どんな質問でも誰かがマジレスするスレ57 [無断転載禁止]©2ch.net
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・応募関係のことが分からない
・執筆関係のことが分からない
・物体は分かるが正式な名前が分からない
・あれってどうやって使うのか分からない
等々、
創作文芸に関係なさそうなどんな質問でもいいので、聞けば誰かがマジレスしてくれるはずのスレです。
前スレ
どんな質問でも誰かがマジレスするスレ56
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/bun/1478721614/ 副詞は主節に係っているのか従属節に係っているのか
判別しにくいという現象がありますね
「祭りの時に着る服を売った」
は「祭りの時に着る服」を「売った」のか
「着る服」を「祭りの時に売った」のか確定できません
この問題をどう解決すればいいですか? ついにザッカーバーグ氏も! ベーシックインカムの導入を提唱
https://www.businessinsider.jp/post-33905
ベーシックインカムの件ですが、ザッカーバーグも乗ってきたようです
当然ですね?
単なる必然的帰結です 今で言うと読売新聞などが、安倍政権に何の正当性もない愚かな個人攻撃を強制されて
結果的に致命傷を負っています
何故か?
生きることの不安に付け込まれているのです
その結果、自らの寿命を激減させているのです
ベーシックインカムは、この種の漬け込みに対する最強の防壁になります
悪に染まって自滅するという経路をなくすのです
世界にとってどれだけいいことかは自明ですよね?
誇張でも何でもなく、ベーシックインカムによって生産性を数十倍にできるのです
当然実現すべきことが現在現在実現されていないことを人類は恥じるべきです
そうですね? 池井戸潤の下町ロケットを読んでいたのですが
彼の文体は、非常に感情を揺さぶるのがうまいですね
私的な意見ですが、ほかの方はどう思いますか? 日本語教育の本を読んでいて、条件節に該当する助詞に違和感を持ちました
「〜ので」などは「条件」じゃないんじゃないか?と。
調べていくと、仮定条件と確定条件があり、
そのうち自分は仮定条件のみを条件文と考えていた、ということが分かりました
しかし確定条件の説明を読んでも、条件と呼ぶのがふさわしいようには感じられません
条件じゃなくて「理由」の方がぴったりきます
検索すると、確定条件という言葉は日本語関連の本でしか使われていません
英語の文法書にはこのような術語は出てきません
日本語固有の現象なので日本語固有の術語があるのか、
日本における体系がローカルなので固有の術語としてあるのか、
どちらなのでしょうか? >>260の件ですが
youtubeでかわいいMVをかわいいな〜と思いながら観ていたのですが
日本人は清潔さや簡素さや無力さの中に最上のかわいさを感じますね
その根底にはやはり宗教的直感があると思います
日本人にとってかわいいという感覚は多分に宗教的感覚で、
かわいさとは本源的には神の印象のシノニムです
キリスト教においては神が地上の権力の下に完全に無力になりましたが
日本人もそのような神を知っているようです
そうですね? >>296の件ですが、
神の属性である真、善、美に、神の死と復活をも加えたのが、
日本人にとっての「かわいい」の本源にあるものではないでしょうか? 安倍一派の蔓延りによる、嘘と卑劣と不潔な自己陶酔の瀰漫を見るにつけ
日本人は悪魔を崇拝することしか出来ないのだろうかと思ったこともありましたが
そうではないですね
かわいいという感覚の奥に真に神的なものへの信仰を隠し続けてきたのです
そのことに気づいていないにしても。
我々は神を知っている。
そうですね? >>290
たとえば
「祭り用に着る服を売った」
「祭りの時に、服を売った」等で違いをはっきりさせるってことでよくない? >>290
ちなみに
「祭りの時に着る服を売った」を二通りの意味として読み方ができることから
叙述トリックとして用いることができる。
それを活かすも殺すも書き手の腕しだい。 >>298
たとえばキリスト教にせよ、ほとんど西洋は一神教なんだ。
つまり神がひとつしか存在しない。
だからその絶対神以外の、神に近い力を持つもの、神に近い存在は邪神、邪教、異境であり悪魔等になる。
ところが日本では儒教の流れから八百万(やおよろず)の神々を信仰している。
簡単にいえば、山にも海にも、米粒にも神がいることから
神に近い力を持つものは神なのだ。
取り憑く貧乏神も神なのだ。
なので、それもまた神なので、悪魔を崇拝するという感覚がないのだ。 >>301
「八百万の神」とよく言われていますが、それも疑問なんですね
日本人の感覚として、
そういうものが本当にあったのか?
近世の人間が日本の伝統的なものを再定義する際にでっち上げた言葉じゃないか?
という気がしてきています
この言葉は自己陶酔とともに使われがちなので、あまり筋の良さを感じないんです。
自然崇拝や妖精、精霊は世界各地に存在したもので、
日本特有のものではありません
しかし日本だけで「八百万の神」のような言葉で自己陶酔的に語られている
この現象の方に違和感を持ち始めています 「教区はリーダーの指導のもと自給自足の生活が営まれており、平和な村落のように見えた」
主題は、従属節との関係で言うと所格(デ格)が主題化されたものですが
主節との関係で言うと、主格が主題化されていると言えます
表面的には問題のない文のようにも見えますが、
主題が主節と従属節に対して異なる格として係っているので、
「意味は分かるが何か気持ち悪い文」になっていると思います
ですが
「教区ではリーダーの指導のもと自給自足の生活が営まれており、そこは平和な村落のように見えた」
とすると、今度は冗長な印象が生まれます
簡潔にしようとすると係りが不調和を来たし、
それを解決しようとすると冗長になる。
文を書くのは本当に難しいですね?
簡潔でしかも係りが調和した文にするにはどうすればいいのでしょうか? >>303の件ですが
従属節ではなく並列節ですね
日本語教育界では重文という言葉をあまり使わないようです >>302の件ですが
日本国語大辞典の「八百万」の項目に
古事記(712)上
「天安河の河原に、八百万の神を神集ひに集へて」
とありますね
しかし日本人の精神史において
本当に「八百万の神」を信じるような心性が存在し続けていたのかが疑問なのです
古事記が学問的に打ち捨てられていた時代が長くあったと記憶しますが
本当に「八百万の神」を信じていたらある種の「聖典」を見返りもしない、
などということがあったでしょうか? 民族の自己認識において虚偽が入り込んでいたらまずいですよね?
まさにそういうことが起きている気がするのです 民族意識や宗教意識、文化などを国単位で共有していたと思っている時点で間違っている。
通信の発達した現代ならまだしも、それ以前は各集落単位で土着の信仰があった。これは方言や風俗を考えてもらえばわかりやすい。
大きくて奇妙な形の岩がある場所ではそれを奉り、霧のかかる池がある場所ではそれを奉った。 >>307
そうは思いませんね
世界各地の神話や民話が似通っているのは有名ですし
中世の時代は世界全体として中世的です
例外はあっても全体としては人類は課題を共有していると思いますよ
ですからキリスト教で語られる「死して復活する神」のコンセプトが
日本文化の根底に流れていても不思議はないのです
というか日本神話という、ギリシア神話相当のレベルの神話をいつまでも信じていたとしたら
その方が悲惨ですよね?
日本人の中にも人類の進歩に即応したモダンな宗教観念は流れていたのです
ただし、きわめて隠微かつ感覚的な形で。
日本文化の中で最も高級なものはその隠された宗教性の影響下にあると感じます 世俗の権力と切り離された天皇というシステムや
文化や芸術の中にその反映が見られるような宗教性です
体系化も言語化もされていない、しかし奥底にはある、という。
体系化も言語化もされていないので、権威とも結びついておらず、
そのために世俗的、通俗的な澱がその上に積み重なることを許してもいましたが
根底には純粋な光に比すような宗教性がある
日本文化はそういうものではないでしょうか 語ることには価値がある
ただし語らないことにも価値があるのです
その宗教性を決して語らなかった日本文化の根底にあるものにコミットすることが
今を生きる日本人の、とりわけ表現者にとって、重要なことだと思います
そうですね? 俺が金払わないと会えないような人や
金払わないと接点持てない人も
普通にただで接してたり、プライベートでその人に会ってる人間も
たくさんいるわけだよなぁ
俺は知り合いが一人もいない。本当にゼロ
過去の知り合い入るけど、18以降プライベートで会う(会える)
人間は家族以外いなかった コネがない、知り合いがいないと2chに
書いても何の意味もなし
画面に向かって暖簾に腕押しするより
その分外に出た方がいいのだろうか・・・?
家に一人で画面に向かってると、コミュ力が余計に下がる
文字だけで外見も見えないからストレスだ
どういう人間の発言か分からないからな
まぁここは画面の向こう側に読書家がいるのだろう
だから比較的まったり
でも現実じゃ誰も話す人も知ってる人もいないのだ
よく見る店員くらいはいるが・・・
そもそも無職だと他人と知り合っても自分の立場を
明かせないため、知り合いになれない・・・
向こうがちょっとした有名人だったりすれば、既に相手のことは
知ってるわけで 一般的には大学進学して先輩に出版社関係の人がいるようなサークルに入り人脈を作る。 「神経症的」という形容動詞を目にしますが
これはどういう意味でしょうか?
不安神経症は不合理な不安に襲われる状態
強迫神経症は不合理な衝動に取り憑かれている状態
なので、まとめると
不合理な感情や衝動に取り憑かれている状態、
というような意味でしょうか? 文章の中でもしばしばスラングを使いがちだということに気づきました
「凹む」などです
さすがに第三者を前提した文章ではあまりありませんが、
日記のような自分に向けた文章では安易に使ってしまいます
作家たるもの、自分に向けた文章といえども安易に流れることは慎むべきですね? ちなみに何に凹んだのかというと文章力の未熟さにです
研ぎ澄ませることをせずに済ませようとする妥協、
雰囲気で伝わるだろうという甘え、
言葉についてそんなに真剣に考えてこなかった不真面目さ、
そういったものに直面させられてめげますが
やはり一歩一歩進むしかないでしょうか? 死ぬ前に脚を挫いたら検死とかで分かるのかな 何かで脚を殴打したり切断すれば誤魔化せる? 検死によると被害者の血液は法定アルコール量の4倍もの数値を示していた。長年の飲酒癖から血液が凝固しにくくなっており、そのせいで激しい出血したと見られた。
足首に腫れが見られたが、キャサリンは経験上、高いヒールで踊っていたせいだろうと考える。
タオル掛けの指紋から、ジョージ・クレイブンというエンバシーストリップクラブの用心棒の存在が浮上する。ジョージにはDVでの前科があった。
ジョージはレイブンの恋人だが、客に売春を斡旋して見たくないからトイレだけすませて帰ったのだという。キャサリンは浮気をされて逆上したのではないかと疑うが、ジョージの服から血痕は検出されず、防犯ビデオでの様子も殺人を犯して慌てている様子はなかった。
セールスマンの血液からも睡眠薬が検出され、二人ともシロと判明。
煮詰まったキャサリンは現場に立ち返る。するとトイレの尿のところにすべった痕跡が残っていた。足首の腫れは転んで捻挫した状態だったのだ。
レイブンは尿で足を滑らせアンクレットが外れて転倒するが、助けを呼ぼうにも客のセールスマンは薬で眠らせてしまったので、そのまま死に至ったのだった・・・ >>320
くじく=捻挫なら、腫れ、内出血が起きるから
分かるんじゃない?
まあ、叩いたり切断すればごまかせるかもしれないね >>322
ありがとう じゃあ組織が露出するくらい傷つければセーフかな いつの間にか自分の中に作られている
「こういう場合にこういう言いまわしをする」というパターンに安易に流れがちですが
そこから外に出るのは難しいですね?
同じことについて様々な人が書いた文章を読めばいいんじゃないかと考えて
レイモン・クノーの「文体練習」を思い出しました
書店で見かけた時には、ひどく空疎な本に見えたのですが
そういう視点に立った時にはこの本が役に立つでしょうか? まあネット時代ほど自分以外の視点に立つことが容易になった時代もないとも思いますが。
文章に関してはまだネットの恩恵がない気がします
目的が同じで手段だけが違う、という種類の多様性に
ネットはまだ寄与できてはいませんね 文章の抽象度に関してですが、
下げる場合には書き加えである程度対処できますが
上げる場合には削除では対処しきれず、書き直しが必要になるので
下から上げていくのではなくて、上から下げていかなければいけないですね? 428 名前: ◆UQkBkvqwEvzu [sage] 投稿日:2016/08/26(金) 17:57:42.17
やっぱり想像の仕事は手書きが一番ですね?
手書きが一番だと思ってレポート用紙を買ってきたのに、
すぐ使うのを忘れてしまいます
想像と思考のバランスを取るにはどうしたらいいでしょうか?
と書いた者ですか
最近2000円くらいの電子メモパッドを買いました
書くことと全体を消去することができるだけの極めてシンプルなものですが、
手書きの良さを実感しています
モノとして存在感があるので使うのを忘れることもなさそうです >>318の件ですが
どうも基本がなってないようです
レトリックなら見てそうと分かるので、
それについて考えたり法則を検討したり出来ますが
レトリックとも呼べないような基本的な表現は、意識もしないので、
対象化したり知識化したりできず
その結果未熟な部分がかなり残っているようです
日本語として自然な標準的な文章を書くための練習は
どうやればいいのでしょうか? >>328の件ですが
このニュアンスをこの表現に盛り込もう、
というような意識のきめ細やかさが足りない気がします >海外送金した人ならわかるが、現状で条約に準じていないお陰で、手続きが面倒。
このまま共謀罪が成立しなかったら、近々で送金ネットワークから日本の銀行は
外れてしまうぞ???
このようなことを聞きました。
このデメリットと、国際ペンクラブや左翼がいう、表現の自由がなくなるデメリット、
どちらが重いんでしょうね?
本当に共謀財が成立すると、国民は表現の自由を奪われたり、
監視されたりするんでしょうか? >>330
逆です。
そんな問題はありません
国を私物化し、実際に犯罪をもみ消し、
国会では小学生レベルの言い訳に終始している集団が
国連や諸外国や国民の懸念を押し切って何としてでも通そうとしている法案ですよ
国を一層私物化するために作ろうとしてる法案だという
当然の現実を直視してください
信じがたいほどひどい現実ですが、現実なんです
分かりますね? 最近netflixでドキュメンタリーを良く観ています
権威主義的パーソナリティの人間が、
古くからある権力機構に入り込んだり、
自らカルト組織を立ち上げたりして、
悪の限りを尽くした末に、当然の帰結として自らも破滅する、という種類のドキュメンタリーで、
安倍政権への理解を深めるのに資するところ大です
作品名を挙げると
「聖なる地獄」「キーパーズ」「最大の過ち:神のみもとの沈黙」
「くすぐり/Tickled」「ゴーイング・クリア サイエントロジーと信仰という監禁」
など。netflixはドキュメンタリーが豊富なので他にもあると思います
安倍政権と言えば「ナチスの手法」で有名ですが、
ナチスという経路よりも、カルトの経路からの方がずっと理解しやすいと思います
ナチスは巨大で複雑ですが、カルトはずっと規模が小さく、個人に焦点が当たるので。
権威主義的パーソナリティの行動傾向は驚くほど似通っています
とにかく嘘を吐く、手段を選ばない、行動の結果を考えない、
それゆえに当然の帰結として、自ら破滅する
彼らは悪に躊躇しませんが、一面驚くほど稚拙です
悪事として決してうまくない。むしろ信じがたいほど粗雑なのです
この特徴の全てを安倍政権が具備していることに、誰しもが気づくでしょう
netflixは一ヶ月無料ですので、全ての日本人にお勧めします >>332の件ですが
今まさに人類の課題となっているのが権力の設計なのだと思います
カトリック教会は最古の権力機構かもしれませんが、
それにも関わらず、いやそれゆえに、
権威主義的パーソナリティの格好の住処ともなっています
カトリック教会よりはずっと新しい民主主義国家や三権分立といった機構も
そろそろ時代に追いつかなくなった
今起きている問題は人類が構築し依存してきた権力機構が、
設計としてもはや古くなった、というところに淵源しているのだと思います
人類は叡智を結集してこの喫緊の課題に当たるべきでしょう 「(出来事)に責任がある」からの類推から
「(出来事)に責任の一端を担っている」
とも言えそうな気もしますが、
これは不自然ですね?
「担う」という動詞に「(出来事)に」を受ける性格はないので。
ただ全くの間違いと言えるのかは微妙で、
実際検索すると使われているようです
こういう、正しい言い方からの類推から言えそうな気もするが不自然な言いまわしって
難しいですね?
不自然さをなくそうとすると説明っぽさを帯びてきて、
小説の文体ではなくなってしまうので。
「(出来事)に関して責任の一端を担っている」
は若干引っかかります
そう考えると
「(出来事)について責任の一端を担っている」
「(出来事)に対して責任の一端を担っている」
くらいが妥当なのでしょうか? 「時点」という言葉をスラング的に使う習慣があることに気づきました
「冷蔵庫に入れてたケーキを食べている時点で許せない」
のような用法です
この「時点」は、
「話者がそれを認識したその瞬間の判断としては」というような感覚ですね
話者のとっての時間感覚が、対象の叙述と混ざってしまっている
方言的なものかもしれませんが
いずれにしろあまり行儀のいい表現ではないと思います
しかし他の言いまわしをしようと思っても思いつきません
同様の意味を行儀のいい言い方で表現するとどうなりますか? 方言じゃなくてお笑い芸人が使いはじめて流行った言いまわしかもしれません
「そこでパンツが黒っていう時点であかんやん」みたいな使い方です
たぶん単語レベルの置き換えでは言い換え不可能ですよね? >>336の件ですが
「時点で」の後には必ずといっていいほど否定的な言葉が来ます
「〜の時点で好き」のような言い方はしません
そう考えるとますますお笑い芸人発の気がしてきました >>335の件ですが
軽蔑の気持ちを表す言葉「なんて」でほぼ代替可能ですね
「冷蔵庫に入れてたケーキを食べたなんて許せない」
「そこでパンツが黒なんてあかんやん」
見た目は「時点で」という時を表す言い方のようでありながら
実際はムードの語なので、行儀が悪いと感じるのでしょう
思ったのですが、流行り言葉はムードの語が多いかもしれませんね? お前に言っても理解出来るだけの感覚を持ってないので無駄なのは分かってるけど、
そんな腹立たしいほどどうでもいい枝葉末節気にする前に、
お前には治療すべき部分しか無いぞ。 >>339
逆です。
身体化している言葉を引きはがす作業は、
作家にとって枝葉末節などでは全くないのです
むしろ中核的作業です
分かりますね?いや分からないでしょうね?
しかし、そうなのです 糞を包む包装紙の柄をどれにするか気にしてるのがお前。
せいぜい頑張って選べや。 誰からも嫌われ蔑まれる状態でずっと居たいんだろ。
大元の糞をどうにかしようと思うのが健常者だ。 枝葉末節とか言っちゃう人は、
問題の射程は見えている部分に限られていない、
ということを知らないのでしょうね
問題というのは互いに繋がりあって存在しているので、
ある問題と向き合うことで得られた知識は
他の問題にも応用可能なのですよ
もちろん全ての問題がそうではありませんが。
分かりますね? それお前だよ。
自分が糞と同じ印象を他人に与える不快な人間だという事が理解出来てない。
例えばそれを理解できたらお前は糞でなくなりたいとは思えるのか。 独り善がりでは駄目ですよと繰り返し言われても、
独り善がりこそ追求すべきなのだと主張し、
相変わらず当然の結果として誰一人からも支持されない。
自分一人で悦に入りながらしょうもない御託並べるだけで作品を書いてすら居ない。
お前が間違ってると気付け。
馬鹿に言っても無駄だがな。
他人を嫌な気持ちにさせるだけの人間だよ。
お前は根本的に生き方を間違えた。 開発中の人工知能の失敗作でしたと告白して今まで不愉快にさせた人々に謝罪しろよ。
ひねくれて助言には必ず逆らいながら、常に同意求める乞食という設定で開発したら
案の定救いようの無いゴミになっちゃいましたと。 次からは長所を作れるような開発方針を採れよな。
なんで明らかな短所ばかりで作ろうと思ったんだ。 >>345
いやそこどうでもいいですよね?
無内容な書き込みを連投することに比べたら
ageかsageかなんて右目の目くそと左目の目くその違いくらいしかありません
というかそんなこと気にしたことすらありませんし。
反省して下さいね? >>334の件ですが
以前日国使いたさで購入した電子辞書exwordの
「日本語コロケーション辞典」で「責任」を引いてみたら
「責任を」しか出てきませんでした
ヲ格以外の格がないのです
お話になりませんね?
てにをはが揃っていても足りないくらいなのですから。
なぜなら例えば同じニ格でも
・(出来事)に責任がある
・(人)に(出来事)の責任がある
のように他の格との組み合わせで変化するからです
単独の格の考察では足りないのです
組み合わせによる変化まで考察した辞書が必要ですね?
それとも既にあるのでしょうか? お前が指摘されてる所に一点の間違いも無い。
いかにお前が糞同然でそれを治さなければ問題外かという指摘だ。
あまりにも的確な助言を受けてると気付け。
俗語の使用はなるべく控えましょう、とは子供向けの参考書に書いてるが、
お前はそれを考える次元にも達していない。
糞そのものの人間性は改めましょうそれすら出来てないのは死んだほうがいいですとは
どの参考書にもわざわざ書いてくれていない。
お前の課題はそれだ。
ここまで親切な指導してくれる優しい人居ないぞ。 >>351
逆です。
俗語が問題なのではなく、身体に染みこんでしまった俗語が問題なのです
「時点で」の用法も意識するまでは俗語と気づいてなかったのですから。
芸術や哲学と付き合うということは、
通俗文化やある種の本などを通して知らぬ間に身体に染みこんでいた
世俗的な道徳風のものや、
世俗的な美意識風のものを自分から引きはがすことでもあります
そういうことを続けてきて、いよいよその対象が言葉に至ったということです
分かりますね? >>352の件ですが
この前ナポレオン・ヒルの本をすごく久しぶりに読んだのですが
洗脳の手法が留保も仮借もなく振るわれていることに驚きましたね
手加減なしで全力で襲いかかってきます
真実の断片でガードを下げさせては嘘を打ち込んでくるので
一時も油断できない、そんな読書でした
はっきりいって猛毒ですし、そんな本が書店に並べられていることが驚きです
しかし若い頃読んだ時には、そんなことに全く気づかずに、
「そんなこともあるのかなぁ」などと思っていたのです
そしておそらくは一部分は身体に染みこませていたのです
この種の虚偽は、
普通考えられているよりずっと人生や社会に悪影響を与えています
安倍現象もそれと無縁ではないと思います パリ協定離脱、米経済に刃 再生エネの商機逃す
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGR06H3U_X00C17A6TCR000/
まったくその通りですが、
再生エネルギーの潮流の機先を制するという絶好の機会をみすみす投げ捨てて
そのかわりに原発という巨大な負債と、
安倍政権という史上最悪の政権を手に入れた日本は一体何なのでしょうか?
泉に落とした金の斧の代わりに
柄に毒が塗られた棍棒を手に入れたようなものですね?
何故か?
日本国民が昔話に出てくるいじわる爺さんのようだったからです
東北に寄り添う心があれば、こんなことにはなっていません
原発がないと経済ガーという嘘に騙されたりしていません
昔話はまったく正しいことを語っていましたね? >>350の件ですが
文章における問題の大部分は組み合わせが原因で生まれるものではないでしょうか?
この例に挙げた、組み合わせによる格の機能の変化だけでなく
一つの文の中に複数の主格が入ることによる不整合、
一つの文の中に同種の副詞節が複数入ることよる言いまわしの重複など netflixでドキュメンタリー「アノニマス〜“ハッカー”たちの生態〜」を観ました
日本が今置かれている状況とも共鳴していますが、
「悪」に対して、威力をもって、法を侵して黙らせようという方策では
社会は良くはならないんですね
安倍が仮に急死したとて問題は解決しない、
という判断は日本のリベラル層の中で、ある程度共有されていると思いますが
そういう意味でアノニマスより大人な部分が、
日本のリベラル層にはあるのではないでしょうか?
DDoS攻撃でサイトを落とす行動に出るような人は、実際ほとんどいないと思います
それを「善」と言えるほどナイーブな人は。
そうですね? 最近なんとなく買ったゲームが難しくて
ゲーム実況動画を観るようになりましたが
人が自分と同じ問題に対処してるのを見るのって楽しいんですね
共感するし、何より発見があります
人のプレイ自体からの発見はもちろんありますが、
それ以外の部分で、
自分がプレイしている時には気づかなかったことに気づいたりもします
このゲーム実況動画にある感じを言葉の世界に持ち込むことはできないものでしょうか? 一人分の体験から得られる分しか気づけないのって
実はかなり非効率なんじゃないか?という思いが募っています 他の人の思考過程をリアルタイムに見ることができたら
人間は進歩するでしょうね?
ゲーム実況どころではない沢山の発見があるはずです
そうですね? 「ちょいワルジジ」になるには美術館へ行き、牛肉の部位知れ
https://www.news-postseven.com/archives/20170610_561363.html
ツイッターでこの記事が炎上していましたが、
美術館という上下関係のない場で、
無条件に自分を「知る者」、若い女性を「知らざる者」に分類する
という厚かましさが何より問題ですね?
しかもよく読むと
>まずは行きたい美術館の、そのときに公開されている作品や画家に関する蘊蓄を頭に叩き込んでおくこと。
とあるので、何と実際には「知る者」ですらありません
書き手は付け焼き刃の知識を振りかざして得意がるという恥ずかしい行動を勧めているわけで
「ちょいワルジジ」の知性をものすごく低いものとして想定していると言わざるを得ません
ネトウヨの知性をものすごく低いものとして想定している安倍政権と同じようなものですね?
しかしだからこそ、この雑誌は「ちょいワルジジ」に支持されるかもしれません
地獄ですね? どうも「ちょいワル」というのはキャラとか雰囲気の話ではなく、
本当に「ちょっと悪い」、
ずるい手、汚い手を使ってでもおいしい思いをしていこうという態度のことのようですね
そう考えると安倍政権的なものと完全に地続きですね ですから付け焼き刃だとか恥ずかしいとか、
そんなことはちょいワル的人間にはどうでもいいのでしょう
厚顔無恥になりながらおいしい思いをしたい、
という種類の人々ですから。
付け焼き刃はむしろ願ったりかなったりです
ツイッターで起きているような批判も、彼らには馬耳東風でしょう
彼らにとっての興味があるのは、女性に好かれるかどうかではなく、
セックスできるかできないかですから。
チョロい人間が少数いればいい。
そして必ずチョロい人間はいる。
ソシャゲや安倍政権やオレオレ詐欺と同じビジネスモデルです
くそですね? 最近の小説は中身がないと思いませんか?
こう思う私は感性が古いか、更新を怠っているんでしょうか?
無理にでも新しいものに合わせて書いていくべきでしょうか?
すみません、?が多くて…少し落ち込んでるのでご容赦を。 >無理にでも新しいものに合わせて書いていくべきでしょうか
べきではありません
その方が良いと分かって合わせようと努力するなら価値がありますが
本当はいいと思ってないのに合わせる必要はありません
そのため不遇を託つことになったとしても、
本当はいいと思ってないことに合わせるよりずっといい生き方だと思います もっとも自分は最近の小説をあまり読んでいないので、
本当に内容かあるかないかは分かりません
ただ映画などを観ると、
文化的参入障壁の中でぬくぬくとやっていた頃の国内作品は、
今見ると酷いですね
世界レベルが標準となりつつある現在の作品は、
格分野で相当高度なことをやっているように思います >>367
返信有り難うございます。
少し気が楽になりました。
もう少し考えてみます。
>>368
返信有り難うございます。
文化的参入障壁
確かに最近は作風は変わってきましたが、
まだ外国の作品と比べると、ぬくぬくとやっているきがします。
といっても、全て見ているわけではないですが。
高度なこと。
日本の邦画、ドラマ、アニメ、漫画、ラノベなどを見ての感想でしょうか? >>367
しかし、新しいものに合わせるかどうかはともかく、
常に新しいものに触れることは、大切だと思うのですが……
ただ、後者もかなりエネルギーが必要ですね? >日本の邦画、ドラマ、アニメ、漫画、ラノベなどを見ての感想でしょうか?
その中で良く触れているのは漫画くらいですが
表現性においては世界に伍するものがあると感じることは少なくないです
物語性でいえば弱いですが。
日本文化は傾向的に感覚的なところに強みがあると思います >常に新しいものに触れることは、大切
もちろんそうです
人類の単位でいえば、表現は確実に進化してると思います タイムマシン商法などという言葉もありましたが
海外のものを日本用に仕立て直して売るという時代が長くありました
まだ完全に抜けきってはいませんが、そういう時代の幕は降りて
直接世界と向き合う作り手が現れてきた
ラジオを聴くようになって、再び邦楽も聴くようになりましたが、
音楽の世界ではそういう新しい作り手が出現しているように思います
音楽に限らず全領域的にそのような変化が起きている真っ最中なのではないでしょうか? 共謀罪が成立しました
するかしないかと論じる余地はなくて、することは自明だったので、
特に失望もありません
国会を空転させるという手法も、
戦前をひたすらトレースしていくという安倍一味の方針に沿ったもので、
そこに理性的判断はない。
単にそうだったからそうしているだけです
ところで、ついに総括されることがなかった戦前の愚かさを
忠実にトレースしていく安倍一味という敵の存在は、
国民が大人になるために乗り越えなければならない試練としては、
なかなかセンスがいいんじゃないかと思います
この「物語」を書いている存在は、才能ありますね?
安倍一味に勝つために必要なのは、まさに国民に是非とも必要だったものです
必要なものを準備するために、このような敵が必要だった、とも言えるでしょう
あくまで、勝てばこそですが。
負ければ、そこには確定された自滅があるのみです。
今を生きる国民の責任は重いですね? 「ふと気づくとネットを見てる」ということが増えてきたので、
ここはポメラなのか・・?と思ったのですが
マルチデスクトップソフトを使って
ブラウザが表示されているデスクトップとエディタが表示されるデスクトップを
別々にしてみました
するとふとした瞬間に衝動的にタスク切り替えのキー操作をしてしまう自分に気づきました
環境を限定した執筆用のアカウントを作るのもいいかもしれませんね? >>375の件ですが
このおかげで昨日から何回も
衝動的にネットを見てしまうということを防げています
環境を便利にしていくと誘惑も増えていくので、
逃避が習慣化しないように環境設計することが重要です
一番良くないのは無意識にしてしまうことで、
最初の時点で気づかないので直せない。
「今無意識にしてた」と気づく仕組みを作ることが大切ですね? >>375についてですが
デスクトップの比喩を使うと、
エディタやevernoteなどの執筆系アプリと
ブラウザや2chブラウザなどの閲覧系アプリを同じ画面に開いておくということは
机の上に酒瓶を置きながら仕事や勉強をしてるような状態ですよね?
誘惑に対して無防備すぎました 「安倍政権の支持率が下がらない理由」みたいな記事のタイトルを見かけました
単に洗脳されてるからです
あたかも安倍政権を支持することに合理的な理由があるかのように語ること自体、
カルトに加担していることになります
安倍政権は「カルトっぽい」ではなく、カルトそのものです
安倍政権の手法も「カルトっぽい」ではなく、カルトの手法そのものです
カルトについて調べれば誰にでもすぐに分かることです
紛う事なき100%のカルトです
安倍政権はそのようなものとして論じなければなりません
カルトの教義に合理的な理由などありませんし、
カルトの被害者は合理的な理由があってそれを信じるのではありません
そうですね? >>378の件ですが
書いてから少し違和感を覚えてきました
カルトよりもっと悪いものですね
安倍政権はカルトの特徴のすべてを具備しており、
更に一般的なカルト団体にはない種類の悪質さも備えています
それがファシズムなのでしょう
ファシズムはカルトを包含している
ファシズムから中核的なエッセンスを抽出したサブセットがカルトです
ファシズムは、カルトよりももっと悪い。
しかしともかく、カルトについて知れば、
安倍政権の大きな部分を理解することができるはずです
それがファシズムを理解するいい方法だと思います 語源的にはどうなのか知りませんが、
ファシズムがファナティックと似ているのは偶然ではないと思います
単なる独裁体制ではなく、狂気に支配された独裁体制がファシズムです
そうですね? >>375の件ですが、
タスク切り替え時に執筆系以外のアプリのアイコンが表示されているだけでも
その中から選ぶコストが増えるし、集中力も削がれるので、
執筆系アプリ以外は全て別のデスクトップに移しました
タスクリストに最小限のアプリだけしか表示されない環境を想像してください
最高ですね? 人間の心情が描写されない小説は存在し得ますか?
全ての小説は人間の心情を描いているような気がします。 ありません
あったとしても実験的な小説になるでしょうね レスありがとうございます。
誰かチャレンジしてみないですかね〜。大概のことは書き尽くされているので、新しい取り組みは評価されるのでは、と思います。 最近、小説、映画や漫画を見ていても、出尽くしている感が。
ラインナップを見ても、「またそれか」と感じ、触手が伸びないことがあります。
このように感じているのは、私だけでしょうか? 小説に人間の心情が描かれるとはかぎらないと思います。
たまたま描いてしまうことがあるかもしれない。
もしも人間の心情がわかるとしたら、人間の心情がわかる人物を主人公にしたからじゃないでしょうか。
猫ならたまにわかるかもしれない。わかることもあるけど、なんで鳴いているのかわからないことも多い。
人間の場合、心情は猫よりもっと複雑な気がします。主人公の心情ならともかく、主人公以外の心情はわからない。なぞがいっぱい。なぞはなぞのまま死ぬ人間もいる。
逆にわかったらもう人間じゃない。心情がわからないから苦悩する。それが人間。人間を描いてこそ小説だと思います。 自分はそうは思いません
言語が現実を補足するには
はなはだ不完全なものだと考えるようになったこととも関連しますが
既に作られた作品がどれだけ多くても、
語り得ることのほんの一部でしかないんじゃないかという気がしています ヨハネの福音書も
「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。
わたしは思う。
その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう」
と語っていますね
これは美しい言葉で、何だか泣けてしまいます アゴタクリストフの「悪童日記」
など、心境描写なしでひたすら出来事だけが描かれているのでは……? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています