っているとも言えるのではないでしょうか?
戦前は国民が強権的な愚かさに屈し、完全にコントロールを失った末に破滅しました
その結果何かの巡り合わせによって、
歴史に類例のない、人類の至宝と呼ぶべき憲法を手に入れ、
奇跡的な復活を果たしました
しかし、その憲法も復活も、日本人自らの力で手に入れたものではありません
強権的な愚かさに屈したという過ちは消えてはいないのです
消えてはいない過ちと、与えられた僥倖の中での夢見の、清算をする時が来た。
それが今なのではないでしょうか?
それはまた第三幕に相応しい戦いと言えるでしょう
そうですね? 最近思うのは、安倍一派の言い分の、ある一面の正しさです
安倍一派は戦後の日本を否定します
たしかにある面では、否定すべきです
戦後アメリカは戦争に導いた人々だけを裁いて、国民を免責しました
その時点ではそれが正しい判断だったでしょう
しかし、正確ではありません
日本がコントロールを失って自滅に突入していったのは、
日本国民全体が愚かさに加担した結果です
日本の自滅は、決して指導部だけの責任ではありませんでした
そのような意味で戦後日本のある側面には批判を加える必要があるでしょう。
安倍一派は「日本を取り戻す」といいます
たしかに取り戻す必要があるでしょう
何からか?
自分の頭で考えることをしない日本人の宿業的な傾向からです。
安倍一派は、真実に汚泥をぶっかけている。
なぜなら彼らには、真実というもの自体が耐えがたいからです
彼らは真実をそのままにしておくことはない
しかし、汚泥を取り除けば、そこには真実があるのです
悪だけが見つけられる真実を、我々が汚泥の中から取り出す必要があるのです
そうですね? コメを追い払わな無理
けど、そんなの未来永劫できないだろ
例え、極端な話、軍事政権になったとしても、
コメの支配から逃れることはできない 「食べたり飲んだりしよう」は何故
「食べた」「飲んだ」と過去形になるのでしょうか? ネトウヨに感染した女子高生のスレが立っているのを見て
自分も若い頃は沢山騙されたなぁと思い出しました
シンクロエナジャイザー買ったりしてましたからw
パワーストーンみたいのも結構信じてましたし。
騙される率が急激に下がったのは、文学との出会い、
特にトルストイとの出会い以降です
そこで知った真実の印象が自分の中の基準になったのでした
そういうことを思い返すと若い人がネトウヨに感染するのを責めることはできませんね?
ただし中高年ネウトヨは許されません ことの是非はともかく文学による回心のエピソードは美しくていいね >>230の件ですが
日本語教育の本を読んでいると、自分の中にその表現が染みこんだ頃、
小学生くらいの感覚が思い出され、
言語感覚がその頃からアップデートされていないままだったことに驚かされます
自分の中の幼稚さに直面させられる体験でもあり、心楽しくはないですね
ただ、必要なことです 日本人と言えば宗教的リテラシーが皆無に近いと言われますが
天皇を世俗の権力から切り離された存在として存在せしめてきたその根底には
「聖なるものは決して権力と結びついてはいけない」という、
日本人の宗教的直感があるのではないか思います
それは西洋の宗教観に遜色ない、全き宗教的感覚だと思います
他にも日本人はたとえば好意を持った異性の向こう側に、
限りなく純粋な善きものを、つまり神に連なるものを見ますよね?
それも詰まるところ宗教的感覚と呼ぶのにふさわしいものではないか。
そういうことを考えていて、これはマリア信仰に似ているのではないかと思いました
マリア信仰は基本的に聖書を根拠にしてはいないようですね
異教的な地母神信仰がキリスト教の中で形を取ったものと言われているようです
しかし非権力の指向においては、たとえば教会よりも、
宗教として本物ではないかとも思います
どうなのでしょうか? そのような意味で天皇性が権力と直結した国家神道というのは
最悪の?聖であり汚染だったわけですが
汚染される可能性が皆無になったとしたら、
それは既に聖性を失っているとも言えるのです
そうですね? 隠された事実が明らかにされた時、
予想通りとか予想外とかでなく、「どうでもいー」ってなる作品がたまにありますが
スクリプトドクターはそういうシナリオにどういう処方を下すのでしょうか?
何しろ問題が「どうでもいい」ですから、プロットの手直しでどうにかなるとも思えません お前の書き込み全部の事だな。
没にするか期間内に何かでスペースを埋めなければならず他が無いなら
諦めてそれ使うしかないだろう。
あまりにもどうでいい事しか書けないセンスの持ち主ということは簡単に直せる事ではない。
直せるものなら誰でもがお手軽に大作家だ。 しつもーん!
大都会にあるでかい歩道橋というか広場というか公園というか遊歩道みたいなヤツは何と言いますか? >>264
逆です。
「どうでもいい」となる作品は巻き込みが足りないのです
作り手が想定している興味を惹く形と、
実際の受け手の興味が全くズレているのです
物語の進行をスライスして、
その時点での受け手の興味は何なのかを精緻に検討することで、
「どうでもいい問題」を解決できるでしょう
分かりますね? >>267
頓珍漢のお前がずれてると思うということは正しい可能性があるということだよ。
お前の書いてる事が全てまったくどうでもいいことだと気付ける感性を持ててから言おうな。
永遠に独り善がりだけのお前には受け手の興味を捉える能力など文字通り皆無だ。 お前には自分とは異なる他者という者が存在する事が理解出来ない。
自分が気持ちよくなる事だけしか見えず、独り善がりをしていれば
それを賞賛してくれる他者という妄想上の存在としてしか他者を認識できていない。
幼児以下だ。幼児でもお前よりは物事が見えている。 大体お前は独り善がりだけを目指してるという反吐が出るような馬鹿なんだら
受け手の興味などという単語は使う資格すら無い。
チラシの裏以外にお前の居場所は無いよ。 >>270
相変わらずレベルが低いですね
それ三つ書く必要ありますか?
金太郎飴のように決まって内容がないんですから一つで十分です
分かりますね? >>271
気分を害するだけの人間であるお前に関わる必要が無いよな。
本当にそう思うよ。
精神科の受診はしたか。 お前がちゃんと人目に触れないチラシの裏に書いてれば他人を不快にせずに済むんだがね。 クズと判明した奴をさっと見捨てる技術が求められる。 皆がお前と数語話して一瞬で見捨てたもんな。
本当感心するぐらい皆がその害虫対処の技術を身に付けてるよ。 万人から当然に嫌われながら
支持されてると有り得ない妄想しつつ独り善がりいつまで続けるんだ。
何か間違ってるとどんな馬鹿でも気付くぞ。 >>275
何でまた等しく無内容な書き込みを連投したんですか?連凧ですかプゲラ
質問スレに質問でも回答でもなく他の書き込みへの感想を書いている時点で
何かが間違っていると気づいてください
分かりましたね? 幼児以下の奴に幼児以下の短所直さないといけませんよ?
と言ってるから無内容になるんじゃないですかね。
お前が最低の人間だからそんな話されてるんだよ。
自分とは異なる他者が存在することを理解しましょう、だからな。
幼児にすらそんな助言する必要はない。 他人は無条件に賞賛してくれる道具ではありませんよ?
自分の事ばかり考えていてはいけません。
どんな奴に向けられる助言だ。
お前のレベルの反映なんだよ。 お前など本物のクルクルパーだよ。
優れた内容の書き込みなどお前は一度たりともしていない。
しているつもりだろうが全て甚だしい勘違いだ。 >>267の件ですが
文においてもその進行点ごとに表現すべき課題があって、
その課題が言葉の選択を規定していきますね?
複文を書く時どこまでを修飾節に書いて、どこまでを主節に書けばいいのか、
その判断基準は何なんだろう?と悩んでいたのですが
進行点ごとの課題を把握するのが一番大切ですね? >>282の件ですが
基本的に修飾節は過去に属することを語り、
主節は現在や未来に関する新情報を語る、
と言えるのではないでしょうか?
述語を新情報に関するタイムライン上の刻み目として意識すると、
文の形を適切に判断できる気がします >>283に関連しますが、
最初にエピソードが文字で説明される映画を観ると、
文字で語る部分と映像で語る部分は
どういう基準で分かたれたのだろうと不思議に思うことがありましたが
これも修飾節と主節の問題同様、
何を新情報として語るかということでしょうね? 質問です。
新人賞に応募する原稿にいま著作権がある作品を登場させていいのでしょうか?
また著作権が切れた作品(青空文庫の小説やパブリックドメインの映画)なら登場させてもいいのでしょうか? >>283の件ですが
主題などに係る修飾語が欲しいと感じることがあり、
それを今まではリズム的な要請と思っていましたが、
実は過去との繋がりが欲しかったのかもしれません
リズムからの要請なのか、意味からの要請なのかを
はたして判断できていたんだろうか?と思いました >>285
作品の中に映画のタイトルとかを出すってことですよね
何の問題もないと思いますよ >>287
返答ありがとうございます
ではその作品のセリフとかシーンとか出すのはダメなのでしょうか?
また同じように著作権切れているのは大丈夫なのでしょうか? 副詞は主節に係っているのか従属節に係っているのか
判別しにくいという現象がありますね
「祭りの時に着る服を売った」
は「祭りの時に着る服」を「売った」のか
「着る服」を「祭りの時に売った」のか確定できません
この問題をどう解決すればいいですか? ついにザッカーバーグ氏も! ベーシックインカムの導入を提唱
https://www.businessinsider.jp/post-33905
ベーシックインカムの件ですが、ザッカーバーグも乗ってきたようです
当然ですね?
単なる必然的帰結です 今で言うと読売新聞などが、安倍政権に何の正当性もない愚かな個人攻撃を強制されて
結果的に致命傷を負っています
何故か?
生きることの不安に付け込まれているのです
その結果、自らの寿命を激減させているのです
ベーシックインカムは、この種の漬け込みに対する最強の防壁になります
悪に染まって自滅するという経路をなくすのです
世界にとってどれだけいいことかは自明ですよね?
誇張でも何でもなく、ベーシックインカムによって生産性を数十倍にできるのです
当然実現すべきことが現在現在実現されていないことを人類は恥じるべきです
そうですね? 池井戸潤の下町ロケットを読んでいたのですが
彼の文体は、非常に感情を揺さぶるのがうまいですね
私的な意見ですが、ほかの方はどう思いますか? 日本語教育の本を読んでいて、条件節に該当する助詞に違和感を持ちました
「〜ので」などは「条件」じゃないんじゃないか?と。
調べていくと、仮定条件と確定条件があり、
そのうち自分は仮定条件のみを条件文と考えていた、ということが分かりました
しかし確定条件の説明を読んでも、条件と呼ぶのがふさわしいようには感じられません
条件じゃなくて「理由」の方がぴったりきます
検索すると、確定条件という言葉は日本語関連の本でしか使われていません
英語の文法書にはこのような術語は出てきません
日本語固有の現象なので日本語固有の術語があるのか、
日本における体系がローカルなので固有の術語としてあるのか、
どちらなのでしょうか? >>260の件ですが
youtubeでかわいいMVをかわいいな〜と思いながら観ていたのですが
日本人は清潔さや簡素さや無力さの中に最上のかわいさを感じますね
その根底にはやはり宗教的直感があると思います
日本人にとってかわいいという感覚は多分に宗教的感覚で、
かわいさとは本源的には神の印象のシノニムです
キリスト教においては神が地上の権力の下に完全に無力になりましたが
日本人もそのような神を知っているようです
そうですね? >>296の件ですが、
神の属性である真、善、美に、神の死と復活をも加えたのが、
日本人にとっての「かわいい」の本源にあるものではないでしょうか? 安倍一派の蔓延りによる、嘘と卑劣と不潔な自己陶酔の瀰漫を見るにつけ
日本人は悪魔を崇拝することしか出来ないのだろうかと思ったこともありましたが
そうではないですね
かわいいという感覚の奥に真に神的なものへの信仰を隠し続けてきたのです
そのことに気づいていないにしても。
我々は神を知っている。
そうですね? >>290
たとえば
「祭り用に着る服を売った」
「祭りの時に、服を売った」等で違いをはっきりさせるってことでよくない? >>290
ちなみに
「祭りの時に着る服を売った」を二通りの意味として読み方ができることから
叙述トリックとして用いることができる。
それを活かすも殺すも書き手の腕しだい。 >>298
たとえばキリスト教にせよ、ほとんど西洋は一神教なんだ。
つまり神がひとつしか存在しない。
だからその絶対神以外の、神に近い力を持つもの、神に近い存在は邪神、邪教、異境であり悪魔等になる。
ところが日本では儒教の流れから八百万(やおよろず)の神々を信仰している。
簡単にいえば、山にも海にも、米粒にも神がいることから
神に近い力を持つものは神なのだ。
取り憑く貧乏神も神なのだ。
なので、それもまた神なので、悪魔を崇拝するという感覚がないのだ。 >>301
「八百万の神」とよく言われていますが、それも疑問なんですね
日本人の感覚として、
そういうものが本当にあったのか?
近世の人間が日本の伝統的なものを再定義する際にでっち上げた言葉じゃないか?
という気がしてきています
この言葉は自己陶酔とともに使われがちなので、あまり筋の良さを感じないんです。
自然崇拝や妖精、精霊は世界各地に存在したもので、
日本特有のものではありません
しかし日本だけで「八百万の神」のような言葉で自己陶酔的に語られている
この現象の方に違和感を持ち始めています 「教区はリーダーの指導のもと自給自足の生活が営まれており、平和な村落のように見えた」
主題は、従属節との関係で言うと所格(デ格)が主題化されたものですが
主節との関係で言うと、主格が主題化されていると言えます
表面的には問題のない文のようにも見えますが、
主題が主節と従属節に対して異なる格として係っているので、
「意味は分かるが何か気持ち悪い文」になっていると思います
ですが
「教区ではリーダーの指導のもと自給自足の生活が営まれており、そこは平和な村落のように見えた」
とすると、今度は冗長な印象が生まれます
簡潔にしようとすると係りが不調和を来たし、
それを解決しようとすると冗長になる。
文を書くのは本当に難しいですね?
簡潔でしかも係りが調和した文にするにはどうすればいいのでしょうか? >>303の件ですが
従属節ではなく並列節ですね
日本語教育界では重文という言葉をあまり使わないようです >>302の件ですが
日本国語大辞典の「八百万」の項目に
古事記(712)上
「天安河の河原に、八百万の神を神集ひに集へて」
とありますね
しかし日本人の精神史において
本当に「八百万の神」を信じるような心性が存在し続けていたのかが疑問なのです
古事記が学問的に打ち捨てられていた時代が長くあったと記憶しますが
本当に「八百万の神」を信じていたらある種の「聖典」を見返りもしない、
などということがあったでしょうか? 民族の自己認識において虚偽が入り込んでいたらまずいですよね?
まさにそういうことが起きている気がするのです 民族意識や宗教意識、文化などを国単位で共有していたと思っている時点で間違っている。
通信の発達した現代ならまだしも、それ以前は各集落単位で土着の信仰があった。これは方言や風俗を考えてもらえばわかりやすい。
大きくて奇妙な形の岩がある場所ではそれを奉り、霧のかかる池がある場所ではそれを奉った。 >>307
そうは思いませんね
世界各地の神話や民話が似通っているのは有名ですし
中世の時代は世界全体として中世的です
例外はあっても全体としては人類は課題を共有していると思いますよ
ですからキリスト教で語られる「死して復活する神」のコンセプトが
日本文化の根底に流れていても不思議はないのです
というか日本神話という、ギリシア神話相当のレベルの神話をいつまでも信じていたとしたら
その方が悲惨ですよね?
日本人の中にも人類の進歩に即応したモダンな宗教観念は流れていたのです
ただし、きわめて隠微かつ感覚的な形で。
日本文化の中で最も高級なものはその隠された宗教性の影響下にあると感じます 世俗の権力と切り離された天皇というシステムや
文化や芸術の中にその反映が見られるような宗教性です
体系化も言語化もされていない、しかし奥底にはある、という。
体系化も言語化もされていないので、権威とも結びついておらず、
そのために世俗的、通俗的な澱がその上に積み重なることを許してもいましたが
根底には純粋な光に比すような宗教性がある
日本文化はそういうものではないでしょうか 語ることには価値がある
ただし語らないことにも価値があるのです
その宗教性を決して語らなかった日本文化の根底にあるものにコミットすることが
今を生きる日本人の、とりわけ表現者にとって、重要なことだと思います
そうですね? 俺が金払わないと会えないような人や
金払わないと接点持てない人も
普通にただで接してたり、プライベートでその人に会ってる人間も
たくさんいるわけだよなぁ
俺は知り合いが一人もいない。本当にゼロ
過去の知り合い入るけど、18以降プライベートで会う(会える)
人間は家族以外いなかった コネがない、知り合いがいないと2chに
書いても何の意味もなし
画面に向かって暖簾に腕押しするより
その分外に出た方がいいのだろうか・・・?
家に一人で画面に向かってると、コミュ力が余計に下がる
文字だけで外見も見えないからストレスだ
どういう人間の発言か分からないからな
まぁここは画面の向こう側に読書家がいるのだろう
だから比較的まったり
でも現実じゃ誰も話す人も知ってる人もいないのだ
よく見る店員くらいはいるが・・・
そもそも無職だと他人と知り合っても自分の立場を
明かせないため、知り合いになれない・・・
向こうがちょっとした有名人だったりすれば、既に相手のことは
知ってるわけで 一般的には大学進学して先輩に出版社関係の人がいるようなサークルに入り人脈を作る。 「神経症的」という形容動詞を目にしますが
これはどういう意味でしょうか?
不安神経症は不合理な不安に襲われる状態
強迫神経症は不合理な衝動に取り憑かれている状態
なので、まとめると
不合理な感情や衝動に取り憑かれている状態、
というような意味でしょうか? 文章の中でもしばしばスラングを使いがちだということに気づきました
「凹む」などです
さすがに第三者を前提した文章ではあまりありませんが、
日記のような自分に向けた文章では安易に使ってしまいます
作家たるもの、自分に向けた文章といえども安易に流れることは慎むべきですね? ちなみに何に凹んだのかというと文章力の未熟さにです
研ぎ澄ませることをせずに済ませようとする妥協、
雰囲気で伝わるだろうという甘え、
言葉についてそんなに真剣に考えてこなかった不真面目さ、
そういったものに直面させられてめげますが
やはり一歩一歩進むしかないでしょうか? 死ぬ前に脚を挫いたら検死とかで分かるのかな 何かで脚を殴打したり切断すれば誤魔化せる? 検死によると被害者の血液は法定アルコール量の4倍もの数値を示していた。長年の飲酒癖から血液が凝固しにくくなっており、そのせいで激しい出血したと見られた。
足首に腫れが見られたが、キャサリンは経験上、高いヒールで踊っていたせいだろうと考える。
タオル掛けの指紋から、ジョージ・クレイブンというエンバシーストリップクラブの用心棒の存在が浮上する。ジョージにはDVでの前科があった。
ジョージはレイブンの恋人だが、客に売春を斡旋して見たくないからトイレだけすませて帰ったのだという。キャサリンは浮気をされて逆上したのではないかと疑うが、ジョージの服から血痕は検出されず、防犯ビデオでの様子も殺人を犯して慌てている様子はなかった。
セールスマンの血液からも睡眠薬が検出され、二人ともシロと判明。
煮詰まったキャサリンは現場に立ち返る。するとトイレの尿のところにすべった痕跡が残っていた。足首の腫れは転んで捻挫した状態だったのだ。
レイブンは尿で足を滑らせアンクレットが外れて転倒するが、助けを呼ぼうにも客のセールスマンは薬で眠らせてしまったので、そのまま死に至ったのだった・・・ >>320
くじく=捻挫なら、腫れ、内出血が起きるから
分かるんじゃない?
まあ、叩いたり切断すればごまかせるかもしれないね >>322
ありがとう じゃあ組織が露出するくらい傷つければセーフかな いつの間にか自分の中に作られている
「こういう場合にこういう言いまわしをする」というパターンに安易に流れがちですが
そこから外に出るのは難しいですね?
同じことについて様々な人が書いた文章を読めばいいんじゃないかと考えて
レイモン・クノーの「文体練習」を思い出しました
書店で見かけた時には、ひどく空疎な本に見えたのですが
そういう視点に立った時にはこの本が役に立つでしょうか? まあネット時代ほど自分以外の視点に立つことが容易になった時代もないとも思いますが。
文章に関してはまだネットの恩恵がない気がします
目的が同じで手段だけが違う、という種類の多様性に
ネットはまだ寄与できてはいませんね 文章の抽象度に関してですが、
下げる場合には書き加えである程度対処できますが
上げる場合には削除では対処しきれず、書き直しが必要になるので
下から上げていくのではなくて、上から下げていかなければいけないですね? 428 名前: ◆UQkBkvqwEvzu [sage] 投稿日:2016/08/26(金) 17:57:42.17
やっぱり想像の仕事は手書きが一番ですね?
手書きが一番だと思ってレポート用紙を買ってきたのに、
すぐ使うのを忘れてしまいます
想像と思考のバランスを取るにはどうしたらいいでしょうか?
と書いた者ですか
最近2000円くらいの電子メモパッドを買いました
書くことと全体を消去することができるだけの極めてシンプルなものですが、
手書きの良さを実感しています
モノとして存在感があるので使うのを忘れることもなさそうです >>318の件ですが
どうも基本がなってないようです
レトリックなら見てそうと分かるので、
それについて考えたり法則を検討したり出来ますが
レトリックとも呼べないような基本的な表現は、意識もしないので、
対象化したり知識化したりできず
その結果未熟な部分がかなり残っているようです
日本語として自然な標準的な文章を書くための練習は
どうやればいいのでしょうか? >>328の件ですが
このニュアンスをこの表現に盛り込もう、
というような意識のきめ細やかさが足りない気がします >海外送金した人ならわかるが、現状で条約に準じていないお陰で、手続きが面倒。
このまま共謀罪が成立しなかったら、近々で送金ネットワークから日本の銀行は
外れてしまうぞ???
このようなことを聞きました。
このデメリットと、国際ペンクラブや左翼がいう、表現の自由がなくなるデメリット、
どちらが重いんでしょうね?
本当に共謀財が成立すると、国民は表現の自由を奪われたり、
監視されたりするんでしょうか? >>330
逆です。
そんな問題はありません
国を私物化し、実際に犯罪をもみ消し、
国会では小学生レベルの言い訳に終始している集団が
国連や諸外国や国民の懸念を押し切って何としてでも通そうとしている法案ですよ
国を一層私物化するために作ろうとしてる法案だという
当然の現実を直視してください
信じがたいほどひどい現実ですが、現実なんです
分かりますね? 最近netflixでドキュメンタリーを良く観ています
権威主義的パーソナリティの人間が、
古くからある権力機構に入り込んだり、
自らカルト組織を立ち上げたりして、
悪の限りを尽くした末に、当然の帰結として自らも破滅する、という種類のドキュメンタリーで、
安倍政権への理解を深めるのに資するところ大です
作品名を挙げると
「聖なる地獄」「キーパーズ」「最大の過ち:神のみもとの沈黙」
「くすぐり/Tickled」「ゴーイング・クリア サイエントロジーと信仰という監禁」
など。netflixはドキュメンタリーが豊富なので他にもあると思います
安倍政権と言えば「ナチスの手法」で有名ですが、
ナチスという経路よりも、カルトの経路からの方がずっと理解しやすいと思います
ナチスは巨大で複雑ですが、カルトはずっと規模が小さく、個人に焦点が当たるので。
権威主義的パーソナリティの行動傾向は驚くほど似通っています
とにかく嘘を吐く、手段を選ばない、行動の結果を考えない、
それゆえに当然の帰結として、自ら破滅する
彼らは悪に躊躇しませんが、一面驚くほど稚拙です
悪事として決してうまくない。むしろ信じがたいほど粗雑なのです
この特徴の全てを安倍政権が具備していることに、誰しもが気づくでしょう
netflixは一ヶ月無料ですので、全ての日本人にお勧めします >>332の件ですが
今まさに人類の課題となっているのが権力の設計なのだと思います
カトリック教会は最古の権力機構かもしれませんが、
それにも関わらず、いやそれゆえに、
権威主義的パーソナリティの格好の住処ともなっています
カトリック教会よりはずっと新しい民主主義国家や三権分立といった機構も
そろそろ時代に追いつかなくなった
今起きている問題は人類が構築し依存してきた権力機構が、
設計としてもはや古くなった、というところに淵源しているのだと思います
人類は叡智を結集してこの喫緊の課題に当たるべきでしょう 「(出来事)に責任がある」からの類推から
「(出来事)に責任の一端を担っている」
とも言えそうな気もしますが、
これは不自然ですね?
「担う」という動詞に「(出来事)に」を受ける性格はないので。
ただ全くの間違いと言えるのかは微妙で、
実際検索すると使われているようです
こういう、正しい言い方からの類推から言えそうな気もするが不自然な言いまわしって
難しいですね?
不自然さをなくそうとすると説明っぽさを帯びてきて、
小説の文体ではなくなってしまうので。
「(出来事)に関して責任の一端を担っている」
は若干引っかかります
そう考えると
「(出来事)について責任の一端を担っている」
「(出来事)に対して責任の一端を担っている」
くらいが妥当なのでしょうか? 「時点」という言葉をスラング的に使う習慣があることに気づきました
「冷蔵庫に入れてたケーキを食べている時点で許せない」
のような用法です
この「時点」は、
「話者がそれを認識したその瞬間の判断としては」というような感覚ですね
話者のとっての時間感覚が、対象の叙述と混ざってしまっている
方言的なものかもしれませんが
いずれにしろあまり行儀のいい表現ではないと思います
しかし他の言いまわしをしようと思っても思いつきません
同様の意味を行儀のいい言い方で表現するとどうなりますか? 方言じゃなくてお笑い芸人が使いはじめて流行った言いまわしかもしれません
「そこでパンツが黒っていう時点であかんやん」みたいな使い方です
たぶん単語レベルの置き換えでは言い換え不可能ですよね? >>336の件ですが
「時点で」の後には必ずといっていいほど否定的な言葉が来ます
「〜の時点で好き」のような言い方はしません
そう考えるとますますお笑い芸人発の気がしてきました >>335の件ですが
軽蔑の気持ちを表す言葉「なんて」でほぼ代替可能ですね
「冷蔵庫に入れてたケーキを食べたなんて許せない」
「そこでパンツが黒なんてあかんやん」
見た目は「時点で」という時を表す言い方のようでありながら
実際はムードの語なので、行儀が悪いと感じるのでしょう
思ったのですが、流行り言葉はムードの語が多いかもしれませんね? お前に言っても理解出来るだけの感覚を持ってないので無駄なのは分かってるけど、
そんな腹立たしいほどどうでもいい枝葉末節気にする前に、
お前には治療すべき部分しか無いぞ。 >>339
逆です。
身体化している言葉を引きはがす作業は、
作家にとって枝葉末節などでは全くないのです
むしろ中核的作業です
分かりますね?いや分からないでしょうね?
しかし、そうなのです ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています